第2話 時計屋と緑花茂る5月とアリバイ
「はい、もしもし。こちら、岩倉時計店でございます」
かかってきた電話を、ワンコールも置く間もなく、瑞樹は取った。
『・・・もしもし。自分、田宮というものなんですが、時計の修理を依頼したくて』
「はい、時計の修理ですね。時計の形状はどのようなものでしょうか?」
『・・・昭和20年製の、大きな古い木造の振り子時計です。最近、止まっちゃって・・・』
「はぁ、振り子時計・・・」
それに、巨大ときた。
となると、恐らくこちらが出向いて修理をしなくてはいけないのだろう。
『それであの・・・こっちに来て修理をしていただきたいのですが・・・』
そら、きた。
「はい、では、住所の方をお願いできますか?」
メモを準備しながら、瑞樹は聞く。
『・・・はい。糸岡市北2番町3-5-2です』
ではまた明日、よろしくお願いします、と言って電話は切れた。
振り子時計の故障となれば、恐らく歯車の破損や振り子の糸の摩擦によるものだろう。
時計屋と言えど、振り子時計など扱ったことのない瑞樹にとって、それはある意味新境地だった。
それに、伝えられた住所って確か・・・
気になり、即座にスマホで調べてみると、
「やっぱり・・・」
検索結果に出てきた場所にあったのは、旧糸岡北小学校跡。
現在の糸岡市北部交流センターだった。
そこは山の中程にあり、訪れる人もほとんどいない辺鄙な場所だ。
正直、依頼もそうだが、行くことすら・・・
「面倒だなぁ・・・」
「え、あ・・・すみません、失礼しました・・・」
丁度入ってきていた小学生に聞こえたらしい。
彼らはそそくさと出て行った。
偶然とは言え、何だか申し訳ないことをした気分だ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
翌朝。
日が昇って間もない時間に、瑞樹は沙樹が運転する車で交流センターに向かった。
道中、沙樹からは、
「また面倒くさい仕事を受けて・・・ちょっとは仕事を選んだら?」
だとか、
「眠いのに・・・あんな辺鄙な場所まで行かせないでくれる?」
だとか、並々ならぬ不満と文句が飛んできていた。
まぁ、夜勤明けの沙樹に運転を頼んだのは悪いとは思っている。
しかし、そもそも瑞樹は車の免許を持っていないし、バイクは修理中ということで、移動手段で1番安上りなのはこれだけなので、仕方ない。
それに、店の経営が火の車なので、仕事を選んでしまうと立ち行かなくなってしまうのだが・・・
「まぁ、そういう面では仕事を全部『選んでる』よね!」
「はぁ?何言ってんの?」
沙樹の不機嫌さに油を注いだようだ。
余計なことは言わないでおこう。
「それじゃあ、終わったらまた連絡して」
瑞樹を下した沙樹は、そう言い残すと去って行った。
瑞樹は交流センターの入り口まで来ると、
「すみませーん、時計の修理を委託された、岩倉時計店のものなんですけどー」
そう、叫びこんだ。
この交流センターには受付の窓口がなく、人を呼ぶにはこうするしかないのだ。
暫くすると、奥からパタパタと人が走ってきた。
「はいはいはいはいはいはいはいはい・・・」
数えきれない『はい』と共に。
「えー・・・岩倉様ですね。お待ちしておりました。わたくし、ここの管理を任されております、田宮と申します。以後、お見知りおきを・・・」
恭しく頭を下げてくる。
管理人というより、何だか執事のようだ。
「は、はぁ・・・よろしくお願いします・・・」
瑞樹も礼をする。
「確か、振り子時計の修理でしたよね?こちらになります」
田宮に案内されたのは、『市民交流室』と名付けられた、元々教室の1つだった部屋だった。
壁には黒板の跡が残っており、床も机や椅子の後だろうか、傷だらけだ。
「あれが、例の時計です」
田宮さんが指さした先には、確かに振り子時計が置かれていた。
しかし、想像していた壊れ方と違う。
振り子時計の側面に大きな穴が開き、文字盤は元々真っ白だったものが黄ばみ、針は折れ、一応原型を留めてはいるものの、見るに堪えない状態だった。
どう考えても買い直したほうが安く済む。
「あそこに材料は用意していますので・・・よろしくお願いします」
確かに、大量の木材が置かれてはいる。
しかし・・・
「こういうのは、日曜大工が趣味の人に頼んでよ・・・」
歯車や糸の故障もあるだろうが、時計が止まった1番の原因は時計自体の破壊も見える。
「まぁ、仕方ないか・・・」
木材を手に取り、曲尺を使って線を引く。
どうやら1日やそこらで終わるような修理にはなりそうもない。
「それでね、いつも店で使ってる方の工具箱を持ってきてほしいんだけど・・・」
『お姉ちゃんはさ、私に対してもう1回交流センターに来いって言ってる?』
電話口で沙樹は不満そうな声を上げる。
「そこを何とか頼むよ~・・・さっきも言ったけど、ここ、必要な道具がちゃんと揃ってなくてさ。流石に私物を使わなきゃだし・・・」
『行かないからね?』
「ケチ~・・・」
沙樹はため息をつく。
『いくら何でもダメなものはダメ。今回限りは諦めてね。じゃあ、私は眠いから寝る。夜勤明けを酷使しないで。おやすみ』
瑞樹は急いで反論しようとしたが、その間すらなく電話は切られてしまった。
仕方なく、瑞樹は作業を再開する。
とは言え、できることも限られているので、取り合えず田宮さんに相談しに行く。
「はぁ、そうですか。成程・・・」
現状を伝えると、田宮さんは顎に手を当て少し俯き、
「では、買ってきますね」
「え、いいですよ、申し訳ないですし。我慢して作業します」
「いえいえ、こちらとしても岩倉様には目一杯作業して頂きたく思いますので・・・こちらの準備不足ということもありますし・・・」
「それでも申し訳ないですって。
「あるにはありますが・・・」
そう言って案内され、見せられたのは、刃の部分は錆びきって銅色になり、見るからに使い物にならない鋸や、留め具が緩々な金槌など。
捨てられていてもおかしくない代物ばかりだった。
「これは・・・使えませんね・・・」
「そうなんですよ・・・買い直すにも、資金的に厳しくて・・・」
これも市の資金難のしわ寄せだろう。
こんなところにまで影響しているとは。
「まぁ、買ってきますよ」
そんなことを言って出掛けようとするので、瑞樹は必死になって止めようとする。
「無理して行かなくてもいいですからね!」
「別に無理なんかしてないので!」
「わざわざ買いに行かせるのも申し訳ないですし!」
「元はと言えば私の準備不足が原因なので!それに今買えば交流センターの備品の買い足しにもなりますし!」
「嫌ですよ!私が使った後に誰かが使うのは。備品ならせめて新品にしてあげてください!」
「お姉ちゃん・・・何やってるの?」
その声に視線を向けると、なぜかそこには沙樹が。
「え、沙樹・・・なんでここにいるの?」
「は?あんたが呼んだんでしょ?」
どうやら瑞樹の要請を受けて来てくれたらしい。
沙樹の手には頼んだものがしっかり握られている。
「・・・優しいとこ、あるじゃん!」
「は?何言ってんの?というか、お姉ちゃん仕事に行ったはずだよね?こんなところで何をしてるのかな?」
瑞樹はこれまであったことを簡潔に、正直に話す。
「はぁ・・・田宮さん、姉が本当にすみません」
沙樹は申し訳なさそうに言う。
「今からちゃんと仕事させますので、許してあげてください」
「ん?もしかして、私が悪いように言われてる?」
「もしかしなくてもそうよ」
沙樹は瑞樹を睨みつける。
「さっさと仕事に戻って。私は眠いから、車で仮眠してる」
「あ、仮眠をとるなら、仮眠室がありますよ。もともとは保健室でしたが」
「じゃあ、ありがたく使わせていただきます」
そう言うと沙樹は瑞樹に、
「ちゃんと仕事してよ」
と釘を刺して、建物内に消えた。
「・・・仕事、しますか」
沙樹が残していったものを拾い上げ、呟いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そこから集中すること、約10時間。
誰とも話さず、何も口にすることなく黙々と作業を続ける。
ひと段落して顔を上げると、外はもう暗くなり始めていた。
「お疲れ。ずっと作業してたよ」
いつの間にか部屋には沙樹がおり、文庫本を広げていた。
「・・・何時からいたの?」
「丁度6時間半前。もう19時だよ」
言われて腕時計を確認する。
「・・・もうこんな時間か」
「さっき言ったじゃん。それと、声、すごいことになってるよ」
長時間喋っていないせいで、瑞樹の声はガラガラになっていた。
「・・・何か飲むものない?」
「食堂に行けば水くらいあるんじゃないの?」
そう言えばお腹も空いた気がする。
「あ、岩倉さん、そろそろ呼ぼうと思ってたんですよ」
食堂(元々は職員室だったらしい)に向かうと、両手に大きな袋をぶら提げた田宮がいた。
「今夜はピザですよ」
どうやら買ってきたらしい。
無駄にお金を使わせたくないと言ったはずなのに、わざわざ買ったようだ。
「お、ピザですか。いいですね」
ぞろぞろと男が3人が食堂に入ってきた。
「お、あなたが噂の岩倉さんですか。個性的な時計を売るって、結構有名ですよ」
「そうなんですか」
瑞樹の声は水を飲んだことにより、しっかり回復していた。
「・・・」
「彼らは、今夜ここに宿泊される、糸岡市野鳥研究会の方々です」
怪訝そうに彼らを見ていた瑞樹に、田宮が解説する。
どうやら交流センターは宿泊施設も兼ねているらしく(元々学校であったため部屋が大量に余っている)、野鳥研究会の面々はたまに宿泊しているらしい。
「あぁ、どうも・・・よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
お互いに頭を下げあう。
「面白い人たちだよ、この人たち」
沙樹が言う。
じゃあ、間違いないだろう。
実際話してみると、かなり面白かった。
野鳥観察中に崖から転落した話やヒルに血を吸われた話、道に迷って遭難しかけた話など、決して笑うべきではない話を面白おかしく話すので、不謹慎にも笑ってしまう。
19時10分から始まった夕食は、食堂の時計で20時まで続いた。
20時になると、各々与えられた部屋に戻り、休息を取り始めた。
「あとどれくらいで作業終わるの?」
沙樹がベッドに腰かけて聞いてくる。
2人に割り当てられた部屋は、元6年生の教室の半分。
1つの教室が壁で2つに分けられているのだ。
「さぁ。でも、外側の修理は粗方終わってるし、文字盤は流石に外部委託になるし・・・あとは外部委託の依頼と振り子の修復かな。それより、あの時計、気になることがあったんだよね」
瑞樹は胡坐をかく。
「何?その話、早く終わる?」
「沙樹の反応によるかな。でも、大したことないことだよ。ただ時計が、偶然壊れたわけじゃないってこと」
「は?どういうこと?」
「多分、止まったこと自体は偶然なんだよね。でも、明らかに外傷は人の手で付けられてる。まぁ、大方遊びに来た悪ガキの悪戯だとは思うけど」
「ふぅん・・・」
そこまで聞くと沙樹は、
「トイレ行ってくる」
と部屋を出て行った。
沙樹の持っていた文庫本の表紙には、『ドグラ・マグラ』と書かれていた。
ご存じ、日本三大奇書の1冊である。
「・・・あいつ、自分の精神を狂わせるつもりなのかな・・・」
「お姉ちゃん?何してるのかな?」
振り返ると、そこには沙樹が。
「・・・案外、遅いお戻りでしたね」
「何を言ってるんだか」
沙樹は瑞樹から本を取り上げると、
「別にこの本を読んだからって精神に異常を来すわけじゃないよ。ただ、相当難しいけどね」
と、そこで男性の悲鳴が。
「え?何事!?」
沙樹は慌てふためいた声を出すが、瑞樹は大急ぎで廊下に駆け出した。
左右を見渡すと、左手に尻餅をついた男性の姿が。
「どうしました?」
男性は黙って室内を指さす。
「うわ・・・」
そこは既に血の海と化しており、部屋の中央部には男性が1人倒れていた。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「沙樹は見ないで!」
恐らく、見てしまったらトラウマになる。
亡くなっていたのは、野鳥研究会の一員で、死因は確実に腹部からの出血だった。
何なら凶器も明らかで、傍に落ちていた例の錆びついた鋸だ。
どうやら切ることは出来ずとも、斧のように刺すことは出来たらしい。
腹部に大きく切れ込みが入っていた。
「・・・沙樹、町からここまで車で何分掛かった?」
教室の扉を閉めてから、瑞樹は問う。
「え?えっと・・・大体、30分かな」
なんで聞いたの?と沙樹。
「警察を今すぐ呼んだとて、来るのは最速でも30分後ってこと」
沙樹の表情が固まる。
「取り合えず、食堂にでも集まろうか」
殺されたのは、越智という人らしい。
「え、これ、何て読むの?」
「オチです。愛媛の辺りに多い苗字だそうで」
そういう彼は西世古さん。
ニシセコと読むそうで、三重にある珍しい苗字だそうだ。
「2人とも読みにくいんですよ」
そういう彼の苗字は神戸。
コウベではなくカンベだ。
全員紛らわしい。
「野鳥研究会から珍苗字研究会に改名しなさい!」
沙樹のツッコミも尤もである。
「ところで、なんで食堂に集まったんですか?」
西世古が聞く。
「うーん・・・被害者からあれだけの出血があったから、誰か返り血でも浴びてるかも知れないと思ったけど・・・」
瑞樹は全員の服を見る。
「誰もそんなことなさそうだね」
誰の服にも返り血が飛んだ様子はない。
沙樹は真っ赤な服を着ているため判りにくいが。
「は?疑うつもり?実の妹を?へぇ。そんなこと考えてるんだ」
怖い。すごく怖い。下手なこと言ってごめんなさい。
「・・・凶器の鋸はずっと倉庫にあったんですよね?」
沙樹に対する畏怖の念を抱きながら、神戸。
「はい。夕食前に、私が確認しましたので」
沙樹は19時前に何を確認しに行ってるのだろうか。
「何故そんなものを夕食前に確認しに・・・?」
ほら、神戸に詰められる。
「姉がここの鋸は錆びてて使えないって言うので、その錆び具合を見に」
「そのまま鋸を何処へ?」
「?戻しましたけど?」
「自分の部屋に持って行ったんじゃないですか?」
「何を言うんだか・・・」
「私も同室でけど、部屋にそんなものなかったですよ」
瑞樹が助け舟を出すと、沙樹はうんうんと頷く。
「あんたら姉妹だろ?隠しあっている可能性もある」
西世古の指摘に、岩倉姉妹は黙る。
どうやら、ここでの意見は沙樹が犯人ということで一致しているようだ。
その後、殺人犯と一緒の場所に居られないという意見が神戸から出て、西世古が賛同。
田宮の静止も聞かず、自室に戻ってしまった。
「・・・はぁ・・・これからどうしよう・・・」
沙樹は机に突っ伏し、溜息をつく。
「・・・拗ねてるところ悪いんだけど、警察に電話してくれない?するの忘れてた」
「はぁ?自分でしてよ」
「ちょっと考えたいことあるし、お願い」
沙樹は渋々スマホを取り出し、110番通報する。
その間瑞樹は、食堂の時計をずっと見つめていた。
「・・・終わったよ。何してるの?」
「ありがとう。あと、何でもいいから、倉庫から何か1つ持ってきてもらえる?知りたいことがあるんだ」
「・・・何でもいいのね?」
「うん。何でも」
判ったと言って、沙樹は食堂を出ていく。
それから10分。
沙樹が手に持っていたものは・・・
「ごめん!謝るから許して!ここに死人を増やさないで!」
「散々扱き使った挙句、命乞いとはね。醜いよ、お姉ちゃん」
チェーンソー。
電池は切れているが、チェーンソー。
動かないものの、チェーンソー。
傍から見れば殺人鬼と逃げ遅れた人である。
瑞樹は泣きながら土下座していた。
結局瑞樹の声を聞いた田宮が食堂まで飛んできて、沙樹を宥め、平和的に(?)解決することとなった。
「で、何が知りたかったの?」
「ちょっと事件のことで」
瑞樹は食堂の時計を壁から降ろすと、
「経験上、大体のこういう型の壁掛け時計って、電池式なんだ。でも、この時計にはコードが付いてる。つまり通電式。それと食事中、違和感を覚えたことがあるんだ・・・ここからは、全員の前で話そうか。呼んでくるから、待ってて」
集められた全員、怪訝そうな顔をしていた。
とは言えども、3人しかいないのだが。
「どうもすみません、集まってもらって」
瑞樹が謝罪する。
「別にいいけど、早めに終わらせてくださいよ」
「時間がかかるかどうかは、あなたたちの反応次第ということで」
まず、と前置きし、
「この時計のことから話しましょうか」
瑞樹は時計の盤の方を見せると、
「今、この時計は時間があってますよね?」
現在時刻、20時25分過ぎ。
瑞樹の手の時計も、各自のスマホも腕時計も、その時間を指している。
「でも、この時計、時間が正確ではない時間があったんです」
「・・・はぁ?今、ちゃんとあってるでしょ?」
「今は、ね」
神戸の反論に返す。
「この時計、見たところ電波時計で、毎時0分に受信して時刻が合うようになっているみたいです。裏側に説明書もありますし、絶対ですね」
一体何の話をしてるのか、という空気になる。
「で、この時計、西日本東日本両方の電圧に耐えられるようになってるんですよ」
ついに沙樹の首が斜め45度まで曲がってしまった。
「この時計の設計上、恐らく周波数の設定によって秒針の進む速度が変わるんですよね。電子レンジのタイマーと同じ設計だね。で、ここは西日本だから、60Hzの周波数になっているはず。そこで時計が受ける周波数の設定を50Hzにしておけば・・・どうなると思う?」
「・・・どうなるの?」
沙樹はもう考えるつもりもないようだ。
「言うまでもなく時間が狂うんだよ。この設定だと、例えば現実の1分は時計上では72秒、時計での1時間は50分といった感じになるんだ。つまり、1秒の速さが規定の1,2倍になっちゃうわけです」
沙樹がようやく納得したようだ。
首の角度が元通りだ。
「ここで一応全員のアリバイを確認しようか。全員、20時には夕食を終え部屋に戻りました。死体発見が20時10分。沙樹に頼んで確認したんだけど、倉庫からここまで、丁度10分掛かるんだよね。私たちが部屋に戻ってすぐ取りに行ってもギリギリ間に合わない。つまり、誰にも殺人は不可能。全員にアリバイがあることになっちゃうからね」
瑞樹は時計を胸の位置まで持ち上げると、
「でも、時計の設定をさっき言ったようにしておけば、さらに10分の猶予を作ることができます。そうすれば取りに行っても10分の余裕があるので、人を殺すなり、返り血の処理をするなり、好きにできるわけです」
好きにされても困るが。
「この方法だと、誰でも犯行は可能。でも、私は出来たのは1人だけじゃないのかと思うんです」
時計を裏返し、
「この、周波数の変更。これができるのは誰なのか。私と沙樹はここに初めて来たし、野鳥研究会の人たちも一応『お客様』という立場なんだから、変更できるということを知らなくても当然。であれば、この設定を知りうる人間は誰か」
瑞樹は俯く、その人に目線を向ける。
「田宮さんじゃないですか?殺したの」
「・・・証拠は?」
少しの間があって、田宮さんは聞いてきた。
「証拠か・・・まぁ、あなたが人を殺したという証拠はないですよ。でも、設定が変えられた証拠ならあります。例えば、時計に埃が全く積もってなかったり、時計の下の床が異常に汚れていたり。極めつけは、今も50Hzの設定のまま、ということですかね」
皆さんも確認してみてください、と促す。
沙樹も自身の腕時計で確認すると、少しだけだが、秒針の進むスピードが速い。
「まぁ、私にこれ以上追及する権利はありません。ここから先は、警察の仕事ですね」
外からはけたたましいサイレンが聞こえてくる。
昇降口の戸が開けられる音がした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「お、瑞樹じゃん。こんなところで何してんの?」
警察関係者でごった返す中、聞き覚えのある声に顔を向けると、そこには大学の先輩の顔が。
「先輩こそ、こんなところで何を?」
「見たら判るでしょ。仕事だよ」
「へぇ。あの噂、本当だったんだ」
「噂って何よ?」
「法学部でトップの成績だった人が警察に行ったって噂」
「何その噂。じゃあこっちも工学部トップの変人女は時計屋をやってるって噂を流そうかな」
「ふざけないでよ」
「ふざけてないよ。それより、仕事に戻るよ」
先輩は手帳を取り出すと、
「今回殺された人とは面識はないのね?」
「うん。初対面」
「そう。じゃあ、殺された理由にも心当たりは・・・」
「ないよ。あ、でも殺した方法は判るかも」
瑞樹は先輩に自分の推理を聞かせてみせる。
「成程ねぇ・・・そんなことが出来るんだ?」
「判らないよ。それは真犯人に聞いてね」
「
部下らしき刑事が駆けてきて、先輩に何やら耳打ちして離れる。
「・・・もう警部なんだ?」
「そうだよ。何故かスピード出世しちゃってさ。仕事も増えて大変だよ」
それじゃ、今度飲みに行こうと残して先輩は仕事に戻っていった。
「今の、誰?」
「え?あぁ、笠森
「ふぅん・・・法学部を出ておいて、警察に就職するなんて、ちょっと勿体ない気がするな」
瑞樹としては、司法書士の資格を持っていながら警備員のバイトをしている沙樹の方が勿体ない気もするが、敢えて言わないでおくことにした。
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