にじいろパレット
九戸政景
にじいろパレット
雨上がりで虹が架かるある日、一人の少年が道を歩いていた。しかし、その表情は頭上に広がる青空と真逆でとても曇っており、時折つく溜め息も深かった。
「はあ……」
その日何度目になるかわからない溜め息をつき、少年が重い足取りで歩いていたその時だった。
「ねえ、そこの君」
「え?」
背後から突然声をかけられ、少年は驚きながら振り返る。すると、そこには白いキャンバスとイーゼルを持った短い黒髪の少女が立っており、少年に対して向ける笑顔と被っているベレー帽の赤色は少年にとって眩しいものだった。
「……君は?」
「私は……まあナナとでも呼んでよ。君は?」
「……虹村
「良い名前だね。でも、その名前らしからぬ顔をしてたけど、何かあったの?」
「……ちょっとね。それで、どうして僕に声をかけたの?」
陽がナナに対して聞くと、ナナはにこりと笑った。
「君が色を無くしてたからね」
「色を……?」
「そう。ねえ、今って何か用事ある? 無いなら、私と一緒に絵を描きに行こうよ」
「用事はないけど……僕は描くものなんて持ってないよ?」
「大丈夫。私が描くのを見てるだけでも楽しいはずだから。ほら、行こう」
「えっ……ちょ、ちょっと……!」
キャンバスとイーゼルを片手で持ったナナがもう片方の手で少し強引に陽の腕を引っ張ると、陽は少し焦ったような顔をしたが、すぐに諦めた様子で溜め息をつき、そのままナナについていった。
そして腕を引っ張られながら歩く事数分、ナナが足を止めたのは綺麗な水が流れる小川だった。その周辺には色鮮やかな花が咲き誇り、その景色にナナは嬉しそうな顔をした。
「良い景色……よし、まずはここで描こう」
「この景色を描くのは良いけど……絵の具はあるの? キャンバスとイーゼルしか持ってないようだけど……」
「絵の具? ああ、それならここにあるよ」
イーゼルを立てながらナナが指差した先にあったのは空に架かる虹だった。
「ここって……虹しかないよ?」
「虹が私の絵の具でパレットなんだよ。という事でまずは……この花達を描きたいな」
ナナは虹の中の赤い部分をなぞるようにして指を動かした。すると、その指先は赤く染まっており、陽が驚く中でイーゼルに立て掛けた真っ白なキャンバスの上で真っ赤な指を動かし始めると、みるみる内にキャンバスの中には赤い花が咲き始めた。
「え、えっ……?」
「次は……うん、やっぱりこの小川も描きたいし、水色が欲しいな」
そう言いながらナナが虹の水色の部分をなぞると、今度は指先が水色に染まっており、陽が驚き続ける中、ナナは次々に絵を描いていった。
「ど、どうなってるの……もしかして、手品?」
「手品じゃないよ~。さっきも言ったように虹が私の絵の具でパレットなだけだよ。後は土の茶色が欲しいから、黄色と紫をちょちょっと使って……」
ナナは楽しそうな様子で次々に虹から色を取ると、真っ白だったキャンバスに絵を描いていき、描き始めてからおよそ30分後にはまるで写真を撮ったかのようにリアルな小川と草花の絵が出来上がっていた。
「す、すごい……」
「ふう、こんなところかな。絵の出来映えも君への色付けも」
「え?」
「さっきも言ったでしょ。君が色を無くしてるって。でも、私が絵を描いていく事で、君の心はどんどん色を取り戻していった。楽しさの黄色や情熱の赤、そして落ち着きの青に穏やかさの緑。だから、そろそろ話しやすくなったんじゃない? 色を失った理由を」
ナナが陽を真っ正面から見つめると、陽は静かに頷いた。
「……小さい頃からの夢があったんだ。画家になるっていう小さい頃からの夢が。だから、美術部にも入ったし、いっぱい絵だって描いてきた」
「うんうん」
「けど、才能の差や実力の差を見せつけられるだけの毎日で、僕はいつしか自分には画家になる資格なんて無いと思うようになってきた。そう思ったら急に絵を描きたいという想いも画家になりたいという願いも色褪せてきた気がして……」
「それであんなに暗い顔して歩いてたんだ」
「うん……両親も友達も心配はしてくれてるんだけど、君と会うまではもう画材も夢も捨てようかなんて思ってたんだ。でも、もう違う。君が描く絵や描く姿を見て、絵を描く事の楽しさや素晴らしさを思い出したから」
陽の表情は晴れやかな物になっており、それを見たナナは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、良い笑顔。ねえ、その笑顔も描かせてもらえないかな?」
「うん、もちろん」
陽が返事をすると、ナナは花が咲いたような笑みを浮かべ、再び虹から色を取りながら陽を描き始めた。そしてそれから約30分後、ナナはイーゼルからキャンバスを持ち上げると、それを陽に見せた。
そこには同じように嬉しそうな笑みを浮かべる陽が描かれており、それを受け取った陽は絵を眺めていたが、ふと顔を上げるとそこにイーゼルやナナの姿はなかった。
「え……」
ナナがいなくなった事に陽は困惑していたが、絵の端に何かが書いている事に気づき、それに注目した。
『写生に付き合ってくれたので、この二枚は差し上げます。いつか君だけが描ける絵を見せてもらうね』
「ナナ……うん、約束する。絶対に画家になって、君に僕の絵を見せるよ」
力強い声で決意を口にする陽を虹と青空が見守っていた。そしてそれから時が経ち、画家となった陽のアトリエにはナナが描いた二枚の絵が大切に飾られ、その作者は誰かと聞かれた際に陽は虹色の少女だったと答えたという。
にじいろパレット 九戸政景 @2012712
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます