第三夜 夢の分岐点
『夢Dreams』1990年/ワーナー・ブラザース=黒澤プロダクション
脚本・監督:黒澤明
上映が始まった。2時間後、私は「おどるポンポコリン」を鼻歌で奏でつつ、映画館を出た。「狐の嫁入り」から始まった寓話が「狸の**タマ千畳敷」で終わるとはサイコーではないか。
その直後、この映画館の支配人と顔を合わせた私が「サイコーでしたね」と笑顔を向けたところ、支配人殿はシブい顔を向けてくるので、私はヒヤリとしたものだ。
筒井康隆の「夢の木坂分岐点」を読んで、「作者における意識の流れ」に、私は敏感になっていたかもしれない。私は慌てて口を閉じることにした。
それから16年後の2006年、橋本忍の『複眼の映像――私と黒澤明』を読んだ私は、仰天することになった。
橋本忍が『乱』や『影武者』(いずれも黒澤プロダクション/脚本執筆順)を買っていないことは納得する。『夢Dreams』が黒澤明の「最高作」という評価も分かる。
ところが、橋本忍は『夢Dreams』の第六話「赤富士」や第七話「鬼哭」は饒舌気味で、話がダレ少々しんどいので、それほど面白くない。しかし、第八話「水車のある村」は本当にすばらしい、というのだ。
あの「赤富士」が饒舌? あれだけのセリフの量があって、はじめて成り立つ話だと思いましたが?
「赤富士」の井川比佐志の「役割の変化」は重要である(と私は思った)。私(寺尾聡)が最初に見かけた男は「単なる隣人」であったのに、中盤では「原発事故の解説役」になり、最後は「元凶であった原発職員」になっている。
本当に、スーツ姿の井川比佐志のためのネームプレートとして、「単なる隣人」「原発事故の解説役」「元凶であった原発職員」の名札が用意されていなかったのは惜しまれる。
そして「水車のある村」。私(寺尾聡)に「ここに電気は引いてないんですか?」「耕運機やトラクターはないんですか?」と質問攻めにされた「103歳の老人」――に化けた長老狸(笠智衆)は、答に窮して長老狸の正体を「**タマ千畳敷」ごと明かそうとするが、なんとか思いとどまって、「99歳の婆狸」の葬礼に出向いた子狸たちと踊ってみせる。
もう私は笑うしかないのだが、同じ『夢Dreams』を見たはずの橋本忍には、これは長老狸ではなく「本物の103歳の老人」に見えたらしい。
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《コラム》
ともかく、筒井康隆の「夢の木坂分岐点」は。読んでほしい。私がワーナーの宣伝マンだったら、試写会に筒井を招いて、コメントを頂戴するところだ。
あるいは、まっとうな宣伝プロデューサーからは、「それこそ黒澤マジックに化かされているのだ」と嘲笑されるかもしれないが……??
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