第十六章 茜の衣
第一話 古志加はされるがまま、無言で大人しくしている。
一月。
三虎と大川さまは、
あたしはちゃんと見送り、そしてもう、紅珊瑚の耳飾りは、耳から外さない。
これは、己を慰める心の
「
と与えてくれたものだ。
三虎のためではなく、あたしの為に、紅珊瑚を耳に飾る。
女としての飾りは、あたしにはこれだけで充分だ。
三虎はいない。
去年のあたしは、ひたすら悲しくて、ほとんど毎夜泣いていたように思う。
でも、今年のあたしは、もうちょっと落ち着いて、日々をちゃんと過ごせてる。
あたしの心の中には、大きな岩のような、ザラザラと尖った、氷のような冷たさの寂しさがあって、時々、
去年のあたしは、あたしの宝物を抱きしめて、泣くことしかできなかった。
三虎への恋いしさが、あたしの生きる
でも、今年のあたしは、泣かず、あることに思いを馳せる。
不思議と三虎の唇を無断で奪ってしまったことより、三虎が泣いたことを思う。
あの人は震えながら、
「なんでそれで、オレの声が届かねぇの。」
と言い、
「オレ、すげぇ今回怖かった。間に合わないかと。それた矢が当たってたら、どうしようかと。
バカ、
と泣いた。
正直、どんな気持ちで泣いたのか、良く分からない。
いつも何事も失敗しない三虎が、失敗しそうだったら怖かった、とあたしには聞こえた。
そうではあるが、あたしのことを心配したから、泣いた、と思っていいんだよね……?
自信は持てないが、あたしはそう思う。
あたしの恋いしい人が。
あたしを抱きしめて。
あたしのために。
泣いたんだよ……。
三虎のあの温かい涙が、あたしの額に伝った時、あたしの心の中のザラザラとした寂しさを、少し溶かしてくれた。
どうやって、心の中の奥深いところの、硬くて、自分では動かすことのできない岩のような寂しさに届いて、溶かすことができたのだろう?
三虎はすごい。
まだ、寂しさは大きな岩として残っているけど、輪郭が少し小さくなった。
そして、寂しさが溶けた時の心の温かさ、広がった気持ちよさは、春の木漏れ日に包まれているようだった。
三虎の涙がくれた、心に満ちた幸せな温かさ……。
それに思いを馳せ、あたしは泣かない。
* * *
夏。
奈良にいた大川さまは、副将軍として、
とは言え、心配で夜も眠れぬほどではない。
三虎の強さは、良く知っているから。
秋。
あたしと花麻呂、二人だけ、
三虎が呼んでくれたと、
嬉しい! 三虎に会える。
花麻呂は、
皆、心配してる……。
三虎に無事会えて、安心した。
三虎は変わらず格好良く、あとちょっと、優しくなった気がする。
あたしはますます、剣の腕に磨きがかかったと思う。
冬。
年が変わり。
あたしは十九歳になった。
五月。
三虎と大川さまは、
十一月。
あたしと花麻呂は、
花麻呂は元気が復活した。
そして、知った。
大川さまは、遣唐使として選ばれたと。
三虎も、大川さまにつきそい、
既に、六月に決まっていたことだと、あたしと花麻呂を呼び出して、卯団の広庭のはじで荒弓が教えてくれた。
あたしは、
西を行けば奈良があり、その先、
ということは知っている。
そして海の向こうに、
そう女官部屋の皆が、話しをしていたのも覚えてる。
でも、そこへ大川さまと三虎が行くなんて。
なんだか現実感がない。
夢やお
だが何よりあたしを戦慄させたのは、荒弓が、
「
と言ったことだ。
「イヤ!」
あたしは思わず大声をだしてしまった。
「どうして、そんな危険な船に乗るの。
そんな危険をおかして、遠い国に行かなくたっていいじゃない!」
「古志加、奈良のえらい方が決めたことだ。名誉なことだぞ。」
「イヤッ!」
大きく叫び、あたしはとうとう荒弓と花麻呂に背中を向け、
イヤだ、イヤだ。
死んでしまうかもしれない旅に行ってしまうなんて。
今すぐ三虎に抱きついて、やめて、行かないで、って叫びたい。
でも、三虎はいない。
奈良だ。
目から涙があふれる。
今まで、三虎はずっと奈良で、あたしは寂しかったけど、三虎はちゃんと一年に何日かは帰ってくる。
それを当たり前だって思ってた。
死ぬかもしれないなんて、イヤ……!
「イヤ────!」
大声を出し、
* * *
離れた大広間から、
その楽の音に混じって、人々が談笑する声が、時々ここ、
宴の最中だ。
(あの中に、三虎もいる……。)
と耳を澄ませるが、三虎はきっと笑って大きな声をだしたりしないだろうな……。
それでも、三虎がいる。
耳が三虎の声を拾えないかと、意識が向いてしまう。
日佐留売が古志加に、豪華な茜色の衣を着させてくれている。
今、胸の合わせを閉じて、ばっと開いた。
(そんなに胸元開けて、着るの……?)
古志加はびくっ、と身体を震わせる。
「んん……。」
と日佐留売が悩み、また、合わせを閉じた。
古志加はされるがまま、無言で大人しくしている。
帯を締めるのかな、と待ってると、
「う───ん。」
と日佐留売がまた、ばっと大胆に合わせを開いた。
びくっ、と古志加は肩を震わせる。
いつもは、首元まできっちり隠して、衣を着るのが普通だ。
こんなに胸元を開けるのは、
古志加は良く日焼けをしているが、いつも隠している胸元は、見下ろすと自分でも驚くほど白い。
というか、こんなに見せていいのか。
これから、あの宴にのこのこ出かけていって、
「やっぱり……。」
と日佐留売がつぶやいて、更に胸元を広げた。
「ひ、日佐留売……!」
と古志加はとうとう真っ赤になってうつむいた。
頭が重たい。
日佐留売が、木を墨で塗りつけた拳大のものを二つ用意してくれて、髪に仕込んでるせいだ。
おかげでかつてないほどの大きさと高さの
すごく華やかだ。
もう
化粧だって、時間をかけて、日佐留売がしてくれた。
感謝をしなければ。
(あ、あたし、頑張らねば……!)
でもやっぱり、恥ずかしい。
古志加はこうなったきっかけ、七日前の会話を思い返す。
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