岩倉時計店
華野 香
第1話 時計屋と桜舞うアリバイの4月
札幌以南、那覇以北。
その何処かに
別段、何かが面白いわけでは、決してない。
偶然に偶然が重なり、
人口30万人ほどの地方都市であるそこは、特にこれといった観光要素もないためか、あまり知られていない。
お陰様で、入ると直ぐに出たくなる街、などと呼ばれている。
市長としては、そんな汚名は早々に返上したいものだが、そんな市長が普段勤務している市役所は、数年前建て替えられピカピカである。
対して隣接する裁判所はオンボロだ。
空調は変な音がする上、エレベーターはよく揺れる。
最悪である。
まぁ、それはさておき。
例の市役所の前には、商店街が広がっている。
寂れた商店街で、営業中の店を見つけることすら難しい。
しかしそれは、営業している店もしっかりある、ということである。
市役所側を入り口とすれば、反対は出口とでも言うべきか、そちらから入り、左手手前から3軒目。
廃れた商店街で唯一と言っても過言ではない、未だ新しい店舗。
看板には、『
そして入り口横には手書きで一言。
「貴方の時間、戻します、か・・・」
男性はその文字を、小さく声に出して読む。
続けてもう一言。
「時間なんて、戻るわけが無いだろ・・・」
では何故、時間を戻す、などと綴られているのか。
気にはなったが、男性は取り敢えず入店してみることにした。
店内に入って、最初に見えたのは正面の壁。
そこに掛けられている大量の時計。
見るからに異様な光景だった。
しかも見渡してみると、それは右にも、左にも、手前側の壁にも、隙間なく綺麗に掛けられている。
右手側には応接セット。
左手には給湯室、その奥には自室へ続いているであろう扉。
正面には木製のお洒落な事務机。
その他には何も無い。
しかしながら、時計の威圧感が凄まじく、それ以上の侵入を躊躇ってしまう。
「・・・あの、すみません、もっと中に入って頂けますか?」
後ろから聞こえた声に、男性は驚き、飛びのく。
「すみません、どうぞ」
通路を譲り、譲られた女性は店内をズンズン進むと、奥に続くであろう扉を開け、
「お姉ちゃん、お客さんだよ」
叫びこんだ。
やがてパタパタという音が聞こえてきて、若い、紺色の作業着を着た女性が出てきた。
「すみません、気が付かなくて・・・お客さんですよね?いらっしゃいませ」
「あ、どうも・・・ちょっと見に来ただけなので」
「そうですか。では、ごゆっくり」
そう言って女性は事務机に座る。
さっと見たところ、自作の時計を販売しているらしい。
ミステリークロックの模造品まで置かれている。
「何か気になるの、ありますか?」
座ったまま女性は聞いてきた。
「・・・入り口に貼っていた、『貴方の時間、戻します』って、どういう意味ですか?」
「それ、本当にそう書いてありましたか?」
女性は入り口まで走っていき、張り紙を取ってそれを確認する。
「・・・またやられた。あのガキ共・・・」
言いつつ、張り紙をぐしゃぐしゃと丸め、ゴミ箱へ捨てる。
「本当は、『貴方の時計の時間、巻き戻します』だったんですよね。近所の子供たちが時々悪戯で変えていくんですよね・・・」
言って、先程丸めて捨てた紙を見せる。
確かに、『時計の』と『巻き』の部分が消されている。
「ただ、修理しますよっていう張り紙だったんですけど・・・しょっちゅう貼り直してるんですが・・・」
仕方ないか、と女性はペンを取り、紙にサラサラと綴っていく。
「全くもう・・・」
先程と同じところに張り直し、こちらを向いて、
「で、気になるものはありましたか?」
「これを・・・」
取り敢えず、1番近くにあったシンプルな掛け時計を指差す。
「2000円です」
「買いませんよ?」
と言うか、思いの外安かった。
「そうですか」
言って、再び事務机へと戻る。
暫く店内の時計を眺めていると、
「岩倉さん、遊びに来ましたよー」
「来なくていい」
元気な挨拶と共に、数人のランドセルを背負った小学生が入って来た。
「そんなこと言わなくていいじゃん」
「なんであんたたちはここを溜まり場にしてるの?」
微妙に会話が嚙み合っていない。
「涼しいから」
成程、単純明快な答えではある。
4月と言えど、晴天にもなれば、気温は跳ね上がる。
よって避暑に逃げてくるのは納得できる。
「仕方ないな・・・ほら、何時もの」
給湯室に置いてある冷蔵庫から数個のアイスを持ってきて子供たちに渡す。
「ありがとうございまーす!」
子供たちは元気よくお礼を言う。
「あんたたち、お父さんに時計壊れたらうちに持ってくるように言ってよ。賄賂を受け取り続けてるんだから・・・」
判っているのか否か、元気よく返事を返す。
「それじゃあ、ありがとうございましたー!」
食べ終わった子供たちはゴミを捨て、退店していった。
「・・・すみませんね、騒がしくしちゃって・・・で、何か気になるものはありましたか?」
「・・・これを」
先程と同じ時計を指差す。
「2000円です」
「買いませんよ?」
「お姉ちゃん!」
デジャヴの直後、先程奥に消えていった女性が再び現れ、
「作業場の電気、使ってないなら消してって何時も言ってるじゃん!何回言わせるの?火の車なんだからね!」
「まぁあぁ、そんなに怒んないでよ、
「怒らいでか!」
女性は最後に大きく声を張り上げた後、
「・・・バイト行ってくる。晩御飯までには帰る」
入り口から出て行った。
それを見届けた女性は、
「で、何か気になるものはありましたか?」
「・・・これが」
「2000円です」
「・・・買います」
「まいどあり」
火の車と聞いた以上、何故か買わずに帰るということは出来ない気がした。
岩倉時計店とは、そういう店である。
店主の岩倉
「・・・お姉ちゃんはそろそろ、お店の状況を理解してよね。何時まで売れない時計なんか作り続けてるの?」
「?今日も3つは売れたよ?」
そういう問題じゃないんだよ、と沙樹は肩を落とす。
瑞樹は気にせず肉じゃがを口に運ぶ。
「でも、結構なリピーターもいるし、まぁ、あと10年は続けるよ」
「それだけ続けばいいけど・・・仕事はあるの?」
「あるよ。市役所の前にでっかい時計があるでしょ。あの、オブジェみたいで邪魔なあれ。あれの修理を市から依頼されてる」
「市役所の人たちも馬鹿だよね・・・こんな人に頼むなんて」
「何か言った?」
「何も」
沙樹は味噌汁を飲む。
瑞樹も気にせず食事を続けることにした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
翌朝。
瑞樹は市役所にバイクで堂々と乗り付けた。
担当者から説明を受け、邪魔なオブジェの前に座り、早速作業を始める。
裏側の蓋を開け、中身をのぞき込み、細かいパーツを取り除きながら作業を進める。
休む間もなく、途中で放送が入ったがそれにも気付くことなく集中して作業する。
朝10時から始まった修理は、午後4時まで続いた。
「あ、お腹空いた・・・」
空腹をようやく感じ、瑞樹は手を止めた。
細かいところまでは出来ていないが、大方の修理を終えた。
呼び出した担当者にそれと、次に壊れるなら何処か、どういう風に修理すればいいのかを伝えた。
「次はもっと大きなところに依頼したほうがいいですよ。それじゃ」
そう言い残し、瑞樹はバイクを止めた市役所裏の駐輪場へと向かう。
隣の建物との間に位置するそこは、昼間であっても薄暗く、不気味だった。
これで何となく糸岡市の人口減少の一端を見た気になる。
さっさと帰ろうとバイクに鍵を差し込むと、前輪の一部が少し赤くなっているのが見えた。
どうやら雨除けから少しはみ出した前輪が、上から滴り落ちたそれに濡れてしまったらしい。
誰かの悪戯か、と思い、上側を見ようとするも、身長ゆえか覗くことは出来ない。
仕方なくバイクを引っ張り出し、靴を脱いでサドルの上に立ち、雨除けの上を確認する。
「・・・」
確認した瑞樹は、そのままバイクに跨り、体を前に倒す。
手の甲を額の部分に持っていき、長く息を吐く。
意を決して起き上がり、スマホを取り出した。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
すぐに警察は到着した。
死体は降ろされ、何処かへ運ばれていく。
瑞樹は第一発見者として丁重にもてはやされ(?)、警察車両に乗せられて警察署までご丁寧に連行された。
何故か高圧的な態度をとる警部に向かって、発見の経緯を詳しく伝え、同時に自身のアリバイを主張する。
解放されたのは通報から3時間後で、もう夜と言っても差し支えない時間だった。
「ただいま」
ようやく帰還した瑞樹は、店の奥の扉を開けて入る。
そこは作業場になっており、普段瑞樹はそこで時計を手作りしている。
「ただいま~」
そのまた奥には階段があり、2階の住居スペースへと続いている。
「・・・帰ってきたよ~?」
登り切った瑞樹が沙樹に呼びかけながらリビングルームへの扉を開けると、
「・・・帰ってたんだ。おかえり、犯罪者さん」
「なんでそういうことになってるの?」
1人でグラスを傾けている沙樹がいた。
「・・・飲んでるの?」
「見ての通り。お姉ちゃんが警察に行ったって聞いたから、ヤケ酒だよ」
沙樹はワクなので酒に呑まれる心配はあまりないが、姉としてはこの状況はいただけない。
「・・・もっと他に言うことないの?」
「夜ごはん、1人分しか作ってないから。食べたければ何かしら自分で作って食べてね」
言われて、朝から飲まず食わずであったことを思い出した。
今日はあまりいい日ではなかったようだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
翌日の朝刊の5面に、昨日の殺人事件は載っていた。
目立ったことが滅多に起きない糸岡市のニュースだからか、全国紙でも少し大きめに掲載されていた。
「見て、お姉ちゃん。昨日の事件載ってるよ。お姉ちゃんが犯罪者だって書いてる」
「書かれてもないこと言わないで」
皿を洗いながら瑞樹は言う。
妹の悪い癖のようなものが出ている。
「私にはアリバイがあるし、被害者の人と無関係だし、殺す理由なんてないでしょ」
「でも、案外ミステリだと第一発見者が犯人だってパターンも結構見るよ?」
瑞樹は沙樹に集まった証言という証言を全部頭から吹っ掛けてやりたい気持ちになった。
そんなこと不可能なのだが。
「兎に角、そういう話はしないで。判った?」
「はいはい。どうでもいいから、もう出勤したら?」
興味があるのかないのか、沙樹は瑞樹を追い払う。
仕方なくも階段を降り、店の鍵を開ける。
暫くすると、男が1人転がり込んできた。
「・・・いらっしゃいませ・・・?」
「いえ、あの、客じゃないです」
男は額に玉のような汗を浮かべており、外の気温が何となく予想できる。
「じゃあ何ですか・・・?」
「警察です」
言って手帳を見せてくる。
「また、警察が何の用で?アリバイは説明しましたよね?」
「いや、今回は別件で・・・」
瑞樹は応接セットへ案内し、コーヒーを淹れ、渡す。
「さて、昨日の殺人事件についてですが・・・」
切り口を聞いてやはりそうかと思う。
まさか兄のことではあるまい。
「何か新しいことでも・・・?」
「いえ、確認したいことが」
メモ帳を広げながら、
「もう1度死体発見の経緯を聞かせてもらいたくて・・・」
瑞樹は昨日と同じ話を、全く同じように話して見せる。
「・・・はい、ありがとうございます」
「それで、こっちからも聞いておきたいことがあるんですけど」
「何でしょう?」
「その・・・被害者の人は、死因は何だったんですか?」
血は流れていたが、決してそれが死因とは限らない。
多少の好奇心から聞いたものだった。
「あぁ・・・言っちゃっていいのかな・・・死因は絞殺でした。どうやら、殺された後にあそこに放置されたようですね」
「要は、殺された後に落とされた、と」
「そう考えるのが妥当かなって・・・」
喋ったこと、一応内緒にしておいてくださいね、と言ってくる。
別に誰かに伝えるつもりはないが。
「次なんですけど・・・兄については、どうなりましたか?」
「現在捜査中、としか言えません。申し訳ありませんが・・・」
「いえ、確認したかっただけなので・・・」
刑事はコーヒーを飲み干すと、お礼を言って帰っていった。
騒がしかったと思いつつも、特に気にせず仕事に戻る。
客は来ないが。
カップを洗い、10分ほど事務机に居座って、奥の作業室に引っ込んでいった。
設計図を基に、材料を選定し、工具を引っ張り出す。
さて作業を始めるかと思った刹那、ある疑問が頭を過った。
忘れようと思ったものの、気になって仕方がなかったので、市役所勤めの友人に連絡を取る。
そのまま沙樹に店番を任せて出かけて行った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
暑い中、彼女は市役所前で待っていてくれた。
「ごめんね、急に。どうしても気になることがあって・・・」
「うん。大丈夫だよ。私の職場内でも結構有名な話だよ。私の友人が第一発見者だって。瑞樹のことだね」
それは自分がよく判っている。
「まったく、昨日は大変だったよ。警察の人に死体が見つかったって言われて、しかもそれが私の直属の上司で。それに加えて『犯人はこの中にいる』って警察が宣言するから、また騒がしくなって・・・昨日の職場は過去1番荒れてたね・・・」
「お疲れ様」
「そうだよ、疲れたよ!このまま退職しようかな・・・って、そうじゃない。気になることって何?」
そう言えばそういう用件で来ていた。
「死体が見つかった場所の上には何があるのかなって」
「上?建物の部屋ってこと?」
瑞樹は頷く。
「あそこの上かぁ・・・まず、屋上でしょ?それから、第1会議室。その下には放送室があって、またその下には工事課。その下が1階で、確か・・・自販機コーナーだったと思う。いつも閑散としてて、人が居ることなんて見たことないけどね」
それがどうしたの?と聞く。
「いやぁ、何処から落ちたのか気になってね。バレずに落とすのであれば、屋上か第1会議室か放送室かなって思ったんだけど・・・どれだと思う?」
「屋上は立ち入り禁止だよ。それに、第1会議室は昨日は使われてたはずだし。放送室っていう答えが1番あたってるんじゃない?」
「その時間、誰かいたの?」
「西口さんが居たけど」
「会える!?」
瑞樹は彼女の肩を勢い良く掴む。
「ああああああ会えるんじゃないかな、アポ取ってみる、待ってて」
彼女はスマホを取り出し電話をかける。
「ああああの、私の友人が、会いたいって・・・いや、お見合いとか、そういうんじゃなくて・・・兎に角早く来てください~・・・」
最初から最後まで震える声で電話をしていた。
10分ほど経ってやって来た西口さん(と見られる男性)は、一見爽やかそうな男性だった。
「どうも、西口と申します」
言って右手を差し出してくる。
「・・・岩倉瑞樹です」
瑞樹は左手を出す。
西口は少しキョトンとした顔をしていたが、ややあって今度は笑顔で左手を出した。
瑞樹は右手に変える。
「・・・」
「・・・」
またしても生まれたアンジャッシュ。
西口が右手に変えると、瑞樹は左手にする。
「・・・」
「・・・絶対わざとですよね?」
「バレたか」
「バレないとでも思ったの?」
友人が思わずツッコんでくる。
「で、何の用です?この後も仕事があって忙しいんですよ。例の殺人事件の対応で、電話がひっきりなしにかかってきてて。本当に迷惑なんですよ」
「・・・まぁ、これといった用はないんですけどね。ただ、死亡推定時刻に放送室にいた人って、どんな人かなって」
「そんな用で呼ばないでください。そもそも僕は犯人ではないので。放送開始の5分前までは同僚と一緒にいましたし、放送室にも10分もいなかった。人を殺して窓から落とすなんて、そんな時間はなかった」
「それがあなたのアリバイですね?一応聞きますけど、なんで被害者が放送室から落とされたことを知ってるんですか?」
「あ、それ、私も知ってるよ。警察の人が行ってくれたから」
友人が横から口をはさむ。
西口さんは何故か勝ち誇ったような表情になった。
ではこれで、と西口さんは下がっていった。
「・・・本当になんで呼んだの?」
友人も聞いてくる。
瑞樹は少し考えるような素振りを見せ、
「クロだね」
「は?」
「多分犯人だって私は思うな。なんとなくだけど」
「はぁ・・・」
彼女は呆れたような反応を示す。
そうしてまた少し、あごに手を当て、俯いて、
「放送室見れないかな?一応でも現場を確認しておきたい」
「いや、ダメでしょ」
そこから数十分、瑞樹と友人の押し問答。
一向に引く気配がない瑞樹と、早く仕事に戻りたい彼女。
その決着は、瑞樹が1人で行くということで(一応)ついた。
場所だけ確認し、瑞樹は意気揚々と館内に乗り込む。
3階まで階段を使い、こっそりと上がると、フロアの反対側までこれまたこっそり移動し、放送室の重厚なドアを素早く開け、身を滑り込ませ、閉めた。
そこに残ったのは、依然として何も変わらぬ平静。
侵入成功である。
扉を閉じた瑞樹は、戸に背を向け、室内を眺める。
左側には数多の放送器具。
マイクに音量やエコーを調節するであろう数々のボタン、レバー。
右手には棚が置かれており、メモ用紙やCD、予備の機器が置かれている。
そして、正面の壁には窓が。
迷わずそこに足を向け、窓を開けると身を乗り出して下を眺める。
警察関係者が行き来する現場と、雨除けの上に残る赤い血痕、そして遺体の位置を表すであろうテープが見えた。
「ここから落としたのかな」
誰も答えない呟きをポツリと漏らす。
刑事の1人が上を見上げたので、慌てて身を引っ込めた。
バレただろうか。
バレたとて大した問題ではないが。
一息ついて、台に手をついた途端。
『ピンポンパンポーン』
その音が市内中に響き渡った。
「マズイ!」
叫び、大急ぎで放送を終わろうとするが、どのボタンを押したのか、どのボタンを押せばよいのか、全く判らずに、オロオロしてしまう。
「あぁ、これがこうで、それは・・・え?これは何?どれ押せばいいの?これ?」
色々と弄ったせいで、音量が上がってしまい、瑞樹の困惑は全て市内に拡散されている。
「えっと、これで・・・まだ終わらないか。じゃあ、こっち?違う?あぁ、ヤバい、誰か来た!」
瑞樹は放送の終了を諦め、内開きのドアの陰に隠れる。
その瞬間、ドアが開け放たれ、数人の職員が駆け込んできた。
彼らがドアを閉めなかったお陰で、瑞樹は上手く隠れることができた。
「・・・誰だ?こんなことしたのは・・・」
ブツブツ言いながら、放送の終了手続きをし、誰か居ないか探し始める。
瑞樹は息を潜め、隠れるためにその場にしゃがみ込むと、
「・・・ん?なんだこれ・・・?」
瑞樹の視線はドアノブに釘付けになっており、特にドアノブの付け根に釘付けになっていた。
そこには、何かが擦れたような跡がついており、尚且つドアノブはドアと垂直についておらず、少し外れて傾いている。
「これって、もしかして・・・」
瑞樹が思考に没頭しようとした瞬間。
「あ」
ドアが閉められ、その姿が露になった。
少し見上げると、腕を組んだ怖そうな男性が。
「あ、アハハ・・・」
咄嗟に笑って見せるも、功を為さず。
しっかりと連行されていった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
こってりと絞られて、この日は解放された。
しかし、職員の話は瑞樹に全く届いておらず、瑞樹の興味は例のドアノブ、それだけだった。
まだ新品の市役所内で、現状唯一壊れているドアノブ。
外れかけていたということは、そこに上からの相当な重圧がかかったということだ。
「・・・判んないなぁ・・・」
「何が判らないっていうんですか?」
説教中に呟いたもので、それが職員の怒りをさらに深めることとなった。
「まだ懲りないようですねぇ・・・」
そこから終わりかけていた説教が30分延長。
そこで最初の文章に続く。
瑞樹が帰宅すると、事務机で優雅にコーヒーを飲みながら読書をしていた沙樹は顔を上げた。
「・・・市役所から連絡があったよ。不法侵入で訴えてもいいかって。お姉ちゃんの友人を名乗る人から。私はどうぞって言ったんだけど・・・起訴されなかったみたいだね。残念」
それはそれは失礼なことを言ってくる。
「・・・ただいま」
「当分帰ってこなくてもいいよ。我が家の面汚し」
だから父さんにも母さんにも見放されるんだよ、と続ける。
「関係ないでしょ」
「いや、関係あるね。まだ自分の身の潔白も証明できてないから、このまま順当にいけば逮捕かな。ちゃんと絶縁届書いてね」
言って、奥の部屋へと消えていこうとする。
その直前、ハンガーにかかっていた作業服を投げてよこしてきた。
「そう言えば、お姉ちゃんの外出中に依頼が1件あったよ。『アンティークな八角形の掛け時計を作ってほしい。文字盤はローマ数字にして、あんまり大きくしないでくれ』だってさ。受取日の指定は来月の5日にしてあるから、急いで作業してね」
面倒そうに沙樹は言って、住居スペースへバイトの準備をしに戻っていく。
しかし、依頼を聞いた瑞樹の脳内は、先程見たドアノブで一杯だった。
仕方なくも作業に取り掛かるも、全く手につかず、図面を書く手を何度も止めて思考に没頭してしまう。
その度に頭を振って意識を図面に集中させようとするも、10分もたてば元通り。
やはり手が止まってしまう。
「あぁ、もう駄目だ!」
瑞樹はそう言って立ち上がると、
「今日はもう店仕舞いしていいよ。集中できないから、出ていくときに一緒に鍵も閉めておいて」
丁度バイトに行こうとしていた沙樹に告げ、キッチンに足を運ぶ。
直後、彼女の指がステイオンタブに引っ掛かった。
「ただいま・・・うわ、酒臭・・・」
バイトから帰宅した沙樹が、入室早々目にしたのは、机に突っ伏して眠る瑞樹と、彼女を取り囲む空き缶たちであった。
「どんだけ飲んだのよ・・・全く」
言いつつ片づけに取り掛かる。
「飲むんだったら自分で片付け・・・ん?何これ?」
缶のせいで見えなかったのか、瑞樹の傍には色々な図や文字が書き込まれた紙があった。
「・・・この人、何考えてたの?」
「ンア・・・あれ?沙樹、帰ってたんだ、おかえり・・・」
タイミングよく、瑞樹が目を覚ます。
「おはよう、お姉ちゃん。起きたなら片づけ手伝って」
「ンン・・・」
瑞樹は大きく伸びをしてから立ち上がり、フラフラの足取りで両手に空き缶を持ってキッチンに向かう。
「お姉ちゃん何本飲んだの?・・・8?私が残してた分全部じゃん」
「違うよ、10だよ。倉庫から2本持ってきた・・・」
「ごめんね、お姉ちゃん」
沙樹は瑞樹の背後に回ると、彼女の首に手をまわし、一瞬力を入れて瑞樹を墜とした。
ぐったりとして、目を閉じた瑞樹を、そのまま引きずって彼女の自室まで運ぶ。
瑞樹を部屋に放ると、扉を閉め、ドアノブを固定し、開かないようにしてしまった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「うぅ・・・頭痛い・・・」
翌朝目が覚めた瑞樹を襲ったのは、猛烈な頭痛と寒さだった。
そう言えば昨日空き缶を沙樹に渡したあたりから記憶がない。
ベッドで寝ていないからか、体の節々も痛む。
「何なの?もう・・・」
顔でも洗おうと、洗面所に向かおうとドアノブに手をかける。
「あれ?開かない・・・」
いくら強く引いても、決して開くことがない。
「沙樹、起きてる?起きてたら開けてほしいな」
「・・・おはよう、お姉ちゃん」
ややあって聞こえてきたのは、眠そうな沙樹の声だった。
「開けて?」
「お姉ちゃんの愚行が許せないから、今日1日ここに居てもらうことにしたから。店の方も臨時休業にしたから気にしないで。そこで頭を冷やしてなさい」
「ねぇ、沙樹?来月の時計作らないといけないんだけど?今日から作らないとヤバいんだけど?ねぇ、聞いてる?沙樹?」
いくら呼んでも、もう返事は返ってこない。
「沙樹~~~~~!!!」
瑞樹の絶叫が響き渡った。
「でも、閉じ込められたってことは、1日ゆっくりアリバイとドアノブについて考えられるってことだね」
ポジティブだった。
無敵か。
部屋の椅子に座り、机に紙とペンを用意する。
そこに、ドアノブの簡易図を記す。
新品同様の市役所内で唯一痛んでいる放送室のドアノブ。
そして、その放送室から被害者が落下したと目されている。
ただの偶然とは思えない。
それに、その放送室に、その時間だけいた西口さん。
彼の声は市中に届けられており、言わば市民全員が証人だ。
絞殺するにしても、相当な力がいるだろうから、殺しながらの放送なんて論外だ。
つまり、何らかの方法を用いて、放送中に殺したことになる。
まぁ、勿論これは西口さんが犯人だと確定した場合だが・・・
しかし、そこまで考えて、
「駄目だ、全く判らない・・・」
15分経ったところで限界が来た。
「どうしよう・・・」
そこで、瑞樹のスマホがバイブレーションを始める。
「・・・もしもし?」
『もしもし?私だよ』
かけてきたのは昨日、市役所前で対応した友人だった。
「どうしたの?」
『どうしたもこうしたもないよ。瑞樹のせいで、昨日の放送は何かって苦情、罵詈雑言のオンパレードなんだからね』
「それは・・・ごめん」
瑞樹は素直に謝る。
『で、西口さんがこっちに来てもう1回謝れって言ってるから、今すぐ来てくれる?できれば10分以内に』
「無理かな。今、動けないし」
『はぁ?今、何してるの?』
「監禁されながらアリバイを崩してる」
『ちょっと何を言ってるか判らないんだけど?』
瑞樹の脳裏に東北出身の漫才師の姿が映る。
この瞬間には全く関係ないのだが。
『どうでもいいから、さっさと来なさいよ。出来れば、大事になる前に』
言って、電話は切られた。
もう大事になってしまっている以上、大事になる前に行くことは不可能だと思うのだが。
それは兎も角。
「なるほど、『ながら』ね」
瑞樹は少し、口角を上げた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
瑞樹は荷物をまとめると、窓から飛び降りて部屋から脱出した。
まとめると言っても、ただ貴重品と鍵を持っただけだが。
飛び降りた瑞樹は、裏に置いてあった靴に足を通し、バイクに跨った。
帰ったら怒られるだろうが、あまり気にしない。
エンジンを吹かせると、勢いよく市役所に向けて発進した。
市役所につくと、まだ警官の立つ駐輪場に無理矢理バイクを止め(ひと悶着あった)、西口さんに会いに正面入り口に駆ける。
出発前に友人に呼びだしておくよう言っておいたので、その場にきちんと立って待っていてくれた。
「・・・やっと来ましたか。少し遅いですね」
瑞樹の存在に気づいた彼は、不機嫌そうに言う。
「それは・・・ごめんなさい」
素直に瑞樹は頭を下げ、加えて、
「放送のことも謝罪します。申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた。
「・・・まぁ、そこまで言うなら」
不承不承といった感じで。
「でも、わざわざ呼び出したってことは、何か別に用事があるんでしょう?何ですか?」
「鋭いですね」
瑞樹はニヤリと笑い、
「一昨日、駐輪場で起きた殺人事件、犯人はあなたですよね?」
そのままの表情で言った。
西口さんは、最初こそ瞬きを繰り返していたが、自身が何を言われたか理解できたらしい。
「面白いことを言いますね」
「別にボケたつもりはありませんが」
何がおかしいのか、少し笑って、
「どう考えたのか、落ち着いて話しましょうか。どうぞ、お入りください」
市役所の中へと招き入れた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
空いていた会議室に私を通した西口さんは、私の正面に座り、
「では、私が犯人であるという、根拠を聞きましょうか」
何か面白そうに聞いてきた。
「・・・まぁ、最初に犯人かなと思ったキッカケは、死亡推定時刻にあなたが放送室に居たって聞いたからなんですけど」
「全くの偶然ですね。しかも、その時間に私は放送をしていたから、犯人は有り得ない」
「それがですね、ちょっと放送室に忍び込んだんですけど。中々面白そうなものを見つけまして」
西口さんは身を乗り出してくる。
「ほぅ、何でしょう?」
「ドアノブです。放送室のドアの、内側のドアノブだけ、外れかけていました。何年か前に建て直されたばかりの、新品の市役所で、早々に壊れたドアノブ。不思議に思いませんか?」
「・・・偶然では?使い続けていれば、いつかは壊れるでしょう」
「でもね、市役所からされる放送なんて、1ヶ月に1度あるか、ないか。大学を卒業して今年で26だから・・・4年はそんな感じですね。それほど使用頻度の低い放送室のドアが真っ先に壊れるなんて、おかしいと私は思います」
西口さんの表情は、少し歪んでいる。
端正な顔が、ちょっと勿体ない。
「で?」
「私は、ドアノブに何か相当な重量がかかったからだと考えました。ドアノブが外れるくらい、重いもの。何か、心当たりはありませんか?」
「・・・さぁ」
「私は人間ではないかと考えました」
西口さんの眉間のしわが深くなる。
図星はつけているようだ。
「人間の首に、ロープか何かを引っ掛け、それをドアノブに固定すれば、重力の関係で勝手に死んでくれます。聞いた話だと、死因は絞殺で、しかも索状痕が残っていた。であれば、私の考えは間違ってはいないかと」
ついに西口さんは俯いてしまっている。
その表情は読み取れない。
「つまり、私が言ったような方法を取れば、放送をしながらの殺人も可能かと。なんで警察がこの考えにたどり着けなかったか、疑問には思いますが」
そんなことするなんて正気の沙汰とは思いませんけどね、と加える。
「・・・証拠は?」
暫く黙って、ようやく西口さんは口を開いた。
「はい?」
「証拠。君の話には証拠がない。机上の空論にすぎないだろう?」
「でも、普通に考えて、使用中の第一会議室、西口さんしか居ない放送室、常に人がいる工事課、閑散としてるけど高さがない自販機コーナー。この中でバレずに人を落下させられる場所なんて、限られると思いませんか?それに、ドアノブの件もある。それらが証拠になると、私は思ってるんですが・・・」
「ここが何階か知っているか?」
瑞樹の発言を遮り、西口さんは聞く。
「はぁ・・・ここは4階・・・」
返事をした途端、
「そう、ここは4階だ」
低い声で返し、西口さんは飛び掛かってきた。
瑞樹を窓際まで追いやり、その首に手をまわし、締め上げようとする。
恐らく、一瞬でも気を抜けば墜とされ、落とされるだろう。
「何にも上手くないからね!」
自分の思考に思わずツッコみ、西口さんの手から抜け出そうと応戦する。
しかし力の差は明白で、段々と圧され、西口さんの手は白く、瑞樹の顔は青くなっていく。
必死に抗う瑞樹が、思わず右足を振り上げると、
「ウッ・・・」
小さく呻き声をあげ、締める手の力が緩んだ。
どうやら偶然、急所に命中したらしい。
「あ・・・ラッキー」
瑞樹は西口さんの拘束から抜け出ると、会議室を飛び出し、階段を駆け下りた。
警察が来たのはすぐ後。
最初の罪状は暴行未遂の現行犯である。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「ただいま~」
一件落着し、瑞樹は安心して店舗入口から帰宅する。
「いやはや、大変だった」
いつものように荷物を事務机に置こうとした刹那、背後で扉が開いた。
「おかえり、お姉ちゃん。話があるから、そこに正座しなさい」
沙樹の低い声。
脱出したのをすっかり忘れていた。
「・・・私にはないよ」
「お姉ちゃんになくても、私にはあるの。四の五の言わずに、正座しなさい」
こうなるともう逃げることは不可能。
諦めて大人しく、膝を丸める。
沙樹は、事務机から椅子を引っ張り出すと、瑞樹の正面に入り、
「被告人。罪状を述べよ」
この後の会話は割愛させて頂く。
罪状を述べ、反省の意を伝え、そこから小1時間沙樹の説教。
終わったと思えば、そのまま事件のあらましを話すことになり、その後瑞樹の推理を披露。
「つまり、その西口さんは放送しながら人を殺したってわけ?」
「はい、その通りでございます」
「うーん・・・想像したくないな。自分の後ろで人が死んでいく中、話すって・・・気持ち悪い」
「ご尤もで」
「でもさ、西口さんはどうやって被害者を拘束したのかな?絶対に抵抗するでしょ?自殺願望がある人じゃない限り、そんなすんなり首に縄を掛けられて、ドアノブにつるされてって、しないと思うな」
「恐らく、締め技かと。私も喰らい、感じましたが、あの人は相当な手練れかと。適格に、素早く堕ちるように私を絞めてきました」
沙樹はなるほど、と。
それから暫く考えて、
「兎に角、今回は許してあげるから、さっさとご飯作って。次からないようにね」
「有難き幸せぇ!」
瑞樹は首を垂れる。
沙樹はと言えば、
「・・・許すの、止めようかな・・・」
そんなことを考えていた。
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