第2話 酒のうんちく。余分が多いが「ニワカ」でない真の「オタク」はそこに価値を見るだろう。
アクア様に「あ~~~ん」してもらって大人げなく泣きそうになったが。
「泣いておったぞ」
「泣いていたのじゃ」
「泣いていないから。これは美味しくて目から涎が出たんです」
「汚いな」
「では目で「あ~~ん」」と行くのじゃ」
照れ隠しで冗談を言ったら魔王様とアクア様も冗談で返してくれた。
「冗談。冗談ですよね。デスからその熱々のネギを近付けないでください!」
せめて固形物は避けてください。
「あ”あ”あ”~~~~~~~~~~~!」
ネギは叫びを上げた口に入れてくれた。
出汁が効いていて美味しかった。
こういう温かい食事は本当に久しぶりで楽しかった。
うん、俺はこの世界に温かい食卓を広げたい。
そう決意を新たにしたのだった。
「うむうむ。身体がポカポカするのじゃ」
アクア様も魔王様もお酒には慣れていない、そもそもお酒の無い世界の人がアルコールの分解能力があるのかとも思ったが、現代人と違って古代の人達は衛生面が低い時代にも食事や飲酒をしてきたのだから問題ない。
それは今からしたら食中毒案件のようなレベルのものだったりもある。
例えば落ちているモノを食べたりするだったりする。
イグノーベル賞というモノを受賞した研究によると「3秒ルールは通用するのか?」というもので、全く通用しないと結論を出していた。
落ちたモノは1秒だろうと雑菌が付着するのだ。
だから落ちたモノは食べちゃダメなのだ。
にもかかわらず昔は3秒どころか落ちているモノでも20日以内なら大丈夫とか言って食べていたらしい。
そのため昔の人は免疫が高かったのだ。
まあそれでもアタル奴はアタル訳だが。
そういう犠牲があったからこそ人間は殺菌や消毒という技術を確立していったのだ。
そして食事ではそういう殺菌効果のある食材を用いることで安全に食事を出来るように知識を蓄えた。
それが料理の成り立ちのひとつである。
食中毒対策が料理の発祥で「焼く」「煮る」「蒸す」「燻す」という工程はここから始まった。
それによって得られる安全性を体が覚えていき遺伝子に刻まれることで人間は味覚というモノを発展させてきたのである。
つまり美味いと感じることは生物の生存本能なのである。本能的に生きるために美味いモノを食べるのが生物の真理である。
あるはずなんだけどな~~~~~。
日本人だけはここら辺バグっているというか頭おかしいからな。
それについてはまた今度掘り下げるとして。
とりま異世界人がお酒や料理を美味しいと感じられるのは本能的に体が求めているという証拠なのである。
臭いモノや不快なモノは本来身体に悪いと拒絶しているモノのはずなのだ。
それでも極限の空腹により生きるために臭いモノ、要は腐ったものでも食べなければならないような時代があったのだ。
干ばつなどの自然災害、戦争などの人的災害による飢饉である。
俺達の世界でも長いことこの問題と戦ってきた。
その成果が実り現代の日本が誇る「文化大国」としての様々なコンテンツとなっているのだ。
そのコンテンツの1つが「日本の食文化」である。
日本という国は西暦645年に始まった「大化の改新」による政編によって定まったとされている。
しかし日本文化とは「縄文時代」から始まっていたと俺は考えている。
「縄文時代」とは今から13000年前、紀元前1万年以上前からおよそ1万年の間続いたとされる時代である。
これまでは「縄文時代」は石器時代に似た原始的な生活をしていた時代だと考えられてきた。
しかし近年の研究で「縄文時代」は社会性を構築した文化的な時代だったと考えられるようになって考古学的に注目されている。
世界最古の文明とされている「メソポタミア文明」が紀元前3500年ごろに興ったとされているので、それよりも6000年以上前から在ったのだ。
「縄文時代」の前は氷河期の「旧石器時代」とされている。
「旧石器時代」は石を用いた武器を使いマンモスなど大型哺乳類を狩猟して肉を食べて毛皮を服にして生活していた。
そして「旧石器時代」の後が「石器時代」である。
が、日本だけは土器を造る縄文時代になっている。
「石器時代」に入ると氷河期は終わり気候が温かくなって行った。
これにより森や山々に植物が多く育つようになって行く。
氷河期では寒さに強い針葉樹ばかりで硬く大きな針葉樹では大型の哺乳類でなければ食べることが出来なかった。
しかし温かくなり広葉樹や小さな野草などが増えることで昆虫や小型の草食動物が繁殖していった。
こうして生態系が変わることで人間の食生活に変化が生まれてきた。
狩猟がメインであったがマンモスは絶滅してしまい獲物は小型から中型の哺乳類に変化していった。
また果物なども手に入るように成り雑食だった人間は少しづつ植物を食べて行くようになった。
学術的にはこの「石器時代」までを原始時代としている。
と言うのもこの時代までは人間は社会性が乏しかったとされているからだ。
マンモスを狩っていた時は相手がずっと大型だったため大人数で協力しなければならなかったが、氷河期で食べ物が少なかったため人口は少なかったのだ。
そのため人間は寄り集まる必要があったが他の集団と生存圏が被ることがなかった。
しかし氷河期が終わり食べ物が増えたことで人間も繁殖して数を増やしていった。
更に獲物が小型化したことで労力の分散が出来るようになったのである。
こうして増えた人口の食料を獲得する為生存圏が広がっていく。
そしてこれまで離れていたために交流が無かった集団には遺伝的な差異が生まれていた。
つまり人間でも別の種族となっていたのだ。
そんな者達が出会い仲良くは―――なれないのは人間の歴史が証明しているだろう。
縄張りが被った者達は争いあった。文字通り相手を滅ぼすまで殺し合ったのだ。
実際に絶滅した原始人はいくつもあった。
そうした理由から「石器時代」は原始人とされていた。
そこから「メソポタミア文明」が文明の発祥だとされる理由だが、これは狩猟中心の生活から農業や牧畜が生まれてきたことも重要である。
それに伴い少数コミュニティから人数が増えることで住居を作りそれが集まる集落を形成していった。
また人数が増えたことで役割分担が出来るようになり「生産」が可能となったのである。
これが更に農業や牧畜を発展させていき不安定な自然の実りより自分たちで安定した収穫を得られるように変化していく。
収穫が安定すると余裕も出てきて新しいモノを作るようになる。
それが「布」と「土器」をはじめとした「生産」である。
これらにより「衣・食・住」が発達することでさらに人間は繁殖して人口が増えてくる。
そうすると集落は「都市」化していき集団のまとめ役は「王」となって身分が生まれる。
これが「国」である。
「国」は集団をまとめるために「教育」で思想を統一していく必要があり、「王」の権威を示すのと自然の驚異を理解させるために「神」を生み出して「王」と「神」のつながりを作った。
これが神話の始まりであり「信仰」となって行ったのである。
「国」があり「王」がいて「信仰」が続いたことで人間は世代を超えて知識を伝える「言語」と「伝統と芸術」が生まれる。これにより「歴史」をつむぐことが出来るようになった。
すなわちこれが「文明」であるとした。
ゆえにそれ以前は「文明」と言わないのである。
そして歴史上一番権威を手にしてきたのが「キリスト教」であったのもあって「聖書」に書かれている「バビロニア伝説」こそ正しい「歴史」としていたので「メソポタミア文明」が最古の文明とされていったのであった。
しかし「地動説」や「進化論」など教義に反することも科学の発展により証明されてきたことで、これまでの常識とされてきた「歴史」も見直されるようになったのであった。
ほんの数十年前までは「キリスト教」に都合の悪い研究や発見は闇に葬られてきた(かもしれない。「イマジン」を唄った「ジョンレノン」は異端者として殺されたし否定しきれない)。
まあなんやかんやで研究が自由化してきて情報の拡散も早くなったことで「過去の権威」より「新しい発見」が世に広がってきたのだ。
その中で注目されたのが日本の「縄文時代」であった。
うん、食い物の話からすっごく話がそれた気がしたがようやく本題に戻れそうだ。
個人的には教科書通りの授業より脱線する授業の方が好きだったしこう言うの楽しいんだよね。
ともあれ。
「縄文時代」が文明の1つではないかとされるようになったのはその生活による。
縄文人は竪穴住居を作り集落を形成して生活をしていた。
その集落は都市化こそしていなかったが集落跡とされる遺跡は日本国内に数百か所もありその人口は容易に推察できない。
そして「メソポタミア文明」は日干し煉瓦を用いて建物や神殿を作り、土器を用いて生活していた。
たいして土器と言えば「縄文土器」が有名であろう。
「縄文土器」は現存する世界最古の土器とされている。
そして「縄文土器」と言えばその見た目から宇宙人を模したオーパーツと言われたりする「遮光器土偶」を想像するだろうがこれは「アラハバキ」と呼ぶ神様とされている。
ゲームで有名になった神様であるが詳細はまたの機会にしよう。
とりあえず縄文人は文明の定義に必要な「信仰」を持っていたということである。
マルクス主義の考古学者ゴードン・チャイルドが定義した文明と非文明の定義は次の要素を持つかどうかとされている。
1つ、効果的な食糧生産。
1つ、大きな人口。
1つ、職業と階級の分化。
1つ、都市。
1つ、冶金術。
1つ、文字。
1つ、記念碑的建造物(モニュメント)
1つ、合理的科学。
1つ、支配的芸術様式。
以上である。
これらをすべて満たしいる必要はないとされているが重要な条件であると言える。
これらを一つづつ見ていこう。
【効果的な食糧生産】であるが、縄文人は狩猟の他に漁をして貝や魚を取っていたとされており「貝塚」が有名だろう。
余談だが世界最初のサメ被害者とされる男性が縄文時代の古墳に埋葬されているのが近年発見された。
これらから狩猟メインと思われがちだが実は農業をしていたのである。
鹿児島県の遺跡からはイネ作の存在があった証拠のプラントオパールというものが発見されている。
これ等は縄文時代初期の12000年前ぐらいと分かったそうだ。
この発見は2005年ごろから在ったのだが隠蔽されたのか記事などが削除されていたらしい。
しかし先ほども述べたようにそういう「過去の権威」による圧力は年々弱くなってきており、歴史を覆す「新しい発見」は少しずつ世間に広がってきている。
2023年には縄文文化についてのYouTube動画なども上がって来ているので世間の注目を集め始めているので不当な妨害は少なくなって研究が進むだろう。
そしてこの発見により稲作の発祥が縄文時代ということになると【効果的な食糧生産】の条件が成り立つ。
加えて縄文時代にはすでに米を使った「口噛み酒」があったとされている。
うん。
これが言いたかったのだ。これのためにどれだけ前置きをしてるんだというところだが、そういう雑学や無駄がいわばエンターテイメントでありオタクと呼ばれる者たちが求めるものだと思う。
安易な答えだけ知りたがる奴はオタクではない。
そいつは流行りに乗って人のマウントを取りたいだけの「ニワカ」でしかない。
という訳でこのまま脱線したまま暴走機関車と成ろう。
縄文土器は撥水性が高くお酒や水の保存が出来たと言われている。
「メソポタミア文明」でも液体の保存が出来る土器があったためワインづくりが行われていたとされている。
また縄文土器は「煮る」「炊く」と言った調理を行えるくらい耐火性と頑丈さを持ていた。
これは最早土鍋の原型と言っても過言ではないだろうから日本の食文化は縄文時代から続いていると言えるだろう。
ほら、こうして新しい見識が得られた。こういうのがあるからうんちくの披露と言うのは面白いのだ。
余分を排しているだけでは当たり前のものしか出てこない。
新しいモノは大衆が「無駄」と呼ぶものから見つかるものなのだ。
それはともかく縄文時代にはお酒の他にも小麦やドングリの粉を使ったパンも作っていたそうだ。
これは縄文土器のような土器を焼くための窯があったはずだから別におかしなことはない。
「メソポタミア文明」においてもパンが作られていたのだから。
だが、すごいのが塩作りである。
塩は海外では「塩田」という方法で採取していた。
これは「塩湖」と呼ばれる塩分濃度の高い湖があるのだが、「塩湖」はかつて海だったところが隆起したりして海と切り離されて海水が蒸発していくことで濃度が上がっていくのだ。
この「塩湖」の水を蒸発させて塩を採取するのだが、方法は水を地面に撒いて放置。2~3年天日干しで水分を蒸発させて塩の結晶を作っていた。
後はこの「塩湖」が完全に干上がり塩が固まった「岩塩」を採掘して削るなどしていた。
これは乾燥している中東やアフリカなどの古代文明の「メソポタミア文明」や「オリエント文明」圏だから生まれたモノである。
ぶっちゃけ自然の産物なのである。
しかし日本は高温多湿の環境故に自然に大量の塩が出来ることはない。
せいぜいが昆布やワカメなどの海藻が乾いたら表面に少量の塩が出来る程度である。
だが縄文人はそのレアな塩を量産し始めたのであった。
最初は海藻を焼く「藻塩」だったとされているがこれでは少量しか取れないだろう。
だが縄文遺跡は内地や山間部にも存在していた。
だが日本には「岩塩」は存在しないので塩は海辺でしか取れないのだ。
だとすると海辺で生産した塩を陸地の人に提供していたはずなのだ。
戦国時代には内地の甲斐の武田信玄が塩の輸入を止められたことで窮地に陥ったことがある。
塩は人間が生きていくには必要不可欠なもので文明は大きな河や広い農地の他に塩の産地も必要だったのである。
そのため武田信玄は領民の生活を保障できなくなり国として立ち行かなくなるところだったのである。
そこを信玄のライバルであった越後の竜こと上杉謙信が塩を送って援助したのだ。
これが「敵に塩を送る」という諺と成ったのである。
このことからも塩がどれだけ重要かは分かると思うが縄文時代には「藻塩」だけしかなかった?
それでは縄文人は海辺でしか生活できなかったはずだ。
しかし縄文人は山の奥にも集落を作っていた。
現代にも存在する日本3大秘境(3大と言っているが3つじゃない)に数えられる奈良県南部の山岳地帯にも縄文遺跡は存在する。
ちなみに日本最古の都は平城京とされるが日本になる前の飛鳥時代には橿原神宮のある飛鳥地方に藤原京があった。
ここは奈良県の南部と思われがちですが………………北部です。
奈良県は面積の4分の3が山です。それも結構深い。
奈良の南部には下手な市より大きな日本1大きな村の十津川村がある。
十津川村の面積は672.38㎢に及ぶが、日本一小さな県である香川県が1875㎢なので3分の1になる。
そんな秘境の奈良にも人が住んでいたのだから塩があったはずだが、さっきも述べたように生産量が少ないようじゃ人にあげることはできないはずなのだ。
つまり塩は縄文時代から大量の安定生産を可能にしていたという結論に至る。
さらにソレを供給する流通も確立していたことになる。
そこから文明に必要な条件の【合理的科学】が確立していたことがうかがえるだろう。
そしてそれに加えて【大きな人口】と【階級と職業】の条件も満たしていると言えるだろう。
日本全国に分布していた縄文人であるが交流があったことから一つにまとめるのも間違いではないだろうから人口は相当だったはずだ。
【階級と職業】においては階級制度こそはほとんど無かったようだが流通を行うためには専門の人手が必要だから職業は確立していたのは確かだ。
どうだ、こうして一つ一つ考察していくのは楽しいだろう?
さあドンドン行くぞ。
続いて【都市】についてだが、都市とはその成り立ちには戦争というものがあった。
戦争は国が起こすものになっているが古代では戦争があるから人は都市を造り覇権を得たモノが「国」を起こしたのだ。
そしてこの戦争で捕虜とした敵国民を奴隷にして行くことになった。
「メソポタミア文明」のウルク王朝ではすでに奴隷は社会の機構に組み込まれていたのだ。
某王様が「10人の奴隷の中からいらない1人を選んで殺すとしたら?という質問があるがたわけめ!いらない奴隷など居るはずないだろう!必要だから奴隷にしているのだ!」みたいなことを言っていた。
文明の発祥から奴隷制を敷いて来たのだからそりゃあヨーロッパは奴隷貿易が盛んになるはずだよな。
「メソポタミア文明」のあったイスラエルで未だに差別思想にこだわり女性を物扱いしている「原理主義者」はこの5000年で全然成長していないということじゃないかな?
ここを掘り下げると危険そうなのでここまでにしよう。
縄文人の話に戻ると縄文時代には人同士の戦争が1万年もの間起こらなかったと言うのが有名である。
これは縄文土器が多く発掘されるのに対人用の武器が全く出土しないことから明らかである。
また縄文人は身分に差が無く等しく埋葬されていたようなのだが、戦争で戦死した兵士の遺体は見つかていないのである。
日本最古の戦死者とされる人物は弥生時代から見つかっていることから「縄文時代」と「弥生時代」を分けるファクターとして戦争の有無が上げられるだろう。
とりあえず縄文時代には戦争が無かったことから集落の要塞化は必要なく【都市】は必要なかったのだろう。
このため文明に必要とされる【都市】の条件は満たさなくても問題は無いと言えるだろう。
そして【冶金術】であるがこれは金属の加工・生産術のことである。
日本では弥生時代に渡来人と一緒に青銅技術が伝来したのが始まりだとされている。
それ以前には金属製品は存在しなかったのである。
にもかかわらず縄文時代、それも初期の13000年前ぐらいの地層から超高温にさらされたカチカチになった地面が出土した。
これはゆうに1000度を超えるほどであったのだが、斜面状になっており下の方で低温の火を熾し上に上がるほど温度が上がる登り窯のようだったそうだ。
しかし1000度を超えるほどだと燻製などの製造では灰も残らないほどだし、土器であっても火に強い縄文土器でも粉々になてしまう。
金属の精錬?とも考えても当の生産物が見つかっていないため何のために造られ使われたのかが不明なのである。
その後弥生時代に青銅技術と鉄器が伝わってきたが初期の頃は日本で1次生産をしていたようだが1度途絶えたようなのだ。
その後は大陸から輸入した鉄をそのまま使っていたとされるが古墳時代の後期にはまた生産が始まったとされる。
日本で鉄を制作したという記述は「日本書紀」において蘇我蝦夷が百済の使者に
この鉄は大陸のものより良質なモノだったと言われている。
古墳時代から出土した剣は大陸のものより上質だったらしい。
日本は製鉄技術において世界1であるがこれは古代からであった。
青銅にしても大陸からいらない青銅を輸入して使っていたと思われていたが近年の研究ですぐに自国生産を始めてオリジナルを超えるアレンジをしていたことが分かった。
日本人の職人技は紀元前から無双していたとか本当にすごい。
というかいらないごみを売っておいて偉そうに感謝しろとか大陸の民族性も変わらないとかたいがいだな。
まあ日本人の遺伝子は縄文人と渡来人との混ざりものとされているからモンゴロイドの血が混じっているのだが、縄文人は数万年前から大陸のモンゴロイドから分化して独自進化した固有遺伝子を持っていたのでもはや別種だろう。
現在の日本人は混血だがこれは地方によって割合が異なるために日本人は地方によって特徴が出るらしい。
しかし弥生時代に入って来た渡来人はほぼ大陸の人種であり技術も同じもの。
むしろ大陸を追われた民族とされるので劣っていた可能性もある。
にもかかわらず日本の技術がすぐに発展したのは縄文人の技術の下地と、研究・発展の意欲が抜き出ていた証拠だろう。
つまり縄文人は【冶金術】を持っていなかったがさらに発展することを可能にするだけの技術と知識をもっていたということだ。
逆に普通に【冶金術】があるよりすごくない?
そして【文字】であるが縄文人は文字を持たずどの土器や木器、布からも文字は発見されていないのである。
なのに日本最古の文字とされる神代文字の「龍体文字」は縄文時代に使われていたとか言われているし、うんこの辺りはよく分からん。
次に行こう次。
【モニュメント】についてだが要はメソポタミアの
日本では奈良の大仏が有名だろう。
縄文人は「
ストーンサークルはイギリスのものが有名だが各地に存在する。
それらは大体が妖精が住む異世界への入り口とされていた。
縄文人のモノも同じとは言い切れないがお墓が住居より内側にあることから死んだ人の魂の向かう先としていたのかもしれない。
これから死生観を持ち自然や信仰というモノを生活の中心に据えていたと思われる。
【モニュメント】の役割は集団の意識の同一化のためのシンボルにして心のよりどころだからクリアだろう。
最後は【支配的芸術様式】である。
しかし縄文時代には支配階層は存在しなかったので様式の強制はなかったはずなのだが1万年の間個性こそありながら統一的様式を維持してきた。
縄文とは土器に縄を押し付けて転がして付けた文様のことである。
このような波型の模様を持つ土器文化を称して縄文時代としたのだが、昔は古代日本を舐めていたのでこんなに長いこと繫栄していたとは思われなかったのだ。
にもかかわらず日本列島全域、北は北海道どころかロシア沿岸部でも縄文時代の石器が発見されているし、南は沖縄にも縄文土器が出土する遺跡がある。
この広い範囲で1万年もの間芸術様式が受け継がれたのだから条件を満たしていると言えるだろう。
以上のことから縄文時代は「縄文文化」と定義してもおかしくはないと結論付けられるのだ。
そして今までの話から日本の文化とは縄文時代から発展してきたと考えられる。
特に食文化には特筆すべき点がいくつかある。
1つはすでに述べたお酒、「口噛み酒」が作られ始めていたのだがこれの原料は「日本酒」と同じ米である。
ただし「日本酒」は世界に存在する他のお酒とは根本的に異なるのだ。
お酒とは原材料が持つ糖分が酵母菌によって醗酵してアルコールになることで出来上がる。
蒸留酒はこのアルコールを気化させて別個に集めてまた液体に戻す蒸留という過程を経てアルコール濃度を上げたヤツを熟成して作るものだ。
主にウィスキーやブランデー、ジンなどの洋酒とか焼酎である。
そして醸造酒というものが糖分が高い果実の果汁を発酵させて熟成させて造る。
これ等がワインやビールになる。日本酒もこの部類に入る。
しかし日本酒の原料の米とビールの原料の麦には糖分は含まれない。
代わりにデンプン質が豊富なのである。
麦の「麦芽」にはデンプン質を分解して糖分に変える酵素が含まれている。これは過熱することで活性化するのでビール造りは麦の研磨から焙煎をして醸造するのだ。
しかし米にはこの酵素が存在しない。
というか米のデンプンを分解できる酵素は世界に2つしか存在しない。
「日本酒」の発祥は室町時代に奈良の菩提山正暦寺において確立されたとされる。
これを「菩提元」と呼び日本酒好きにおいては有名になっている。
「菩提元」はしかしお酒の銘柄では無くてお酒を
酒母とは糖分をアルコールに変える酵母菌、英語ではイースト菌と呼ぶものでパン作りに入れる粉末である。
実はあれ生きた細菌なんだよな。
この酵母菌を管理し始めたのが「菩提元」が発祥だということだ。
しかし日本ではそれ以前から酒造りが行われていた。
最古の記述では「古事記」「日本書紀」においてスサノオによって
この酒が「
その後の1300年前の「播磨国風土記」において神様にささげた米が水にぬれてカビが生えたのだがそれが酒になった、という記述がありこれが日本酒の製造に欠かせない「麹」の最初に使われた事例とされている。
「麴」はたんぱく質を分解するプロテアーゼとデンプンを分解するアミラーゼという2つ酵素を持つ。
麹菌は東アジアに生息しているが日本で使用されるのは「ニホンコウジカビ」という固有種である。
麹菌も酵母菌も空気中に生息していて日本以外ではどちらもそこらへんに放置して他の雑菌もろともにさらして繁殖させているのである。
麹菌はデンプンを糖分にするし、酵母菌は糖分をアルコールにしてしまう。
濃度の高い糖分では酵母菌しか活動できないし(ジュースが腐るのは水分が腐っているのであって糖分は腐らない。つまり砂糖は腐らない)アルコールの中では酵母菌も死んで酢酸菌しか生きられない。
よって他の雑菌は途中で死ぬのだが、やっぱり雑味が生まれるし食中毒のリスクが生まれる。
だが日本だけはこれらの菌を特定して単体で繁殖して管理することをしている。
顕微鏡が発明されていないのに実現させているとかやっぱり日本人頭おかしいよな。
そんなわけで米を酒にするためには米のデンプンを分解するアミラーゼが必要なのだが、このアミラーゼを持つ食品はダイコンやニンジンなどがあるがどれも水分が多く糖分に分解する前に腐ってしまう。
その為安定して発酵させるためには「麹」の働きが必要なのだ。
ちなみにご飯に大根おろしを乗せて醤油をかけた「大根飯」はめちゃくちゃ美味い。
また脱線したが「麹」は米を蒸して水分を与えながら熱することで雑菌を殺しながら「麹」が活動しやすい環境にすることで発酵させているのだ。
醤油や味噌、みりんや酢も最初はこの「麴」を使うのだ。
だからこの工程こそが和食の基本を創ったと言える。
だがよく考えてほしい、「麴」が発見されたのが1300年前なのだが先の「八塩折之酒」はもっと古い。
酒造りはもっと昔から行われて来たのだがどうやってだろう?海外みたいに放置したのだろうか?
「麴」の発見は偶然に天然の物を見つけられたものなのだ。それ以前にも利用していたのならそこまで特別感はないはずだ。
というかそんな簡単に酒になるなら各ご家庭でも余った米が酒になっているはずだ。
でもなってないだろ。
これは米を醸すためには「麴」が必要だったということなのだが思い出してほしい。
米のデンプンを分解して糖分に変えるものは2つしか存在しないと言ったよな。
つまりもう一つ存在するのだ。
それが「人間の唾液」だ。
大事なことだからもう1度言うぞ、「人間の唾液」だ!
人間の唾液だけがアミラーゼを含んでいるのだ。
人間だけの唾液にアミラーゼが含まれているのだ。
穀物を主食にする事が多いほど人間は他の動物より穀物をたくさん食べているので人間の唾液にはアミラーゼがあるのだ。
昨今日本人だけが長年海苔を食べてきたので生海苔を消化できることが判明したがそれと同じようなものだ。
唾液こそが「麴」の代わりに米を糖化することができるのだ。
ゆえに「口嚙み酒」は炊いた米を口に含んで噛み続けて唾液と混ぜた後瓶に吐き出して溜めた液を発酵させて造るのだ。
この吐いた液体を「みむろ」と呼び、日本酒の銘柄の「
この三諸とは三輪神社と親しまれている「
「大神神社」は「
この際「
活日はこれにより「大神神社」の摂社として「活日神社」で祀られるようになりましたとさ。
この古事により「大神神社」は五穀豊穣と国家安泰に並んでお酒の神様として尊拝されているのである。
しかしこの頃の酒とは「清酒」ではない「濁り酒」であった。「麴」もまだ発見されていないのでつまり「口嚙み酒」であるのだ。
だが、「清酒」が出来るまでの祭事で使うお酒は巫女さんが「みむろ」を造るように定められていた。
当時の巫女は今と違って穢れを知らない処女とされていたので「みむろ」とは汚いモノでなく神聖なモノだった。
これ以前の八岐大蛇を退治した酒も縄文時代の酒にしても処女というくくりはない物の「みむろ」を造るのは若い女性の仕事とされていた。
そういう訳で日本の酒とは縄文時代にさかのぼるというわけだ。
どうだ。
盛大に脱線したようで最後はちゃんとまとまっただろ?
冒頭を読み返せば分かるが「目から涎が出た」のくだりは最後の話とかかっていたのだ。
こう言うのがあるからうんちくを語るのは面白いのだ。
異世界魔王に召喚されるもガッカリされた俺、今では魔王専属のソムリエとして重宝されてます。 軽井 空気 @airiiolove
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