第34話 今日もまた、放課後のファミレスで。

 森野光莉との関係を一言で言い表すなら、『幼馴染み』だ。


 小学校に入る前から家族ぐるみで仲良くしていて、小中高と同じ学校に通うほどの長い付き合い。


 家も隣同士で、朝に弱い俺を光莉が迎えに来るというやり取りも、もう十年以上続けられている。


 そんな、どこにでもいる普通の幼馴染み関係。


 それこそが、俺――隣水樹と森野光莉の関係性である。


 ――つい、先日までは。


「水樹。今度の土曜日に水族館に行かない?」

「水族館? また突然だな」


 日が傾き始めた、放課後のひと時。


 空席の目立つファミレスの最奥の席で、俺は大切な恋人に疑問の声を返していた。


「近くの水族館に新しい魚が入ったんだって同じクラスの子が言っててね。私も見に行きたいなあって」

「へぇ、新しい魚ねぇ。いいじゃん、見に行って来いよ」

「何で私が一人で行く前提なの? 水樹も行くに決まってるじゃん」

「冗談だよ冗談。お前を一人で水族館になんか行かせられねえよ」

「え、それって私がナンパされるかもしれないって心配してるって事?」

「いや、お前一人だと迷子になりそうだなって」

「すいませーん。パフェの追加お願いしまーす」

「別に料理を追加するのは構わんけど、自分で払えよ」

「今日は水樹が奢ってくれるって言ってたじゃん」

「言った覚えねえよ。勝手に捏造するな」

「ぶー。けち」

「言ってろ」


 頬を膨らませる光莉に、俺は冷たい言葉を返す。


 俺達はついこの間までただの幼馴染みだった。


 毎日のようにファミレスに通い、毎日のように意味のない会話を繰り広げる――そんな何の変哲もない、どこにでもいる普通の幼馴染みだった。


 だが、今の俺達は違う。


 このファミレスで光莉から告白されたことで、俺達は恋人同士となったのだ。


「しっかし、水族館ねぇ。別に行くのはいいけど、魚見るだけの何が楽しいんだ?」

「あー。今水樹は全世界の水族館好きを敵に回したよ」

「限定的過ぎるだろ。水族館好きの人間がどういう奴なのかなんて想像すらできねえよ」

「私がその水族館好きな人間の一人だけど?」

「マジかよ。じゃあ俺が今後お前を敵に回さないように、水族館の良さってやつを教えてくれ」

「しょうがないなあ。パフェを食べた後でもいい?」

「その頃に俺がまだ水族館の話題を覚えてたらな」


 光莉は届いたパフェにスプーンを刺し、掬い上げたアイスクリームをぺろりと一口。


「ん~♪ 甘くて美味しい~♪」

「毎回毎回同じもんばっかり食ってよく飽きないよな」

「飽きる訳ないじゃん。だって一番好きなんだもん」

「たまには他のもん食いたくならねえの?」

「ならないかなぁ。水樹の事がずっと好きだっていうのと一緒だよ」

「全然一緒じゃないと思うんですけど」


 スイーツと恋人を同列に並べるんじゃありません。あと恥ずかしいから公衆の面前で歯が浮くようなこと言わないでくれ。


「あ、顔真っ赤になってる」

「うっせえ」


 顔を逸らして悪態をつくと、光莉はケラケラと楽しそうに笑った。


 昔から俺達はいっつもこんな感じだ。


 光莉が俺をからかって、俺が光莉に文句を言う。


 異性というより同性のような関係性。いつも一緒にいるのが当たり前で、ふざけ合っているのが当たり前。


 恋人になった今でも、この距離感はどうやら変わらないらしい。


 きっと、俺たちはこのままずっと一緒にいるんだろう。毎日会っては状況を話し、冗談を言い合う。そんな関係を保ったまま――


「そういえば、私達この前キスしたじゃん?」

「げほぁ」


 いきなり地雷をぶっこんできやがった光莉に、俺は思わず咳き込んでしまう。


「げほごほげほ! い、いきなり何言ってんだお前」

「いや、言葉の通りだけど。この前キスしたじゃんって話がしたいです」

「ちなみに拒否権ある?」

「だめ」

「そうですか……」


 指で小さく×印を作る光莉。些細な行動だけど、とても可愛らしい。やっぱり美少女ってずるいよな。どんなことをしても可愛くなっちまうんだから。


 話を進めたくない俺のことなど気にする様子もなく、光莉はスプーンをくるくる回しながら続ける。


「キスをしたから、そろそろ次に関係を進めたいって思ってるんだよね」

「ねえ、あえてツッコませてもらうけど、それって夕方にしないといけない話か?」

「大事な話に時間なんて関係ないっしょ」

「そこまで大事な話かなあ」


 光莉が何を言いたいのか普通に感づいちゃいるけど、マジで夜に話すべき内容だと思うんだよな。


「まあまあ、話を続けるけど、次に私達がするべき事があると思うんだよね」

「一緒に買い物に行くとかか?」

「わざとズレた事言ってるよね?」

「サアドウデショウネー」

「……あんまり避けられると傷ついちゃうかも」

「言っとくが、結婚するまではやらねえからな。――あ」


 そこまで言ったところで、俺は自分の過ちに気付いた。


 いや、言葉自体は別に間違っていないんだけど。今このタイミングで言うべき事じゃないってだけであって……。


 後悔を胸に抱きつつ、目の前の幼馴染み兼恋人の顔を見てみる。


「え……」


 これでもかってぐらい顔が紅蓮に染まっていた。動揺が体に直結してしまっているのか、スプーンを手から落としてしまってもいる。


「け、結婚って……そ、そこまで考えてくれてたの?」


 あーもー嫌だ。数秒前の自分をぶん殴ってやりてえ。


 でも、ここで話を逸らしたところで意味はないし、諦めて話に乗ってやるとしようか。


「当たり前だろ。生半可な気持ちで付き合ってねえっつの」

「そ、そっか……そうなんだ……えへへ……」

「めちゃくちゃ顔ニヤけてんぞ。さっきまでの余裕はどこにいったんだよ」

「そ、そんなこと言われても……まさか結婚のことまで考えてくれてるとは思わなかったし……」


 俺だって言うつもりはなかったよ。こういうのはちゃんとした場とちゃんとした空気の中で伝えるべきだと思ってたんだから。


「結婚、結婚かぁ……子供は何人欲しい?」

「待て。勝手に話を進めんな。頼むから現実に戻って来てくれ」

「そ、そうだよね。子供の前に、まずはキスよりも先の段階に進まないといけないもんね」

「ちくしょう! 話が軌道修正されやがった!」


 こんな形で話が元のルートに戻る事があるのかよ。会話って難しいなあオイ。


「はぁ……何でそんなに先に進みたいんだよ。キスしてからそんなに日が経ってないし、もっとゆっくりでもいいだろ」

「だって……水樹から愛されてる実感が欲しいし……」

「めんどくせえなあオイ!」


 いつからそんなに繊細な奴になったんだお前は。頬を赤らめながら言っても俺は絆されないからな。


「水樹は私と、その……えっちなことしたくないの?」

「したいに決まってんだろ。……すいません今の聞かなかったことにしてください」


 性欲に忠実な思春期な俺が本当に俺は嫌いです。


「私も、水樹と……したいよ?」

「やめろ、マジでやめてくれ。そこで上目遣いとかされたら我慢できなくなるから。婚前交渉は絶対にしないって心に決めてるんだから心を揺れさせないでくれ」

「えー? 二人で旅行に行っても手は出してくれないの?」

「出さねえよ」

「ほんとにほんとに?」

「……出さねえよ」

「今、ちょっと考えたよね?」

「考えてねえし!」


 若いうちに子供ができたって大変な目に遭うのは自分自身だ。ちゃんとお金を貯めて、生活の基盤を整えてから子供を授かる。面白みのない人生設計かもしれないけど、光莉を幸せにすると決めた以上、ここを譲る訳にはいかない。


「お前には悪いけど、結婚するまでは何があっても手は出さないからな」

「ゴムをつければいいんじゃない?」

「何でそんなにセックスしたいんだよお前は!」

「……だって、水樹と一緒になりたいんだもん」


 頬を膨らませて露骨に拗ねる光莉さん。頼むから俺の理性を崩すような真似はしないでほしい。


 光莉はスプーンを拾い、パフェをザクザク刺しながら、


「ま、今は別にいいけどね。私がその気にさせればいいだけだし」

「俺はもうお前が怖くて仕方がねえよ」

「水樹がヘタレなことぐらいずっと昔から知ってるし」

「その言葉だけは聞き捨てならないんですけども!?」


 否定できないところが悲しいが、だからといって好き勝手言われるのも我慢ならない。これでも俺は一人の男。ヘタレなどというダサい称号を大人しく受け入れる訳にはいかないのだ。


「じゃあさ、勝負しようよ」

「はぁ? 勝負?」

「そう、勝負」


 光莉は俺の目を真っすぐと見つめる。彼女の瞳の中では覚悟の炎が燃えていた。


「水樹が私に手を出しちゃったら、私の勝ちっていう勝負」

「なんだよそれ。誰がどう得するんだよ」

「もちろん、私の誘惑に負けた水樹を見る事が出来た私が得をする勝負です」

「そうですか。じゃあ俺の勝利条件は?」

「結婚するまで私に手を出さなかったら水樹の勝ち?」

「何で疑問形なんだよ」

「いや、だって……どっちにしろ結婚するんだなぁって……えへへ……」

「照れちゃったよこの人」


 勝とうが負けようがずっと一緒にいる事になる訳だけど、まあそこをいちいちツッコむのは野暮というものだろう。

 性欲魔人に呆れの視線を送りつつ、俺は盛大に溜息を吐く。


「ま、これからもずっと一緒にいるんだから、気長にいこうや」

「ずっと一緒にいるからこそ、次のステージのイチャイチャの時間を長くしたいよね」

「はいはい」

「むぅ。これは中々に超えるのが難しい壁かもしれない……」


 可愛らしい光莉の行動に苦笑しつつ、俺は窓の外に視線をやる。


 学校が終わり、日が傾き始めた放課後の時間。


 俺達はこれからも、このファミレスに通ってはどうでもいい会話を繰り広げていくことになるのだろう。


 幼馴染みという関係性が恋人という関係性に変わったところで、その日常が変わる事はない。


「ねえ、水樹。話聞いてる?」

「ちゃんと聞いてるよ」


 願わくば、この最高の日々がいつまでも続きますように――。



 了。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

放課後のファミレスで幼馴染みから告白されたので付き合うことにした。最高の甘々ライフが始まって、毎日が幸せすぎる。 秋月月日 @tsukihi7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画