第二十五話  御勝という男、其の四。

 少し離れた場所で、名前の知らぬ兵士が、


「……この野郎、見たか、屎多布礼くそたぶれ(クソ気狂い)め、地獄へ行け!」


 と一人わめきながら、もう動かない蝦夷えみしの亡骸に、大刀たちを突き立て続けている。


「バカ野郎! やめろ!」


 真比登まひと麁駒あらこまで駆け寄り、一喝した。

 兵士は鋭く振り向いた。目には狂気じみた光がある。


「へへ……、だってさ、いいだろう。こっちは、これだけ怖い目にあったんだ。憎いこいつらを……。」

「やめろって言ったんだ。。」


 真比登まひとは凄んだ。

 ぶわ、と真比登まひとから怒気が放たれる。

 それに当てられた兵士は、


「ひぇっ。」


 と息を呑んだ。


「すぐに負傷兵に肩を貸して、帰れ。わかったか!」


 真比登まひとが怒りを押さえた声で言うと、


。」


 と兵はそそくさと背をむけた。

 真比登まひとはため息をつき、怒気を鎮める。

 いつもの、優しい光を宿す目に戻り、静かに、去っていくおのこの背中を見つめた。


(踏み外すんじゃねぇぞ。)


 心のなかで、そう兵士に声をかける。今、口に出しても、心に届く状態ではないのだ……。







 真比登まひとは十三歳から、鎮兵ちんぺいとして生きてきた。

 当然、いろんなおのこと出会ってきた。

 なかに、こんなおのこがいた。


 もう兵役を終え、銭に困っているわけでもないのに、鎮兵の進士しんし(志願兵)となったと言う。

 そのおのこは、物静かな男だった。


「オレは戰で、人を斬った。殴って、蹴って、何人も殺した。兵役が嫌で嫌で、早く家に帰りたくて、仕方なかった。

 でもよ、やっと兵役が明けて、家に帰って、平和に暮らしてみたらさ。

 昔通りの暮らしが、なんでか、イライラするんだよ。

 オレが死にそうな思いをしてるあいだ、妻や母刀自ははとじ(母親)は、ぬくぬくと暮らしてた。

 当たり前のことさ。

 だが、オレは許せねえと思っちまった。どうして、オレだけこんな辛い思いをしなきゃなんなかったんだ、と。

 妻は悪いことなんかしてねぇのに、オレはイライラして、しょっちゅう殴っちまうんだよ。蹴っちまうんだよ。

 だから、殺しちまう前に、ここに逃げてきたんだ。

 もう、オレは普通に暮らせないのさ。

 わかるか、真比登まひと?」


 と言われたが、


「分かんねぇ。」


 と真比登まひとは言った。


「家族がいるなら、側にいて、大事にしてやるべきだ。殴るなんて最低だ。」


 真比登まひとがそう言うと、おのこうつろに笑うだけだった。

 そのおのこは、普段は物静かな印象なのに、ひとたび蝦夷との小競り合いになると、人が変った。


 笑いながら、蝦夷の顔面を殴っているのを、真比登まひとは何回も見た。


 そのうちに、小競り合いのなかで、蝦夷に刺されて、おのこは死んだ。







 きっと、普通と、狂気の間には、越えてはいけない一線があるのだ。

 人として踏み外してはいけない線が。

 いくら戰場とはいえ、暴力に呑まれ非道な行いに手を染めたら、兵役が終わって、家族のもとに帰っても、安穏として暮らせなくなるのだ。


 鎮兵に兵役はない。

 軍団には、兵役がある。


 真比登まひとは、いずれ兵役を終えた百姓ひゃくせいが、心も無事なまま、家族のもとに帰れる事を願う。


 戰場は、興奮と狂気の坩堝るつぼだ。普段温厚な者も、人が変ったようになる。

 道理を説いて、踏みとどまらせるより、己の威圧で、非道をめさせるほうが話は早い。

 だから真比登まひとは、普段、陸奥みちのく六団をまわり、自分の声を覚えさせ、いついかなる時も、この声に従え、と、それだけを兵士たちに求める。

   





真比登まひと。」


 側に戻ってきた五百足いおたりが顎をしゃくる。

 真比登まひとは頷き、五百足いおたりの先導で、東に向かう。

 しばらく行くと、そこには、何人かの日本兵の亡骸のなかに、七本の矢に全身を貫かれ、大地に仰向けになり絶命した御勝みかつがいた。

 口には、狂気じみた笑みが張り付いたままだった。

 最後に、何を見たか。


(バカ野郎め……。命令をきけって言ったろうがよ……。)


「あな安らけ。しず御魂みたま。」


 真比登まひとは見送りの言葉を与え、くるりと背を向ける。

 五百足いおたりが続く。


 それ以上、死者にかける言葉は、真比登まひとにはない。


 真比登まひとは彼の名前も、長くは覚えていないだろう。

 彼の名前を忘れず、死を嘆き、涙するのは、彼の家族であり、いるのなら、妻や子供の役目だからだ。

 真比登まひとの役目ではない。

 真比登まひとは、生きてる者には、なるべく、どんな状況の者でも、声をかけ続ける。


 死者へ口にするのは、見送りの言葉だけだ。






    *   *   *






 ───あの疱瘡もがさ持ちめ。黄泉にさっさと行けば良かったのに。

 佐久良売さくらめさまの領巾ひれに触れたこと、オレは許さない。

 ああ、佐久良売さくらめさま。今日もお美しかった。

 待っていてくださいね。

 もうすぐ、あともう少しで……。






    *   *   *






※孫子 謀攻編 五





※著者より。

 いつもご覧くださり、ありがとうございます。

 当時のよろいについて説明を入れておきます。

 以下、面倒くさい読者さまは、最後の一文【結論】だけ読めば良し!(๑•̀ㅂ•́)و✧

 普通に説明すると面白くないので、少し表現を遊びます。本のタイトル、著者、出版社は嘘ですが、自弁じべんは本当です。

 

 では、どうぞ!





 以下は奈良時代について書かれた名著、「奈良時代、その時代」宇曽追うそおい照夫てるお著、(穂良吹ほらふき書房出版)より抜粋である!



よろいの謎】

 この時代、兵役にあたる者は、1年分の食糧、大刀たち、弓、征矢そや(軍用の矢)五十、砥石といし、弓弦袋、飯袋いいふくろ水桶みずおけなど細かいものまで、自分で事前に用意して軍に入る事が国から求められた。

 これを自弁じべんと言う。


 しかし、大刀たちや弓矢50本など、おいそれと個人で用意できたであろうか。

 実際は、食糧代、武器代などをまとめた金額を、米や特産物を対価とし、あらかじめ国におさめていたのであろう。

 兵役についた男は、国から大刀たちや弓を買う、という形でされたはずである。

 無論、一家庭にとって、その負担を捻出するのは、簡単ではなかった。

 当時、「兵役に一人だすと、その家はかたむく。」と言われたのは、しがない庶民が、政治の欠陥に対しアイロニイを最大限きかせて諷刺ふうししたものであろう。

 一家庭の用意が間に合わない分は、郷戸ごうこ(15〜20人の集まり)で負担しあい、それも足りなければ、郷戸ごうこが五つ集まったもの)で負担しあい、さらには連携責任でさと全体で負担した。

 

 ここで注目すべきは、その自弁じべんよろいは含まれていない、という事である。

 自弁で国から指定されているよそおいは、藺笠いがさ、(イグサで編んだ笠)、わらじ脛布はばき脚絆きゃはん)まで。

 立派な鉄製、革製のよろいは高価なので、とても自弁じべんで負担しきれなかったのであろう。

 もちろん、野良着のまま戦にでるのは、あまりに不憫というもの。

 各家庭は、綿襖甲めんおうこうという比較的安価な綿でできたよろいを、必死に用意したと思われる。


【結論】よろいは、国から支給されるのではなく、自分で用意するものであった!





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