100円と12円のドヤ顔
@hairutoya
短編
「それで美味いもんでも食ってくれよ」
そう言われたのはこれが初めてでは無い。長いこと居酒屋で働いているとこういったお釣りを受け取らずにチップとしてくれる、と言ったことがたまにある。1000円、2000円貰うこともあれば、1万円などという大金を貰うこともある。もはやお釣りでは無い。わざわざ財布から諭吉大師匠を取り出すのだ。私が女でそこそこ可愛いからであろうか。これではただのパパ活では無いか。
まあそうは言っても貰えるものは貰っておきたい。店としてはそういった行為は禁止されており、見つかったらクビにされる可能性もあるのだがたかがバイトなのでクビにされても大して痛手では無い。むしろ店が忙しくなって悪影響を及ぼしかねないのでクビにしたくても容易にはできないだろう。1000円と言っても学生にとっては大金だ。
さて本題に戻そう。私は今チップを貰った。ここまでは居酒屋バイト生活の中で往々にして起こることだ。問題なのは金額だ。100円。そう100円だ。聞き間違いでは無い。100円だ。いや、貰えるだけありがたいのだ。文句など言えまい。4900円のお会計で5000円札を出され、お釣りの100円を貰った。会計の時にチラッと見えたのだ。
こいつ、諭吉大師匠を持ってやがる
諭吉大師匠を出せばお釣りは5100円でチップとしてはなかなかの金額だ。だがあのおっさんはあろうことか樋口のババアを出しやがった。そしてあいつはドヤ顔で「それで美味いもんでも食ってくれよ」と言ったんだ。
なんだあいつ
そんな感情が湧いてくるのも仕方が無いだろう。
自分でも何を言っているのかわからない。貰えなくて普通。貰えたらラッキー。そのような概念であるチップに高望みはしては行けない。それでも奴がたった100円でして見せたドヤ顔が脳裏に焼き付いている。
「え?100円ですよ?」
とでも言ったら未来は変わったのだろうか。居酒屋なのだからおっさんが酔っていて100円を100円と認識せずにチップとした可能性はある。だがそれならば周りが注意してくれたっていいだろう。あの時周りの人間はなんの疑問も抱かずにお会計を済ませ店から出ていった。
これがチップハラスメントか
チップハラスメントなんて言う言葉は初めて使った。よくわからない状況に遭遇したせいでよくわからない心境になっている。気分が高揚するわけでも落ちている訳でもない。とにかくよくわからない。
まぁともかく100円をドヤ顔で押し付けられたわけだ。一応禁止事項なので店長に愚痴る訳にも行かない。そうして100円玉はポケットにそっとしまわれる。
*****
私は22歳になった。居酒屋バイトはすっかりやめてしまい、今は就活中だ。昔から本が好きだったので出版社に就職したいと思っている。居酒屋でバイトしていたのも本を買うお金を得るためだった。
憧れの職業ではあるが出版業界の就職難易度はかなり高い。本が好き、と言うだけで入れるような甘い世界では無い。人の何倍もの対策をしているがまだ内定は頂いていない。恐らく今日受けたところもダメだろう。そんな憂鬱な気持ちでいた。
人間とは気分が落ち込んでいる時に何をしでかすかわからないものだ。私の場合は帰り道にタバコを買うと言う行動に出た。お酒は嗜む程度に飲んではいるがタバコだけは一生吸うつもりが無かった。22歳なので法律的には吸っても問題は無いがあんな金がかかって健康を害すものには手を出さない、そう誓っていた。居酒屋でバイトをしていた時も「タバコが辞められない」という話をよく耳にしていた。それだけタバコは人生を壊す力を持っている、それを知っているつもりだった。メンタルブレイクとは怖いものだ。
近くのコンビニに入り雑誌コーナーを見ておにぎりのコーナーへ向かい入口に戻ってくる。それを何度か繰り返した。吸わないと誓っていただけあり中々1歩買う勇気が出ない。
恐らく5周はした。そこでやっとタバコを買おうとレジに向かう。
「タバコください」
「えっと、何番ですか......?」
どうやらタバコには種類があるらしい。タバコを吸ったことの無い私にどれが良くてどれが悪いかなんてわからないのでとりあえず適当に指をさした。
「500円頂戴いたします」
カバンから財布を取り出し、会計を済ませようとしたところで気がつく。
足りない
財布にあったお金は412円。78円足りなかった。こんな歳にもなって会計が足りないなんて恥ずかしい。後ろに並んでいる人がいなかったのが不幸中の幸いか。
すみませんお会計キャンセルできますか、そう言おうとした瞬間、右ポケットに違和感を覚えた。左ポケットと比べて少しだけ重みがあった。不審に思い右ポケットを漁るとそこに入っていたのは100円玉だった。
あの時、私がまだ高校生だった頃に奴がドヤ顔で渡してきた100円だ。
この100円を使うのは癪だが......使うしか無いか......あのおっさんのドヤ顔が目に浮かぶ。
財布にあった412円と合わせて合計512円。無事にタバコを買うことができた。
「おつりの12円になります」
そう言って店員は私にお釣りを渡そうとしてくるが私がここで言う言葉は一つに決まっている。
「それで美味しいものでも食べてください」
渾身のドヤ顔だった。
100円と12円のドヤ顔 @hairutoya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます