第五話

 翌日。


「舞の途中で乱暴に連れ出すなんて、あんまりですよ。

 難隠人ななひとさまと浄足きよたりも楽しみにしてたのよ。

 練習したんですからね!」


 日佐留売ひさるめに文句を言いにいったら、逆に怒られた。

 遠慮なく頬をつねろうとしてきたので、さっと三虎は身を引いた。

 今回は大人しくつねられてやらない。


「オレも怒ってます、姉上。あれは衛士です。

 遊行女うかれめごっこは今後やめていただいきたい。

 あれを見るおのこの顔を見ましたか。

 特に布多未ふたみ。見てられないひどい顔をしてましたよ。」

「はあぁ……。」


 日佐留売が、三虎をつねろうとしていた右手で己の額を押さえ、深いため息をついた。


「あの子があの姿を誰に見せたかったか、分かるでしょ、三虎?

 まあ、あの胸元はやりすぎたわ。

 やったのはあたしよ。

 だって、唐の女って、あれくらいするんでしょ?

 聞いたことあるのよ、あたし……。

 ねぇ、あなたこそ、あの子の顔を、ちゃんと見た?

 あなたが大川さまに付き添って、四つ船に乗るって知らされてから、あの子ずっと泣いてたのよ?」


 三虎は少しひるみ、目をそらす。


「あたしたちが、可哀想なあの子を、どんな風に慰められると思う?

 難隠人さまが、大川さまが上野国かみつけののくにに帰ってくるまでにできることをやる、納曽利なそりの練習を頑張るっておっしゃったのよ。

 古志加にも、できることをやれ、って仰ったから、古志加も頑張って舞の練習をして、あなた達の帰国を待ってたんじゃない。」


 ようやく、三虎の胸にも、古志加に言い過ぎたか、との思いが浮かんだ。


「姉上、それはわかったが、やはりあのような姿で大勢の前で……。」


 渋い顔で三虎が言いかけると、頬をギュ──ッとつねられた。


「………!」

吾妹子あぎもこにもしてくれないおのこに言われたくはないのよ。」


 ふん、と手が出すぎの姉は鼻を鳴らして、三虎の頬から手を離した。


「姉上!」


 ひどい言われようだ。

 抗議の声をあげると、しっ、しっ、と手で追い払われた。


「もういいわよ、これで。水に流してあげるわ。」


 どうしてそうなる、と思いつつ、三虎は退出の挨拶をする。

 退出の間際、


「またいらっしゃい。弟なんだから。四つ船に乗る前に……、ね?」


 と日佐留売が笑顔でさっと声をかけた。


「はい。」


 と返事をし、部屋を辞する。

 姉にはかなわない。




    *   *   *




 翌日。

 辰四つの刻。(朝7:30)


 朝の群馬郡くるまのこおりの見廻りの後、馬を降りたばかりの古志加に、


「古志加!」


 と声をかける。

 古志加はびくりと肩を揺らし、驚いたように口を開けてこちらを見た。


「これから板鼻郷いたはなのさとに行くぞ。

 もし着替えたかったら、山吹の衣に着替えてきても良い。」


 古志加は目をパチパチしばたたき、目をそらし、迷う顔をする。


「ほら、すぐ着替えてこい。」


 そこまで言ってやると、


「う……、うん。」


 と目をそらしたまま、馬を近くの木につなぎ、女官部屋へ駆け出した。

 始終、笑顔は見られない。


 一昨日着飾ったのを叱りとばしたのが効きすぎたようだ。

 あの後、目があうとすぐ顔をそらし、ずっと沈んだ顔をしている。


「花麻呂!」


 馬をうまやに引きかけた花麻呂に声をかける。


「はい。」


 花麻呂はすぐに返事をし、こちらに顔を向ける。


「おまえも付き合え。古志加の死んだ母刀自の墓参りだ。」

「はあ……。」


 花麻呂は目を丸くする。


「まあ、そういう顔をするな。おまえには何の関わりもない墓だろうが、馬でないと行けない距離だ。

 オレが帰ってこなかったら、一年に一回は、付き合ってやってくれ。

 古志加が卯団うのだんを離れるまで、できれば……。

 頼む。」


 馬は貴重で高価だ。

 一衛士が私用で使って良いものではない。

 だが……、墓参りもできないのは、哀れではないか。


「まったく、あなたはそこまで思ってるなら……。」


 と花麻呂は藍色の布を巻いた額に手をやり、ブチブチと小声でつぶやいたあと、まっすぐこちらを見て、


「いいですよ、頼まれました。

 でも、三虎。

 唐から無事、帰って来て下さいよ。

 オレは本当に、そう望んでます。」


 とハッキリ言った。


「そう正面切って言われると、少々照れるな。」


 と三虎は苦笑しつつ、


「ありがとう。」


 と言った。

 花麻呂は、ふっと笑った。

 その笑顔が爽やかなだけでなく、自信があり、男らしい良い色気があった。


(おや……?)


 桃生柵もむのふのきで見た時と違う。


「なんだか、印象が変わったな? 花麻呂?」


 と言うと、


「ああ……、悩み事が一つ、吹っ切れたんですよ。」


 と花麻呂の笑顔が爽やかさを増した。


「良かったな。」


 つられて、三虎の口元もほころぶ。

 古志加が自信なさげにうつむきながら、山吹色の衣で早足で戻ってきた。




    *   *   *




「こんなところに家があった! 本当に郷から離れたところだなぁ。」


 と、古志加の家についてから、花麻呂は遠慮なく言い、


「これは道を作っておかないと、来年が大変……。」


 と一人で来た道を戻ってしまった。

 気を利かせて、二人きりにしてくれたんだ、と思うと、古志加はありがたい。


 ここに来る途中、三虎に、


「オレが帰ってこなかったら、来年から花麻呂に墓参りをつきそってもらえ。」


 と言われた。

 そこまで気をまわしてもらい、本当にありがたい。


 三虎は、唐から帰ってこれなかった時のことを考えてる……。


 この墓参りは、三虎が貴重な時間を割いてくれたもの。

 砂が手から零れていくように、あたしに残された三虎との時間は少ない。

 わかってる。

 それなのに……。

 あたしはすっかり、自分に自信を失ってしまった。

 猪やら牛やら、さんざんに三虎に言われた。


佐久良売さくらめさまが踊るから良いんだ、おまえも同じように踊れると思ったか、恥さらしが!」


 と三虎に言われた時、


「その通りです!」


 と思わず返事をするところだった。

 痛いところを突かれた。

 佐久良売さまは、誰もが振り返る美女で、その美女が踊るから、あんなに映えるんだよなぁ……。

 同じにできるとは思ってない。

 でも、頑張ったのに。

 全ての動きを、優雅に、なよやかに。

 教えてもらった通りに。




 大きな山よ、小さな山よ、


 山は近寄って見てこそ素晴らしい。


 遠くから見た時は素晴らしくないけれど。


 近寄って見てこそ……。




 という歌に思いを乗せ、

 三虎、もっと、あたしの方に寄ってきて。

 近くであたしを、見てほしい。

 そしたら、三虎は今、わらはか、衛士としてしか見てないのだろうけど、あたしも……もう大人の女だって、気がつく……はず。


 もっと近くに。

 ………らなれや。


 と願いを込め、

 踊りながら目配せなんかしたのに。


 化粧だって日佐留売にしてもらったし、衣だって、恥ずかしかったけど、日佐留売にされるがまま、大胆に胸元を開けて着た。

 十九年生きてきたなかでこれ以上ない、というほど着飾り、女らしくした。


 それなのに、行き着いたのは、猪やら牛やら恥さらし、だ。

 ここまでやって女らしく見えないなら、やはりあたしは女ではない……?

 一昨日の夜は、一人両手で胸をかかえ、


(あたし、おみなだよね……?)


 と自問自答してしまった。

 情けない。

 恥ずかしい。

 いっそのこと、明日の朝起きておのこになっていないか。

 そしたら、


「あー、スッキリしたあ!」


 と叫び、衛士舎えじしゃへ引っ越そう。


 そんなことを母刀自の墓の前でつらつら考えていると、


「おい!」


 と三虎に大声をかけられた。

 びっくりして後ろの三虎を振り向くと、じとっとした目で古志加を見てる三虎と目があった。

 これは、何回か声をかけられ、気づいてなかったみたい……。


「あ……、すみません。」


 と古志加はしょんぼりと下をむく。


「母刀自の墓の前で、あの舞を見せてやったらどうだ、って言ったんだ。」


 三虎はぶっきらぼうに言う。


「え……。」


 古志加は戸惑い、唇をきゅっとすぼめ、ふるふると首を振った。


(なんでそんな事を言うんだろう?)


 恥ずかしくて、三虎の顔が見れない。


「おまえの母刀自は、きっと喜ぶだろ?」


 たんたんと三虎が言う。

 古志加はふるふると首を振る。


「踊れば良い。」


 重ねて三虎が言う。


「ん……。」


 じわっと涙が滲んだ。

 たまらず、三虎に背を向ける。


「あれは……、本当に恥さらしでした。三虎の言う通りです。あたし、わかってて……。本当は、わかってて……。」


 言葉の途中で、背中に気配を感じ、背中から三虎に抱きしめられた。









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