第二話

 辰の刻。(朝7〜9時)


古志加こじか! そんなしょんぼりした顔をしてるなよ。」


 三歳になった多知波奈売たちばなめを背中におんぶしてあげながら、難隠人ななひとさまが厳しく、だが優しく、古志加に言った。

 女官姿の古志加は、


「うぅ……。」


 と情けない声をもらし、


「あたし……、あたし……。申しわけありません。」


 と悲しくうつむいた。

 昨日、荒弓に聞かされた遣唐使の話が、まだ心の中で消化できてない。

 昨日の夜は、静かに枕を濡らして、泣き通してしまった。難隠人さまは、


「ほっ。」


 と背中の多知波奈売を上にあげなおし、多知波奈売は、


「きゃっ、きゃっ。」


 と楽しそうに笑う。


「私だって、不安なのは同じだ。だが、遣唐使は誰でもなれるものではない。

 容姿も、知識も、選りすぐりの者が選ばれる。

 大唐だいとうは、遣唐使を通して、日本を見るのだからな。

 私は父上が誇らしい。」


 難隠人さまは冷静に言う。

 難隠人さまは九歳なのに、あたしより大人だ、と古志加はまばたきをする。


「父上は、大唐へ渡る前に、必ず上野国かみつけののくにへ帰ってくる。

 私は、大人の名を戴けると思う。

 そして、父上の前で、必ず納曽利なそりを舞う、と決めている。

 きちんと成長した私を見てもらい、父上の前途ぜんと寿ことほぐ。

 だから今、浄足きよたりと納曽利を完璧に舞えるよう、励んでいる。……な?」


 難隠人さまは、すぐそばに控える浄足を見る。

 浄足はにっこり笑い、


「はい!」


 と元気よく頷いた。


「古志加、おまえは? 何ができる? 何がしたい? 父上と三虎が帰ってくるまで、何をする?」


 まっすぐ古志加を見て難隠人さまは言うが、


「なぁな! あっち。あっち行く。」


 と多知波奈売が外を指差し、難隠人さまの肩を叩いた。すぐ難隠人さまは外を見て、


「しょうがないな、多知波奈売たちばなめは。またたちばなが欲しいのか。」


 と言った。


「うん、橘!」


 との返事を待たず、庭の橘の木にむけ、難隠人さまは歩きだす。

 笑顔の浄足が、ぴったりと後に付き従う。

 日佐留売ひさるめが古志加の側に来た。


「日佐留売……。」


 思わず、古志加は手を握ってほしくて、手を差し出してしまう。


「古志加。」


 日佐留売は笑顔で手を取ってくれた。

 二人、手を握りあい、寄り添いながら、難隠人さまを見る。


わらはの成長ってすごいです。

 もうしっかり、おのこですね。」


 古志加が心からそう言うと、


「ふふ……。そうよ。

 上毛野君かみつけののきみの一粒種。立派な跡継ぎ。

 そして、浄足も、三虎のように立派な従者よ。

 あたしはね……、良くやってると、自分を褒めてやりたいの。」


 日佐留売が自慢げに、幸せそうに笑った。


「日佐留売も、すごい。」


 古志加も笑いながら、日佐留売の目を見て言った。


「ありがとう。」


 日佐留売が惚れ惚れするような笑顔で言った。


「ねえ、古志加。あたなたも、舞を練習してみたら?

 あの東舞あずままいで良いから、ちゃんと綺麗な衣で着飾って、皆の前で踊ってみるのよ。」

「えっ!」


 桃生柵もむのふのきで、美しい前采女さきのうねめから、東舞あずままいを教えてもらった。

 舞はそれ一つしか踊れないが、上野国かみつけのくにに戻ってきてから、桃生柵もむのふのきの土産話と一緒に、何回か卯団うのだんや女官の皆に……。

 日佐留売にも披露した。

 でも、衛士の衣や、女官の姿のままだったし、日佐留売の口ぶりだと、もっと大人数の前で、と言ってるように聞こえる。


「皆って……?」


 と恐る恐る聞くと、


「大きな祭りの舞台でも良いけれど……。三虎たちがいつ帰ってくるかは分からないから、宴の余興で舞えるようにしておけば、良いんじゃないかしら?」


 日佐留売はおっとりと言う。


「恥ずかしいです……。それに、綺麗な衣なんて持ってません……。」


 せいぜい、郷のおみなの衣だ。

 皆の前で舞う華やかさはない。

 モジモジと古志加が言うと、


「あたしが衣を貸します。……やるのよ。」


 と反論を許さぬ笑顔で日佐留売が言った。

 ひぃ、と古志加は息を呑み、わ、と橘をとれた難隠人さま達が庭で歓声をあげる。




    *   *   *




 その七日後。

 大川さまと三虎は上野国かみつけのくにに帰ってきた。

 六ヶ月ぶりに、三虎に会えた。


 さるの刻。(午後3〜5時)


 三虎が卯団うのだんの稽古場に顔を出してくれた時、あたしは出遅れなかった。


「三虎ぁ!」


 三虎の姿を見たとたん、ぱっと駆け出し、その勢いのまま三虎に一気に抱きついた。


「と!」


 三虎は一歩後ろに足を引き、それだけでこらえきった。

 おおー、と何故か卯団の皆が歓声をあげる。

 三虎は古志加の背に腕をまわし、


「よしよし。」


 と言ってくれた。だが古志加が何か言う前に、


「お帰りなさーい!」


 と次々に衛士が三虎に抱きついて、団子のようになったので、古志加は必死に三虎にしがみついたまま、何も言えなかった。

 やがて団子がほどけ、きつい圧から解放され、


「ふぅ。」


 と息をついた古志加に、三虎はかすかに笑い、無言で古志加の頭を、ぽん、ぽん、と二回軽く叩き、すぐに集合場所へ行ってしまった。




    *   *   *




 以上、回想終わり。


 福益売ふくますめは、多知波奈売たちばなめの世話のため、宴には行かない。


「ああっ、残念……。古志加、頑張れ!」


 と部屋から送り出してくれた。


 あたしは日佐留売につきそわれて、大広間へ続く簀子すのこ(廊下)を歩く。

 頭が重く、慣れない首飾りが重く、大胆に開けた胸元に夜風が冷たい。


 宴の喧騒が近づいてくる。


 鳩尾みぞおちを、これでもかというほどギュウギュウ締め上げて日佐留売が帯を締めたので、乳房が上方向に圧迫された。

 おかげで二つの丸い握り飯のような乳房が、胸元から覗いてる。

 それは歩くたび頼りなくふわふわと揺れ、古志加を落ち着かない気分にさせる。

 あたしは緊張してる。

 手に変な汗をかいてる。


 前を歩く日佐留売が、ちらっとこちらを振り返り、おっとりと笑った。


「古志加、綺麗よ。大広間にいるおのこどもを片っ端から落とせるわね。」


(大広間にいる男どもに、片っ端から剣で斬りかかれば良いのか……!)


 そのほうが気持ちがよっぽど楽だ。

 違う。

 物騒なことを考えてはいけない。


「古志加、笑顔よ。練習を思い出すのよ。」


 堅い表情をしていたのだろう、日佐留売が明るい笑顔で言ってくれる。

 そう、何のためにここにいるのか、忘れてはいけない。


(三虎に、あたしを、おみなとして見てもらうんだ。)


 古志加は、ふぅっ、とごく短い気合を入れ、きりっと前を見て、


「うん、わかってる。ありがとう、日佐留売。……頑張る。」


 と戦場に向かう兵のように宣言した。











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