第四話  今こそ教えが役立つ時。

 みなもとは昔、長兄、まことぃに教えてもらった事を思い出す。


「いいか。おみなの機嫌をとりたい時には、こうやって漢詩をとなえてな。そのあと、意味を教えて、おまえはこのように美しい、と言うんだ。

 おみなはまず、漢詩の意味がわからず、戸惑った顔をする。そのあと、自分を褒められたと知って良い気分になるんだ。

 おみなの笑顔が見られるぞ。

 漢詩にはこのような使い方もある。覚えておけ。」


 そう言って、パチン、と片目をつむってみせたまことぃ。

 三男、渡兄わたるにぃは、まことぃの事を、


「勉強ばっかりで人生の盤楽遊嬉ばんらくゆうき(遊び楽しむ)が足んねぇよ! 堅物め!」


 とからかうが、真面目で勉強三昧べんきょうざんまいまことぃには、こういった一面もある。オレは知っている。


(さあ、今こそ、まことぃの教えが役立つ時……!)




   *   *   *



「その漢詩も良いけど、漢詩なら、もっと好きなのがある。

 金漢星楡冷。 

 銀河月桂秋。

 靈姿理雲鬢。 

 仙駕度潢流。

 窈窕鳴衣玉。 

 玲瓏映彩舟。 

 所悲明日夜。 

 誰慰別離憂。※


 ……なっ? 素敵だろ? 皆もそう思うだろ?」


 と、つらつら、わけのわからない言葉を淀みなく並べ立てた源は、真比登まひと五百足いおたりの方をさっと振り向き、同意を求めた。

 また、笑顔の向こうに後光がさして見えた。


「言葉がわからん。」


 真比登まひとはあきれて、そう返す。福耳の立派なみなもと真比登まひとに向き直り、


「えっ?

 金漢きんかん星楡せいゆすずしく。 


 銀河ぎんか月桂げっけいあきさぶ。 


 靈姿れいし雲鬢うんびんをさめ。 


 仙駕せんが潢流くわりゅうわたる。 


 窈窕えうてう衣玉いぎょくを鳴らし。 


 玲瓏れいろう彩舟せいしうゆ。


 所悲かなしき明日あすよる。 


 たれ別離べつりうれへをなぐさめむ。


 ……ほらねっ?」


 真比登まひとは、じとっ、と直垂ひたたれで隠されていない右目で源を睨んでやった。


「ほらね、じゃねえ。わからん。」


 うんうん、と五百足いおたりも頷く。


「天の川には星が冷たい。

 ……にれとは星の中にあるという木の事だよ?


 月中げっちゅう桂樹けいじゅ秋気しゅうきを帯びて匂う。


 霊妙れいみょううるわしい姿の織女星しゅくじょせいは雲のごとくなびく美しい頭髪をくしけずり。

 

 織女星しゅくじょせいの仙車は天の川を渡って、彦星ひこぼしもとへ行く。


 織女星はしとやかに、衣につけた玉を鳴らし。


 麗しいその姿は、織女星の乗った舟に色彩豊かにえいじる。

 逢瀬も一夜限り。


 明日の夜からは織女星は悲しまねばならない。


 誰がこの別れの憂いを慰められるであろうか。


 いや、慰める事が可能な者など誰もいない。

 ……ねっ?」


「…………。」


 真比登まひとは黙った。

 意味は分かった。

 天の川を渡る織女星が、つまたる彦星に逢えるのは、一年でたった一夜。

 それは切なく。

 ───織女星しゅくじょせいとは、なんと美しいおみななんだろうな……。


 五百足いおたりがしみじみと、


「良いうただな。」


 と言ってくれたので、


「そうだな。」


 と真比登まひとも笑顔で言う。


「そうだろ?」


 と満足そうに目を細め笑った源は、佐久良売さくらめさまに向き直り、


靈姿理雲鬢リャウシリウンヒン

 あなたはそのように美しい。」


 と佐久良売さくらめさまの目を見て言った。

 佐久良売さくらめさまは、


「……!」


 みるみる赤面し、白い領巾ひれで口元を隠した。


「ふぉっふぉっふぉっ……!」


 佐土麻呂さとまろさまが愉快そうに大きく笑った。


「いやはや、これほどの傑物が桃生柵もむのふのきにいたとは。娘ともども、お見逸れいたしました。

 佐久良売さくらめ、お詫びとして、ひとつ、舞をご覧に入れなさい。」

「……はい。」


 佐久良売さくらめさまはうつむき加減に返事をし、倚子を立ち、部屋の広い場所に歩いてきた。

 真比登まひとの近くに来たので、さらさらと茜と萌黄もえぎと白、三色の裳裾もすそ(スカート)が揺れる衣擦きぬずれの音が聞こえた。

 かすかに、えもいわれぬ良い匂い……木の落ち着く匂いのなかに、んだ辛さのある、涼やかな匂いが、真比登まひとの鼻をくすぐった。

 佐久良売さくらめさまは父親や源の方を向いて、すっと右手を上にあげた。

 真比登まひとからは、背中、華奢な肩、細い手首が良く見えた……。


「見わたせば───、春日かすが野辺のへに───。」


 凛として良く響く、綺麗な歌声。

 佐久良売さくらめさまは歌いながら、舞いはじめた。

 ふわ、ふわ、と手古奈てこな(蝶)が春の野をいくように、優雅に……。

 真比登まひとは見とれた。

 ここがどこか、今何をしに来ているのか、たしかに、幽玄の地で忘却した。


 浄酒きよさけを呑みながら、佐土麻呂さまはニコニコ笑い、源に話しかける。


殿。我が娘の舞い姿はいかがですかな?

 どうでしょう? あなたなら安心して我が……。」

「やめて、やめてっ!」


 佐久良売さくらめさまが突然、舞うのを止め、驚くほどの鋭さで父親の会話を遮った。


「あたくしは婚姻なんてしない! いやっ!」 

佐久良売さくらめ、いつまでそのような我儘わがままを! とっくに同母妹いろもは婚姻したんだぞ? おまえももう二十三歳だ。このままでは婚姻しそびれてしまう!」

「かまわないわ! あたくしは婚姻相手を見つけて欲しくて、帰ってきたんじゃない!

 どうして分かってくださらないの、父上!」

佐久良売さくらめ、私はおまえより先に黄泉へ行くんだぞ。ひとりで生涯過ごすと言うのか?!」

「かまわないわ! あたくしは生涯ひとりでかまわない!」


「……一人?」


 そうつぶやいたのは真比登まひとだ。気がつけば、言葉が唇からこぼれ落ちていた。


「寂しいぞ?」


 しまった、と口を押さえた時には、ぎん、と睨む佐久良売さくらめさまと目があい、取り返しのつかぬ失態しったいを悟った。


「おのれ、誰が発言を許したか!」


 カッ、カッ、鼻高沓はなたかぐつで素早く真比登まひとの前に来た佐久良売さくらめさまは、左手をふりかぶり、


「無礼者!」


 真比登まひとの右頬をしたたかに打った。

 ぱあん、音が響き、されるがまま、張り手を受け入れた真比登まひとは、


(なんでこんな事言っちまったんだろうなぁ……。)


 と思いつつ、謝罪を口にしようとした。

 ───その時。


 カンカンカン!


 と急をつげるやぐらの鐘が鳴った。

 はっ、と皆息を呑み、押し黙る。

 ここは戰地だ。

 みなもとが笑顔を消し、


長尾連ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさま。佐久良売さくらめさま。こうしてはいられないようです。味澤相あじさわふをや。(さようなら)」


 と倚子を立ち、さっと礼の姿勢をとり、身をひるがえす。

 真比登まひと五百足いおたりは目配せし、礼をし、みなもとのあとから妻戸つまと(出入り口)を出る。


 たたた、と簀子すのこ(廊下)を走ってきた女官とすれ違った。





   *   *   *



 女官はすぐに佐土麻呂さとまろの部屋に駆け込んだ。

 礼の姿勢をとることも忘れている。


「火が! 館のうし(北東)の方角に、火の手があがりましてございます!」

「なんですって……、都々自売つつじめ!!」


 さあっと青ざめた佐久良売さくらめは叫び、一目散に部屋を飛び出した。




    *   *   *




 真比登まひとわずらわしい直垂ひたたれをとり、白い布を懐にしまう。

 精悍な横顔。

 そこには、先程までおみなの舞い姿に呆けていたおのこはいない。

 

 真比登まひとが拠点にしている伯団はくのだん戍所じゅしょにつく前に、走る兵士をつかまえた。


「何があった?」

「東より賊奴ぞくと有り。二の東門で戦闘中です。敵は少数。」

「わかった。」


 真比登まひとは短く答え、五百足いおたりと源を伴い、東へ走り出す。

 

 

 

    



 夜の闇での敵襲。

 真比登まひとらは走り、あっという間に、東門にたどり着く。

 たしかに東門がやぶられ、蝦夷えみしが三十人ほどか、ある者は手刀で、ある者は小ぶりな弓矢で、兵と戦っている。


「三方から囲め! 一人も逃がすな!」


 真比登まひとの声は、朗々と良く響く。

 常に佩いている大刀たち、刃長二尺六分(約62.3cm)、総長二尺六寸五分(約80.2cm)の片刃の直刀を、すら、と抜く。

 

「おらぁ!」


 駆ける速さは少しも緩めず、真比登まひとは一番激しい闘争が行われている場所を見抜き、突っ込んでいく。

 一合。

 二合。

 三合も刃をかわせば、真比登まひとの前に立っていられる敵はいない。

 眼の前の敵を、右脇腹からまっすぐ、左へ、一刀両断する。

 血が、ばあ、と闇夜に黒く噴き上げ、その向こうから小男が顔をのぞかせ。

 ぷっ。

 吹き矢を放った。


「おっと!」


 真比登まひとはひらり、と身をかわす。


(危ない、危ない……。)


 右足を踏みしめ。

 腰に力をぐっとため。

 手から火を吹くように。

 小男を脳天から真下に切り下ろす。

 小男は、血まみれになり、倒れた。

 その身体が力を持って動く事はもう、ない。


「ふっ。」


 そこでやっと真比登まひとは息を吐く。

 制圧が終わった。

 真比登まひと大刀たちの血振りをし、静かになったあたりを見回していると、大毅だいきである熊手くまてが西から走ってくる。


真比登まひと! 桃生柵もむのふのき領主の娘がさらわれた!

 北に逃げられた!」

「な、なぁに〜っ!!」


 真比登まひとは大きく目を見開き、叫んだ。










↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667965999192



    *   *   *



 ※参考。

 ○古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店




 この年の一月、揺れる思いを、相手に絶対にわからないであろう異国の言葉で口にした、不器用な男がいました。




 窈窕えうてう衣玉いぎょくを鳴らし。 

 玲瓏れいろう彩舟せいしうゆ。

 所悲かなしき明日あすよる。 

 たれ別離べつりうれへをなぐさめむ。



 織女星しゅくじょせいはしとやかに、衣につけた玉を鳴らし。

 麗しいその姿は、織女星の乗った舟に色彩豊かにえいじる。

 逢瀬も一夜限り。

 明日の夜からは織女星は悲しまねばならない。

 誰がこの別れの憂いを慰められるであろうか。




「あらたまの恋 ぬばたまの夢 〜未玉之戀 烏玉乃夢〜」

 第十五章 「白梅の枝」

 第四話へ飛びます。  

 リンク先は一方通行ですよ。

 これは、物語を両方読んでくださった読者さまへの、答え合わせのサプライズです。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330652071008684

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