たかがバイトの分際で
白里りこ
たかだかバイトの分際で
己のどんくさい面を短所だと思って嘆くのは、随分前にやめた。
のんびりやさん。目の前のことに集中しがち。静かで穏やか。
そういう個性なんだから、それが私なんだから、無理に変えようとか直そうとかしないで、大事にしていこうと思った。
でも社会的にはこれが結構なディスアドバンテージで。素速さアンド気配り重視の日本社会は、あんまり私の個性を許してくれないのだ。ちょっとやらせてみて駄目だったら最悪ポイ捨てされる。それで私は一度職を失った。世知辛い。
それに、モタモタしていて気が利かなくて気弱なタイプの女性は、何かと生きづらい。というのも、一部の頭のおかしな連中は、このような性質の人間をいじめてもいいと考えているようなのだ。それで今のバイト先のラーメン屋さんではパワハラに悩まされている。世知辛いにも程がある。
自分がこれ以上傷つけられないためには、何とかして変わらなきゃ、と思った。このままじゃ駄目だ。私がこんなふうだからすぐ侮られる。嫌がらせをされる。
もっと社会に順応できるように、蔑まれないように、強い人間にならなくては。
この社会では、私は私のままでは生きていけないのだ。
──いや、そんなことってある?
そりゃあ私は、あまり人の役に立てていない。今なんてたかがアルバイトの分際だし、勤務日数も少ないし、親の脛を齧っているし、人として全然なってないだろう。
でも、そうだとしても、私のままじゃ駄目だなんてこと、あるはずない。
最初に書いた通り、私の個性は大事なもので、簡単に否定されていいものじゃない。
私はそれなりに頑張り屋だし、やるべきことは一生懸命やるし、いつも人に優しく接するよう気をつけている。
私は弱い人間ではない。だから変な方向に頑張る必要はない。
それでも傷つかないで生きる方法はただ一つ。逃げることだ。
私は店長に、パワハラをしてくる男性社員さん(以下、パワハラ社員さん)とは、一緒のシフトにしないよう要請しておいた。
店長は二つ返事で聞き入れてくれたため、私は早々に平穏を手に入れた。しかし、しばらく経った頃、「シフトを組むのが難しくなってきたので、二回だけ一緒のシフトに入ってもらえないか」と店長に頼まれた。
私は店長と交渉し、一回だけ我慢することで妥協した。
その後は臨戦態勢で過ごした。来たるべきXデーに向けて警戒心を強め、万全の防御力で臨むことにした。
そして私はパワハラ社員さんから、案の定パワハラを受けた。それも特別きついやつを。
その日だけで何回か襲撃があったのだが、最後にありがたいお言葉を頂いた。
「俺だって、そんな態度の人とは一緒に仕事したくないし」
ほう、なるほど。こっちの台詞だよオブザイヤー賞を授与しよう。
というかパワハラ社員さん御本人から言質が取れたので、心おきなくサヨナラできる。意見が一致して良かったな。
さて、私はその日中に、家でぼろぼろ泣きながら店長に連絡をした。
今後一切、パワハラ社員さんとは同じシフトにしないで下さい。そのためならば、私のシフトを削っても結構です。以上ご承知おきください。
送信。
これでもし状況が改善しなかったり、収入が大幅に減ったりしたら、ラーメン屋さんはさっさと辞めて転職しよう。このバイト先には、未練とか思い入れとか一切無いし。
ひとまず、スマホのバイトアプリを取得しておく。
しかし幸い、店長やもっと偉い社員の方々は、私の要求を再びすんなり聞き入れてくれた。
何でも、会社の方でもパワハラ社員さんの横暴には心底困り果てているらしい。ある日の閉店後、店長がボロクソに愚痴を垂れ流し始めた。
「パワハラくんが、君が職場の和を乱していてけしからんとか、このくらい厳しく言わなきゃ覚えないから言ってやってるんだとか、君だけじゃなく俺のシフトについての我儘も聞き入れろとか、とにかくギャーギャーうるさくって」
「へー意味分かんないですね」
和を乱しているのは他でもないパワハラ社員さんだし、厳しくしてるんじゃなくてただの八つ当たりだし、私がシフトに我儘を言う原因もパワハラ社員さんなのに、何も分かってないんだな。よくこんな性格で脳味噌スカスカの人が、正社員として採用されたものだ。
店長の愚痴は続く。
「そもそもさあ、私みたいな社員と、社会保険に入ってる人を、優先してシフト入れるに決まってるじゃん? 私たちは勤務日数が決まってるんだから! パワハラくんは所詮アルバイトなんだからシフトに文句言える立場じゃないのに、そこを弁えてないんだよね。俺は長く働いてるし仕事もできる偉い奴だから、優遇されるべきだ、って思ってるんだよ」
「へー理解不能です、ね……」
……ん?
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何?」
「あの、パワハラ社員さんって、社員さんじゃないんですか?」
「おう、アルバイトだよ」
「嘘!? なら私と同じじゃないですか!」
「同じだよ」
「うえー!? 知りませんでした! 最初から態度がくそでかいから、てっきり社員さんだと思ってました!」
「いんや、バイト。態度が悪すぎて、みんなウンザリしてるよ」
何たることだ。彼はパワハラ社員さんではなく、パワハラをしてくるただのアルバイトの先輩(以下、パワハラバイトさん)だったのだ!
「つまり……私がパワハラバイトさんのように、調理技術を全て習得すれば、パワハラバイトさんと対等な立場になれるんですか!?」
「なれるよ。確かに君は覚えが悪いとこあるけど、人の成長速度なんてそれぞれだし、君がちゃんとやろうとしてるのは見てて分かるもん。同じレベルなら、君の方が真面目だし一生懸命だし性格にも問題無いから、君の方を優遇するよ」
「まじすか!? つまり私、あとちょっと頑張ればパワハラバイトさんの上位互換になれるってことですか?」
「なれると思うよ。アイツ、勤務中にスマホいじったりするし、そのくせ時給上げろだの何だのブーブーうるせえし、そもそもそこまで仕事できる奴じゃないもん」
ひょわーっ!? まじかよ!?
じゃあ何だったの? あのパワハラの数々は! いや、何ならパワーハラスメントですらないよ! だって彼はパワーをさほど持っていないんだもの! あれらはみんな、凶悪で深刻な純然たるイジメだよ!
パワハラバイトさんは、たかがバイトの分際で、この私を異様なほどに叱り飛ばし、怒鳴り散らし、理不尽な意地悪を言いまくったというのか? 紛うことなきモンスターじゃねえか! コワッ!
でも、もういいや。もうエンカウントすることもないし、心底どうでもいい。いないも同然の雑魚モンスター(以下、雑魚モンスター)に、興味など皆無である。
それどころか私は、この職場でもう少し頑張るのも悪くないんじゃないか、と思い始めていた。
だって、店長はじめ上の方々は、私の頑張りをちゃんと分かってくれている。正当に評価してもらえるというのは、素直に喜ばしいことだし、仕事にも多少は愛着が湧くというもの。
私は私のままで良いんだ。個性を大事にして良いんだ。このままでも、この社会で生きていけるんだ。
もちろんこの雑魚モンスターの他にも、人間社会には雑魚モンスターに似た生き物がそこそこ紛れ込んでいるだろう。彼らにどこでエンカウントするか、それは誰にも分からない。
しかし少なくともこの職場は、私を雑魚モンスターから守ってくれるし、私の個性を許してくれるし、私の気持ちを認めてくれる。
ちょっと嬉しいかも。
だから……転職は、まだ先でもいいかな?
家に帰った私は、スマホからバイトアプリを削除した。
たかがバイトの分際で 白里りこ @Tomaten
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