第三話

 大川さまと上野国かみつけのくにへ帰国した日の夕餉ゆうげは、宴として大広間できょうされた。


 とりの刻。(夕方5〜7時)


 日は落ち、蝋燭ろうそくが何本も広間に灯される。

 三十日みそか月の夜。

 大広間には皆がいる。

 父の八十敷やそしき。母刀自の鎌売かまめ。兄の布多未ふたみ

 従兄弟の浄足きよたり

 広瀬さま、難隠人ななひとさま……。


 皆かわりなく、元気そうで何よりだ。

 いや……。

 父母は年をとり、難隠人さまは背が伸び、

 顔つきが記憶の中より凛々しい。

 九歳。わらはから大人のおのこへと変わってゆくのだ。

 二年近く、上野国を留守にしてしまったのだ。

 童の成長は早い。それは、変わるはずだ。






 今年の五月、まだ桃生柵もむのふのきは戦火に包まれていたが、大川さまは突如とつじょ副将軍の任を解かれ、奈良に呼び戻された。

 桃生柵もむのふのきは一進一退が続き、それの責によってか、と思われたが、違った。


 教養があり、漢語に秀で、容姿端麗な大川さまは、見る者を圧倒する。それは日本だけでなく、おそらく、唐でも。

 遣唐使に相応しい。

 奈良に呼び戻されたのは、大川さまが遣唐使に選ばれる布石だったのだ……。


 奈良に呼び戻された大川さまは、兵部省へいぶしょうから、治部省じぶしょう大録だいさかんへ移動させられた。

 新しい役職に慣れたかどうか、という六月、遣唐使に選ばれ、十一月の今、上野国に帰国できたのは、今生こんじょうの別れの準備。


 死にに行くのではない。

 だが、とうへの航路が安全であるという保証はない。

 大川さまは、


「私はずっと、広い世界を見てみたいと思っていたのだよ。

 私の母方は百済くだらの血を引く。

 秋津島より広く文化のすいを集める唐を、この目で見、この足で踏めるのは幸せだ。」


 と穏やかに笑って言った。

 なら、オレはそれで良い。

 もし、海が荒れ、海神が人身御供を欲するなら、迷わずオレが海へ飛び込み、海を鎮めよう。

 大川さまの命を少しでも永らえる為ならば、オレは何でもする……。





 チリリ……、と鈴が鳴った。

 物思いから三虎は覚めた。

 トン、トン、と太鼓の音もする。

 見れば、赤い顔でニコニコと鈴を鳴らしているのは浄足。

 いささか緊張した真面目な顔で太鼓を打つのは難隠人さまだ。

 いつの間にか二人は、自分の膳の前から大広間の入り口の側に移動し、鈴と太鼓を鳴らしている。

 皆の目も二人の童に吸い寄せられる。

 三虎の斜め前に座る大川さまも、二人を見る。


 ついで、入り口から、撫子なでしこ色の透けるほど薄いしゃを頭からかぶった、茜色の衣のおみなが一人、大広間に入ってきた。


(なんだ……?)


 七夕や、新嘗祭にいなめさいなど大規模な宴では、遊行女うかれめが舞う。

 だが、上毛野君かみつけののきみの家族が集まるだけの宴では、遊行女うかれめは呼ばない。

 広瀬さまがそこまで遊行女を喜ばないからだ。

 父や兄が剣舞を余興でやったり、唄が得意な家人が唄うくらいはあるが……。


(遊行女を呼んだのか。)


 着こなしかたが遊行女だ。

 胸元をぐっと開けて着ている。

 衣がきらびやかで、茜の明るい赤だ。色が濃い。

 首には大きな赤い錦石にしきいしをあしらった、細い銀の首飾りをつけている。

 皆の注目を集めるなか、


上毛野君かみつけののきみの大川さま。

 山高く、水清く、風空満かぜそらみつる、上野国かみつけのくにへのご帰還、心よりお祝い申し上げます。」


 とおみなが薄い紗を顔からとった。


(あっ!)


 古志加だ。

 薄く化粧を施し、髪を高く結い、かんざしは赤く透けて光を放っている。

 あれは貴重なさいの角の簪。

 大きな意志の強い瞳が、赤い錦石にしきいしよりきらめいている。

 唇は赤く、耳には紅珊瑚べにさんごの耳飾り。

 顔は……、窈窕えうてう(たおやかで美しい)にして玲瓏れいろう(玉のように光り輝く)。


(もうわらはではない……。)


 その思いが三虎の胸を締め付ける。

 鈴と太鼓の音にあわせ、撫子なでしこ色のしゃを大ぶりの領巾ひれのように持ち、




 ※おおひれや  ひれのやまは  や




 と古志加はおみなにしては低い声で唄いはじめ、薄い紗をふわりと舞わせ。


 舞い始める。


 ゆるやかに足を踏み出し、

 くるりとまわり、

 目線を指の先に、

 指先までしなやかに動き、

 口もとに馥郁ふくいくたる笑みを浮かべ、

 そのしっとりとした身のこなしは、

 三虎の良く知る衛士のものではない。





 おおひれや  ひれのやまは  や


 りてこそ


 やまらなれや  遠目とおめはあれど


 や  りてこそ  りてこそ……。





 古志加が艶のある笑みでこちらを見た。

 三虎は、はっ、と息を呑んだ。

 三虎の斜め前には大川さまがいる。

 さっと三虎は大川さまを盗み見た。

 大川さまの口元は緩み、頬はほんのり赤みがさし、珍しくほうけた表情で古志加を見てる。

 とくに、顔を。

 その大川さまの目の色が。


(明らかにいつもと違う……!)


 もしや、と布多未ふたみを見ると、古志加を見つつ、顔がにやけている。

 三虎の腹がぐらぐらと怒りで煮え立ち、握りしめた拳が震えた。

 三虎はここが宴席であることも忘れ、ぱっと立ち上がり、無言でカツカツと舞の途中の古志加へ歩み寄った。

 驚きと怯えの色を見せた古志加を、まなじりを釣り上げて睨みつける。腕を掴み、


「痛ッ!」


 と小さい声でうめいた古志加を、ざわめく大広間から乱暴に連れ出した。

 後にはあっけにとられた皆と、顔を見合わせた二人のわらはが残された。




     *   *   *





「い、痛い、痛い……。」


 と小声で訴える古志加を無視して、大広間から充分距離をとる所まで、腕を掴み、簀子すのこ(廊下)を引きずって行く。

 ここまで来れば人目はない、という所で、簀子すのこに叩きつける勢いで腕を離した。


「あっ!」


 古志加は転び、簀子に両手をつく。


「ひどい……。何を怒ってるの……?」


 と涙目で古志加は言うが、


「このバカ! そんなことさせる為に、桃生柵もむのふのきに呼んだんじゃない!」


 と三虎は怒りのまま怒鳴り、


「おまえは遊行女うかれめのつもりか。

 ごてごてと着飾りやがって。

 おまえがいくら着飾ったっていのししが蜘蛛の巣をかぶっているようなものだ。

 いくら唄ったって牛が機嫌良くだみ声をあげてるようなものだ。

 あの舞は佐久良売さくらめさまが踊るから良いんだ、おまえも同じように踊れると思ったか、恥さらしが!」


 と流れるようにののしった。


「うわああん! ひどい!」


 と古志加は大声で叫び、ぽろぽろと涙を零し、泣き声をあげながら簀子のむこうへ逃げ出した。

 茜色の裳裾もすそひるがえし……。


「ふん!」


 もちろん三虎は追わない。

 罵り足りないくらいだ!

 近くの柱を怒りのまま拳でたたき、あの首飾りとかんざしは日佐留売のものだ、と思い出す。

 衣も、今日の舞も、日佐留売の仕込み。

 こういう事はやめるよう、後で良く言わねば。

 布多未のにやけ顔が腹立たしい。

 いや、それより……。

 大川さまが先ほど見せた、あの魅入られたような顔が気になる。


 桃生柵もむのふのきに古志加と花麻呂を呼んで、古志加が着飾った日より。

 大川さまの古志加を見る目が、どこか変わった、と思っていた。

 あからさまなものではない。

 古志加を呼びつけたり、何か興味を示す素振りは、全くない。

 普段の会話に、古志加の話がのぼる事もない。

 表情も変えないのだが……。

 目が違う。

 古志加を見る時の目に、何とは言えない、普段と違う違和感を、三虎はずっと感じていた。

 そして、さっきの表情は。

 あからさまに……、古志加に見惚みとれている表情だった。


(大川さま、古志加にいったい、何を見てるんです……?)


「あ……! クソ……!」


 胸がもやもやとする。

 心の奥の、

 あさましい、

 醜い、

 一方的で勝手な嫉妬が、

 くちなわ(蛇)がとぐろを巻くように蠢動しゅんどうする。

 十一月中には上野国を発ち、もう二度と戻ってこれないかもしれないのに!

 こんな思いに苦しめられたくはない。

 オレと大川さまにとって、残された貴重な時間なのに。

 オレは、オレが情けない……。











 ↓挿し絵です。

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662484113433



 かごのぼっち様からファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。↓

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074487024310



      *   *   *




 ※参考……古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店

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