第3話 時計屋と雨降る6月のアリバイ


「それじゃあ・・・乾杯~!」

 居酒屋の個室に、先輩の声が響く。

「「乾杯」」

 瑞樹と沙樹も声を揃えて返す。

 そして、ジョッキを口元で傾ける。

 途端、口の中で広がる苦味。

 次いで来る炭酸ガスの爽やかさ。

 つまり、総称すると・・・

「あ~、美味しい!やっぱりこれがないと生きていけない!」

「大袈裟だな~」

 言いつつ、先輩はまた口に含む。

「でも、言いたいことは判るよ。これがあるから、これを楽しみに仕事を頑張れるんだ」

 でしょ?と沙樹に賛同を求める。

「・・・そうですね。一人で飲んでも美味しいですが、こうやって皆で飲むのも楽しいです」

 少し回答がズレているような・・・

「沙樹、話聞いてた?」

「全く」

 何故開き直ったかのように言うのか。

 瑞樹は苦言を呈そうとしたが、丁度つまみが運ばれてきたので、口を開かなかった。


「そう言えば、この間の北交流センターの事件の推理、ほとんど合ってたよ」

 酒が進み、酔いが回り始めた頃、先輩が言った。

 先輩も瑞樹も、顔が少し赤みがかっている。

「ほとんど・・・?全部じゃないんだ?」

「うん。まぁ、間違ってるってわけでもないけど。私に推理を話したとき、壊された振り子時計の話したじゃん?瑞樹が修理したやつ」

「あぁ、あれね。そう言えばまだ修理代入ってきてないな・・・」

「それ、本当?」

 瑞樹は冷奴に箸を通しながら頷く。

「はぁ~・・・もう、仕事増やさないでよ・・・」

 言いつつメールを打つ。

「で、何の話だっけ?」

 そこまで黙って聞いていた沙樹が口を開く。

「そうそう。その時計も、犯人の田宮さんが壊したんだって。アリバイを主張するのに、第三者の意見があった方がアリバイが強固になるって考えたから壊したらしいよ」

「へぇ。じゃあ、私はアリバイの保証人として呼ばれたわけだ。それは名誉なことだね」

 嬉しそうに瑞樹は言うが、その目は笑っていない。

 そしてジョッキに残っていた液体を一気に喉奥に流し込んだ。

「そう言えば、もし遺体が見つけられなかった場合はどうしたの?朝まで放置する予定だったのかな?」

「元々は返り血を処理した後、自分が第一発見者になる予定だったらしいよ。尤も、それより先に発見されちゃって、計画が狂ったらしいけど」

 更に聞けば、最終的には自分もろとも焼け死ぬ予定だったらしい。

 突拍子もないことを考えるものだ。

「まぁ、前回の事件の話はここまでにして。そろそろ本題に入ろうか」

 事件の話をしていたからか、沙樹の顔がとんでもなく歪んでいる。

 あまり思い出したくないものだったのだろう。

「今、私の先輩の石岡っていう警部が担当してる事件なんだけど・・・」

 また事件の話か。

「石岡警部が病気になっちゃって、担当が交代になったんだよね。それで、私の班が今捜査してるんだけど。もうお手上げ状態でさ。よかったら手伝って・・・」

「ご馳走様でした、先輩」

「奢って下さりありがとうございます、笠森さん」

「ごめんごめん、ちょっと待って!」

 席を立とうとした瑞樹と沙樹を、必死に先輩は止める。

「なんで帰ろうとするの?」

「・・・だって聞くからに面倒だし、月に1回事件に巻き込まれる意味も判らないし・・・」

「明日も朝から仕事ですし、そろそろ帰って休まないと・・・」

 そして、声を揃える。

「「それに、そういうのは警察の仕事でしょ?」」

「確かに警察の仕事だけど・・・」

 先輩の声が徐々に窄んでいく。

「じゃあ、私たちが関わる必要はないね」

「そういうことで。それじゃあ」

 帰ろうとする2人に向け、

「待ちなさいッ!」

 店内の会話が一瞬で止まる。

 瑞樹と沙樹の足も止まる。

「・・・何?」

「ちょっと席まで戻って」

 不承不承、2人は席に戻る。

「いい?この事件は市の歴史上滅多に見ない難事件なの。早く解決にないといけないの。判る?」

 史上滅多に見ない難事件か・・・

 先月の交流センターの事件も、先々月の市役所の事件も個人的には十分難事件だったと思うのだが・・・?

 それに、どんな事件でも警察は早期解決を目指さなくてはいけないのでは?

「それはそうだけど!今は気にしないで!」

「結局、何が言いたいんですか?」

「・・・この事件の解決を手伝ってください・・・」

 沙樹に言われ、ボソボソと先輩が言う。

「手伝ってくださいって・・・私たちは別に探偵でも何でもないんだけど?」

「判ってるけどさぁ!もう私たちの頭じゃ解けないの!それに今、岩倉瑞樹は面倒な事件を解決してくれるって署内で評判なんだから!」

 面倒な評判が立っているものだ。

 迷惑極まりない。

「・・・お姉ちゃんは便利屋じゃないんだけど」

「時計屋だね」

 判ってる、判ってる!と先輩。

「それに、過去2カ月公的機関からの依頼で痛い目に遭ってるからね。できればそういうところからの依頼は受けないようにしてるんだ」

 沙樹に言われたのもあるが、事業者だって仕事を選ぶ権利はあるのだ。

「そういうわけで。お断りさせていただきます」

 そう言って再び帰ろうとすると。

「この事件、5年前の事件でね。もう目撃者も当時のことを忘れかけてるような事件なんだ」

 その背中に向けて先輩が語る。

「元々不可能犯罪だって言われてた事件だし。前任の石岡警部も半ば諦め気味だったのもあって、1番功績を挙げてない私たちの班が引き継いだんだけど。私たちの頭じゃ解けるような事件じゃなくてさ」

「・・・それは自己問題では?」

「まぁ、沙樹ちゃんの言うとおりだけど、でも、完全に忘れ去られる前に解決したいんだ。それにね」

 ここで一拍。

「これは警察からの依頼じゃない。私からの個人的な依頼だよ」

 お礼もするから!と付け足す。

「・・・私の本業は探偵じゃなくて時計屋なんだけどなぁ・・・」

 瑞樹は大きく伸びる。

「どんな事件なの?」

 聞くんだ、と沙樹は呟いた。

「事件の発覚は5年前の今頃、確か雨の日だった・・・」

 先輩は語りだす。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 5年前の6月、正午過ぎ。

「警部、事件です。南3番町で殺人です」

 電話を受けた笠森は石岡に言う。

「判った。すぐに行こう」

 ぞろぞろと、班の人間が出ていく。

 事件現場となったのは、公園の公衆トイレだった。

 比較的最近に造られたそれは、床に多少の汚れはあるものの、総称して奇麗なままだった。

 そこの多目的トイレに、小柄な女性が大の字に倒れている。

「・・・お腹を刃物で滅多刺しか・・・」

 顔を引きつらせながら、石岡。

 傷口は内臓が見えるほど、深く傷つけられていた。

「・・・周りに買ったと思われる百均の商品が散乱してますが、財布や携帯がないでので・・・強盗目的の犯行の可能性が高そうですね」

と、笠岡。

「それに・・・指・・・」

 被害者の指は全て切り取られていた。

 現場付近に防犯カメラはなし。

 雨なので目撃証言もあまり見込めない。

「第一発見者を呼んでくれ」


 通報者は、高校生のカップルだった。

 デート中、多目的トイレに入ると、そこに倒れていた被害者を見つけたそうだ。

 雨の日の多目的トイレでナニをしようとしていたかは知らないが。

 勿論、被害者との面識もないし、怪しい人影他何も見ていないらしい。

「笠森、ちょっと・・・」

 石岡に呼ばれ、そちらに出向く。

「女性のお前から見て、被害者に何か変なところとかないか?」

「何ですか、その質問。今時そういう質問ってすぐに問題になりますよ?」

「・・・面倒な世の中だな・・・」

「まぁ、そういう時代なので」

 しかし、仕事なので被害者を観察する。

「・・・特にこれと言っておかしなところはないですが・・・何の意図があっての質問ですか?」

「ん、いや・・・もし、そういうのがあれば、何かヒントになるかなと思っただけだ。大したこともない」

「・・・そうですか」

 それではと言って、聞き取りに戻る。

 しかし。

 時間が経ちすぎたのか、高校生sは帰ってしまっていた。


 事件発生から1週間経って判ったことを以下に記す。

 まず、被害者の名前は足立恵子あだちけいこ

 市内の某企業に経理として勤める25歳で、とても殺されるような人ではないそうだ。

 遺体は死後3時間ほどで発見されたようで、既に顎や首が固くなり始めていた。

 死因は腹部の滅多刺しによる失血が直接で、指の切断と腹部の傷は同じ刃物である可能性が高いらしい。

 人とのトラブルを起こしにくい性格であったため、犯行の動機を持ちそうな人はすぐに特定できた(というか、1人しか居なかった)。

 しかし、容疑者リストに上がった彼は、結局逮捕されることはなかった。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


「え、なんで?」

 そこまで聞いて、瑞樹は尋ねる。

「まぁ、よくある話。完璧なアリバイがあったんだよ。遺体が発見される4日前から1週間、イギリスに旅行に行ってたんだ。しかも、犯行推定時刻、彼はバーで地元の人間と飲んでたんだ」

「なるほど。違法出入国でもしてない限り、イギリスに居たことはパスポートが証明してくれるわけだ。さすがにこれは崩せないかな」

 沙樹がジョッキを傾ける。

 さすがに酔ってきたのか、少しウトウトしている。

 時々、ふと思い出したようにチビチビ飲む。

「・・・場所を変えようか。沙樹も眠そうだし」

 会計を済ませて店を出る。

 向かう先は・・・

「なんでここなのさ」

 岩倉時計店である。

 いや、確かに落ち着いて話せるし、沙樹を休ませることもできるのだが・・・

「問題ないよ。ほら、ビールもあるし、飲み直しながら続きを聞こうじゃないか」

「よく続きがあるって判ったね」

「そりゃね。この情報だけじゃ何も判らないし、流石に先輩もこの情報だけで解けって言うほど卑劣じゃないでしょ?」

 先輩は溜息をつくと、2つ目の事件を語りだした。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


 1つ目の事件から1カ月ほど経った頃。

 朝、出勤すると室内が異様に騒がしい。

 騒々しいのはいつも通りなのだが、なんだか笠岡の記憶以上に人が居るような・・・

「来たか。ちょっと予想外のことが起こってな・・・」

 石岡が近づいてきて、資料を渡してくる。

「昨日、市内で起こった殺人事件なんだが・・・」

 石岡の声を聞きながら資料を読み進める。

 昨夜午後11時頃、マンションの一室で倒れているのを隣人が発見。

 帰宅したところ、ドアが開いていたので中を覗いてみると、大の字で倒れているのが見え、通報。

 死因は腹部を何度も刺したことによる失血死。

 死亡推定時刻は昨日午後3時から午後4時の間。

 備考として・・・

「足立さんの事件と凶器が一緒で、指がすべて切り取られていた、と・・・」

 どうやら連続殺人の可能性が高いらしい。

 その日から、この2件は関連性の高い事件として、石岡の指揮の元捜査された。

 勿論、1件目の事件で容疑者とみなされた彼も、この事件の関係者として捜査されたが・・・


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


「関係がなかったんだ」

「は?関係?」

 先輩は頷く。

「被害者と、彼・・・面倒だからAって呼ぼうか、そのAの間には何の関係性もなかったんだ。出身も違えば、高校、大学、職場でも、取引先としても接点がなかった。折角アリバイがなかったのに・・・」

「成程。警察の『疑わしきは罰せず』の原則に基づいて手も足も出ない状態なのか。それはそれは・・・ご愁傷様。フフッ」

「笑うなよ!」

 瑞樹が笑うと、すぐに咎めてくる。

「ごめんごめん。そう言えばさ、2件目の事件、Aの他に容疑者とか挙がったの?」

「何人かね。でも、アリバイがあったり、殺してもその人に利益がなかったり、色々あって、特にこの人、っていう容疑者は他に出てこなかったかな」

 先輩は大きく伸びる。

 伸びすぎて背中からポキポキ聞こえる。

「そっかぁ・・・これは難しいかな・・・」

 1件目の事件、唯一の容疑者のAの完全なアリバイ、腹部の滅多刺し、切られた指。

 2件目の事件、アリバイはないが動機もないA、殺せない容疑者たち。

 そして同一の凶器、腹部の滅多刺し、切られた指。

 この3点と事件の発生時期から連続殺人であることは間違いない。

 でも・・・

「これは・・・誰も殺せないでしょ」

 瑞樹は両手を挙げた。

「・・・そうだよね。ごめんね、変なこと頼んで」

 先輩は席を立つ。

「ご馳走様。お邪魔しました」

 そう言って出ていこうとすると、勢いよく沙樹の部屋の扉が開いた。

 何事かと思っていると、瑞樹の前に文庫本を1冊放って、また部屋に戻っていった。

 本のタイトルは、『犯人のいない2つの殺人』。

 内容は確か・・・

 そこまで考えて、ハッとした。

 そうだ、その方法があるじゃないか。

「先輩、ちょっと待って。判ったかも」

 眉を顰め、先輩が再び席に座る。

 沙樹程ではないが、瑞樹もミステリー小説を時々嗜む。

 ミステリマニアであれば、1度は出会うそのトリックに、何故気付かなかったのか。

「交換殺人って知ってる?」


「交換殺人・・・?」

 言って、首を横に振る。

「交換殺人は・・・例えば、A・・・は紛らわしいから、X、Yという人が居たとする。2人はそれぞれ、P、Qという人を恨んで、殺意を持っていたとする。安全に彼らを殺したい、そう考えたXとYは結託して、それぞれXがQを、YがPを殺すんだ。そして、それぞれが犯行に及んでいる間に、Xの犯行中はYが、Yの犯行中はXが完璧なアリバイを用意する。そうすれば・・・どうなる?」

「・・・X、Yはそれぞれ動機はあるけど、アリバイがあるから逮捕されない」

 そういうこと、とでも言うように瑞樹は先輩を指さす。

「交換殺人は、現場の状況や殺し方を似せれば連続殺人って思ってくれるからね。警察は似た2つの事件を同一犯の仕業として、居もしない犯人を追いかけちゃうから、犯人たちはそれぞれ捕まることがほとんどない。面倒だよね」

「・・・まぁ、そういう殺人だし・・・」

 先輩の声が小さい。

 自身が折られたのだろうか。

「ということは、この事件は、Aが2件目の犯人で、2件目の容疑者の誰かが1件目の犯人ってこと?」

「正確に言うと、2件目の事件で、が犯人」

 先輩は顎に手を当て、少し俯いた。

「・・・ここからは、私たちの領分かな」

「そうだね。私が関わる必要はないと思う」

 先輩は席を立ち、外へと向かう。

「帰るよ。明日からの捜査が捗りそうだ」

 道中立ち止まり、振り返って言った。

 完全に先輩が退室して、ホッと一息ついてから気付いた。

「先輩、どんなお礼をしてくれるんだろう・・・?」

 先輩が常識人であることを祈るばかりだ。

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岩倉時計店 華野 香 @yuki-graruda

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