異世界魔王に召喚されるもガッカリされた俺、今では魔王専属のソムリエとして重宝されてます。
軽井 空気
第1話 美味い料理と美味い酒、そして団欒
「それでは本日の晩餐をお召し上がりください」
俺は恭しく仕える主に礼を取った。
俺の名前は「
日本でしがないサラリーマンをしていたアラフォーのオジサンでしかなかった。
しかし俺は今とても日本とは思えない中世ヨーロッパ風の石造りの荘厳な城に居る。
しかも着ているのは漫画とかで執事が着ているようなスーツである。
燕尾服とか言うのかな?ジャケットの裾が長くV字状に切り目が入っているアレだ。
靴もピカピカで手には真っ白な手袋を付けている。
まるで高級ホテルで働くコンシェルジュになったみたいだ。
そんな恰好をして居る俺の前には―――
土鍋が鎮座していた。
これが今日の主役である。
周りはどう見てもファンタジーな光景で俺の恰好もそれっぽいのに――――土鍋である。
しかもカセットコンロに乗せられている。
土鍋はファミリー物の大きなものを用意している。色は深い抹茶色に艶やかな黒が筆で描いたように入っているワビサビが効いた和風の物である。
完全に浮いていた。
むしろ逆にこの土鍋の方がファンタジーなモノに見えてくるから不思議である。
いや、まちがいなくファンタジーなのだろう。
俺にとって他の物がファンタジーな代物なように、俺の主人にとってはこの土鍋とカセットコンロはファンタジーな代物なのだろう。
俺の主人は興味津々という風にコトコト音を立てる土鍋を見つめている。
その方は壮年でありながらも覇気に満ちた御仁である。
やせ型であるがしっかりとした骨格に無駄な贅肉の無い引き締まった筋肉をしておられる。
また、顔つきも彫りが深く目つきが鋭い。
髪は金髪で上品にオールバックで撫でつけられている。顎髭は銀色をしておられるが体質らしい。
ネコの様に体の部位によって体毛の色が異なる種族らしい。
まあ日本人でもごま塩頭と言うように年齢によって髪色にムラが出る人もいるのだから問題ではない。
そもそもこの方は日本人どころか人間ですらない。
その証拠に頭のこめかみ辺りからねじれた2本の立派な角が生えていらっしゃる。
ここが日本なら鬼と思われるだろうが別に肌の色は赤とか青ではない。せいぜい日焼けした工事現場のおっちゃん程度である。
そもそもここは日本ではないので鬼とは違う。
日本どころか地球上ですらない。
異世界である。
もったいぶっても仕方ないのでぶっちゃけちゃいますがここは
異世界なのです。
俺は異世界に召喚されてしまったのです。
誰に?
分かるでしょ。
この土鍋をじっと見つめておらっしゃるご主人様ですよ。
静かに貫録をもって待っていらっしゃいますが、始めて見る土鍋にソワソワしているのが漏れちゃっている。そんな可愛い方ですがこれでも魔王であらせられます。
そう、俺は異世界魔王に召喚されたのです。
こういうの漫画やラノベでよく見て来た。そういうのでは主人公は秘められた力が有ったりチート能力をもらったりしてヒロインの為に戦うモノなのだが。
俺を召喚したのはオッサンだったわけだ。
しかも召喚されたのは大した取り得のないオッサン。
オッサン×オッサン。
まあそれも需要がない訳でもないが、それよりも俺の方に需要が無かった。
召喚された俺は戦うための力や知性、そういった特殊能力は全く備わっていなかった。
「完全にハズレではないか」とイケボの魔王様にがっかりさっれてしまったのだが、俺にはこの世界にはないアイテムがあったのだ。
それのおかげで俺は魔王様に仕えることが出来たのである。
その仕事と言うのが―――
「のうのうノンベエよ。まだか。まだか。ワラワはもう腹ペコであるのじゃ」
ワクワクと待ち焦がれているのは魔王様だけではない。
「こら、はしたないぞアクアよ」
魔王様にたしなめられたのは魔王様の娘であるアクア様である。
「仕方ないのじゃ。この湯気からは美味そうな香りがするのじゃ。はよう食べてみたいのじゃ」
魔王様の隣でテーブルに身を乗り出しておられる姿はお姫様というよりもやんちゃな子供である。
背丈は150㎝位、母親に似ているらしく魔王様とは違って情熱的な赤いロングヘアーをしている。
目は猫みたいなアーモンド形で瞳の色は空色。小ぶりなお口からは八重歯が覗いていた。
ベルベットのドレスにはたくさんのフリルが付いているいわゆるゴシックロリータ。
肌は透き通るようであるが健康的である。
そして魔王様よりも前、おでこの端に2本の小さい角が生えている。
明かなロリっ子であるが魔王様たち魔族は人間よりも長命種であり、俺よりも年上だったりする。
仕草は完全に子供なのだが。
「ふふふ、確かにこの香りはよい。香辛料ではなく新鮮な素材で出る香りのようだが、ふむ?それだけではなさそうだな」
「ご明察です。これは我が故郷で長年培われてきた「出汁」というもので御座います」
「ほう。ダシとな」
「はい。出汁とは広い意味でその詳細は多岐にわたり―――」
「むうう~~~、うんちくは後でよいのじゃ!「百聞は一見に如かず、むしろ食ってみるに及ばず」であろう。早く食べさせるのじゃ!」
異世界の住人に日本の食文化を知ってもらおうとしたがどうやら知識欲より食欲の方が刺激されてしまっているようだ。
アクア様のお腹の虫が盛大に鳴っている。
「ほれほれ、ワラワの腹の獣が唸りをあげているのじゃ。はよう馳走せい」
そう。俺の異世界の仕事は料理人———ではない。
料理はあくまでオマケ……とまではいかないが、しいて言うなら一端であろうか。
「それではご覧ください」
俺は手袋の上から愛用のミトンを装着した。
緑色のドラゴンと赤いイエティを模したキャラミトンである。
ミトンで熱々の土鍋の蓋を持ち上げる。
生き物を模したミトンで熱い物を掴むのは残酷な気がしなくもないが、「ガチャ〇ン」なら大丈夫だろう。
蓋をどけると中から湯気がたっぷりとあふれ出てきた。
湯気が晴れるとクツクツと美味しそうに煮えた具材が見える。
「これが我が故郷のソウルフード「鍋」で御座います」
新鮮な食材を使った鍋は柔らかくも明るい色彩に成っており、魔王様達2人の目を楽しませてくれている。
アクア様は「おお~~」と目をキラキラさせながら空いた口からよだれを垂らしかけており、魔王様は泰然となされようとしてるのだが喉が鳴っている。
それもそうだろう。
数日この世界に滞在して食事をいただいたのだが、この世界の食事は素材をでかでかと切って焼いたやつに塩と香草をかけただけなのである。
とっても原始的だった。
それでも贅沢品のようでそもそも料理という概念が文化として定着すらしていないようなのだ。
その為俺が料理というものを教えたことで魔王様は美食に目覚めたのだ。
美食に目覚めたばかりの魔王様とアクア様はそれはそれは新しい美味いものを求められた。
だが残念ながら食文化の無い場所で料理の為の材料や器具が手に入るわけもなく―――
「ようやくじゃ。ようやくなのじゃ」
「——————じゅる」
正式に俺が仕事を始めるのはこれが初めてになる。
それまでおあずけだったため2人は最早よだれが止められないようだ。
ここに来てからは俺は元の世界に帰るための方法を模索していた。
ただ帰るためではなくて日本と自由に行き来出来て物を持ち込むための魔法を確立する必要があったが、料理に魅了された魔王様は協力を惜しまなかった。
そうしてついに日本と行き来する魔法が完成して俺は日本へと戻り、出来る限りの食材を買い込んでこちらに戻ってきたのである。
日本でつまらないサラリーマンやっているよりこちらで働いた方が面白そうだからな。
というよりやってみたかったことがこちらで叶えられそうだ。
「それでは」
「うむ」
魔王様とアクア様が互いに頷いて俺を見やる。
「はい。お待たせしました。それではこちらが今日のおススメになります」
そう言って俺がテーブルに置いたのは白い陶器の入れ物。
「鍋には「熱燗」がピッタリで御座います」
そう、熱燗を入れる容器と言えば「徳利」である。
この世界には料理の概念が無ければお酒も存在しなかった。
そこに料理とお酒を持ち込んだわけだが、料理が気に入られたようにお酒も気に入られた。
むしろお酒の方がウケた。
流石は命の源。
そう、俺がやりたかったのは大好きなお酒を美味しく飲んでもらえる居酒屋だったのだ。
しかし金のない俺は半ばあきらめていたが魔王様が全力で支援してくれるというので日本での仕事を辞めて異世界に就職したのだ。
俺の仕事は魔王様専属のソムリエである。
改めて自己紹介をしよう。
俺は「酒井 信之」、通称「吞兵衛」である。
しがないサラリーマンから異世界魔王の専属のソムリエにジョブチェンジした男だ。
異世界に召喚された時の詳細ないきさつについてはまた今度として、今のことを話させてもらおう。
この世界では人間は人間以外の生命体からすっごく嫌われていて、召還された俺も最初は殺されかけた。
しかし、酒好きだった俺は異世界にお酒と料理を持ち込んで魔王様に気に入ってもらえたことで命拾いした。
魔法のある世界ではあるが異世界との行き来は出来なかったのだが、酒と料理を気に入った魔王様は研究に力を入れて地球と行き来をする魔法の開発に成功した。
それもたったの数日で。
流石は食欲こそ何にも勝る原動力である。
そうして日本と行き来できることになった俺は日本に帰った。
会社は無断欠勤扱いになっていたが有給が余っていたのでそれを使うことにして、退職届を出してきた。
退職金とか細かい話はあるが俺はこの数日失踪というか「神隠し」にあったとしてSNSで都市伝説になっていた。
駅のホームで突然消えるところを大勢の人が目撃していて防犯カメラにも映っていたのだ。
会社はニュースにも出てしまったのだが、そのせいでブラック業態が世間にバレて叩きあげられたのでサッサと辞めてほしいらしかった。退職金はいわば手切れ金というところだろう。
アパートとかは警察の捜査が入ったが家財は無事だったし契約も生きているのでこのままでよいだろう。
今後も日本で仕入れをするなら拠点が必要だからな。
後はしがらみとか何かはない。
家族とかはもう何年も会ってないし、連絡も来ていない。失踪話も気にしていないみたいだ。
助かるけど。
恋人は――――今までの人生で居たためしがない。
というわけで俺は気兼ねなく異世界生活を楽しむことにした。
「うわっ!冷蔵庫の中腐ってるもんがあるぞ」
調味料なんかはともかく生の食材は冷蔵庫に入っていても傷んでしまうことがある。
ただでさえ貧乏人の1人暮らしだ。食材は見切り品がほとんどで消費期限が厳しかったのだ。
「保存食はいいとしてやっぱり買い出しが必要だな」
そこで必要なモノをピックアップすることにした。
「まずは何を作るか―――だが、向こうは料理の概念が無かったから調理環境は原始時代並みだ。いっそキャンプ料理にでもするか?」
キャンプ料理とか流行っているしな。
そう思ってキャンプ動画を見てみたが。
「うん、ムリ!」
キャンプ料理って意外と道具が必要なんですね。
買いそろえようにも店が分からないし、道具を用意しても技術がない。
「火を熾すとかは魔法で出来るとしてもブッチャケたき火で料理したのは子供の頃に学校の野外学習の時のカレー作りだけだよな」
それにしたって学校側がおぜん立てをしてくれたもので俺がいきなりやったて。
「絶対に焦がす」
つまり今すぐこの部屋で俺一人で出来る料理と言えば。
「ガスが使えないとカップ麺ぐらいか?いや、それもお湯が無いとダメだしケトルも電気が無いとな」
お湯くらいは向こうでも用意できるだろうが、美味しい料理を期待している魔王様のキラキラした笑顔を思い出すとカップ麺で済ますのは忍びない。
むしろ怒らせて殺されるかもしれない。
「カップ麺は美味いからその内持っていくとしてもちゃんとしたいよな。ちゃんとしたものを用意したいが食材の他に調理器具も必要だから荷物が限られるしなぁ、どうすっか」
そうなのだ。1度に持っていける荷物には限界がある。
具体的に言うと俺の積載量である。
せいぜい中量二脚が良いところの俺の積載量は知れている。
何度も繰り返せばいいと思うだろうが残念ながら世界を移動する魔法「ゲート」は1日に1度しか使えない。
これは今後よくなるかもしれないが今はこれが限界だ。
「ふむ」
色々悩みながら明日異世界に行くとして今日の飯は何にするかも考えなきゃならない。
「めんどくさいから―――あっ、そうだ鍋にしよう」
今日の晩飯にと思ったが向こうで用意するのにもうってつけだろう。
「そうと決まれば早速買い出しだ」
そう言う訳でアパートを出て近所のスーパーにやってきました。
「えっとカセットコンロとガスボンベ。ガスは多めに用意しとくか。コンロは1台、いや2台だな」
予備も必要だが鍋といったら日本酒。
「向こうは寒かったからな。鍋と熱燗で温まるのが最高だろう」
異世界に季節の移り変わりがあるのか分からないが寒かった。
こっちも冬なので防寒着を着ていて助かったものだ。
とりあえず鍋の調理用と熱燗の湯煎用に2台必要なのだ。
「さてさてそれでは何鍋にしましょうか」
とりあえず食材を見て回ろう。
「ふむ、やっぱり鍋といったら白菜だよな。新鮮なやつは頭を押して硬いやつ―――」
とそこで思い至った。
「向こうは冷蔵庫とかないから鮮度とか保存がきかない」
という訳で急遽スーパーじゃなくって駅前のショッピングモールにクーラーボックスを買いに走った。
「虹色に輝く魔法陣を抜けるとそこは異世界でした」
そう呟くとドンッ!とお腹に衝撃があった。
「~~~~~~~~~~~~~~~」
「ノンベエ遅いのじゃ。って何をうずくまっておるのじゃ」
「いえ、姫様の角が腹に食い込みまして」
衝撃の正体は魔王様の娘のアクア様だった。
どうやら俺がやって来るのを待っていてくれたようだが、頭から腹に抱き着いて来たので角が良いところに入ったのだ。
「おおうすまんのじゃ。しかしオヌシが遅いのがいかんのじゃぞ」
「すみません。食材を吟味するのと鮮度を保つのに準備が必要でして」
あれからクーラーボックスとか登山用のザックを買い、保冷剤を家の冷蔵庫で凍らせて、食材は今朝になってから買いに行ったのである。
そういった努力により出発が午後になってしまった。
「しかしお姫様がそう不用意に男性に飛びついてはいけませんよ」
一応俺は臣下というか客将みたいな身分を与えられているが。
「そもそも男性以前に俺は人間ですよ」
この世界では魔王の敵対者は人間だ。
俺は魔王様に敵対するつもりはないが他の家臣からしたら納得しがたいもののはずだ。
「何を言うか。オヌシは人間ではないのじゃ」
おおう、いきなり人権否定ですか。
異世界で人間と敵対してるんだから人間の常識を説くつもりはないがせめて。
「せめて個人の尊重くらいしていただけませんか」
「オヌシは「イセカイジン」であって人間ではない。ということになったのじゃ」
「ああなるほど。生物として区別することにしたのですね」
まぁその方がありがたい。
魔王様に仕えると決めた時点でこの世界の人間に味方する気は捨てた。
むしろこの世界の人間の所業を聞いて味方する気は失せた。
「それよりはよう美味いモノを馳走するのじゃ」
「はいはい。分かりましたからそんなにひっぱらないでください」
見た目がロリっ子でもそこは魔族と言うべきか力が強い。そんなに腕を引かれると肩が抜けそうだ。
「料理には時間がかかりますからもう少し待ってくださいね」
一応日本で出来る限りの下ごしらえをしてから来ているがレンチンみたいに数分で出来るものではない。
「ふむ、何か手伝うのじゃ」
「え、ダメですよ。お姫様なんですから」
「構わんのじゃ。ほれ荷物を持ってやるのじゃ」
アクア様は気さくに俺の持っていたクーラーボックスを持って俺を引っ張て行くのだった。
そう言えば人間扱いしないと言っても身分の違いのことはツッコみ忘れたな。
そう思っていたが楽しそうなアクア様に言うのは無粋そうなので黙っていることにした。
そうして魔王様とアクア様にお酒と料理を振舞う時間になりました。
ちなみにこの世界には食文化が根付いていないので食堂なんてものは存在していない。
そのため魔王様に料理を振舞う部屋は魔王様のプライベートな領域のこじんまりした部屋が用意されていた。
テーブルも木製の質素な物で灯りもランタンが置かれているだけだ。
食事を楽しむ概念がないので空間も調度品も食器も存在しない。
そこらへんも今後のプロデュースが必要だろう。
護衛も少ないし魔王の晩餐というより中世の砦の詰め所でする一般兵の食事みたいだ。
「さささ、まずは一献」
最初に2人には熱燗をお出しする。
使うのはもちろんお猪口である。
自前で用意したものである。食器なんかも必要だったから荷物が増えて大変だった。
うんちくは後回しにして実食。
白地の小っちゃいお猪口を持ち上げる2人だったが。
「おっとっと」
なみなみと注いだお酒はお猪口から溢れんばかりで口に運ぶまでに零してしまいそうであった。
「お2人共こうです」
俺は自分用に注いだお酒を持つと口に運ぶのではなく口で迎えに行って少し啜る。
2人は俺の手本をまねてお猪口に口を付ける。
「むっ!」
「なんと!」
すぐに2人の顔が驚きにそまった。
そうだろうそうだろう。
水のような見た目でありながら深い味わいが特徴の日本酒。
初めて飲ませたお酒も日本酒だったがアレは常温だった。
それに比べて熱燗は香りがより強いだろう。
熱燗は温めた日本酒のことを言う。
お酒はアルコール飲料であるからして温めればアルコールの揮発は良くなる。
つまり香りが強くなるということだ。
まずは香りだが―――俺はお猪口に口を付けたまま体を起こして中のお酒を喉に流し込んでいく。
「か~~~~~~っ、ウマイ!」
それを2人もまねする。
「「ズウウウウ~~~~~」」
初めてだからコツがつかめないのか口の端から零れそうになるので音を立てて啜っている。
2人の顔はひょっとこみたいにおちょぼ口になっている。
それもそのはず、お猪口は小さいためにお酒を飲むときには口をすぼめなければならずそれが猪の口みたいになることから「お猪口」という名前が付いたと言われているのだから。
あと音を立てるのはマナー違反ではない。
蕎麦を啜るのと同じで空気を含ませることで口腔内で香りを膨らませる効果が有るのだ。
これはより美味しく楽しむためのものであって日本の食文化は「味」の方を優先するモノなのだ。
その上で見た目にもこだわり、結局両方が頭おかしいレベルに至るのだからすごい。
そして神前婚など厳かにするときは音をたてないように盃を用いるが、そういう時は決まって二次会を行いそこで料理や酒を楽しむのだ。
まあそれ故に二次会とは皆はっちゃけるわけだが。
ともかくここでマナーは必要ない。ただ美味しければよいのだ。
「———————————」
魔王様はお酒を飲み干して上を向いて固まっていたが、すぐに口を離したが上を向いたまま口を開けてお猪口に残った雫を振って口に入れようとしていた。
「—————————ぁあ♡」
アクア様は姿勢を戻してお猪口を下げているが、片手は頬に当ててトロンとしたお顔でため息をついている。
少女の恍惚とした顔は煽情的で犯罪臭がするが、ここは日本じゃないので日本の法律は適用されない。
もちろん飲酒年齢もだがそもそもアクア様は俺より年上なので問題ナッシング。
物足りなさそうなのでおかわりを注いであげたが。
「さあさあお酒だけではもったいない。折角用意したのだから料理と一緒に楽しまなければ」
「おおうそうだったな」
「待っておったのじゃ」
俺の言葉におかわりを口に運ぼうとしていた2人が手を止めて俺の方を向く。
その顔には「期待」というものがありありと浮かんでいた。
俺は菜箸を使って土鍋から小鉢にそれぞれ具材を取り分けてお玉で出汁を少々かけてから渡した。
「おおう美味そうだな」
「あっアツ!」
この世界では食器の概念がないので基本的に手づかみでモノを食べているのでアクア様が手でつまもうとしたのも致し方ないだろう。
直火で焼いたものをそのまま食べていたので熱さには耐性があるみたいだが汁モノを手づかみは無理があるだろう。
一応箸を用意しているが。
「使えそうですか?」
手本を見せてみたが真似しようとしても指に挟めず転がてしまう。
仕方ないのでホークとスプーンを渡して使い方を説明すると魔王様は早速料理を食べ始めていた。
「ハフッ!ハフッ!」
熱い物を口に入れたらするアレをしながら熱燗を「きゅ~~~~~~」としている。
うん完全にオッサンだ。
ところがアクア様はフォークなどは使わずに「じ~~」と俺の手元を見ている。
「どうしました姫様?」
「……あ~~~~~~んなのじゃ」
「——————なんっ……だと」
「だからあ~~~~~~~~んなのじゃ」
アクア様は俺に向かってひな鳥が餌をねだるように口を開けて待っている。
「まさかいきなり「あ~~~~~ん」を思いつくとは」
「そうじゃ。熱いので息で冷ましてから口に入れるのじゃ」
「加えて「ふ~~、ふ~~」まで開眼するとは!天才か」
はっきり言おう、そんなこと人生で1度もやったこともやってもらったこともない。
だが何事も初めてという儀式を通過して成長し知っていくものなのだ。
異世界の魔王とそのお姫様にお酒と料理という未知の文化を初体験させて自分の価値観を与えた以上、俺がやったことないと逃げるわけにはいくまい。
べつに可愛い女の子に「あ~~ん」してみたいとかいうわけではないぞ。
これも使命だ。食の伝道師としての使命だ。
「ふ~~、ふ~~」
言われた通りに冷ましてからアクア様の小さなお口によく煮えた白菜を入れてあげた。
「もぐもぐ」
「どう……ですか?」
「ん、うむ美味いのじゃ♡」
良かった。すっごくうれしそうだ。
「次も頼むのじゃ」
とおかわりをねだられた。
しかもちょっと舌を出して。すっごくエロそうだ!
「じゃあ次はこれを」
「うむ」
1度も2度も変わらないのでおかわりをしてあげていたら魔王様がこちらを「じ~~~~」と見つめていた。
やばい!ぽっと出の男がお姫様相手に馴れ馴れしくし過ぎた。
怒られる。
「————」
魔王様がゆっくりと口を開き。
「あ~~~~~~ん」
………………いや、オッサンがオッサンに「あ~~~ん」する絵面とかヤバいだろ。
いきなり異世界の魔王に日本の価値観を分かってもらうのは難しいので「あ~~ん」を断れなかった。
これはダチョウ俱楽部のおでんネタ。これはダチョウ俱楽部のおでんネタ。と心の中でつぶやきながら魔王様のお口に箸を運ぶ。
本当にアツアツの具材を入れるわけにはいかないのでちゃんと「ふ~~、ふ~~」してからだ。
「今回は最初だったので基本中の基本である「水炊き」にいたしましたがいかがでしたか?」
「うむ美味いモノだ」
「お気に召したようで嬉しいです」
「うむ、この白い葉っぱはトロトロなのじゃ」
「そちらは「白菜」というもので鍋の定番野菜です」
「ほう、ハクサイとな。そこらへんの葉っぱは硬くてニガニガしておるのにこれは幸せな気分になる味なのじゃ」
「それは「甘い」という味覚ですね」
どうやらこの世界には甘味というものが無かったようだ。
こちらでした食事はどれも苦いかしょっぱいモノばかりだった。
そんなんだから食文化が根付かないのだ。
「ノンベエよ、基本だとか定番と言っているがナベとやらはこれだけではないのか?」
「はいそうです」
魔王様の質問に大きくうなずいて答える。
「鍋は歴史が古く、地方によって味付けや具材が違い様々なバリエーションが楽しめる料理で御座います」
「ほう、それは面白い」
「しかし、水に入れて温めるだけでこのように美味くなるとは「リョウリ」というものは凄いんじゃな」
「アクア様、恐れながら水に入れて煮るだけのものを料理とは呼びません」
「なんじゃと!」
「この基本的な水炊きであっても「出汁」を取っていますし、具材なども下ごしらえや組み合わせで味が変わります」
そう、水炊きというがシンプルであるが最低限の「出汁」を取っているのだ。
基本的には昆布出汁なのが現代の水炊きであるが、流通が不便だったころの山間では乾燥させたキノコやダイコンで「出汁」を取っていた。
もちろんそれでは味気ないのでそれぞれの土地にある調味料や特産品でアレンジしてきた、が、それは最早「水炊き」では無くて郷土鍋になってしまうのだが。
なにはともあれ今回は俺が思うところのドシンプルな具材を使った「水炊き」である。
出汁は昆布のみ。肉は鶏のもも肉。白菜。人参。長ネギ。椎茸。豆腐である。
スーパーを回って色々吟味してみたが、やはり最初は定番が1番いいだろうという結論に至った。
「この鍋という料理は温かい食事を家族で食べることで心と体を温めることで親しまれてきたのです」
「ふぅむ」
魔王様は俺の話を聞いて顎髭をいじりながら思案された。
「ノンベエはそう言いよるが、そのお前自体は先ほどから食べておらんではないか」
「いえ、自分は鍋奉行———いわば接待役ですので」
「つまらんな」
「え?」
魔王様は呟くと目を伏せてコンコンと人差し指の先でテーブルを叩きだした。
「それはつまらぬ。お主のいう通りワシらには料理というモノは存在しなかった。このように食事をして「美味い!」と感じたのは今までになかったことである。だがな―――」
魔王様は一拍ほど溜めてから。
「食事をしてこなかったわけではない。そして食事をする時は家族が居て友が居た。そしてそういう食事は楽しかった」
俺にはその言葉に返す言葉が無かった。
気づいてしまったのだ。
「ワシらでも知っている。楽しい食事は悪くなかった。アレが美味いに通じることなのだな」
俺は情けなかった。
料理を知らない人たちに日本の食文化を教えることで優越感に浸っていたのだ。
別にそれは俺の手柄ではないのに!
これでは他人の威光にすがる腰ぎんちゃくかなんかだ。愚かにもほどがある。
「ならば美味い料理は皆で食べた方が美味いのではないのか?」
そうだ――――食事とはみんなで食べた方が美味しいモノなのだ。
そんな簡単なことを忘れていた。
もう長いこと家族の顔を見ていない。
友達とも疎遠で仕事仲間も残業続きで飲みに行くなんて付き合いをしてこなかった。
いつの間にか俺は楽しいと言うのを忘れていたのだ。
そのことを逆に教えられるなんて。憤る資格すらない。
「のうノンベエよ。オヌシは父上の言葉をちゃんと聞いておるのか?」
「はい。聞いております」
「ならば早く喰うのじゃ。ほれ、「あ~~ん」なのじゃ」
アクア様は俺の真似をして不格好ながらも箸を使って鍋の具を俺の口へと運んでくれる。
それを拒めるはずもなく。
「あ~~ん」
「どうじゃ、美味いじゃろ♡」
めちゃくちゃ熱かった。
熱くて美味しくて――――とても沁みた。
ちょっと涙が出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます