実りの秋とねばつく頭

蛙鳴未明

実りの秋とねばつく頭

 秋はなんの季節? 運動の季節? 違う。 実りの季節? 惜しい。 秋、それはきのこの季節。


 今年もきのこの秋がやってきた。いつもこの時期は憂鬱だ。ほんの数時間頭を洗わないだけできのこがにょきにょき生えてくる。マイタケ、ヒラタケ、ブナシメジ、どれもうっとうしいが一番気に食わないのはなめこだ。


 放っておけばぬべりと湿って臭いをまき散らす。引っこ抜けば指にじっとりとしたぬめりを残して、洗っても洗っても落ちやしない。私のなめこが特別意地悪なだけで他のなめこは大人しいのかもしれないが、ともかく私はなめこが嫌いだ。砂になるまで細切れにして炎の中にぶち込んでやりたい。しかし、そうするわけにはいかないのだ。ここからが私のなめこの最も性悪なところなのだが、私のなめこはいいアイデアばかり私の頭から抜き取っていくのだ。


 だからどれだけ嫌いでも食べざるを得ない。これで味が悪かったら悪態の一つや二つ吐けて心も平静になろうというものだが、生憎このなめこ、すこぶるうまいのである。いいアイデアを栄養にして生えているのだからそれも当然だが、そこがまた腹立たしい。


 私はなめこにすこしでも地獄を味合わせるべく、必ず念入りに煮込んで味噌汁の具にするのだが、それを飲む度にうまさと嫌悪感が格闘を始めるのだ。なめこに、なめこ如きに私がそんな葛藤状態に陥れられていると思うと腹が立って腹が立って仕方ない。私自身にも腹が立つ。なぜなめこにそこまで心を動かしているのだお前は、と怒鳴りつけたくなる。しかしそうするとなめこの思う壺な気がして、味噌汁と共に怒りを飲み干し床に就くのだ。


 とまあすこぶるなめこが嫌いな私は、とうとう一大決心をして髪の毛を一本残らず剃り落としてしまったのである。きのこは髪の毛に根を張り、髪の毛経由で脳内のアイデアを吸い取って育つ。こうしてしまえば生えようがない。満月のようになった私を見て友は笑う。


「バカじゃんお前。なんでそこまできのこ嫌いなん? 生えてた方が賢そうでよくね」


馬鹿に見えようとなめこが生えるよりマシである。母は言う


「髪は胞子から脳を守ってくれてるのよ? 万が一胞子が脳に根を張ったらどうするの」


万が一の心配より一が一を確実に削った方がいいのである。父は言う


「母さんの言うとおりだ。きのこに頭を乗っ取られたらどうするんだ」


元からなめこに乗っ取られているようなものだったのだ。今の清々しさは未来の危険より何倍も尊い。彼女は言う


「え……ハッキリ言って似合ってないよ。前の方がかっこよかった」


大喧嘩の果て彼女に振られることなぞ、一生なめこに意識をかき乱され続けることに比べれば、千倍、万倍、十億倍大したことない問題なのである。


 それからは快適極まりない生活だった。頭が軽いと気分まで軽くなってくる。作曲仕事も順調だ。きのこが生えなければ胞子は飛ばないので他人にアイデアを奪われることもない。他人の胞子からできたきのこを食べたせいで脳が自分色を失うこともない。私の独創性は少しも損なわれることがなくなった。


 脳内に充満するアイデアを片端から作品にぶつけていく。気付けば私は音楽界のスターになっていた。富も名誉も手中に収めた。秋は憂鬱の季節ではなくなった。なぜ他の人はいつまで経ってもごてごてとした似非アフロのまま過ごしているのだろう。不思議で不思議でしかたがない。髪の毛さえ剃ればあっという間に栄光の日々を迎えることができるのに――


 しかしその日々は長くは続かなかった。留まることなく湧き続けるアイデアが頭の中で混雑し始めたのだ。車の混雑なら整理すればなんとかなる。しかしアイデアは不定形。あっちでくっつきこっちでひっかかり子を産み孫を作り切り分け整理することなど到底できない。しかも融合や分裂は一瞬にして起こる。アイデアの言うままに音を入れているつもりなのに、二音目からもう別のものになっている。頭の中が見通せない。納得のいく曲ができない。芯の通らない継ぎ接ぎキメラが世を闊歩し始めると、私の栄光は瞬く間に色褪せ始めた。


 焦りと恐怖で手が震え、脳が震え、ますます私の音楽はボタンを掛け違えられていく。私は曲を作るペースを早めた。頭の中のアイデアを減らさなければ。しかし恐ろしいことに、湧き出すアイデアは日を追うごとにどんどん増えていった。曲を作っても作っても減らない。一滴たりとも減らない。睡眠時間はどんどん減る。食事の量と回数が減っていく。


 それに従って次第に幻覚が見えるようになってきた。肌から白い糸のようなものが顔を出し、くねる。最初は一本だけだった。気のせいで済む程度だった。それが二本になり、三本になり、センチ単位の長さになっていく。ざわざわと蠢いて、まるで獲物を探しているようだ。


 私は見ないように努めた。しかし顔や、顎や、肩や腹で蠢く段になると無視などできなかった。私は直感的にそれがアイデアであることを察した。外に出たがっているのだ。いよいよ作曲に身が入り、曲はどんどん売れなくなっていく。点滴に繋がれ、五線譜に音を連ねていくだけの機械のようになった時、アイデアの糸は全身を覆っていて、脳内のエントロピーは無限大に近付いていた。


 そこで初めて気づいた。菌糸だ。この糸は菌糸だ。根付くところを探しているのだ。きのこだ。私はきのこになろうとしているのだ。でもなぜ?


 簡単な話だ。水槽の魚をスケッチしたところで魚が水槽から出たことにはならないのである。魚を外に出すには物理的に掬いださなければならない。アイデアも同じ話だったのだ。胞子は内からだったのだ。きのこにはそういう役割があったのだ。私はただひたすら、腐った魚のぎゅうぎゅうに詰まった水槽を描き出しているだけだったのだ。


 髪なんて剃らなければよかった。そう思ったところで後の祭りだ。これから髪を伸ばそうにも、私の祖父は若ハゲの丸ハゲなのである。


 私は絶望して鏡を見た。なめこのようにぬべりとした頭部が見えた。私はまた気付いた。なめこだ、なめこが私の「髪を剃る」というアイデアを吸い取っていたのだ。「髪を剃る」というのは当時はいいアイデアだった。なめこが栄養とするのも当たり前だ。なぜ早いところ燃やすなり他人に押し付けるなりしなかったのか。なんでいちいち食べて処理してしまっていたんだ。もしかしたらこうならずに済んだかもしれないのに――私は大声で泣いた。なめこが大変美味だったばっかりに――


 泣き声が止んだとき、病室では天井に届くほどの巨大ななめこが一本、静かに窓からの風に揺れていた。見つけた看護師はひとしきり驚いた後仲間を呼びに行って、なめこはその日の内に収穫された。ソテーになったなめこは世界中に届けられ、全世界がその美味さを楽しんだ。学者二人も舌鼓を打つ。


「なんで歴史にゃあ定期的に髪を剃ろうなんて狂人が現れるのかねえ」


「天才と呼びたまえよ。一部の天才の発想のおかげで我が種は才能を手に入れてまるごと進化できる。ありがたい話さ」


その後、その星の音楽は目覚ましい発展を遂げた。


どこかの宇宙にはこんな話があるそうな。おかしな星のおかしな話、これにておしまい。

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