第26話

        30.水曜日午後3時


 主役の登場で、空気が変わった。

 だれもが中止になるだろうと考えていた。フラつくようなこともなく、彼は報道陣に向かい合った。場内は異様な雰囲気のなか、しかしざわつくようなこともなかった。だれもが、彼の第一声を期待した。

「遅れて申し訳ない」

 怪我を負っていることが信じられない声量だった。揺れてもいないし、発音もはっきりしている。

「では、会見をはじめます」

 これほど、記者の真剣な眼差しに見守られた会見があっただろうか。

「当初は、練馬一家殺人犯の実名と顔写真を公表する予定でしたが、その犯人はついさきほど身柄を確保されました。まだ練馬の事件による逮捕ではありません。あくまでも、私に対する傷害罪です。ですが、逮捕状を持った捜査員が来れば、すぐにでも逮捕されるでしょう」

「あ、あの……」

 恐る恐る記者の一人が手を挙げた。彼のあまりにも平然としている様子を眼にして、これが普通の会見に思えてしまったのだ。

「どうぞ」

「犯人の実名は、久我さんのほうから発表はないのでしょうか?」

「私が言わなくても、警察から発表があるかもしれませんね」

 練馬の事件が少年法に守られていても、彼に対する傷害はべつだ。とはいえ、警察が実名を公表するかは微妙なところだろう。傷害と一家殺人では、重さがちがう。傷害での公表を優先すると、それは同時に少年法の理念を崩すことにつながってしまうのだ。

 さらに、マスコミの対応にもばらつきがあるだろう。たとえ警察発表があったとしても、実名公表するのは勇気のいることだ。あくまで傷害事件の公表だったとしても、世間はそう考えてくれない。金儲けのための実名報道だとバッシングされることは眼に見えている。

「今日はこの場で、四つの事件すべてが解決したことを報告させていただきます。当然、まだすべてが解明されたわけではないし、正式な逮捕がまだの事件もある。ですが、この懸賞金制度の成功を、ここに宣言いたします」

 そこではじめて、会見につきものの、ざわつきがおこった。ようやく、いつもどおりの光景となった。

「みなさんの言いたいこともわかります。批判があることも」

「金で捜査をコントロールすることに、大変なアレルギー反応をおこしている人々もいるようですが」

 とくに、人権派と呼ばれる弁護士、現職の判事からも批判の声があがっている。東京地検も不快感を示しているようだ。警察内部にも、だいぶ不満が溜まっているという噂もある。

「私はやめませんよ。これからも犯罪者の心を金で買い取ります」

「道徳的に、それは許されることなんですか!?」

「批判はいくらでも言ってください。しかし、これからさき、未解決事件は格段に少なくなっていくでしょう」

「では、制度の継続は決定してるんですね!?」

「もし邪魔をしようとする人間がいたら、私はその人物をも買収します!」

 おお、というどよめきが場を支配した。

「金は、流れるところに行き着きます。私は、その流れを見極めるだけ──」

 そこで、彼は立ち上がった。

「悪辣な者は、金を求め……」

 そして、彼の様子がおかしいことに全員が気づいた。いや、これが本当だ。腹部を刃物で刺されているのだ。こんな会見をやっている場合ではないはずだ。

「金は……金は、悪辣な……」

 彼の体力と気力は、そこで尽きた。救急隊員が駆けつけ、場内は騒然となった。

 制度の継続を訴えても、はたしてその主の生還があるのだろうか……だれもが、最悪の結末を想像したにちがいない。

 悪辣な者にかせられた運命に、安息の眠りは許されない。

 非業の死か──。

 苛烈な生きざまか──。




        エピローグ


 長く冷たい廊下を抜けて、長山は、とある病室に入った。

 この病院で、最も高価な部屋だ。ノックすると、中西の声が入室を許可した。

 入ってみて、軽い驚きこそあったが、あの最上階の部屋を知っているだけに、そこまでの感動はなかった。長山の来訪と同時に、中西は部屋を出ていった。

 病室とは思えない豪華なベッドに、久我は上半身を起こしてくつろいでいた。どうやら傷のほうは、もうだいぶよくなっているようだ。

 生死不明──。

 報道では、そういうことになっている。

「その様子では、大丈夫なようですね」

「おかげさまで」

「なにも持ってきてませんが、気にしませんよね?」

「いいですよ。ただお見舞いに来てくれたわけではないのでしょうから」

 長山は、窓からの眺めを視界に入れた。やはりここも最上階で、財団本部よりは劣るが、それでも見晴らしはいい。

「まだ、解決していないことがあるもので」

「なんでしょう?」

「竹宮さんは、犯人がわかったことで、そのことが頭から無くなってしまったようですがね……私のような年寄りは、そうもいかない」

 瞳は、外に向けたままだった。だが見なくても、久我がどのような表情をしているのかわかる。いつものように心を読み解けない、例のポーカーフェイスだ。

「別荘で埋まっていた森元貞和さんの遺体ですよ。あそこに埋まっていることを、三船洋子も高橋清彦も知らなかった」

 事件の発覚を受けて立ち上がった捜査本部では、当然、埋めたのは犯人のだれかであると決めつけている。おそらく今後の裁判でも、検察はそのように進めていくだろう。

「共犯者のだれかじゃないですか?」

 高橋清彦が社長をつとめる会社──サンホウ商会の職員数名も、殺人幇助の容疑で、すでに逮捕されている。

「いいや、久我さん、あなただ」

「どうやって、ぼくが?」

「事件発生時、あなたは高校生だった。十六歳になれば、原付の免許は取れます。もしかしたら、家の印刷工場を手伝う目的で免許を取ったのかもしれない」

 懸命に汗して働く、久我少年の姿が脳裏に浮かび上がった。もちろん想像でしかない。

「両親を騙して自殺に追い込んだ森元貞和と、さらに森元を利用していた三船洋子たちのことを、あなたはつきとめた。サンレイ商事を見張っていたんでしょう」

 三船たちが、森元貞和をつれて群馬の別荘に行ったとき、あとをつけた。もしかしたら彼女らはNシステムなどを恐れて、高速ではなく、一般道を利用したのかもしれない。当時は、高速道路と主要幹線道路にしか、まだ設置されていなかった。

 だから、原付バイクでも尾行ができた。

「山の奥まで森元貞和は誘い出されて、そこで殺害された。あなたは、それを目撃した」

 殺す間際に、森元と三船たちの会話も聞いていたのだろう。

 森元もまた、三船たちに騙されていることを知った。移植を待つ妻のために、お金を稼ぐ必要があったことも。

 殺害され、森元貞和は埋められた。

 その様子も、久我は見ていた。

「三船洋子たちは、そのあと別荘に立ち寄ったんでしょう。殺害現場から、どれぐらい離れているのかは知りません。あなたは、そのあともつけ、別荘の場所も把握した」

 それから久我は遺棄現場にもどり、遺体を掘り起こした。そして別荘の敷地に遺体を埋め直したのだ。

 わかりやすい場所に──。

「そんなことをした理由は……以前、竹宮さんが語ったとおりなんでしょう」

 印刷工場に遙が遊びにきたとき、やはり久我は会っていたのだ。父親の無念を彼女に晴らさせるため……。

 いや、そんな奇麗事を、はたして両親と妹を亡くしたばかりの少年が思いついただろうか?

 もっと、ドロドロした復讐の情念だったかもしれない。ここぞというときに、やつらを地獄に叩き落とすための布石だった。

「おもしろい推理だ」

「自信はありますよ」

「仮にそうだったとして、ぼくの罪は?」

「死体遺棄の時効は、とっくに過ぎています」

「では、無罪ですか?」

「いくら時効でも、罪は罪です。消えるわけじゃない」

「糾弾しますか?」

「ごめんですね。私は、もうすぐ定年ですから、余計なことに首をつっこむつもりはありません」

 心に無いことを言った。

「しかし……」

「しかし?」

「いずれ、彼女にあばかれる日が来るかもしれない。こんな推測じゃなく、ちゃんとした証拠をみつけて」

「それは頼もしい」

 そのことを信じていないようにも、期待しているようにも聞こえた。

「話はそれだけです」

「ぼくは、今後も長山さんの協力を必要としています」

「こんなオイボレでよければ」

 社交辞令の応酬をして、長山は病室を出ていこうとした。

 足を止めた。

「あ、もう一つ、訊きたいことがありました……」

「どうぞ」

「どうして、彼女を巻き込んだんですか? いくら密着取材を受け入れたといっても、彼女への肩入れは異常でした」

「大切な宣伝をかねていますから」

「本当に、それだけですか?」

 答えは聞けないだろうとあきらめていた。

 再び足を動かそうとしたときに、かすかな声量が流れた。

「……似ているんですよ」

 それを聞いて、部屋を出た。

 長山にも、そんな気がしていた。

 どうしてだろう。会ったこともない彼の妹の面影を、竹宮翔子のなかに感じていた。

 それは、悪辣な者に残された最後の人間らしい心のように思えた──。

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悪辣な金 てんの翔 @sashika

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