第三話

 部屋に入ってきた薩人さつひとは、手に、肘から指先くらいまでの長さの大ぶりな梅の枝を持っている。

 まだ季節ではないから、もちろん花の蕾はない。

 だが、白と薄紅うすべにで織られた紐が一本、木に結びつけてあり、その紐は一つ、白い布が丸く上手にくくられて、白梅のように飾りつけてあった。


「あれっ、古志加こじか、いたのか。

 ああ、じゃあ、出直すかなぁ。」


 と薩人が焦ったような声を出す。

 古志加は何かピンと来た。

 三虎が口もとに笑みを浮かべ、


「出直す必要はない。

 古志加、白湯のおかわりが欲しい。

 お湯をもらってきてくれ。」


 と言った。


「はい。」


 と古志加は倚子から立ち、礼をし、部屋を出た。

 簀子すのこ(廊下)を充分進んだところで、すっとかのくつ(革のくつ)を脱ぎ、しとうず(靴下)で気配を殺し、素早く三虎の部屋の前まで戻り、

 開け放たれている半蔀はじとみ(跳ね上げ窓)の下、

 壁の部分にしゃがみこんだ。


「……で、どう伝えましょう。」


 薩人の声が聞こえる。


「便りの返事を伝える必要は無い。

 今夜にも行く。」


 とは三虎だ。


「へぇ? まだ怪我が……。」

「注意してやるさ。こんなことをする可愛いおみなを放っておけないだろ。」


 三虎の声に笑みが含まれ、声音は優しい。


「たしかに。ああ、いいなぁ。

 オレも一回でいいから、遊行女うかれめからこんな艶っぽい便りが欲しい……。」

「なら、おまえはもっと、一人を大事にしろ。」


 三虎があきれたように言う。

 もう充分だ。

 そっと古志加はその場を離れた。

 離れたところでかのくつを履き、炊屋かしきやへ向かう。


 薩人のバカバカ。

 あの美しい遊行女うかれめからの便りを持ってくるなんて。

 三虎のバカバカ。

 遊行女のもとで傷口が開いて、

 沢山流血して二人で慌てればいいんだ。


「ふ……っ。」


 最近のあたしは泣きすぎだ。

 もう泣きたくない。

 でも、涙がつぅ、と頬を伝った。


(あたしは、何を期待していたんだろう?)


 三虎は恋うてもいないあたしを、慰めるためだけに抱きしめる人だった。

 うらぶれしかかったあたしを、ただ、助けてくれただけだ。

 あの美しい遊行女うかれめを、可愛いおみな、って言ってた。

 あたしのことは、バカなヤツ、って言うのに……。


「ふぅっ。」


 泣き声がもれ、涙が止まらない。

 古志加は乱暴に涙をぬぐう。


「あら、古志加、どうしたの?」


 福益売ふくますめ簀子すのこででくわした。


「あたし……、自分の愚かさに泣けてきて……。」

炊屋かしきやにお湯を貰いにいくところよ。

 古志加も? 一緒に行きましょう。」


 と福益売が肩を抱き寄せ、さすってくれた。

 福益売は優しい。

 うらぶれしかかった夜、一番そばに居てくれたのは福益売だ。

 ぱっと一つの考えが浮かんだ。

 古志加は懐から、もらったばかりの、梔子くちなし色の麻袋を取り出した。


「福益売。これね、三虎から、母刀自に、って貰ったの。

 大川さまが使うのと同じ、貴重な宇万良うまらの練り香油。

 これ、福益売にあげる!」


 そう言って、梔子色の麻袋から、白い貝を出して見せ、袋ごと福益売に白い貝を押しつけた。


「ええ? そんな貴重なもの、貰えないわ。」


 と福益売が首を振る。

 だが、目が白い貝に吸い寄せられる。


「いいの。母刀自の墓に、って三虎はくれたけど、貴重なものでもあるから、あたしの好きにして良いって言ってくれたの。

 あたし、福益売、大好き。

 沢山、あたしの名を呼んでくれた。

 母刀自も、笑って許してくれると思う。

 土に埋めるより、福益売に使ってほしいの。」


 本当だ。

 母刀自はもう、充分、満足そうに笑っていた。


「古志加……。」


 と福益売は迷いつつ、白い貝を開いた。

 中の練り香油から立ち昇る、宇万良うまらの香りを、そっと吸い込み、たまらず、もう一度吸い込み、ほうっとため息をつき、


「本当、大川さまのまとっている香りと、同じだわ……。」


 目を潤ませ、


「あたし、一生、大切にする。ありがとう、古志加。」


 と福益売は古志加に抱きついた。





 わかる。日佐留売ひさるめ

 日佐留売の金のかんざしも。

 あたしの三虎の衣と浅香の匂い袋も。

 福益売の宇万良うまらの練り香油も。


 女の心の中の秘密。


 一つ持っているだけで、眺めるだけで、なんと心の慰められることか。

 唐突に藤売ふじめを思い出した。


「持ち物全部奪われて、衣までとられて、何一つ、あたくしの手元には残されてはいないけれど、それでもあたしくしの……。

 恋うる心までは盗れないわ。」


 と言っていた藤売の辛さが胸をさした。

 それでも、藤売は涙を浮かべ、美しく笑っていた。


 おみなとは、なんといじらしく、

 愛おしいものであることだろう。






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