第二夜 戦国時代の影武者たち

『第三の影武者』1963年/大映 

監督:井上梅次 原作:南條範夫 脚本:星川清司

『影武者』1980年/東宝映画=黒澤プロダクション 

監督:黒澤明 脚本:黒澤明、井手雅人 


 橋本忍の著書「複眼の映像――私と黒澤明」の中盤で、著者が『影武者』の脚本準備稿を読んで失望するくだりが出てくる。

 橋本は、南條範夫の小説「影武者」は読んでいて、その凄惨な描写(目を射抜かれた主君に合わせて影武者の眼球を潰している)に比べて、『影武者』の脚本は手ぬるい(信玄の有名な刀傷を、影武者にはつけていない)というのだ。

 その本の題名が正確には「第三の陰武者」であり、『第三の影武者』のタイトルで市川雷蔵主演の映画になっていることは、橋本は知らなかったようだ。

 結局、橋本は脚本の欠陥には目をつぶって、この映画のアドバイザーとなることは承知している。黒澤の懐具合を察しての苦渋の決断であった。


 そして、映画『影武者』が製作された。主演は勝新太郎であったが、クランクイン直後の1979年夏、勝は黒澤から降板を言い渡され、仲代達矢に変更されている。

 これから分かることが一つある。勝新太郎が(すでに故人となった「永遠のライバル」である)市川雷蔵の代表作を見ていない、とは考えにくいのだ。

 勝は主演を承諾したが、影武者の描き方がおざなりになっている点には異議を唱え続けていたというから事態は深刻である。(ただし、これが勝の「降板劇の遠因」とは限らない。念のため)


 では、どうすればよかったか? 脚本の欠陥に気づいていた橋本が、脚本直しを主張しても、黒澤にはねられることは明らかだ。もう少し早い時期から、橋本が、黒澤のアドバイザーになっていれば、どうしただろう? 

 黒澤プロが「第三の陰武者」の映画権を取得して、二度目の映画化になっていても問題はないだろうか? それとも、山田風太郎の小説「信玄忍法帖」を脚色されていたか? そうはなっていないのが残念である。


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《コラム》

 こののち黒澤は、山本周五郎の小説「雨あがる」を脚本にしていて、黒澤の死後、愛弟子の小泉堯史監督がメガホンを取っている。『雨あがる』(2000年/アスミック・エース=東宝)である。

 ところが、これ以前にも、「雨あがる」はテレビ映画化されている。『夫婦旅日記 さらば浪人』(1976年)というタイトルで、製作はフジテレビと勝プロダクション。何とも皮肉な話であった。

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