第四話  大川、雲雨之夢に困窘す。

 雲雨之夢うんうのゆめ…男女の情交。

 困窘こんきん…こまり果てること。


 ※困り果てているのは著者です。

 雲雨之夢うんうのゆめが苦手な方は、この回は飛ばして下さい。

 話は繋がるように作ってあります。



    *   *   *



 かえりにし  人をおもふと 


 さむを  千重ちへしくしくに


 かねてき




 還尓之かえりにし  人乎念等ひとをおもふと


 寒夜乎さむきよを  千重敷布ちへしくしくに


 宿毛寢金手寸いもねかねてき




 帰って行った人のことを思うと、


 寒い夜を、千回に重ねるほど幾度いくたびも、


 眠るに眠れず過ごしてきた。



   

      *    *   *




「ね──え、大川さま。

 あたし、また来ちゃいました!」


 夜の闇の中。

 揺れる可我里火かがりびの炎にその身を浮かびあがらせ……、蘇比そび色の衣のおみなが、首をかしげて大川を覗き込み、笑う。

 その艶っぽい笑みには、こびの色があり、吐く息からは、高価な桂皮けいひと、甘く、陶酔するような蜜の香りが濃く漂う。


 桂皮のおみな……。


 だが、その媚の色は、実は、おみなおのこを求めてのことではなく。

 ただ、純粋に、強い稽古相手を欲してるだけだということを、大川はもう知っている。


「もう肩治ったんですよ! だから次は組み稽古。ねえ、この前、剣の稽古、すごい良かったんです。

 組み稽古もしたい!

 お願いです、大川さま……。」


 いいとも……。

 待っていたよ、おまえが来ることを……。


「まったく、しょうがない衛士だな。」


 大川はくすりと笑って、望みに応えてやる。

 そして、途中で……。

 いや、このおみなは途中でやめたら文句を言うだろう。

 きちんと負かす。

 そして地に打ち倒し、


「あっ!」


 と背中を地面につけたおみなは、悔しそうな顔を一瞬浮かべ、だがすぐに表情を平坦なものにし、組み稽古の最中、あんなに強く燃えたっていた瞳のきらめきを静かにおさめていくはずだ。

 そして無言で、大川の稽古の終了の宣言を待つはずだ。

 私はその顔を見下ろし、瞳の色がいでいくのをつぶさに見、終了の宣言をしないで、


 口づけをするのだ。


 もう……、途中でやめたりしない。

 おみなは驚くだろう。


「あ……っ、大川さまっ?!」


 突然のことで、動揺するおみなの手をとり、立たせ、そのまま抱き上げてしまう。

 もうこれで逃げられない。


「おまえの願いを二回も叶えたのだ。私の願いも叶えてもらおう。

 私は、おまえが欲しいのだ。おいで。」

「えっ? ……えっ?」


 おみなねやに運び、寝床に横たえる。

 上におおい被さり、ひらみ(女の腰下の下着)を残し、衣を全て解いてしまう。

 女は抵抗らしい抵抗はできまい。

 私が上毛野君かみつけののきみの屋敷の主であるからだ。

 大川の唇をその身に受けながら、頬を赤くし、……目には涙を浮かべて、


「あ、あ、あたし、そんなつもりじゃ……。」


 ぐらいは言うかもしれない。

 このおみなが……、三虎を恋うているからだ。

 知ってる。


 この女は難隠人ななひと付の女官だ。

 大川が難隠人と食事をとる際、このおみなは、三虎をじっと見つめていることがある。

 今までは、自分に向けられる視線ではないから、気にもめてこなかった。


「一夜で良いのだ。これは夢と思え。

 明日になれば忘れても良い。

 だがもし、この一夜で、おまえの身体に変化があれば、必ず申し出ろ。悪いようにはしない。

 だから安心して……、これは夢と思い、この時を楽しめ。私も夢と思う。

 下紐したひもをとけ。」


 それでも桂皮のおみなは、涙をこらえつつ、ひらみの下紐を解こうとしないかもしれない。そしたら、


「おまえは前に命を救われたな。

 おまえを連れ帰ったのは三虎だが、救うよう命じたのは私だ。

 今、その恩を返せ。」


 と告げる。おみなは観念するだろう。


 私は久しぶりの、

 本当に久しぶりの女の柔肌を味わう。

 背中を指でなぞり、

 白い胸に顔を埋めたい。

 優しく撫でさすり、

 ねやを温め、

 肌を重ね、

 唇を重ねたい。


 一夜のみなのだ。


 指で、

 あふれるほど濡れるまで、

 いくらでも、

 私は惜しまない……。


「あ……、お、大川さま……。」


 おみなはそれしか言わない。

 良い。

 恋うてる相手ではないおのこに、肌を許さざるをえないのだ。

 何も言わずとも良い。


 私は潤ったなかにわけ入り、おみなを揺さぶる。

 どんなにか気持ち良いだろう。

 もう十年、女を抱いていないのだから。


 だが、どうだろう、瞳の中の燃え立つ炎は……。

 剣の稽古の時と同じように、瞳が強い光を宿すのか、さではそうでもないのか……。

 何度空想のなかでこのおみなを裸にしても、その瞳の輝きだけは見えてこない。


「あ……、あ……、大川さま……。」


 おみなは最後までそれしか言わない。

 私は動きを早め、


「く、……古志加こじか!」


 その名を口にしてしまう。

 三虎に悪い、と思いながら。


 私の身体は健康だ……。


 私はどんな美女でも、欲をじっとりとにじませた女の目で見られると、


(ああ、本当に嫌。)


 と心が、身体が、強く拒否してしまう。

 手も握られたくない。

 そんな目で見ないでほしい。

 早くどこかへ行ってほしい。

 そう思ってしまう。

 そう思わずにいられたのは、

 桂皮のおみな、ただ一人だけだ。




 奈良で何人かの男に言われた。


 ───大川さまは良いですな。

 地方とはいえ、大豪族で、背も高く、教養もあり、そのような人目を引くお顔立ち……。

 うらやましい。

 私もそのように生まれついてみたかったものですな……。




 だが、そいつらは知らない。

 上野国大領かみつけのくにのたいりょうの息子として生まれ落ち、上野国かみつけのくに中どの女でも、望めば得られる立場にいながら、

 私が、あの笑えるほど酷いうらを持ち、

 何年も女の肌に触れず、

 挙句の果て……、

 叶わぬ空想を思い描くしかできない哀れなおのこであることを。


 これは恋ではない。

 桂皮のおみなの全てを恋い慕っているわけではない。

 ただ、あの瞳が私は欲しいだけなのだ。

 おのことして全く意識してない瞳。

 そういうおみなを私は抱きたい……。

 困ったことだ。



 私は、桂皮のおみなには手は出さない。

 たとえ酒に酔おうとも。

 固くそう決めている。

 桂皮のおみな吾妹子あぎもことしたら、私はおそらく三虎を失ってしまう。

 たった一人の私の乳兄妹ちのと

 失うことはできない。

 上野国かみつけのくに中の女を望めば得られる私が、絶対に望んではいけない女。

 それは三虎の想い人だ……。



 あとになってから、かえすがえす、真夜中にひょっこり私の中庭に迷い込んできた桂皮のおみなを、あのまま帰すんじゃなかった、と思った。

 口づけを……。

 思いとどまっていなければ。

 あれは誰も知らえぬ真夜中だったから。

 そのまま……、夢のこととして、


 一夜のみ。


 そういうのが良いなぁ。

 きっと……、私は純一無垢じゅんいつむくな桂皮のおみなに血を出させてしまうけど、一夜のみだ。大目に見てほしい。

 三虎から獲ろうなんて思ってない……。



 甲寅きのえとらの年、(744年)

 上野国かみつけのくにを発つ前。

 私は何回か、月の出る夜、

 の刻(深夜11時〜午前1時)に。


 蘭陵王らんりょうおうを舞った。


 桂皮のおみなを、待ってしまう。

 来い、古志加。

 次にこのの刻に会ったならば……。

 私は私に、一夜の夢を許す。

 だが、の刻以外は、決して、

 私は私に許さない。



 そして何もおこらず、上野国かみつけののくにをその年は去った。



 桃生柵もむのふのきで、三虎が古志加を呼ぶと報告してきた時は、ちょっと顔が喜んでしまった。

 古志加が、佐久良売さまのはからいで美しく着飾ったのを見た時は、けっこう顔が緩んでしまった。

 しかしそれは、短い間のこと。

 私は、三虎に知られないように冷静に、何でも無いようにふるまえたはずだ。

 桃生もむのふの地で、私はの刻に舞ったりしない。



 そして、今宵。

 豹変した古志加を見た。

 美しい茜色の衣の、あでやかな女。


 妖姿媚態ようしびたいしゃくとして余妍よけん有り……。


なまめかしい姿は、しとやかで、あふれるほど美しい)


 ああもし……。

 もし……。

 三虎が恋うてる女でなければ、

 古志加はこのような美しい姿で、

 私の隣にはべっていたのだろうか……。

 

 その胸……。

 違う。

 その顔をもっと良く見たい、と思い、古志加が舞の最中に媚眼秋波びがんしゅうはを送ってきたので、


(あ。)


 と息を詰め、


(ああ違った、そうだ、古志加は後ろにいる三虎を見たのだ。)


 と思った。この後、大唐だいとうに渡り、生きて帰るか分からぬ三虎を。


(ふぅ、心臓しんのぞうに悪い。)


 と思っていたら、三虎が舞の途中で、さっとさらっていってしまった。



 三虎。

 そのまま攫って、攫って、早くいもとするが良い。

 でないと……。


 私はまたの刻に舞ってしまう。


 困ったことだ……。






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