第六話 あたしの望み
日々は過ぎ、三虎は随分回復してきた。
あと五日で、大川さまと三虎は奈良へ発つ。
辰の刻。(朝7〜9時)
「三虎、入ります。」
背筋がすらりと伸び、武芸に通じた鋼のような肉体を持ちながら、じっと動かず木簡に没頭する姿は、
(真剣な顔の三虎、格好いい……。)
すぐ三虎は顔をあげ、まっすぐ古志加を見て、
「※
と
(えっ?!)
なんて言ったか全く分からない。
古志加は激しく困りながら、
「あの……、あの……。何て……?」
と尋ねると、三虎がちょっと唇を突き出し、ぷいっとむこうを向いた。
「何でもない。忘れて良い。」
「はぁ……。」
なんだろう今の顔は。
この前見た、
「座れ、古志加。話がある。」
「はい。」
三虎はもういつもの無表情だ。
素直に古志加は倚子に座る。
「あと少しで、オレは奈良だ。その前に、一回しっかり話しておく。
前に話した時は、おまえは
「はい。」
と思いつつ、素直に返事をしておく。
「好きなだけ、
「はい。」
これは嬉しいことだ。
古志加は笑顔になる。
「もう、大川さまから褒美を戴いてるだろうが、今回、おまえは良く頑張ったから、何かオレからも褒美をやる。
奈良に連れていけは無しだ。
それ以外で、オレから何が欲しい。望みを言え。」
三虎は淡々と言う。
「え……。」
古志加はびっくりして、急いで目を伏せた。
もう塩壺を貰ったのに、
おまけに古志加は、
「三虎と食べていらっしゃい。弟によろしくね。」
とちょくちょく米菓子を持たせてもらっては、三虎と食べている。
この上、何かもらえるなんて、良いのだろうか。
むしろ、戸惑ってしまう。
しかも、オレから何が欲しい、って、この人言った!
(ひぇぇ……。
そんな言い方。
意味もなく
いや、意味はある。
……あたしは、あなたが欲しいです。
……あなたの全部が、欲しいです。
あたしの
言えるか。
あたしを、あなたの
古志加は頬を真っ赤に染めながら、うつむき、せわしなくあちこちを見ながら、
「あ……、あ……。」
と言った。
三虎は黙って聴いている。
「あ……!」
そこでふいに、胸に一つの言葉が浮かんだ。
───三虎は、あたしを恋うてないからさ。
古志加は冷水を浴びせられたように、身体がかたまった。
(そうだった。
三虎はあたしを恋うてない。
褒美に
なんになるだろう……。)
古志加は、すっと顔をあげた。
もう頬は赤くない。
まっすぐ三虎を見て、
「あたし、欲しい物は何もないの。
もう衣も、
住むところもあるし、食べ物にも困らない。
あたしそれより、衛士として強くなりたい。
もっとあたしを鍛えて。強くなりたい。
それが、あたしの望みです。」
(女らしい物は、今持ってる物で充分だ。
それより強くなりたい。
あたしは前に、
また今度、日佐留売か誰かが
もし、今のあたしが、
それは叶わない願いだけど、あたしは衛士だ。強さが欲しい。)
古志加がきっぱり言うと、三虎が意外そうに目を丸くした。そして、
「疲れた……。」
と額を抑え、少しよろめきつつ倚子を立ち、部屋の奥の寝床のほうへ行き、腰掛け、どさりと仰向けになった。
腕を頭の上で組み、
ちょっと顔をしかめ、唇を突き出し、本当に拗ねた
少し頬に朱がさしてる。
「ええと……。あの……。」
古志加は、会話の途中でいきなり寝床に行ってしまった三虎に、ひたすら戸惑う。
今までそんなことはない。
ふっと三虎が天井のほうを見て、やはり拗ねた顔で、
「わかった。もう良い。」
と言った。
「あの、お疲れなら、白湯か何か……。」
と古志加は倚子から立ち上がりながら言うが、
「いい。もう行け。」
無表情になった三虎は、それだけ言った。
* * *
古志加は、三虎の部屋を出てから、日佐留売の部屋に向かう。
(あれ……。)
唐突に悲しくなって、泣きたくなった。
なんでだろう。
ぽろり、と涙が古志加の目から零れた。
(あたし、何か間違えたのかな……。)
胸が締め付けられる。
なんで。
わからない……。
* * *
古志加が
「バカなヤツ。」
と
(もう起きて、働きの良い
医者に
……いや、宇万良の練り香油をこの冬はよく使ったから、蜂の巣三つが良い。
鉄斧四本にするか……。)
奈良でも宇万良の花は手に入る。
生花のほうが本当は良い。
だが、
上野国が好きだからだ。
もう起きねば、と思うが、身体が動かない。
ゴロリと身体を横向きにし、三虎は右手で寝床をトントンと叩いた。
「本当、バカなヤツ。」
(もし古志加が寝床の方に近寄ってきたら。
その手を引いて。
オレの身体の上に倒れさせた……かもしれない。
それで驚いた古志加が逃げ出さなければ、そのままくるりとオレの身体の下に敷き、口づけをし、───優しく、包むような、だが熱く、
───望むなら、今夜、オレの部屋に来い。
と言った……かもしれない。
あくまで、かもしれない、だ!
───欲しい物は何もないの。強くなりたい。それがあたしの望みです、だぁ……?
古志加はオレの手を離れたな。
これでもう、一年近く
誰か
ふん、好きにしろ。
オレは古志加に好きにしろ、と言っちまったからな!
……そしてオレは、強くなりたい、という古志加の望みを、どうやったら叶えてやれるか、思案し始めている……。)
まだ寝床をトントンと指で叩きながら、
「バカはオレか。」
と三虎はひとりごちた。
※参考……古代歌謡集 日本古典文学大系 岩波書店
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