第三話  とうとう縁談。怖ぇ……。

 酉の刻(夕方5〜7時)。


 桃生柵もむのふのき領主の部屋に、蝋燭ろうそくが明るく灯されている。


「ようこそ、お待ちしておりましたぞ。ささ、お入りくだされ。」


 にこやかな長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろが立ち、部屋に招きいれる。


 韓国源からくにのみなもとは、真葛さねかずら(整髪料)で目刺めざし髪(前髪)を全て上にあげ、額を出し、明るい藍色の生地に、金のぬいとりの衣。

 真比登まひとが持っている一等、高価な衣をまとい、先頭を歩く。


 続く、五百足いおたり真比登まひとは黒い革製の短甲みじかよろい姿で、部屋に入る。


 真比登まひとは、顔の左半分を白い直垂ひたたれで隠している。


「本日はお招きありがとうございます。オレが、春日部かすかべの真比登まひとです!」


 胸を張って、にっこり笑顔全開で、福耳の立派なみなもとが宣言した。


「私は、陸奥国みちのくのくにの桃生もむのふのこほり少領しょうりょう長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろです。

 私の妻は、すでに黄泉渡りして久しい。妻の饗応きょうおうがない事はご容赦くだされ。

 こちらは、娘の佐久良売さくらめ。二十三歳になります。」


 父親の隣りに、娘が立った。

 背丈は普通。ほっそりした体つき。

 水が流れるような美しい所作で、礼をした。


長尾ながおのむらじの佐久良売さくらめです。お見知りおきくださいませ。」


 伏し目がちな目は、黒ぐろと、夜の宝玉のように輝いている。

 肌は白い雪のようにきめ細やか。

 桜色の唇。

 調和のとれた美しい顔立ち。

 うりざね形のすっきりした顔の形。

 手入れの行き届いた、濡れたのか、というほど艶を放つ髪。

 表情は氷のように冷たいが。


佳人かほよきおみな……。)


 真比登まひとは、衝撃的なほどの美しさに、密かに息を呑んだ。

 とくに、肌が美しい。

 あんな肌のおみな、見た事がない……。

 上毛野君かみつけののきみ大川おおかわさまも、肌色白く、美しいが、そこはおのこおみな。やはり、佐久良売さくらめさまのほうが、真比登まひとから見て、……吸い込まれそうな、透き通った肌をしている。


 そう、上毛野君かみつけののきみの大川さまとどこか共通した、美しい肌。


(こいつら、豪族って生き物だもんな……。)


 真比登まひとには縁のない、世界の違う話である。


(そもそも、オレはおみななんて縁遠いのに。今だってオレの我儘で、源や五百足いおたりを危ない目にあわせてるのに。バカだな。こんな事を考えるなんて。)


 そう思うのに、


(……あんな美しいおみなとさ寝できるのは、どんなおのこなんだろうな。)


 との思いが、さっと真比登まひとの胸をかすめたのは、おのこさがというものであろう。




 源のみ、ご馳走の用意された机に着席する。

 供の二人、五百足と真比登まひとは、少し離れ、壁際で立つ。

 真比登まひとは、それとなく長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさまを観察した。


(……さあ、首をかけた縁談の宴が始まったぞ。)


 佐土麻呂さまは機嫌良く、


軍監ぐんげん殿は、なんでも、たけ……、建怒たけび朱雀すざく、素晴らしい二つ名をお持ちだそうで。真実、勇敢でなければ、そのような異名いみょうが兵士たちの間で広がる事はありますまい。

 お若いのに、まこと頼もしい益荒男ますらおじゃ。

 ふぉっふぉっふぉっ……。」


 と笑い、


「……ん? 若い……。」


 と源の顔を見て、ぽつっと言う。


(うっ。やはり十歳差はごまかしきれんか。)


 五百足いおたり真比登まひとは、ギクリ、とする。


「はい、若いです! ありがとうございます!」


 カッ、と後光でも差してきそうな明るさで、源が堂々と言った。福耳が神々しい。


「ふぉっふぉっふぉっ……、武人とはもっといかめしいものと思っていましたが、このような爽やかな方もいらっしゃるんですな。」


 佐土麻呂さまは笑顔を深くして、そう言った。

 どうやら、ごまかせたようだ。


(源。お前に託して良かった……!!)


「おっと、つきからですな。

 我が娘、佐久良売さくらめ前采女さきのうねめでしてな。恐れ多くも皇太子さまの杯をお注ぎした事もございます。

 さ、佐久良売さくらめ浄酒きよさけを注いでさしあげなさい。」


 佐土麻呂さまの隣の倚子に腰掛けた佐久良売さくらめさまが、す、と倚子を立ち、美しい所作で、須恵器すえきの酒器をとり、みなもとつき浄酒きよさけを満たした。


「どうぞ。」


 氷のように冷たい表情で、じろり、とみなもとを見た佐久良売さくらめさまは、


は、本当に、他に妻はいらっしゃらないんでしょうね?」


 いきなりたずねた。


「はい、いないです!」

吾妹子あぎもこも、子供も?」

「はい、いないです!」

「ふうん……。」


 佐久良売さくらめ無遠慮ぶえんりょに、みなもとの顔をジロジロと見た。

 まさしく、今、品定めをしているのである。


(怖い。こんなおみな、いくら美女でも妻に欲しくねぇよ……。)


 真比登まひとは、己が疱瘡もがさ持ちである事をいったん置いて、そう考えてしまった。


 さすがに不躾ぶしつけな態度。父親が慌てて、


「こ、これ。佐久良売さくらめ。」


 と娘をたしなめる。

 娘は無言で戻り、自分の倚子に座ったあとも、ニコリともしないまま、まだ源をジロジロ見て、


「福耳……。」


 とつぶやいた。


(うぉぉぉ、みなもと、お前に託したぞ……!)





    *   *   *




(えーと……。)


 源は、五百足いおたりに教えられた事を反芻はんすうした。


(褒める。会話する。褒める。とにかくご機嫌とって、振られてこい! って言ってたな!)


 くっとつきをあおいだ源は、


「美味しいです!」


 大きな声で言った。

 その大声に、長尾連ながおのむらじ親子は目を丸くした。


(あれ? 褒めるって難しい?? そんな事ないよな。これで良いはずだ。)


 みなもとはもっと小さい頃、兄について旅をした事がある。

 あちこちで、ご飯を食べた時に、


「美味しいです!」


 大きな声でそう言うと、皆、嬉しそうに、


「んまー、良い子!」


 と褒めてくれた。


(だから間違ってないはずだ!)


 今、目の前のご馳走のなかで、ひときわ光を放つのは、真っ白い団子のようなかたまりだ。団子ではない。もっと表面がツヤツヤしている。

 

「これは初めて見ました。(牛乳から作られる。生クリームが固まったようなもの。チーズの一種。)というやつですね。」


 これは贅沢品だ。名前を聞いたことしかない。ワクワクしながら口に入れると、まったりと濃厚な口溶け、独特の風味、舌に残る、癖になる甘さがあった。すぐに口中で溶けてしまったのが惜しい。


(旨ぁ───い!!

 オレ、ちょっと、来て良かったかも!!)


 源は満面の笑みで、腹から声をだした。


「美味しいです!」


 その後も源は、ご馳走美味しいです作戦を敢行かんこうした。




   *   *   *




 真比登まひとは目の前の、予想もしない方向に転がりはじめた縁談を、心をからにして見ていた。

 無我の境地。


 源は、ご馳走に箸をつけては、


「美味しいです!」


 と大声を出す事を、しきりに繰り返し、佐土麻呂さとまろさまは、おおいに戸惑った顔をした。


「よ、良い食べっぷりですな……。」


 それでも、なんとか会話を引き出そうと努力する父親の姿は涙ぐましい。


軍監ぐんげん殿は、どんな料理がお好きですかな?」

「はい、何でも食べます。好き嫌いはいけませんので! まぐろ小葱こねぎの塩焼き、美味しいです!」

「何かご趣味は?」

「そうですね、趣味というほどではありませんが、木を薄く削るのが得意です。このナズナの塩ゆで、美味しいです!」

「家ではどのように過ごされているんですか?」

「家族と過ごします! この桃、美味しいです!」

「ぐ、軍監ぐんげん殿……。」

「何でしょう? 少領しょうりょうさま。この白稲しろちね(白米)、美味しいです!」

「…………。」


 佐土麻呂さまは、矢尽き剣折れた顔で疲労をにじませた。

 佐久良売さくらめさまは、知らんぷりをして、黙って食事をすすめている。


「あたくし、もう部屋に帰ってよろしい? お父さま?」


 と佐久良売さくらめさまが冷めた口調で言った。父親はあわてた。


「むう、いかん、いかん。もっと話をとしなさい。」


 佐久良売さくらめさまは不満そうに眉間にシワをよせた。

 顔をしかめすぎたので、鼻にもシワがよった。

 そして源を見据えた。正直言って、佐久良売さくらめさまの放つ空気がとぐろを巻いた大蛇たいじゃのようである。


(怖ぇ……!)


 見守る真比登まひとは背筋が凍えた。


「何しに来たのあなた。さっきから食べてばっかり。」


 ぱちぱち、またたきしたみなもとは、


「縁談です!」


 馬鹿正直に笑顔でそう答えた。

 ……また後光が見えた。


(ああ、この後光がオレの頭の中身を照らして、今すぐ解脱げだつできたら良いのにな。)


 真比登まひとうつつから逃避した。

 佐久良売さくらめさまは、獲物におそいかかる大蛇のように、眼光鋭く、がぁっ、と口を開けた。


「あたくしにその気はございません。良き妻は他でお探しになる事ね。

 ご存知ない? あたくしは怖いという噂を。それは真実よ。

 鬼より怖い陸奥采女みちのくうねめ。あたくし、奈良ではそう呼ばれていましたの。

 これはご存知?」

「やっ、やめなさい!」


 父親が慌てて口を挟んだ。しかし娘は毅然きぜんと無視した。


「※靈臺廣宴れいだいくわうえんひらき、寶斝琴書ほうかきんしょを歓ぶ。てうおこ青鷥せいらんの舞。

 は踊らす赤鱗せきりんの魚。」


 父親が、


「やっちまった……。」


 と小さく呟いて、右手で自分の顔を覆った。

 真比登まひとは、


(げえ……、何言ってるのか、全然わからん。)


 自分がこの質問を投げかけられていたら、と想像しただけで震え上がった。

 ところが源は、溌剌はつらつとした笑顔で、


「柳條未吐緑。梅蕊已芳裾。即是忘歸地。」


 とスラスラと言った。


「えっ……。」


 その場の全員が、同じ反応をした。

 佐久良売さくらめさまも、キョトン、としている。

 今のは日本語ではない。佐久良売さくらめさまもわからなかったようだ。


柳條りゅうでういまだみどりかね。梅蕊ばいずいすですそかんばし。すなわちこれかえりわすところ

 箭集宿禰蟲麻呂やつめのすくねむしまろだろ?」


「う……、う……、嘘……。まさか、漢詩かんしの続きをうたって返すなんて……。」


 佐久良売さくらめさまは色を失っている。源が穏やかに、


「あってるだろ? オレ、知ってるよ?」


 と佐久良売さくらめさまに言う。

 郎女いらつめは、ハッ、とし、顔を赤らめた。吐息をもらすように、恥じらいつつ答える。


「あってますわ……。、お見逸みそれ致しました。」


 そのしおらしい態度に、男性陣皆、


「ふぉぉぉ……。」


 と感嘆の声をもらした。

 







↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667927680934



  *   *   *   



 以下、読み飛ばしてOK。

 気になる方へ。


 ※霊台れいだい(うてな)で盛大な宴を開き、立派な酒杯しゅはいに琴をだんじ作詩する事を喜ぶ。

 ちょうの国では青い鳳凰の舞を舞いはじめ、の国では音楽を奏して赤い鱗の魚を淵から躍り上がらせた。

 柳の枝は、まだ緑の芽をつけていないが、梅花のしべは、衣の裾を香らせるがごとく、すでにかんばしくほころぶ。

 とりもなおさず、ここは帰途きとを忘れてしまうようなところである。



 懐風藻かいふうそう  箭集宿禰蟲麻呂やつめのすくねむしまろ




 参考

 古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店


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