第四話  穏やかな三虎との時間

「あの……、難隠人ななひとさまに、布多未ふたみが剣を教えてて、あたしと布多未で試合をしてみせたんです。

 それが終わってから、その……。」


 古志加こじかは一度、息を吸い、耳まで真っ赤にしながら、


「布多未がいきなり耳元で、おまえ仕合ってる時すげぇ色っぽい、と言って、あたし、びっくりして腰が抜けました。

 あ、あれは、何だったんでしょう?」


 三虎は掴んでいた古志加の腕を離し、


「ふうん……。」


 とだけ無表情に言った。

 沈黙が流れた。

 あれは何だったんでしょう、に、答えてくれる気はないみたいだ。

 まだ少し顔を赤くして、古志加は静かにもぐもぐと米菓子を頬張る。

 三虎は今、こちらを見るでなく、遠い目をして、白湯をすすっている。


「三虎はどんなお菓子が好きなの?」


 古志加こじかは唐突に聞く。


 そうだ。古志加は三虎のことを全然知らない。

 三虎はこっちを見た。


「そうだなあ、豆菓子。」

「へえ。どういうところが?」


 と古志加が笑顔で言うと、


「大川さまがお好きだから。」


 と無表情に言う。

 すごい理由だ、と古志加は力が抜ける。


わらはの頃、時々、ほんの気まぐれに、お父君である広瀬ひろせさまが、大川さまに豆菓子をくださることがあった。

 甘葛汁あまかずらじるをまぶしてある、甘い、高級なやつさ。

 それをもらうと、大川さまは嬉しそうに、必ず、一緒に食べようと言ってくださった。

 本当に時々、一年のうち、四回くらいさ。

 そもそも広瀬さまは、大川さまに物を下さる方ではなかった。

 あんなに、物にあふれているのに、心が……。」


 そこで三虎は言葉をのみ込み、


「とにかく、そんな貴重なものを、必ず、大川さまは一緒に食べさせてくれた。

 だから、豆菓子が、大好きだ。」


 と静かに三虎は言った。


(本当に、大川さまが大好きなんだね。)


 と古志加はそっと微笑む。


 また静かな時間が流れる。

 三虎は黙って白湯を飲む。

 二人きり。

 目の前には穏やかな三虎がいる。

 薄く浅香あさこうと、薬草と、米菓子の香ばしい匂いが漂い、古志加は、


(ああ、良いなぁ。)


 と思う。

 手にとる須恵器すえきつきは、土師器はじきより粘り強い土で焼かれている。

 須恵器すえきの方が丈夫で、高価だ。

 ただの郷人さとびとならまず手にとることはあるまい……。

 細かく、少しざらりとしてる土の口触りを楽しみながら、古志加もちびりちびりと白湯を飲み、三虎の顔を見る。


 ちょっと神経質そうな眉。

 いつも不機嫌そうな目。

 意地悪そうな唇。

 なんて格好いいんだろう。

 武に秀でた者らしく、雰囲気が凛々しい。

 

 今なら訊けるだろうか。


 魂呼たまよびのことではない。

 まさか、さ寝するつもりだったんですか、なんて訊けない。

 そうではなく、訊いてみたいことがあった。


 魂逢たまあい。





     *   *   *





 魂逢たまあいは、女官部屋の皆の話から知った。


 慕い合う男女が、同じ夢を同じ時間に見る不思議。

 魂逢たまあいを重ねると、うつつでも二人は結ばれるという。

 素敵だ。


 皆顔を赤くして、きゃあきゃあ言うが、


「じゃあ、その夢見たことある人……?」


 とたずねると、すっと静まり、皆、下を見る。

 そんなに良くある話ではないようだ。





 あたしは、三虎の夢を、時々見る。


 十六歳の三虎。

 二十二歳の三虎。

 いろんな年の三虎……。


 でもその中で、一つ、明らかにいつもと違う夢を見た。

 去年の七月。

 阿古麻呂に強引に口づけされて、ずっと泣きながら寝た夜だ。


 その夜見た夢は、夢の手触りが違った。

 あたしは風になったように雲間を滑り、三虎を求め、三虎を見つけた。

 その夢で会った三虎は、いつもの三虎より、本物っぽかった。

 なんというか、ふてぶてしさが。

 そしてなんと……。

 三虎の方から、あたしに口づけしたのだ。

 夢を見たあとも、ずっとそのことを覚えていて、あたしはポ───ッとした気持ちになった。

 最初から最後まで、不思議な夢だった。


 あの夢を三虎も見ていた、なんて事はないだろうか。

 まさか、と思いつつ、あまりに不思議すぎて、もしかしたら有り得る、と感じる。


 あの夢を、三虎も見ていたら、いいな。

 そしたら、あたしは……。




    *   *   *




 古志加は、白湯さゆを飲み終えた須恵器すえきつきを、ことん、と机に置いた。


「三虎、あたし、夢を見たことがあるんです。

 あの……、三虎の……。その夢は……。」


 そこで三虎は一回まばたきをし、目をそらし、唇をちょっと突き出し、むくれたような顔をした。


(えっ?)


 驚いて古志加は話を中断してしまった。

 これはこれで、難隠人ななひとさまのむくれた顔に……。

 というより、わらはねた顔に似てる。

 そして、三虎の顔に、少し朱がさした。


(こ、これはどういう表情……?)


 古志加ははかりかねる。




    *   *   *



「三虎、あたし、夢を見たことがあるんです。

 あの……、三虎の……。その夢は……。」


 と古志加に言われ、三虎は、


(うっ!)


 とまばたきをした。


 夢、三虎。その言葉で連想したのは、不覚にも、眠る古志加に口づけしかけたこと───。

 まさか古志加は、その事を覚えていないはずだが。

 気まずくなり、目をそらしてしまう。


(くっ……。この話は良くない。)


 三虎はさっさと、話題を変えることにした。



    *   *   *



 三虎の表情をはかりかねる古志加の前で、三虎が、


「夢といえば、おまえの母刀自ははとじの夢に助けられた。」


 と、ぱっと倚子から立ち、奥の厨子棚ずしたなに行き、小さな引き出しを開け、すぐ戻ってきた。

 手には小さな、ちょうど片手におさまる白い貝が載せられている。

 二枚の貝で、ぴったりとふたが閉じられている。


「これをオレから、おまえの母刀自に。オレからの礼だ。夢で朱色の麻袋を持っていたんだろ。きっとこれも喜ぶ。

 大川さまに使うものと同じ、貴重な、宇万良うまら(野イバラ)の練り香油だ。

 そのまま墓に埋めてやっても良いが、あまり貴重なので、一年かけておまえが使って、残りを埋めたらどうだ?

 おまえにやるから、好きにしたら良い。」


 と平坦な声で言った。

 そして無表情に、白い貝に梔子くちなし色の麻袋をそえて、手渡してくれた。


(何だったんだろう、さっきの見たことのない表情は……。)


「ありがとうございます。」


 とぴったり重なった白い貝の、上の貝を持ち上げ、中を開くと、黄色い練り香油があり、ふわっと宇万良うまらの良い香りがした。


 そう、大川さまは、この宇万良と、香木の奥深い香りが入り混じった、とても良い匂いがする……。


 自分で使うか、そっくり母刀自の墓に埋めてあげるか、迷っていると、


「三虎、入りますよ。」


 と部屋の外から薩人さつひとの声がした。







     



 



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