月葬

真花

月葬

 宇宙船ヤレン号のコックピットからは、目的地である月が丸々と見える。

 地球を発って三日目、僕は在り続ける月に飽き始めていた。隣に座るジョンに気付かれないようにため息をつく。その息には飽きたことよりももっと色濃く、胸の中にある別のものが含まれていて、それは漏らしたら命に関わるものだった。ここでの会話は全て、地上の管制に流れる。だから、僕達は雑談ひとつするのにも神経を使う。もしかしたら宇宙飛行士にとって最もストレスが強いのは、この監視なのかも知れない。

「タイスケ、起きてる?」

 ジョンの声がヘルメットの中に届く。

「もちろん。今は睡眠の時間じゃないよ」

「俺の祖先が昔、アポロ計画で月に行ったって話、したことあったっけ?」

「訓練中に聞いたよ」

「俺の誇りなんだ。そして今、俺が月に向かっている。俺は誇らしくてたまらないよ」

「そうか。僕も嬉しいよ。……僕の祖先は、月には行ってないけど、月からお姫様が来る有名な話があるよ。最後にそのお姫様は月に帰ってしまうのだけどね」

「今の俺達と少し似ているね」

「そうだね。重要な任務だ」

 僕達は研究や探索のために宇宙船を飛ばしているのではない。積み荷はリル姫とその従者が三人だけ。

 僕はこんなことをするために宇宙飛行士になったのだろうか。どれだけ叩いても、その想いが顔を出す。これではただの運び屋ではないか。もっと、人類に貢献するために散々の苦労をしたのではないのか。もちろん、宇宙に行きたいと言う純粋な気持ちだってあることは認める。それでも運ぶ以上の意義があってもいいのではないか。

 リル姫のことが嫌いだとか敬意を持っていないとか、そう言うことではない。テレビでしか見たことはなかったが、ヤレン国王以下の王族への尊敬は普通の国民以上にある。

 これが重要な任務なのは間違いない。

 だが、僕と宇宙の間に入らないで欲しかった。

 ため息がまた出る。

 リル姫は月が好きだった。それは国民なら誰もが知っていることだ。月に行きたいと何度も言っていた。それが叶う。そこに立ち会うことは光栄なことだ。だが、リル姫は月には立たない。

 一年前、リル姫は急死した。誰も予測の出来ない死だった。国を挙げて喪に服す中、国王がリル姫の夢を叶えるべく、月に埋葬すると宣言した。当時訓練中だった僕とジョン、ロフの三人に白羽の矢が立てられた。宇宙に行くチャンスだ。三人とも即、話を受けた。

 出発の日、見送りの人は国王を始め全員喪服だった。荘厳な雰囲気の中、宇宙船は打ち上げられた。それは十日間の航行と同時に成される、十日間の葬儀だった。晴れ渡った空を見ながら、僕は決して声にはしてはいけないことを思う。

――僕は葬儀屋でも運び屋でもない。宇宙飛行士だ。

 だが、国と国民にとって大切なことをしている自覚もあった。

 宇宙船はずんずん進む。三日目をもう終えようとしている。月が徐々に大きくなって来た。

「タイスケ、俺は寝る時間だから、その間、よろしく頼むよ」

「了解」

 後ろにはロフも従者もいるからそんなことはないのに、僕は宇宙の中でリル姫の遺灰と二人きりになったように感じた。

――姫は月に行けてよかったと思いますか?

――月は孤独ではないですか?

――月からは地球はどう見えるでしょう。

 リル姫は答えない。僕は胸の中にあるリル姫のイメージが儚くて、取り去ることが出来なかった。だが、声をかけることはやめた。自分のすべきことにさっきよりも集中出来た。


 五日目、月に着陸した。

 従者達と協力して、月面に祭壇を作った。持って来たものを運べばそれで完成するように作られていて、それ自体は簡単な作業だった。撮影用のカメラを設置して、従者が恭しく遺灰の入った壷を運ぶ。僕達はその画面には入らない位置で見守った。

 祭壇の中央に壷を置き、従者三人がその前に並んで祈りを捧げた。きっと、国中の人が一緒に祈っていただろう。僕はそれを見ていた。見ている自分に気付いて慌てて祈った。

 祈りが終わると、従者の筆頭が壷を持ち、ひっくり返した。

 遺灰はさらさらと月面に落ちた。小さな山になっている。従者筆頭はそのまま、壷を持って画面から下がる。他の二人はそのまま微動だにしない。壷を置いた筆頭が遺灰の山の前に立ち、再び祈りを捧げる。

 今度は僕も最初から祈った。

 祈りが終わり、僕達は撤収する。目的は達成されたから、月からも出る。また五日間弱をかけて地球に帰る。発つときに見た月面が、もうリル姫と一体になっているような気がした。月から離れるほどに強くそう感じるようになった。

 それでも、僕はこのために宇宙飛行士になったんじゃない、と胸の中で何度も呟いた。


 地球に戻ると、出発時と全然違う雰囲気に国が包まれていた。祝賀ムードに近い。

 僕達は記者に囲まれた。その向こうには見えなくなる程先まで僕達を見に来た人が並んでいた。

「タイスケさん。あなたは英雄です」

 記者の一人が言った。同じことをジョンとロフにも言ったのは聞こえていた。

「今の心境をどうぞ教えて下さい」

 記者はお祭り騒ぎに浮かれている少年に過ぎなかった。誘導的なことも、挑発的なことも、およそ記者が好む「言わせる」行為をしなかった。

「やるべきことをやった。それだけです」

 僕だけは浮かれることが出来なかった。だから、同じことを何度も言った。

 どこに行ってもヒーローのように扱われた。僕は運んだだけなのに。

「やるべきことをやる」が流行語になった。それを尻目に、僕達三人は訓練に復帰し、次のミッションに備える日々に身を投じた。

 

 日暮過ぎの秋の日、家の二階の窓際で娘と将棋を指していた。十歳になって娘はずいぶん強くなったが、まだ僕には及ばない。僕が銀を上げようとした瞬間、娘が、ねえ、パパ、と呼ぶ。

「リル姫は、お月様になったんだよね?」

「そうだよ」

「パパはそのお手伝いをしたんだよね?」

「……そうだね」

「パパってすごいね。今はね、リル姫はお月様からこの国のみんなを見守ってくれているんだよ。だから大丈夫なんだ」

 娘が指差す窓の外には、満月が浮かんでいた。僕は意味のあることをした。だが、僕がしたかったこととは違う。満月はリル姫は、そのどちらもを包むような光を照らしていた。

 階下から夕食の報せが聞こえた。


(了)

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