第52話 自叙伝『黙移』への評価は是非二分される 📚
虎雄が見抜いたとおり解明的なことを言いながら仙台藩士のプライドを捨てきれず芯の部分で頑固に保守的な黒光は、昂りがちな末子が純愛と信じこんでいる恋愛を「現実的で平凡」と突き放しながら、しぶしぶ交際を認める。シズエと親族は相馬家から身を退く、逢瀬は相馬家の二階で、虎雄の経済的な自立、の三点を条件にして。
(デートの場所をわが家の虎雄の部屋に限定したのは意地悪ではありませんよ。外でこそこそされたら中村屋の名に傷がつきかねませんし、当人たちだってうしろめたい気持ちになっていやじゃありませんか? ですから、逢うならば正々堂々となさいと言ったまでです。千香子やわたしの目があって無理? そんなこと存じませんよ)
約束どおりシズエは中村屋で働く父母とともに退去して、妹ひとりがレジ係としてのこった。一件落着とはなったが、黒光も虎雄も晴れて仲直りというわけにいかず、この母と子のあいだには、相変わらず沈鬱で面白くない空気が黒々と沈殿していた。そんなところへ持ちあがったのが虎雄自身による四国八十八か所巡りの話だった。
黒光はまたしても先まわりで虎雄に説諭する「行くからには全行程を全うなさい。万一、途中でもどって来るようなことになればお遍路の精神にも反するし、男子の恥です。意志薄弱は諸悪の根源につき、よく熟考して実行しなさい」。息子といえど、それが二十三歳の男性にかける言葉かどうかを考えないのが黒光という女性だった。
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あまりに感受性豊かな性質ゆえの荒ぶる心を鎮めに行ったはずの遍路旅も、波静かというわけにいかなかったようだが、修業所で僧に騙されたり、幼いころ母と一緒に見た夕日を思い出したり、人に物を贈る行為は贈る側の自己満足だと悟ったり(贈り好きな母への皮肉をこめ)手紙で折々の状況が知らされて来るので安心だった。
その間の出来事や所感を随筆風にたどる黒光の稿は「我子を四国遍路の旅に送る」として雑誌『女性時代』に掲載されたが、警察に収監された虎雄が留置場で暴力事件を起こして刑務所の独房送りになった経緯にも触れたので、のちそれを知った虎雄をして、なぜ断りもなく自分の一存で勝手なことをするのかと激怒させることになる。
翌年、虎雄は昭和医学専門学校を受験して合格し、家を出て下宿に移った。遅ればせに虎雄が医療の道を志したのは仙台の叔父・布施現之助の影響によるものと思われるが、外の紳士が家では妻(黒光の紹介で知り合った妹・喜久)に頻繁に暴力をふるい、二児にも疎まれ、のちに家庭を崩壊させることにはだれも想像が及ばなかった。
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虎雄との母子関係に悩む黒光に、さらなる鉄槌をくだしたのが、病的な女性関係により黒光が病気のときの店での監視役となった千香子にも頭が上がらなくなり、自ずから家庭内の決定権を辞退していた愛蔵の支援で黒光の還暦記念に出版された自叙伝『黙移』(実際は島本久恵による口述筆記)だったことはずいぶん皮肉な話だった。
いわゆる識者たちが「明治文学研究の得難き文献」「日本女性文化史」「女性解放の先駆け」など当たり障りのない讃辞を贈るなか、硬派の女性紙『週刊婦女新聞』の発行人・福島春浦ひとり異を唱える。「『黙移』を通して見た相馬黒光女史」という見出しの記事には、一見、讃辞ふうに見える記述にも痛烈な皮肉が埋めこまれていた。
曰く、信子と独歩のあいだに入ったり、ボースの保護や俊子との結婚に果たした役割は義侠的人道的、白日天を射るような光彩を放つ。黒光の名は白光と改めるべき。生死の瀬戸際を出入りするような環境は、外からでなく黒光自身が造り出したもの。徹底主義の老後の研究が、理屈を言わず微笑む仏像に傾いているのも偶然ではない。
なにはともあれ虎ノ門晩翠軒で行われた出版記念会には木下尚江、巌本善治、羽仁もと子、秋田雨雀、神近市子、市川房枝など親交のあった名士連が駆けつけて中村屋サロンの女王の面目を施すが、宗教学者・矢吹慶輝による善財童子になぞらえた黒光の半生への讃辞には、近代文学研究家・柳田泉から「もっと迷え」の声があがった。
(五十三人の高徳の聖人を歴訪し、最後に普賢菩薩によって悟りを開いたといわれる善財童子を引き合いに出してヨイショしてくださった矢吹先生には恐縮だったけど、正直、ありがたくはなかったわね。だって『週刊婦女新聞』が間違っていないことをもっともよく知っているのは、ほかならぬこのわたしですもの、所詮はマガイモノ)
その日の持ち上げられ役として如才ない笑みを浮かべる顔の胸の内では、並みいる文人墨客と互角の文化論を闘わせながら、じつは、わが子の教育ひとつできなかった女の顎をしゃくりあげらせていた。ただ、どこまで行ってもひとさまに自分の弱みを率直に見せられる黒光ではなく、あくまで強気で押しきるしかなかったのだが……。
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それから七年後の昭和十八年、虎雄は愛妻シズエと長女・幸子をのこし軍医として中国東北部虎林に赴任する(戦後の消息不明)。ほかにボースの逝去、疎開、空襲、ボース正秀の沖縄での戦死、中村屋復活、調布に新居「黒光庵」完成、愛蔵の逝去(享年八十四)を経て、黒光こと相馬良は三十年三月二日に逝去した(享年八十)。
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