第二十四話  御勝という男、其の三。

 

 右足首をつかまれた真比登まひとは、身体が大きくかたむいた。

 その鼻先を、ひゅ、と吹き矢がかすめた。


「あっぶね!」


 真比登まひとは軽い声で右を向き、吹き矢を飛ばした蝦夷えみしめがけ、大刀たちを放った。

 大刀たちは勢いよく飛び、蝦夷は吹き矢を持ったまま、頭から大刀たちを生やし絶命した。


 真比登まひとが右足首をつかんで離さない足元の敵を右拳で打とうと見下ろすと。


 それは、十五歳ほどの蝦夷だった。


 仰向け。腹がさけ、もう、絶命間近だ。

 ふう、ふう、と細く息をし、目もうつろだ。どうりで気配を感じなかったわけだ。


わらはかよ!)


 真比登まひとは顔をしかめ、右手をおろし、近くの流星錘りゅうせいすいをひとつ、右手に拾った。


 日本兵は、二十一歳からの兵役だ。進士しんし(志願兵)をのぞき、それより若い兵士は存在しない。

 これだけの若者を戰場に送らざるをえない、蝦夷の実情を、つい、真比登まひとは思い浮かべる。


 真比登まひとは、おみなわらはを殴らない。


 大真須売おおますめ姉ちゃんとの約束だ。


「ちっ……、オレが斬ったんじゃねぇぞー。」


 それは間違いない。少なくとも真比登まひとは直接手はくだしていない……。

 そう、もそもそ何かに言い訳しながら、真比登まひとはしゃがみこみ、


「おーい、離してくれ。」


 と左手で、自分の右足首に絡みついた、わらはの右手をほどく。


「ピッカ イムンペ……。」


 わらはのかさかさにひびわれた唇が動いた。


「ニサッタ アン ヤクン ホシッパアン クス ネ ナ……。」


 ゆらゆらと、瞳が揺れる。

 誰かを探している。

 いや、黄泉に近く、真比登まひとには見えない誰かを見ているのだろうか?

 真比登まひと声音こわねが存外優しく、仲間と勘違いされたのかもしれなかった。


「な、何言ってんのかわかんねえよ。」

「ケヤム イムンペ サム タ クホシピ クス ネ ナ……。」


 わらはの目が、ひたと真比登まひとを見据えた。

 降ろしていた左手を、ふるふると上に持ち上げる。

 その手には、赤い縞模様の石があしらわれた白い貝殻の首飾りが握られていた。

 きっと女物だ。

 首飾りを、震える手で真比登まひとに、渡そうとしている。


「おい、そういうのは、仲間にやれよ……。」


 真比登まひとは困るが、


「ピッカ イムンペ……。ピッカ イムンペ……。 ピッカ イムンペ……。」


 つう、わらはの目から涙が一筋流れ、腕から力が失われる。

 首飾りが地につく前に、思わず真比登まひとはその手をとっていた。

 首飾りごと、その手を握りしめていた。

 血に濡れ。

 まだ温かい。

 言葉も通じない。衣も、生活も、何もかも違う。

 でも、この体温と、手の感触は、同じ人間だ。何も変わるものじゃない。


(ちっ……。)


 因果な仕事だ。

 自分のくそな仕事が嫌になる。


「わかった。お前の手で、吹き矢から救ってもらったようなもんだからな。いったん、これはオレが預かって、何かの機会に、お前らの仲間に渡すよ。」


(あてがあるわけではないが……。)


 真比登まひとは首飾りをそっと懐にしまい、立ち上がり、もう目から光を失ったわらはにそう告げる。


「あな安らけ。しず御魂みたま。」


 きっと、蝦夷の彼には、通じない見送りの言葉だ。

 だが、真比登まひとには、その言葉しかない。




 真比登まひと大刀たちを丁寧に手布でぬぐい、鞘に戻し、流星錘りゅうせいすいも回収する。

 麁駒あらこまも呼べばきちんと帰ってくる。

 馬上の人となった真比登まひとは、遠くまで不思議と通る、甘く絹の重なりのような柔らかさの大声で、軍に指示を飛ばしはじめた。





     *   *   *



 


 制圧が終わった。



 残されたのは、亡骸か、もう戦えず動けない賊奴ぞくとのみ。


 もともと、待ち伏せをしていた蝦夷の数は少ない。戰場はここだけではない。

 こちらが五百人なのにたいし、敵は五十人ほどか。

 蝦夷は物陰にひそんで、戦うしかないとも言える。


 

 状況を確認に行かせていた五百足いおたりが、真比登まひとの側にもどった。


「状況は?」

「ざっと七十人が死。百三十人が負傷。」

「負傷兵がやけに多いな。しびれ毒か?」

。」


 真比登まひとは顔をしかめた。

 吹き矢には痺れ毒が塗ってある。その場ではすぐに死なないが、吹き矢一本刺さるだけで、身体が動かなくなり、負傷者のうちに入ってしまう。五百足いおたりが、


「どうしますか?」


 と訊く。真比登まひとはまわりを見渡す。

 ぐったり疲れた顔で地べたに座り込む兵士が多い。不意打ちに乱され、士気が下がっている。兵の数も随分削られた。このまま、敵の郷へ向かう事自体は可能だが……。


 真比登まひとは空を見る。

 分厚い雲がいよいよ重く、出陣した時の予想より、早く雨となりそうだった。

 すると、もともと湿地の多い場所であるから、足場は驚くほどねちゃつき、悪くなるであろう……。


(これでは奮戦できないな。)


 真比登まひとは首をふり、


「この作戦は失敗だ。帰るぞ。」


 と判断をくだす。


。軍議で絞られますね。」

「なあに。───※もって戦うきと、以て戦う可からざるとを知る者は勝つ。を以て不虞ふぐを待つ者は勝つ。

(戦うべき時と、そうでない時をわきまえる者は勝つ。準備を万端ばんたんにして、油断している敵に当たる者は勝つ)」

「軍議ではまたその一点ばりですか。」

「うん。」


 真比登まひと五百足いおたりに、バチ、と片目をつぶる。


 真比登まひとは文字が読めないが、兵法は役に立つ。文字が読める者に兵法を読みあげさせ、良いと思ったところは覚えている真比登まひとである。


 このような負け戦のあと、責任追及の軍議では、真比登まひとはだんまりか、むっつりと兵法を口にする。

 もともと、口達者で軍監ぐんげんになったのではないのだ。これぐらいで良い。


 ちなみに、真比登まひとは個人の武勇では、敵に遅れをとった事は一度としてない。本当に負け知らずなのである。

 五百足いおたりは、


「帰るぞ!」


 とまわりに指示を飛ばし。


 プフォ───。


 退却の小角くだのふえが吹かれる。

 五百足いおたり玉造団たまつくりのだん大毅たいきのもとへ連絡しに向かうのを、弛緩しかんした雰囲気で見送った真比登だが、ふと厳しい顔になり、


「ちっ!」


 と舌打ちし、馬首ばしゅをめぐらした。

 少し離れた場所で、一人のおのこののしり言葉をつらねているのが聞こえてきたからだ。


 

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