第四十話  花麻呂っ、次から次へと来るよー!

 午前中の明るい日差しのなか。

 川岸を真比登率いる鎮兵たちが行軍していた。

 花麻呂と連れ立って、馬に乗る古志加は、ひそかにため息をついていた。


(まさか大川さまが……。おのこがご趣味だったなんて……。) 


 大川さまは、上野国かみつけのくににいる頃から、女っ気がない。

 妻も、吾妹子あぎもこ(愛人)も、本当に一人もいない。

 どころか、女官を一夜妻にさえしない。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官は、容姿選りすぐりの美女揃いなのに。

 女官の皆は、どうしてなのー! と悔しそうにし、美しい大川さまの閨に呼ばれたい、と、袖を涙で濡らす女官も多かった。


(それが、二十八歳の、ムキムキ逞しい男を閨のお相手にお選びになるとは……!)


 誰が想像しえたであろうか。

 意外すぎる。

 ものすごいご趣味だ。


(多分、大川さまは、上毛野君かみつけののきみの屋敷の皆には、知られたくないだろうな。

 上野国では、ずっと秘密になさっていたに違いない……。

 一衛士にすぎないあたしは、大川さまの、秘密にしたいというご意思を尊重せねば……。

 三虎は知ってるのかな。

 そもそも、本当なのかな……。

 ただの噂の可能性も捨てられない。

 花麻呂には言えない……。)


 花麻呂は、男らしい爽やかな美男だ。


(え……?

 これって大川さま、花麻呂を見初めるなんてことは、あったりするのだろうか?)


 大川さまと真比登より、大川さまと花麻呂が並んだほうが、まだ、顔の良さでしっくりくる。


(いやいやいや、まさか。

 それを言ったら、いつもそばにいる三虎のほうが。

 いやいやいや! そんなの嫌だよっ。)


 三虎は従者。大川さまといつでも一緒だが、恋仲ではない、と思う。

 もうこれは女の勘としか言いようがないのだが。


(美女を選り取り見取りできる立場の大川さまなのに、女より男のほうが、そんなに良いの?

 あ〜っ! こんな事、花麻呂にも三虎にも訊けないよっ!)


「はあ……。」


 古志加が、誰にも訊けない疑問を胸に、ため息をついていると、花麻呂が、


「なんだ古志加、オレの顔を見てため息ついて。朝餉あさげの貝にあたったか?」


 と、からかう。


「もうっ! 違う!」


 古志加は、ぷっと頬を膨らます。






   *   *   *




 今日の行軍は、緊張感が少ない、と嶋成は思う。

 長尾連ながおむらじの真比登まひとからあらかじめ、


「今日はほどほどの警戒で良い。小競り合いがない可能性もある。

 ただ、長く歩くぞ。五里(約26.6キロ)」


 と鎮兵たちは言い含められていた。






 北上川沿いを、馬を歩かせ、時に止まり、警護する。

 嶋成がおとなしく、愛馬不尽駒ふじこまで川沿いを見張っていると、吉弥侯部きみこべの古志加こじかが北田花麻呂相手に、


「なんで、何もない川を見てるの?」


 と疑問をぶつけているのが聞こえた。北田花麻呂は、


「うー?」


 とうなっている。嶋成は、不尽駒ふじこまの手綱を引き、


「北上川を、糧運りょううんがあがってくる。それを守るためさ。」


 と口を挟んだ。


「あれ! えーと……。」


 と吉弥侯部きみこべの古志加こじかが嶋成を振り向き、目を見開いた。紅珊瑚の耳飾りが、陽光に、ちかっと光る。


(たゆらちゃん、ぱっちり目が可愛いなー。)


嶋成しまなり。道嶋嶋成だ。

 六千人の兵士の冬ごもりに備えて、兵糧が、送られてきてる。

 すごい大量だぜ? 一日で運びこみは終わらない。

 先日、蝦夷に、北上川をのぼる糧運の船を急襲されたんだ。

 そんなのを続けられちゃ、オレたちは干上がっちまう。

 だから、川沿いを警戒するんだ。」


 古志加がにこって笑って、


「教えてくれて、ありがとう!」


(わー、たゆらちゃんの笑顔、かわいい。)


 花麻呂も爽やかに笑って、


「ありがとう。」


(いや、男の礼はいらぬ。)


 嶋成は得意になり、


「見てなよ。あともう少ししたら、大量の船が、ひっきりなしにのぼってくる。」


 と指差す。


「うん。」


 古志加は川に目をこらす。素直だ。

 花麻呂も目をこらす。いや、男の様子はどうでも良い。


「ねえ、古志加ってさ……。」


 じー。

 男の目線が痛い。


「古志加と花麻呂ってさ、何しに来たの? 命令されて、上野国かみつけのくにからわざわざ桃生柵もむのふのきに来たのか?」


 戦の手助けにしては、二人、というのは人数が少ない。

 なぜわざわざ戰場に?

 衛士は衛士で、屋敷を守る仕事をしていれば良いはずだ……。


 古志加が、桃の花のような柔らかで女らしい笑顔を浮かべた。


「あたし、戰をしに来たの。強くなりたい、己を鍛えたくて。もちろん、命令してもらって、ここに来たんだけど、三虎は、あたしの願いを聞いてくれたの。」

「オッ、オレも、オレもここに、己を鍛えに来たんだ。同じだねっ!」


 嶋成は嬉しくなった。


(オレ、その気持ち、わかるよ。

 たゆらちゃんも、きっと、オレの気持ちをわかってくれるんじゃないかな。

 なんだろう。

 オレ、運命を感じるよ……!)


 ぬっ、と古志加と嶋成の間に、花麻呂が馬で割って入った。


「オレのは聞いてくれないのか。」

「なんだよ!」

「お供だよ!」

「…………古志加は良いとこの郎女いらつめなのか?」

「違う。」


 最後の声は、古志加と花麻呂、声がかぶった。


(仲良いやつらだな!)


 古志加が朗らかに笑って、


「あたし、普通の郷のおみなだよ。

 嶋成、一昨日は助けてくれて、ありがとう。あたし達、まだここの事、わからない事がたくさんだから、これからも助けてくれると、嬉しいな。」


 と言った。

 風がふき、古志加のくるくると巻いた癖っ毛を揺らした。

 十月の冷気をはらんだ風が、なぜか甘く感じる。


(なんだろう、なんでこんなに、ワクワク、湧き立つような気持ちになるんだろう。)


 戰の前の高揚とも違う。

 身体がポカポカ温かいような、胸が弾むような、明日も素晴らしい日々がやってくるような、そんな気がする。

 嶋成は、


「ああ、もちろん! 伯団の先輩だからな! 頼ってくれて良いぜ!」


 と、しまりのない笑顔で言った。北上川を見ていた花麻呂が、


「お、来た!」


 と声をあげる。

 船がのぼってくる。木箱の荷物を沢山積んで、赤い旗をかかげ、浅い船、帆はたたみ、かじを人夫がいっせいに漕いでいる。

 次から次へ。

 十隻以上、連なっている。


「わあ!」


 古志加が喜んだ声をあげ、花麻呂が、ふっとこちらを見た。小声で、


「こいつはやめとけ。」


 と嶋成を牽制けんせいした。


「おまえ……!」


(恋仲でも兄でもないんだろ!)


 と嶋成は言いかけるが、古志加が、


「花麻呂っ、花麻呂っ、次から次へと来るよー!」


 とはしゃいだので、黙る事にする。

 嶋成と花麻呂は、馬上で、ばちっ、と目線が交差した。







 やめとけ、と言われて、はい、やめます、とおめおめ引き下がれるものか。



 それが、恋だ。











↓古志加の回想、其の一。(挿絵)

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077752930241



↓古志加の回想、其の二。(挿絵)

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077757359562







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