第53話 エピローグ/ますます不思議な黒光さん 🪻
ふう、疲れた。いえ、執筆にではなく、黒光というひとの放つ光が強烈に過ぎて、うかうかしていると、どんと背中を叩かれ、あなたのような若輩にわたしが分かってたまるものですか!! と叱られそう。古風な表現なら女史という言葉がぴったりで、現代女性から見たら敬遠したいオバサン。虎雄さんならずとも反発したくなりそう。
かといって、まったく魅力がないわけではなくて、むしろ、その逆で。だからこそ九人も子を産んだ女性に当代の文化人男性たちが群がって来たのでしょうけど、そこが不可思議ですよね~。晩年の写真はこちらを見据えていて怖い印象がありますが、例の潔癖症もあり(笑)相当な年齢まで少女の面影を残していたようですし……。
その潔癖症について黒光さんのために言及しておけば、愛蔵さんは自分の所業への弁解のつもりなのか、周囲のひとたちに「あいつはかわいそうな女なんだよ」などと思わせぶりを吹聴していたようですが、そして、夫婦のことは夫婦にしか分からないのですが、いわゆるアセクシャル的な傾向があったかも知れないとは拝察されます。
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それにしても、自分で担当してなんですが『近代を先駆けた女性たち』シリーズに果たしてふさわしいのかどうか、率直に言って分からなくなって来ました。だって、黒光さんの場合、自身に確固たる主義主張や生き方の指針があったわけではなくて、流されるままに生きてみたら、結果的にこうなりました~っていう感じですから。
いつもなにかに夢中にならずにいられなかったようですが、仙台のキリスト教会、フェリス女学院、明治女学校、荻原碌山、中村彝、桂井当之助、岡田虎二郎、インド人のボース、ウクライナ人のエロシェンコ、右翼の頭山満、仏教の高僧……こうしてみてもまるで一貫性が見えて来ません、成りゆきで出会ったものに入れこむ感じで。
そういう点が可愛いと言えば言えそうですが、それはあくまで男性の側からの観方であり、女性はそんなに甘くないと思います。端的に言って単なるミーハーですから。若いむすめさんならそれで通るかも知れませんが、加齢に学んでいなさそうなのがちょっと残念。そこが自分中心に地球がまわっていると評される所以でしょうか。
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それにしても先輩編集者はなぜ「ふたり、どことなく似ているから」と言ったのでしょう。折々に考えていたのですが、いまだに答えを得ていません。ひとつ似ていると思うのは、先述のアセクシャル的な傾向かも。男性性をぎらつかせられることへのぞっとする嫌悪感、筆者も相当に強いので、愛蔵を否としたことはよく分かります。
あとはそうですね、相次いで産んだ子どもたちへの関心の薄さとか、虎雄が指摘したように、店の商品に自分の雅号をつけるとか、その辺の感覚は、正直、理解できません。戦後、新築した家にも「黒光庵」と名づけましたし、愛蔵が許したからでもありましょうが、そこはだれかに止めて欲しかったなという気がしないでもないです。
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ご批評の前に先手を打たせていただきましたが(笑)そうかといって全面的に共感できないわけではなくて、周囲の方々が異口同音に仰せのように、愛すべきところもたくさん持っていた大先輩でして、ややもすると負の側面が省かれがちな偉人伝ではなく、長所もあれば短所もあってこその人間ということで広くご海容賜りたく……。
どんな点が長所か、ですか? それは拙作をご高覧くださった方がそれぞれの視座で発見してくださるのがよろしいかと存じます。筆者自身にも見えていない美点が、高く晴れ渡った夏空のように清潔な瑠璃色の顔を随所にのぞかせているかも知れず、その青空の底へと分け入って行く小鳥のような冒険旅行も乙なものかも知れません。
[完]
※ 参考文献:臼井吉見『安曇野』(全5部 1987年 筑摩書房)
宇佐美承『新宿中村屋 相馬黒光』(1997年 集英社)
その他、相馬愛蔵・黒光夫妻による著作やネット記事など
アンビシャス/小説・相馬黒光 🥻 上月くるを @kurutan
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