スノーメリークリスマス

雨虹みかん

スノーメリークリスマス

 雪が舞う。

 空気中でひらひらと艶やかに踊り狂うそれの温度は、突然現れて僕の心を温めたと思えば、まだ空気に触れていない涙を凍らせて、勝手に溶けて消えてゆく。

 君は確かにそれだった。夜道の街灯に照れされて光る雪のようだった。





2023.12.4


 高校生になって初めての冬がやって来た。

 僕は今年初めてのマフラーを巻き、最寄り駅に向かう。駅に着いて満員電車に乗ると首元が蒸し暑くなってきて、僕はマフラーを外した。マフラーの布で覆われていた首元が露わになって微かに涼しい風が通る。気候に合わせた服装を考えるのは難しい。制服だったらそんなことはないのだろう、と想像する。

 僕の通っている高校は制服がなく、生徒たちは私服で通う。見た目に関する校則もない。毎日化粧をしてお洒落な服を着てくる生徒もいれば、背中に高校名が書かれた部活のウィンブレを着てくる生徒もいる。

 学校に着くと僕は学校指定のジャージに着替え、体育館に向かう。月曜一時間目の体育は憂鬱だ。まだ眠気が覚めてないし、おまけに僕は低血圧だから朝から運動するのは辛い。今日は起きれたが、僕は低血圧のせいで朝起きれない日が多く、欠席したり、午後から登校したりすることがよくある。そんな来るか来ないか分からない僕と一緒にいてくれる友達はいるはずもなく、普段は一人で過ごしている。

 今日の体育は男女ともバドミントンらしい。生徒たちがわいわいとペアを作る中、僕は余ってしまうことを予想して体育館裏に逃げるように向かった。

 外の空気が冷たい。だけど心地よい。ここでは息がしやすい。

 コンクリートの上に座り、冬の空を眺めていると、

「隣、いい?」

と女の子の高い声がした。

「ど、どうぞ」

 僕は目を合わせられずに俯きながら言った。すると女の子は俯いている僕の顔を覗き込むようにじーっと見つめ、

「名前は?」

と無邪気に聞いてきた。

「高橋」

「高橋くんかぁ〜。ハシゴの方?」

「い、いや。ハシゴじゃない方」

「そっかぁ〜。私は望月由紀って言います。見たことないから隣のクラスだな」

 僕は初めてその女の子───望月さんの顔をちゃんと見た。

 髪を茶色に染めていて、長い髪はくるくるとカールがかかっている。瞼がキラキラとしているから、化粧もしているのだろう。僕が普段関わらないような明るくオシャレな女の子だった。

「望月さんは、どうしてここにいるの?」

「友達がいないから。体育で余って気まずくなったから来たよー」

 随分とふわふわした子だ。友達がいないと言っているがとてもそうは思えない。だから僕は思わず聞いた。

「友達がいなそうには見えない。ほら、髪染めてるしなんかオシャレオーラ出てるし」

 すると望月さんは少し考えこんで言った。

「エナジードリンク飲んだことある?」

「エナジードリンク? 学校の自販機にあるけど飲んだことないな」

「じゃあ、クイズね。エナジードリンクの中身は何色でしょうか!」

「蛍光ピンク?」

「って思うでしょ? でもね、ペットボトルの緑茶みたいな色してるんだよ〜」

「へぇ〜意外」

「見た目じゃ分からないものだよね」

 望月さんはそう言ってウィンクをした後、寂しそうな目をした気がした。そして数秒後、俯いてしまった。

「大丈夫……?」

「ずっと寂しかった」

 彼女の目からはぽろぽろと涙が零れていた。

「好かれたい。愛されたい。みんなに囲まれたい……それから、それから」

 望月さんの口からどんどん言葉が溢れてくる。

 僕は泣いている望月さんの背中をさする代わりに、あたたかい言葉で慰めた。

「じゃあ、月曜日の一時間目、辛くなったらいつでもここにおいでよ。僕もいるからさ」

 すると望月さんはこくんと頷いた。

「来週も、ここに来ていい?」

「もちろん。先生にバレたらやばいから、僕らの秘密ね」

「秘密ってなんかドキドキするね」

 望月さんがキャキャとはしゃぐ。

 この日から僕と望月さんの秘密の関係が始まった。



2023.12.11


 僕はどんなに眠くても体調が悪くても、月曜日だけは無理してでも起きることにした。

「高橋くん、おはよ。眠そうだね」

 今日の望月さんは高い位置でポニーテールをしていて、目元は先週の同じようにキラキラとしていた。

「望月さんおはよう。望月さんの目、なんだかキラキラしてるね」

「あ、これ? アイシャドウ塗ってるの」

「アイシャドウっていうのか。キラキラしてて綺麗だな」

「えへへ、ありがとう」

 望月さんはそう言うとエナジードリンクの缶をぷしゅっと開けてごくごく飲み始めた。

「あ、それは例のエナジードリンク?」

「そうだよー。眠くなったときに飲んでる〜」

 僕がじっと見つめてるのに気付いたのか望月さんが飲むのをやめて、

「飲む?」

と言ってきた。

 間接キスという言葉が頭の中によぎる。

「いや、いいよ」

 僕はそっけなく返事をすると、

「ふーん。じゃあ飲んじゃうね」

とまたごくごく飲み始めた。

 飲む? なんて言うから唇を意識して見てしまう。

「もう飲み終わっちゃったよ」

「美味しかった?」

「うーん。微妙」

「やっぱり僕も飲んでみたいかも」

「もう缶の中身空だよ?」

「今度自分で買うってこと」

「今味知りたくない?」

「え……? どういうこと?」

 望月さんがどんどん僕の方に近づいてくる。

「こうすれば、味伝わるんじゃない?」

 きっと望月さんは何も考えていない。

 ふわふわ望月さんは何にも考えていない。

 僕がドキドキしてるのも知らずに望月さんは……。

「ほら、マスク外してよ」

 望月さんの手が僕の顎に添えられる。

 くいっと顎の角度を調節された頃には、僕はもう動けなかった。

 唇が塞がれる。

 重なる。

 熱い。

 熱い。 

 熱さで、溶ける。

 ふに、ふに、と望月さんの唇が弾む。

 舌で唇をこじ開けられ、口の中を舐められる。

 僕に理性なんてものはもう残っていない。

 望月さんの舌の動きに頭をぼうっとさせながら、僕はかき氷のイチゴシロップのような味を微かに感じた。

 不意に奪われた初めてのキスは甘かった。望月さんの口の中に残ったエナジードリンクの糖分のせいだ。

 ぷは、という気の抜けた音とともに唇が離れた。

「どんな味だった?」

 ドキドキで倒れてしまいそうな僕の目の前で望月さんは余裕そうな可愛い顔をして悪戯っぽく笑った。

「すごく甘かった」

「なんでだろうね」

「エナジードリンクのせいじゃない?」

「そうかもねえ」


 授業が終わる時間になると、僕らは何事もなかったかのように体育館に戻り、最後の挨拶にだけ参加する。この二人がさっきまで体育館裏でキスをしていたなんて誰も気付かないだろう。

 僕らはエナジードリンク。

 僕たちの秘密の関係はきっと誰にも気付かれない。



2023.12.18

 

 今日も僕たちは吸い寄せられるように体育館裏に集合した。

 コンクリートの上に座ると望月さんは僕にぴったりとくっついてきた。

「距離感近くない?」

「いいじゃん、あったかいし」

 僕たちは「寒いね」とくっつきながらじーっと見つめ合うと、自然に唇を重ねていた。迷いもなく舌が入ってくる。今日の望月さんはエナジードリンクを飲んでいないのに、キスは甘くてとろけてしまいそうだった。

「望月さん、望月さん……」

「由紀って呼んで」

 望月さ……いや、由紀は、僕にぎゅっとしがみつく。

 僕たちは授業の間、秘密の場所でずっとキスをして過ごした。

 僕はずっと気になってたことを聞くことにした。

「僕たち、付き合ってないよね。なのにキスしちゃった……」

「友達でもキスしてもいいんじゃない? セフレならぬキスフレンド!」

 由紀は何も気にしてなさそうにそう言った後、「友達になってくれる……?」と静かに囁いた。

 しかし僕は頷けなかった。

 だからこう言い放った。

「どうしよっかなー」

 それを聞いた由紀の顔が曇った気がした。



2023.12.25


 冬休み前の最後の体育の授業。由紀は体育館裏に来なかった。僕はそっと体育館の中の覗いた。

 するとそこには三人組を作って楽しそうにバドミントンをしている由紀がいた。

 由紀は「ずっと寂しかった」と話していた。その寂しさは僕が埋められていたと思っていた。でも違かった。彼女は好きでもない男とキスをしても寂しさを埋めることはできなかったのだ。少なくとも、僕の寂しさは埋められていた。だって、だって。

 僕は彼女のことをきっと好きになっていたから。唇を奪われたあの瞬間から。

 僕はシャトルを楽しそうに追いかける望月さんを見つめる。幸せそうな彼女なのに、彼女の望みが叶ったはずなのに僕は応援できなかった。

 きっと僕はひとりぼっちの君が好きだった。僕と同じ君が好きだった。僕だけに笑顔を見せてくれる君が好きだった。僕のいないところで笑って欲しくなかった。

 僕って最低だ。


 エナジードリンクを思い出す。僕は自販機に向かった。ポケットに小銭を入れていて良かった。僕は初めてエナジードリンクを買った。ギラギラとしたパッケージが目に悪い。僕は一口飲むと、人工的な味と強い炭酸とビリビリと舌が痺れた。甘さはあのときほどなかった。中身が茶色だって、エナジードリンクはエナジードリンクだった。あんなの例えにならない。パッケージと同じ味がした。由紀は「友達とうまくやっていける生徒」だったのだ。僕とは違かったのだ。

 由紀の本音は「友達が欲しい」だった。

 そうだ、僕と体育館裏で戯れてるかぎり、由紀は友達ができない。

 だから、これでいいんだ。でも僕は君の幸せを願えなくて。ひとりぼっちの君が大好きで君を独り占めしたくて。

 体育の授業帰りの生徒たちがぞろぞろと校舎内に入ってきた。

 僕はふらふらと由紀の姿を探した。

 いた。

 由紀。

「由紀」

 僕が由紀の腕を掴むと、由紀は「ひっ」と震えて僕を見た。僕を軽蔑している目だった。

「もう、話しかけて、こないで、ください」

 僕は自販機の前に立ち尽くした。

 どこから間違えたのだろう。

 もしかしたら、彼女はあの形でも友達になれたと思っていたのかもしれない。僕のキスフレンドという関係が許せないゆえに言い放った「どうしよっかなー」という言葉で彼女を傷つけていたのではないか。あの瞬間、由紀は友達を失ったのかもしれない。そして今日、新しい友達を作ったのだ。「彼女は好きでもない男とキスをしても寂しさを埋めることはできなかったのだ」とさっき思ったがこれはダウト。関係性を終わらせたのは僕自身だったのだ。

 歪な初恋だった。

 でもこれで良かったのだ。

 僕は缶に残ったエナジードリンクを床にぶちまけた。コンクリートの上でシュワシュワと泡が湧き出ては、消える。ここを通りかかった生徒は、床に広がっている液体はペットボトルの緑茶だと思うんだろうな。だってエナジードリンクなんかには見えないから。

 

 その日の授業も部活も全く集中できなかった。

 朝自販機前にぶちまけたエナジードリンクは跡形もなく消えていた。誰かが掃除してくれたのか、蒸発して消えたのか。

 外はもう真っ暗だった。

 雪が舞う。

 空気中でひらひらと艶やかに踊り狂うそれの温度は、突然現れて僕の心を温めたと思えば、まだ空気に触れていない涙を凍らせて、勝手に溶けて消えてゆく。

 君は確かにそれだった。夜道の街灯に照れされて光る雪のようだった。

 天気予報によると明日の朝には雪がやむらしい。

 さようなら、ゆき。











 



 

 

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