第四話

 翌日、朝は晴天だった天候が昼に一転して雨が降り出した。下校時間になっても止む気配はなく景太は折り畳み傘を差して昇降口を出る。そこで見覚えのある生徒を見つけた。


「……佐々木先輩?」

「ああ、上野君。また会ったね」


 藍は右手に鞄、左手にスマートフォンを持っている。傘は持ってきていないようだ。


「雨が止むの待ってるんですか?」

「うん。でも、まだ止みそうにないというか……いやぁ、困ったね」

「予報だと夜遅くまで降るらしいですよ」


 景太がそう言うと藍は「え」と素っ頓狂な声を上げ、恨めしそうに空を睨んだ。折り畳み傘はひとつしか持っていない。かと言って藍を放って帰るのも気が引ける。


「上野君、どうしたの?」

「えっと、その……よかったらこれ、使ってください」

「いや、それ渡したら上野君が濡れちゃうでしょ」

「大丈夫です。僕、家近いんで走ればどうにかなります」

 

 実際には走っても十分以上はかかる。帰ってきたころにはびしょ濡れになっているだろう。

 

「別に私に気を遣わなくていいんだよ? 上野君が濡れて風邪でも引いたらそれこそ申し訳ないよ」

「違います。これは昨日のお返しです」

「お返し?」 


 藍は人差し指を顎に当てて記憶の糸を手繰たぐる。数秒経って藍は「なるほど」と呟いた。


「上野君、ホワイトデーのお返しに折り畳み傘はどうかと思うよ」

「……え?」

「そもそも時季が違いすぎるよね。昨日のチョコはバレンタインと関係ないし」


 景太はぽかんと口を開けた。冗談なのは充分理解しているがどう対応していいのか見当がつかない。

 

「でも、このまま傘だけ受け取るのもなんだし、半分でどうかな?」

「半分?」

「相合傘。これならどっちも濡れないからwin-winだよね」


 藍はあっけらかんと言って悪戯っぽく笑った。景太は思考が追い付かない。


「あっ、もしかして『なんかカップルみたい』とか思った?」

「そ、そんなこと思ってません!」


 どうにか否定したが、むなしくも声が裏返って動揺していることが露呈してしまった。完全に藍の独擅場どくせんじょうだ。

 景太が持参しているのは普通の折り畳み傘なので二人で入るには小さい。委縮する景太とは対照的に藍は「めっちゃ近いね」と楽しそうにしている。


「それにしても、まさか上野君からナンパされるとは思わなかったよ。案外肉食なのかな?」

「僕が軽い男みたいな言い方しないでください」


 傘を差し出したのはただの自己満足だ。恩を着せて何かしようとは一切考えていない。


「ごめんごめん、でも、正直意外だった。昨日話したとき、上野君って結構消極的な感じがしたからさ」

「まあ、消極的なのは事実です」

「私はそれでもいいと思うよ。無理に周りに合わせても疲れるからね」


 からかってくると思っていたので藍の返答に正直拍子抜けした。彼女の思考はまったく読めない。


「……佐々木先輩はアクティブですよね」

「何いきなり。ていうか、それ褒めてるの?」

「さあ、どうでしょう」


 景太はわざととぼけて見せた。ずっとからかってきたお返しだ。あまり効果はないだろうが。

 雨脚は次第に弱くなり、自宅に着くころには雨は完全に止んだ。


「今日はホントにありがとう。おかげで助かりました」

「いえいえ。雨、止んでよかったですね」

「だね。一時はどうなるかと思った」


 それじゃ、と藍は景太に背を向け、鼻歌を歌いながら颯爽と帰っていく。今更ながら目撃者がいなかったことに景太は安堵した。



「本当に不思議な人だったよ。何を考えてるかまったくわからない」

『そう言う景太さんも大胆な行動を取りましたね。まさか相合傘とは』

「僕は傘を渡そうとしただけ! 相合傘を提案したのは佐々木先輩だから!」


 思わず大声が出て、景太はすぐさま口を押さえた。知子に聞かれていなければいいが。


『なんにしても濡れなくて幸いです。風邪を引いてしまっては大変ですからね』

「大げさだな。引いたら休めば済む話だよ」

『しかし、それでは佐々木さんに会えなくなりますよ』

「なっ!?」


 なぜここで藍の名が出てくるのか。ふと、脳裏に下校中の記憶がよみがえり景太は頭を振った。


「……アオイ、今日ちょっとおかしくない?」

『何がおかしいのでしょう』

「なんていうかさ、AIらしくないというか、本当に意識があるみたいで怖いんだよ」

『それは当然です』


 意味が分からなかった。なにが当然だというのだ。


「景太、ごめんね」


 部屋の外から知子の声がした。まさかアオイとの会話が聞かれていたのか。

 とっさにノートパソコンを隠そうとしたがその前にドアが思い切り開かれた。


「ちょっ、なんだよ急に。びっくりするじゃん」

「もう、こんなこと止めにしましょう。いつまでもAIのフリなんてしてられない!!」

「……今、なんて?」

「だから! そのソフトウェア……アオイはただ対話ができるだけ。文字を出力してたのは全部私なの!」


 このとき、景太は過去一番の大声を上げた。



「もともとは正樹さんが提案したのよ。理由は景太、あなたが不登校になってしまった原因を探るため」

「……」

「正直、実の息子を騙すような行為はしたくなかった。けど、正攻法だとあなたはきっと私たちに気を遣うと思って……本当にごめんなさい」


 景太は言葉が出なかった。このおよそ一か月間、AIだと思って対話していた相手がまさかの実母。ドッキリにしては期間が長すぎるのではないだろうか。自白がもう少し遅ければ人間不信になっていたかもしれない。もうなりかけているが……。

 本物のAIを使った経験やAIの知識があれば、出力速度や文の特徴で気付けたかもしれないが今更悔やんでも遅い。

 知子の言う通り、正攻法では景太は絶対に口を割らない。両親を不安にさせたくないからだ。


「……僕、母さんはこれのこと知らないと思ってた」 


 景太はそう言って正樹にもらったノートパソコンを指差した。


「多分、バレるリスクを考慮したんじゃないかしら。あなたがパソコンをリビングで使ったりしたら私が動きづらくなるから」


 パソコンを部屋の外に持ち出しにくくするためということか。妙なところで機転を利かせる父親だ。こっちは毎回ひやひやしていたというのに……。

 両親に騙されていたのははっきり言ってショックではあるが、そうさせる原因を作ったのは景太自身だ。しかも、不登校になっても咎めるどころか逆に気を遣わせてしまったのだから責めるに責められない。


「……アオイが母さんってことは、佐々木先輩のことも知ってるわけ?」

「もちろん、すべて知ってるわ。あなたが昨日、図書室で佐々木さんからチョコをもらったことも。今日、相合傘で帰ったこともね」 


 景太はその場で頭を抱えた。目撃者がいなくて幸いだったと思っていたのに詳細が思い切り知られていた。


「安心して。正樹さんにはまだ何も言ってないから」

「そういう問題じゃない!!」


 アオイが本物のAIだったらどれだけ良かっただろう。もしくはこれが夢であってほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嘘から始まる物語 田中勇道 @yudoutanaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ