1次元で恋して

@mokeeuph

1次元で恋して

 ニンゲンってやつは勝手だ。

 緯度・経度・高度の三次元を自在に行き来しやがる。もっとも道具を使わずに高度だけを増やしたり減らしたりするのは難しいらしいが。

 それに引き換え俺たちのこの世界は ―― 一次元だ。


 俺の名はA(-3)。俺たちにとって唯一の世界である『軸』、その『原点』から軸の方向とは反対向きに、距離3だけ進んだところにいる点だ。

 この世界では体積も質量もなく、皆がただ『大きさ』と、プラスマイナスの『符号』だけを持っている。

 もちろん俺たちは、『軸』にそれ以上の名称があるのかどうかも知らない。

 もしここが『x軸』だったならば、そこに『y軸』が交わってできるなんていう世界もありそうだが、俺たちがいるのは平面ではなく、軸なのだ。

 この軸の中で、俺たちは日々を生きている。


 そんな俺が、恋をした。


 あれは『しばらく』前のことだった。みんなで『1/100(100分の1倍)』になる練習をしてたとき、すぐ近くに見えたB(3)。もちろんその瞬間の彼女はBダッシュ(0.03)で、俺はAダッシュ(-0.03)だったわけだが。

「あと少しで手が届きそう」というところだったが、点にそんなものなどなかった。

 すぐにまたもとのA(-3)とB(3)に戻ってその回はおしまい。

 だが、完全に一目ぼれだった。


「6離れたところにあんなにステキな子がいたなんて……。」

 思いにふけっていると、

「おいA、そんなところで停止してないで一緒に-7作ろうぜ。」

 声をかけてきたのはC(-4)、昔からのダチだ。

 -7をつくるというのは、2人で和を作ると(-3)+(-4)=-7に移動できるのだ。

 任意の相手と和を作る、これは俺たちの意思でできることだ。

 ただし、『しばらく』すると元に戻る。


『しばらく』というのが何者なのかはよくわからない。

 ニンゲンは『秒』とかいうものをもとにいろいろ表し方を持つようだが、ここにそんなものはない。

 こういったニンゲンの世界の知識は、誰が教えたわけではないのだが、そういう世界があるらしいことだけ知っている。自在に移動できるなんてうらやましいじゃないか。


 さて、B(3)に会いたい。どうすればよいだろう。

「そりゃお前、+6を持つヤツとお前とで和を作ればいいんじゃないか?」

「何言ってるんだ。Bに会いたいのに、Bより遠くにいる相手と和を作るのも変だろ。」

 和を作るときの移動は瞬く間だが、そのためには相手とあらかじめ知り合いになっておく必要があるのだ。

「それもそうか……。でも+1や+2とじゃ足りないだろ?方法なんてあるのか?」

「わからない。考えてみるさ。どのみち俺らには和を作ることと考えることしかできないんだ。」


 そのときだった。何かが『負の方向』からこちらに向かってきた。

「Pだ!」Cが言った。

 そいつの名は動く点P。俺たちと違い決まった居場所を持たず、いつも動いている。

 ふと思いついて、Cに聞いてみた。

「なあ、Pに連れて行ってもらえないかな。」

「それだと運よく+3になれることがあっても、また別のところにいってしまうんじゃないか?」

 それじゃ困る。+3に行きたいんだ。

「それにしてもPって不思議だよな。行ったり来たりしてるならともかく、『正の方向』にいったはずのPがその次にまた『負の方向』から来ることもあるんだよな。」

 というC。少し考えて、俺は

「それだけなら、Pはしばらくすると遠い負の位置に戻ってるだけじゃないのか?」と言ってみた。

「でも2回続けて『正の方向』から来たこともあったぞ。」

「ってことはPはこの軸上を移動する別の方法を……?」

「そうかもしれないが、まあそんな得体のしれない奴がお前をBに連れて行ってはくれないだろうな。」


「ねぇ、何の話してるの?」

「おう、Dか。Aのヤツがさ、+3に行きたいんだとよ。」

 声をかけてきたのはD(-5)、近所で一番目立つやつだ。声が大きいとかそういうことではなく、-5という値ゆえに目につきやすいのだ。

「ふーん、なら+6つかまえればいいじゃん。」

「それがよ、Aのヤツ+3を飛び越えずに+3に行きたいんだってよ。」

「へーえ?……Aってばそういうことなの?青春だねぇ。」

「からかうなよ。」

「そういうことならさ、ちゃんと方法あるじゃない。普段何のために『1/100』になる練習してると思ってるのよ。」

「何のためにって、そんなこと考えたこともなかったけど何でなんだ?」

「私たちはみんな大きさを持たない点だから、見ようとするだけじゃ見えないのよ。感じなきゃ。」

「何を感じるっていうんだ?」

 普段『1/100』になるときは、どこからともなく指示が聞こえてきて、気づくと『1/100』になっているのだ。

「そのときに見えた世界を思い出してみて。何か感じられない?」

 意識を集中する。Bがすぐ近くに見えたあの時のことを――


 ――途端、周りにたくさんの気配を感じた。

「ほら、私たちの周りに-4.5とか、-3.8とかたくさんの人がいるでしょ?」

「知らなかった……。でもこの人たちって『1/100』になったときどうなってるんだ?」

「どう、ってそのまま-0.045とかになってるはずよ。私たちはそこまで感じられないかもだけど。」

「お、俺にも感じられたぞ!」

 Cも知らなかったようだ。

「ところでアンタたち、プラスの知り合いとかいるの?」

「Jさんは知ってるけど、それ以外はあんまり……。」

 J(10)さんはだれとでも和を作ってくれる良い人だが、普段の俺たちからはかなり遠いところにいる。もちろん+6よりもさらに向こうだ。

「俺はマイナスの知り合いばかりだな。Kさんとこの前-24作ったぞ。」

 ってことはK(-20)さんか。それほどの遠くへは行ったことがないな。

「頼れる人いなさそうね。そしたらFちゃんに協力してもらおうかね。Aは自分の位置で待ってて。」

「なにか方法がありそうだな。じゃああとはDに任せて、俺は新しい子に声をかけてみるわ。じゃあな。」

 そういうとCはさっそく目の前からいなくなってしまった。誰かと和を作ったらしい。


「Fちゃん連れてきたよ!」

 Dが一人の子を連れてきた。

「こんにちは。あなたがA(-3)?」

「A(-3)です。来てもらってすみません。」

「Dちゃんと仲いいから、(-5)+(+2)=-3でわたしここにはよく来てたんだよ。」

「ということは、F(2)さんなんですね。」

「タメ口でいいよ、Dちゃんの友達なんでしょ?」

「ありがとう、Fさん。」

 Fちゃんと呼ぶのはさすがに馴れ馴れしいかと思った。


「Dちゃんから聞いたんだけど、Aくんと私で和を作っても-1だよ。プラスに行きたいんでしょ?」

「+3に行きたいんだ。あと+4必要なんだけど、Fさんの周りで協力をお願いできそうな人いるかな。」

「それならGちゃんとHくんかなー。でもHくん細かく分かれてること多くて。」

「分かれるって、どういうこと?」

「私もよくわかんないんだけど、0.1ずつ離れたところに6人に分かれてるのが和を作るとHくんになるの。」

「分かれるって言ってもそれぞれはプラスなんだよね?」

 どういうことなのかよくわからないが、とりあえず聞いてみた。

「そうだよ。みんなプラス。ここまで言えば、Gちゃんのほうもいくつかわかったかな?」

 突然のFさんからの問題。

 0.1から0.6までの和で2.1、0.2から0.7までの和だと2.7。

 和が3より小さいとして、考えうるHの値は2通りあるが、ここは直感でいくしかなさそうだ。

「H(2.1)くんとG(1.9)さんだ!」

「あたりー。すごいねー。」

「自信はなかったですけどね。」

 和が+4になるんだから、Hが+2.1ならGは+1.9ということになる。

「2人には私から話しておいてあげるけど、今の私はDちゃんと和を作った状態だから、しばらくしてからだね。」

 確かに今の状態では(-5)+(+2)+(-3)=-6になってしまう。

「また後で、よろしくお願いします。Dも、ありがとう。」

「うまくやんなよ、A。」


『しばらく』して、一人になった。

 だれかと和を作るときは、相手の存在を明確に感じ取る必要がある。

 はじめて会うG(1.9)さんH(2.1)さんを感じるには、F(2)さんの手助けが欠かせないだろう。

 見た目はみんな同じ『点』だけれど、優しい人たちだといいな。

 手順を整理しよう。

 まず、F(2)さんとの和で-1に行く。

 そのままG(1.9)さんとの和で+0.9に行く。プラスの世界は久しぶりだ。

 そして、H(2.1)さんとの和で+3にたどり着く。


 よし。やれる!

 Fさん、「はーい。」

 Gさん、「いいですよ。」

 そしてちゃんと+2.1になっててくれたHさん、「いいぜ、行こう。」


 ――こうしてたどり着いた、+3。

「Bさん。」

「はい、Bです。……Fさんと、あなたがたは?」

 しまった、Bさんに会うというのに、みんなに協力してもらったから2人きりにはならないことは考えてなかった。

 だが、俺はどうにかセリフを続けた。

「俺、A(-3)です。前からBさんとお話してみたくって、Fさんたちプラスの皆さんに手伝ってもらいました。」

 Fさんが「がんばれ」という顔をしている。

「マイナスの方なんですね。私、『原点』より向こうの世界は見たことがなかったもので。」

 話に聞いたことがある。プラスの世界で生まれた人たちは符号を意識することなく生活していると。

 特に、正の整数値をもつ人々は自然数と呼ばれ、大切にされていると。

 だから、BさんはGさんやHさんとも話したことはなかったようだ。

「それなら、俺と和を作ってみませんか。見たことのないマイナスの世界ではなく、『原点』に立てるはずです。」

「私、0.03までしか行ったことがないんです。」

「俺は、あなたが0.03まで来てくれたときに、あなたに会ってみたいと思ったんです。」

 一目ぼれ、とはさすがに言えなかった。

 そして、お互いが反対方向であっても『原点』から等しい距離にいること、すなわち『絶対値』が等しいことをそのとき悟ったのだ。

 だから、和を作れば『原点』、すなわち0に行くと。

「『原点』から、この世界を見てみましょう。」

 Bさんは少し驚いたようしばらく』したら、声をかけてください。」


『しばらく』して、-3にもどった俺。

 心の準備はいいか。いくぞ。

「Bさん。」

「……はい。」


 ――ここが、『原点』。

「ここが、『原点』なんですね。」

「そうみたいですね。」

「ここからだと、プラスの世界だけじゃなくマイナスの世界もよく見えますね。」

 Bさんは、初めて見るマイナスの世界を興味深そうに眺めている。

 俺は、そんなBさんに見とれてしまう。

「Aさんも、ここに来たかったんですか?」

「俺は、」

 ひと呼吸して、

「俺はBさんに会いたかったんです。」

「私にですか?」

「なぜなのかはわかりません。ただ、会いたいと思ったんです。」

「不思議ですね。でも、そう感じてくれる人がいるというのはうれしいものですね。それに、『原点』に来る機会があるなんて思いませんでした。」

 プラスどうしで和を作る限り、『原点』から、というよりそれぞれの値からは『正の方向』にしか移動しないから無理もない。

 Hさんを構成する+0.1の人なんかは『1/100』になると+0.001でかなり『原点』に近いところに来てるのだろうが、それとてプラスの世界の中での話だ。

 そう思ったところで、改めて自分の目でプラスの世界、マイナスの世界と見渡してみた。


 D(-5)やJ(10)さんの気配だけでなく、+5や-10にも気配を感じる。

 ここからだと、それぞれの持つ値をイメージしやすいようだ。

「Aさん知ってますか? この世界には0.01よりももっとずっと細かい世界があるんですって。」

「0.001とかってことですか?」

「いいえ、もっともっと、ずっと細かい、私たちには意識できないような世界です。」

「俺、0.1の気配を感じることができるようになったのもごく最近のことで、想像もつかないです。」

「私も同じくらいですよ。ただ、」

「ただ・・・?」

「私の近く、3.1さんと3.2さんの間に不思議な人がいて、その人に会おうと多くの方が苦労なさっているようなんです。」

 そうまでして会いたい、どんな人なんだろうか。

「だから、ただの3である私に会いたいなんて言ってくださる人は珍しかったんです。」

「それでも俺は、Bさんに会いたかったんです。」

「ありがとうございます、Aさん。」

「これからもまた、ここでBさんと会えますか。」

「もちろんですよ。マイナスの世界のことも教えてくださいね。」


 ただの数直線だと思っていたこの一次元で、恋をした。

 大きさを持たない俺の心に、大切なものが芽生えた気がした。

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