第四十二話  だから今日は、気晴らしで。

 戸惑う佐久良売さくらめさまを連れて、うまやについた。

 真比登まひとほがらかに佐久良売さまに笑いかけた。


「もう三ヶ月以上、桃生柵もむのふのきから出ていないでしょう?」

「それはそうよ……。だって戰場ですもの。危ないでしょう? 仕方ないわ……。」

「だから今日は、気晴らしで、馬で遠乗りしますよ!」

「えっ! 危ないわ……。」

「ふふ、オレと一緒なら平気です。さあ、陽が落ちないうちに。」


 と真比登が元気な馬を選んでいると、ぶふふんっ、と、真比登の愛馬、麁駒あらこまが不満そうに鼻をならし、カッ、カッ、と足踏みした。

 真比登が自分以外の馬の手綱をとろうとするのが、嫌なのである。


「可愛いヤツだなあ。でも良いのか? 二人乗りで走るぞ?」


 真比登は優しく麁駒あらこまの首筋を撫でながら話しかける。麁駒あらこまの目が輝き、生気に満ちているのを見て、


「佐久良売さま、オレの愛馬、麁駒あらこまです。脚が速くて、豪胆な奴です。さ……。」


 と麁駒あらこまにまたがり、佐久良売さまに手をさしのべ、横抱きに、真比登の前に乗せる。


「オレにつかまってください。馬を走らせている間は、黙っていてくださると助かります。気配を探りながら走りますので。」


 と、左手に弓。右手に手綱。背中にやなぐい(矢入れ)、首には、抱きついた佐久良売さま、という格好で、麁駒あらこまで駆ける。

 桃生柵もむのふのきの西門を抜けた時、佐久良売さまが大きく息を呑んだのがわかった。


 桃生柵もむのふのきからいぬい(北西)、日高見ひたかみ山の坂道を駆け上がる。

 馬が通れるように整備された道。

 ここは、神社へ続く道なのだ。

 秋の晴天。

 木々は黄色や紅に色づき、朽葉くちば(紅葉した葉)が散る。


 チ───イ……。チ───イ……。


 ツツピン……、ツツピン……。


 山鳥が鳴く。


 木漏れ日が気持ち良い。


 麁駒あらこまの速さは爽快で、カカカッ、カカカッ、と響くひづめの音も心地よい。


 麁駒あらこまを走らせたのは、四半刻しはんとき(30分)もしない程の短さか。小高い山の頂上についた。

 振り返れば桃生もむのふの山、その頂上に朱い門をいただいた桃生柵もむのふのきが、ここから良く見える。


 ここまで人の気配はなかった。何人で襲ってこようとも撃退できる自信はあるが、敵に出くわさないに越した事はない。


日高見ひたかみ神社ね……。」

「そうです。」

「…………。」


 麁駒あらこまから降りた佐久良売さまは、悲しそうにした。社が、壊されているからだ。


「蝦夷の奴らにやられましたね。さすがに、桃生柵もむのふのきから離れた神社まで、警護の兵士を立たせておくわけにはいかないですから……。一応、神さまには、桃生柵もむのふのき内に遷座せんざしてもらった後だと聞いています。」

「これは戰なのね……。」


 真比登は頷く。


「佐久良売さま、こちらに来てください。ほら、見えますか……。」


 真比登は、遠く、いぬいの方向を佐久良売さまに指し示す。

 黄色に色づいた山の向こう、広がる平地、大きな湿地があり、その向こうに、人々が住んでいる郷が見えた。

 煮炊きの煙が、土の盛り上がった家々から、空へ昇っている。


「蝦夷の郷。トイオマイです。

 桃生柵もむのふのきを攻めてきた蝦夷の首領しゅりょうがいる郷です。

 オレたちは、どこと戦っているのか、見た事はありましたか? 

 オレたちは、あそこと戦っているんです。これを、佐久良売さまに見せたかったんです。」

「……小さい。」

「そうですね。桃生柵もむのふのきに比べれば、小さいです。

 見えない敵、というのは、やけに大きく、得体の知れないように思えるものです。

 敵を正しく見ること、そうすれば、余計な不安はなくなるものです。」

「……あそこにも、暮らしているおみなわらはたちがいて、生活があるのね……。蝦夷の、あたくし達とは違う生活の仕方であっても……。」

「うっ!」


 真比登は答えにつまった。


(しまった、戰の相手なんて、郎女いらつめである佐久良売さまに見せるのに相応ふさわしいものじゃなかったか。)


 自分の考えの至らなさに、真比登から汗が吹き出す。


「あー、うん、そうですね。すみません、連れて来る場所を間違えたかもしれません。

 オレ、前にここに来て、良い眺めだったから、桃生柵もむのふのきこもりっぱなしの佐久良売さまに見せたら喜ぶんじゃないかと……。

 もっと、戰から離れた場所を選べば良かったです。」


 戰から離れた良い場所など、真比登は全く知らないのだが。


 佐久良売さまは、くすっと笑った。


「たしかに、良い眺めね。」


 小高い山の頂上からは、あたりが見渡せる。

 さあ、と、十月の涼しい風がふく。


「佐久良売さま。残念ながら、冬の前に、蝦夷の征討はかないませんでした。」







 真比登は、征夷大将軍、大伴おおともの宿禰すくねの駿河麻呂するがまろさまに、


 ───冬になれば雪に阻まれ、敵も味方も戦どころではなくなります。結果、桃生柵もむのふのきに六千の兵士が籠もり、冬越えをする事になります。

 雪に閉ざされる前に、半数の兵士を解放し、雪解けとともにまた兵士を集めるべきです。

 彼らは、兵士ですが、郷に帰れば百姓ひゃくせいです。


 と提案したが、


 ───そのように解放した兵士を、再び簡単にかき集める事はできぬ。

 そもそも、五千人の兵士を、足りない、と、千人増やしてもらったのだ。

 これ以上横佚おういつ(勝手にふるまう)を、恐れ多くも天皇すめろきさまに奏上はできない。


 と一蹴されてしまった。

 征夷大将軍殿は、陸奥国の冬の厳しさを、知らないのだ……。







「長い冬ごもりになります。しかし、最後は必ず、我々が勝ちます。

 戰が終わったら、オレは鎮兵ちんぺいを辞めます。

 桃生柵もむのふのきで、佐久良売さまのおそばに、ずっといます。

 戦うことしかできないオレですが……。」

「嬉しいわ。あなたの武勇は特別よ。寺麻呂てらまろさまと仲違いをせず、武勇で支えてあげて。それで良いのよ。あなたは、いてくれるだけで、頼もしいの。」




   



 佐久良売さまは長女であるが、平城京の采女うねめとして、陸奥国みちのくのくにに帰国の予定はなかった。

 次女である都々自売つつじめさまのつま寺麻呂てらまろさまは、跡取りを約束されて、婿となったのである。

 真比登は佐久良売さまから、


「跡取りは寺麻呂さまで変わりはない、そこは含みおいてね。」


 と事前に言われていた。

 もともと百姓ひゃくせい出身の真比登だ。長尾連ながおのむらじの跡取りを狙おうなどという気はない。だって読み書きもできないし……。


 寺麻呂てらまろさまは、いかにも女性にもてそうな、涼しい目もと、品の良い八の字の口髭くちひげ、顎が小さめの、優しそうなおのこだった。


 寺麻呂さまと始めて会った時、彼は、真比登の疱瘡もがさを見て、ぎょっ、と驚いた。

 佐久良売さまが笑顔で、


「真比登は、あたくしが選んだつまです。真実、あたくしの愛子夫いとこせ(運命の恋人)ですの。」


 と言ってくださったので、寺麻呂さまは慌てて頷いて、


「佐久良売さま、真比登さま、夫婦めおととなられました幸慶こうけい、心よりお祝い申しあげます。」


 と礼をしてくれた。


「ありがとうございます。

 オレは今は征討軍の軍監ぐんげんですが、末永く桃生柵もむのふのきを守る所存です。

 寺麻呂てらまろさまは長尾連ながおのむらじの跡取り。

 オレは戦う事しかできないおのこですが、微力ながら、寺麻呂さまをお支えいたします。」


 と真比登も礼をかえした。

 寺麻呂さまは、にっこりと人の良さそうな顔で笑い、


建怒たけび朱雀すざくの噂は、あちこちで聞きました。そのような方が義理の兄とは、頼もしい! 力をあわせて、桃生柵もむのふのきを守りましょう。」


 とほがらかに言ってくださった。

 寺麻呂さまは、きっと、良い人だ。

 真比登は上手くやっていけると思う。

 




   







 佐久良売さまは、トイオマイの郷を見るのをやめ、遠く計仙麻けせま山を眺めた。


「ずっと桃生柵もむのふのきにいて、息が詰まっていたのかもしれないわ。連れ出してくれて、とっても気持ちが良いの。嬉しいわ、真比登。ありがとう。」


 佐久良売さまは麗しく微笑んでくださった。


(や、やったー!)


 真比登は、佐久良売さまに喜んでもらえて、嬉しくなる。


「そう、雪が降る前に、一度、佐久良売さまを連れてきたいな、と思っていたんです。それで、こ、ここなら誰も見てないですから……。」


 たくさん、皆の前で、佐久良売さまから口づけされて。

 いつも恥ずかしい、恥ずかしい、とばかり思うのだが、こうやって静かな森のなかで二人きりになると、したくなるのは口づけなのだから、不思議なものだ。


 真比登がねだる表情で佐久良売さまに顔を近づける。


「まあっ!」


 くすくす笑った佐久良売さまは、目を閉じ、くい、と顎を上にあげた。

 

(えへへへ……。)


 佐久良売さまがいつも、月光と蝋燭の灯りのもとで見せてくれる、口づけを待つ顔。

 このように明るい下で見るのも良い。

 桜色の頬。

 長いまつげ。

 きめ細かく白い肌。

 全てを真比登に委ねる、隙だらけの表情。

 真葛さねかずらの実のように赤い、しとやかな唇。

 全てがはっきり見える。


 真比登はうっとりと美貌の妻を眺め、


(愛おしくてたまらない。オレの天女。)


 唇を重ねた。

 抱きしめ、長い長い、口づけをする。

 














 ↓私の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077794807124



↓かごのぼっち様から、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093086989631818


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