泣かない季節
大隅 スミヲ
泣かない季節
誰がつけたか知らないが、その教師は『鉄仮面』と呼ばれていた。
先輩から聞いた話では、先輩の先輩の時もそう呼ばれていたらしいので、ずっと彼女のあだ名は『鉄仮面』だったのだろう。
年齢は、二十代後半から三十代半ばくらいだと言われているが、本当の年齢を知る人は誰もいない。誰かが冗談で、彼女に年齢を聞いた際に平手打ちを喰らったという話も聞いたことがある。
しかし、これも都市伝説的な感じであり、先輩の話だとか、先輩の先輩から聞いた話といった伝聞形式の話だったりするので、どこまで信じていいのかはわからなかった。
「この『さにあらず』というのは、「そうではない」、「違う」といった否定を表現する意味で用いられる文語的な言い方となります。漢字で書くと……」
然に非ず。
彼女はそう言いながら黒板に文字を書いていく。その文字は美しく、さすがは国語教師だと思わざる得ない。
肩よりも少し長いくらいの黒髪を無造作に後ろでひとつに束ねた髪型と、いつも同じ灰色のパンツスーツ。ジャケットの中に着ているシャツの色は曜日ごとに変化している。月曜日は白、火曜日はピンク、水曜日は水色……。
これは先輩から聞いた話ではない。僕が毎日チェックして気づいたことだった。
そして、鉄仮面と呼ばれる
いつも、ほぼすっぴんにも見えなくない薄化粧。
そのことを女子にいったら「わかってないな、お前は」と笑われた。
あれは薄化粧に見えるメイクをばっちりとしているのだそうだ。そのことを聞いた僕は「なるほど、そういう技もあるのか」と感心した。
おっと、話が少しずれた。彼女が鉄仮面と呼ばれる由縁の話だったね。
彼女が鉄仮面と呼ばれる由縁。
それは、彼女が表情の変化に乏しいからだった。
いつも、能面のように、すました顔をしている。感情の起伏が見られないといってもいいだろう。
褒める時、怒る時、悔しい時、嬉しい時、人間は様々な感情を顔の表情の変化で現すことが出来る動物だ。
しかし、彼女は表情に変化を見せないのである。
だから、鉄仮面。うまいあだ名をつけたものだと僕は感心していた。
僕は彼女の表情の変化が見たくて、どうしようもないイタズラをしかけたことがあった。
これは先輩や、先輩の先輩からの伝聞ではなく、僕が実際にやったことである。
古典的なイタズラだった。教室のドアの上に黒板消しを仕掛けて、ドアを開けた時に黒板けしが降ってくるというもの。
まあ、普通の人であれば、驚くだろうし、仕掛けられたことに気づいて怒るだろう。
僕は彼女の表情の変化に期待していた。
そして、時は来た。
彼女の授業となり、彼女が教室のドアを開けたのだ。
黒板消しは、ドアの上から彼女の前を通過して、床に落ちた。
ドアを開けたところで彼女が立ち止まったため、イタズラは不発に終わったのだ。
彼女の目は落ちていく黒板消しをじっと見ていた。
落下した黒板消しを拾い上げた彼女は、何事もなかったかのように教卓へ向かい、出席を取り始めた。
やはり表情に変化は無かった。
その他にも、僕は色々と彼女にイタズラを仕掛けたりした。
どうしても、彼女の鉄仮面を壊したかったのだ。
そして、僕の高校生活3年間は終わりを迎えた。
卒業までに、一度くらいは彼女の表情の変化を見たかった。
それだけが心の残りだった。
彼女は卒業式でも涙を見せることは無く、鉄仮面を貫いていた。
卒業式を終えた僕は、最後に教室を見ておこうと思い、廊下を歩いていた。
すると少し先に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
あれは、鉄仮面の彼女だ。
「先生っ」
僕は彼女を呼び止めた。
彼女はくるりと振り返り、僕の方を見た。やはり表情はいつもと同じだ。
「ずっと、先生のことが好きでした」
僕は三年間ずっと秘めていた思いを彼女に打ち明けた。
すると、彼女は鉄仮面を脱いだ。
笑顔だった。僕が三年間、ずっと見たいと思っていた彼女の笑顔だった。
「ありがとう。キミには色々と手を焼かされたよ」
彼女はそう言った。
笑顔を浮かべながらも、彼女の目からは大粒の涙が零れ落ちていった。
「この時期は、泣かない季節って決めていたのにな……」
彼女はそう言うと、校庭に咲く早咲きの桜へと目を移した。
彼女の顔には、まだ笑顔が残っていた。
泣かない季節 大隅 スミヲ @smee
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