皇帝の寵愛を受けた女は、幸せか?

ぺんぎん

皇帝の寵愛を受けた女は、幸せか?

「お慕いしております、陛下」


 機械的な言葉だとしても、それでも満たされるものがあった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 後宮に住まう女達は皇帝の寵愛を求め、競い争う。中には皇帝個人の愛を求める者もいるものの、それはほんの一握り。家の繁栄の為にと送り込まれた后妃達は皇帝の寵愛をーーゆくゆくは世継ぎを生まんとして、その美貌に磨きをかける。


 そんな後宮が、ある女によって乱されていた。皇帝が后妃達に省みずに、妃にすらできない程の女を見初めて、ただただその女を愛でていた為だ。


 皇帝は女を見初め、熱心に愛を囁き、寝所を共にして、妃でもない女の部屋を建ててしまう始末。毒を盛ろうにも、皇帝自らが女の毒味をするのだから、おいそれと女を殺せない。后妃のみならず、女官や宦官、家臣までもが、皇帝の寵愛ぶりに眉を潜め、女を悪女だと噂した。


 ーー申し訳がないわ······。


 悪女と噂される女はひっそりとため息をついた。女は皇帝が建てた部屋から出られない。部屋の出入り口には門番が立っている上、更に鍵は内側に付けられており、鍵を開けたとしても、門番に部屋の中に押し込められてしまう。門番が出入りを許す相手は皇帝しかおらず、皇帝のお通りがあれば、鍵はすぐさま女自ら開けなければならない。でなければ、女の命のみならず、無関係の門番達の首を落とすと脅されていた。


 自分だけならば、別に死んだとしても構わない。やっと解放されたと安堵するぐらいだろう。しかし、無関係の門番を巻き込む訳にもいかず、皇帝の寵愛がなくなる日を今か今かと待ち望んでいた。


 ーー陛下は一体、わたしの何がお気に召したのか。


 皇帝の考えは未だに分からないままだ。皇帝に見初められた日、特別変わったことはなかった。ただ、皇帝がお忍びで街を護衛と共に歩いており、知らずにほんの少しばかり話した程度。皇帝の目に留まる程の美貌も教養も作法も何も身に着けていなかった。にもかかわらず、気が付けば、皇帝の寵愛を受けた悪女と噂されるようになっていた。


 皇帝の目に留まり、急に後宮に押し込められ、寝所に召され、肌を許す羽目になった。将来を誓った相手がいたわけではなかったものの、それでも何が起きたか分からず、半狂乱に陥った。寝所で「家に返してくれ」と懇願した。皇帝の寵愛を受けられる名誉よりも、知らない男に体を暴かれる恐怖心の方が勝っていた。


 怯える女に、皇帝は「従わぬのならば、そなたの家を潰してしまおうか」と脅迫してきたのだ。後に皇帝は「ただの冗談だった」と語っていたが、そんな冗談を一体どうして見抜けようか。冗談であれ本気であれ、天上人が命じれば、女の家など本当に潰れかねなかった。残した家族を思い、女は皇帝に身を任せるしか方法を知らず。


 憔悴する女に、皇帝は豪勢な料理を用意し、貴族令嬢達しか許されないような宝石や衣服を身に着けさせた。遂には后妃にも引けを取らない程の部屋を建てさせる始末。皇帝の寵愛は後宮の女であれば欲しがるのが普通だろう。しかし、皇帝が女の為にと贈り物をすればする程、女は虚ろになっていく。皇帝への恐怖心と部屋から出られない息苦しさに、女が疲弊するのは無理からぬことであった。皇帝は最初こそ無理を強いたからこそ、優しく接すれば女が振り向いてくれる筈だと考えていた。実際、そう言われた。


 皇帝にとって女に好かれないことなど、今までなかったのであろう。家臣達が寄越した女達ばかり見てきた。自らの命令に従わぬ女を見初めて反発され、苛立ちのまま無理を強いた。その行動が女の心を手に入れられないものにしたとは、微塵も気付かない皇帝が、女にとって滑稽以外の何物でもなかった。


『余を好いてはくれぬか?』


 身分に物を言わせて、思い通りにいかない女を手に入れたのに。そんなことを聞いてくる。笑いそうになってしまうのは、女が徐々におかしくなっているせいだろうか。


 この状況下で、仮に女が皇帝に心を寄せることになったとして。


 それは『洗脳』と、一体何が違うのだろうか? 

 

 しかし、皇帝にそんな無礼な物言いは許されない。思い通りにいかない女に、思い通りの言葉を求めるのだから、皇帝は業の深い生き物だと思う。


『まさか、』


 部屋から微かに聞こえる後宮の女達の言葉遣いを盗み聞きして、一際丁寧な言葉遣いを、皇帝の前では心掛けた。


『心からお慕い申し上げております、陛下』


 初めて出会った頃はもっと違う言葉遣いだった。もっと訛りのある物言いをしていた。白粉も簪も安物、身に着ける衣服を同様だ。


 出会った頃の女を好いたのに、別の女を見ているようだと、いつかの皇帝が呟いていた。好きでもない男に向けた、心にもない言葉に気付いているのか。天上人の目の奥がほんの一瞬でも揺らぐ瞬間、女は心の中で『ざまあみろ』と蔑んだ。


 女にとって、その一瞬こそが唯一の楽しみになっていた。豪奢な衣服も簪も白粉も、鏡を見る度に不恰好な姿にしか見えない。身に着けるもの全てが女にとって枷にしか映らない。


 そんな状況で見出だした楽しみは、後宮で噂される『悪女』と大差ないかもしれないと、女は密かに自嘲する。


 物思いに耽っていると、門番が扉越しに皇帝の訪れを告げた。何故未だに飽きないのかと思いつつ、内側に掛かった鍵を開け、一際丁寧な所作で出迎える。


「お待ちしておりました、陛下」


 後宮で噂される悪女は、訪れた皇帝に向けて心にもない言葉を投げかけた。

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