第三十九話  五百足と三虎

 チョビ髭の五百足いおたりの兵舎の部屋は、狭いながらも、寝ワラと、簡易な机と倚子がある、一人部屋だ。

 兵士は、通常、寝ワラで一斉に雑魚寝する。

 一人部屋というのは、ありがたいものである。


 五百足いおたりは、副将軍の従者、三虎に倚子を座めた。


「呑むか?」


 五百足いおたりは部屋に常備している浄酒きよさけを進める。

 自分で呑む為ではなく、こういう時に使う為だ。


 五百足いおたりは、浄酒きよはけを一人では呑まない。

 深酒ふかざけをすると、この世の何もかも、悲しくてしょうがなくなるからだ。

 なぜ、オレの親は、と、無性むしょうに嘆きたくなるからだ……。


「ありがとう。一杯だけいただこう。

 手ぶらですまないな。

 ……古志加こじかと花麻呂、初戰、どうだった?」

「ああ、良く戦ってたんじゃないか。

 初戰とは思えないくらいだ。

 さすが上野国かみつけのくにの衛士だな。」

「ふ。」


 あの衛士二人は、三虎の部下だと言う。部下を褒められて嬉しかったのだろう。いつもむすっとした表情の三虎の口元がほころんだ。


 こうやって注意深く見ていれば、感情の起伏はわかる。

 話してみれば、三虎の中身はまっすぐな、歪んだところのない男であった。


 五百足いおたりは、自らも一杯だけ浄酒をあおり、軽く三虎をにらんだ。

 三虎に言っておきたい事があるからだ。

 

「真比登から聞いたぞ。

 古志加を死なせるな、狼藉ろうぜきからも守れ。

 そうしないとって。

 そんな脅しを言わなくても、真比登は、守って欲しいと言えば、きちんと守る。

 あまり真比登をいじめてくれるな。

 可哀想に、顔色が蒼かったぞ。」

「おや、これはすまなかったな。」


 三虎は、ひょい、と片眉をあげた。

 五百足いおたりは厳しめの顔を緩めず、続ける。


「オレと真比登は、白河しらかわのだんの阿呆どもが狼藉を働こうとした時も、きちんと駆けつけたぞ。

 古志加と花麻呂は自力で阿呆どもを倒したあとだったが……。

 真比登が睨みをきかせたから、もう同じ事をしようとする阿呆は出てくるまい。」

「ああ、噂できいた。建怒たけび朱雀すざくが荷車をひいて、陸奥六団、全部に来たってな。」

「実際に荷車をひいたのは、源や嶋成だがな。真比登が自ら、一日のうちに陸奥六団全部を回って注意をしたのなんて、初めてだぜ?」


 通常は伝令兵を使う。


「感謝してる。真比登にも会ったら、感謝を伝えよう。」


 五百足いおたりは満足した。表情をいつもの穏やかなものとし、


「荷車をひいて回ってる時、花麻呂は堂々としてたが、古志加は真っ赤になって、恥ずかしそうにうつむいていたな。

 可愛いおみなだな?」

「…………。」


 三虎が五百足を睨み、まとう空気がぴりぴりと尖った。

 あまりにわかりやすい。

 ぷっ、と五百足はふいた。


「ははは! 冗談だよ。悪いが、妻以上に可愛いおみななんて、この世に存在しない。古志加を見ても、なんとも思わないさ。」


 もう三虎からは、婚姻祝いだと、かめに入った塩三(約21.6リットル)をもらっている。

 こんなに沢山、と五百足は驚いたが、三虎は豪族の次男で、上野国かみつけのくにでは名の知れた名家の生まれなのだそうだ。


 三虎は眉間にシワをよせ、盛大にむすっとむくれた。


「からかうな。からかわれるのは苦手だ。」

「はは、そう言うな。」


(いや〜、これ、からかうだろ? 面白いもん。絶対、上野国かみつけのくにで、仲が良い奴から、からかわれてるだろ……。)


「それで吾妹子あぎもこ(愛人)じゃないんだな……。」

「そうだ。」


 三虎は淡々たんたんと言う。


 豪族の男なら、おみなを一人、吾妹子あぎもこにするなんて、簡単な事のはずだ。


 荷車を引き回している時に近くで見た古志加は、おのこの格好をしているのに美しさが際立つ、くわだった。

 白河団の阿呆どもが、古志加が来て一日で気狂いしたのも、わかる。

 あれは、男が放っておけない美貌だ。

 そんな古志加を部下としている三虎も、きっと……。






 伊佐欲比いさよひ(ためらい)、か。




(オレと同じだな。まわりから見てるとわからない、何かの伊佐欲比いさよひが、三虎にはあって、踏み出せないんだろ。それって、オレがとやかく言うものじゃないな。)


 それは、人にほっつき回されたくない、大事な感情なのだ。




 その後は、軽く会話をして、


「あの二人、よろしく頼む。」


 と三虎は帰っていった。




   *   *   *




 その頃。


 玲瓏れいろうたる美女、佐久良売さくらめの部屋では、建怒たけび朱雀すざくの異名を持つ武人、真比登まひとが、


「この昆布の握り飯も美味しいです! 佐久良売さまの握り飯が毎日食べれて幸せです!」


 と歓喜しながら握り飯をほおばり、佐久良売は、さ寝したあとのしどけない色香を漂わせながら、血色の良くなった赤い頬で、


「ふふ……。」


 と愛おしそうに愛子夫いとこせを見ている。




   *   *   *



 その頃。



 くるくる癖っ毛の女兵士、古志加は、女官部屋で十一人の女に囲まれていた。

 そばかすの可愛い女官、若大根売わかおおねめが、


「昨日は、あなたの話がきけて、良かったわ、古志加。」


 とうなずく。

 若大根売は佐久良売さまお付きの女官として、一人部屋が与えられている。にもかかわらず、古志加の話聞きたさに、昨日も女官の十人部屋に押しかけて来て、蝋燭がつきるまで長居して帰った。


(うぅ……。どうしておみなは、どこでも恋愛話が好きなんだろう。)


 昨日一日で、古志加の恋心は丸裸にされてしまった。

 花麻呂とは恋仲ではないのね、とも確認された。

 額に藍色の布を巻いた花麻呂は、背が高く、顔も良く、笑顔が爽やかだ。


「花麻呂は良い奴だけど、上野国かみつけのくにに恋うてるおみながいる。」


 と古志加が言ったら、


「ちっ。」


 と女官たちが舌打ちしていた。怖い。





「昨日、話す時間がとれなかったけど、今日こそは話すわ。副将軍殿の秘密を……。」


 若大根売わかおおねめおごそかに宣言する。


(秘密? そんなもの、大川さまにあったかな?)


 古志加は首をかしげる。



 そして知る。


 衝撃の事実を。




   *   *   *





 その頃。


 美貌の副将軍、大川は、白絹の夜着の上に白い軽裘けいきゅう(軽い上等な毛皮のコート)をはおり、一人、庭で鉾をふるっていた。


「ふう……。乱れるな。」


 戰場で毎日鉾をふるってはいるが、どうも、型が乱れ、思う通りの綺麗な型が決まらない気がする。その乱れは、大川にとって許せるものではない。


「……良し。」


 ようやく、長年鍛えてきた鉾の型に、ぴたりと添う形になった。

 止まるところは止まり、吸い込まれるように鉾を突くところは突く。

 己が納得できる身体の動きになったところで、大川は密やかな稽古を終える。






    *   *   *






 翌朝。


 朝日が山の端を照らす、早朝。


 遠く、朝もやが山にたなびく。


 十月の朝は身を切るような冷たさと、厳かな雰囲気に満ちている。


 静かな早朝に。


 ───しついついつらコーケコッコー、しついついつら───


 鶏の鳴き声と。


 ───たぁん!───


 弓を射る音が響く。


 弓の稽古場にチョビ髭の五百足いおたりが顔を出すと、もう三虎が来て、薄暗がりのなか、的に矢を射ている。


「早いな。」

「ああ。」


 五百足いおたりも、三虎に並んで、的を射はじめる。


 他に人はいない。

 別に、示し合わせて来ているわけではない。

 三虎は従者。

 五百足いおたり擬大毅ぎたいき(副官)。

 集中して弓を射る時間をとるには、この時間くらいしかない、というだけだ。


 三虎は的に全て命中させる。

 一矢、五百足いおたりが命中をわずかに外した。

 三虎が、


「ふん。」


 とバカにした目で見る。


「ちっ!」


 五百足いおたりは顔に悔しさを素直にあらわし、次は命中させる。

 これはお互い様なのである。

 朝の稽古に張り合いがでて、実は、五百足いおたりは楽しい。

 多分、三虎もそうであろう。


 朝日が山際から完全に離れ、昇りきった。

 三虎は、


「お、時間か。五百足いおたり、たたら濃き日をや(じゃあな)。」


 とさっさと稽古場をあとにした。

 このあとはすぐ、副将軍殿の部屋に行き、朝のお世話をするのだと言う。


(従者は大変だね。)


 五百足いおたりは、真比登の身の回りの世話まではしない。


「ふああ。」


 欠伸がでた。


(今朝の稽古はもう終いにしよう。……寝不足だ。)


 昨日の夜、三虎が帰ったあと。

 五百足いおたりは避難してきた郷の女が雑魚寝する部屋に、己の妻を堂々と迎えにいき、己の部屋で、ふっくら肉付きが可愛い可愛い小鳥売ことりめを、たくさん可愛いがってしまったのである。


 一人部屋とは、ありがたいものである。











↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077670919395




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