第17話妖精女王と呪いの影
歴史上、魔術師は権力と密接に関わってきた。
旧くは神の力を授かったヒトとして神聖視され、国という概念が出回ってからはその力を取り込みたい王族によって、各地を支配する貴族に任ぜられてきた。
世界の仕組みを根本から揺るがした大戦の結果その影響力は急落しつつあるけれど、アンマリアにとって実家の凋落は実感に乏しく、記憶の中の【偉大なる】ポー氏の姿はまだ巨大なままだ。
そんなポー氏の家で過ごした日々で、アンマリアは勿論多くの貴族と交流してきたし、【煤と煙突の街】の町長一家をもてなした経験もある。ほとんどがポー氏についていただけではあるけれど、それでも、身分が上の相手とのやり取りの頻度で言えば、その辺の獣人よりも遥かに多いという自負があった。
あった………けれども。
「流石に………女王陛下への謁見は初めてかな………」
湯気で曇りかけている鏡の中から見返すアンマリアの顔には、熱いシャワー程度では拭い切れない程の疲労が浮かんでいる。
結局、昨夜は当たり前のようにほとんど眠れなかった。
妖精界の地下を駆け巡る大冒険の興奮の余熱と、謁見の緊張が重なり、眠気が全く追いやられてしまっていたのだ。勿論、レギンの謎めいた言葉の意味が全く解けなかったことも、一因と言えるだろう。
おかげで目元にはクマが浮かんでいる。昨日の探検の顛末を思えば大したことの無い影響ではあるけれど、やんごとなき御方にお会いする機会だと思うと正直、もっとしっかりとした状態で胸を張りたかった。
まあ、今さらどうすることも出来ない。着替えたら下に降りて紅茶を飲もう、それから、サリムに何か軽い朝食でも作ってもらえば少しはしゃきっとするだろう。
「………シュミーズドレスとジャケットだと、どちらが良いのかしら………」
単純にドレスというのならシュミーズドレスだけれど、あいにく、アンマリアのそれは流行からは程遠い代物だ。どちらかといえば本来の役割に近しい、飾り気のない簡素なもので、気を使わない日常用だ。
ではジャケットはと言うと、こちらはリボンもボタンもふんだんに散りばめられていて、袖口にはレースもあしらわれている。特にボタンは魔除けも兼ねた
品の良さ、好み、宝石を持っていないといった幾つかの点を考えると、間違いなく着ていくべきなのは後者だ。
問題は二つ、一つはいくら妖精界とはいえ淑女がズボンを履いて謁見しても良いものか解らないこと、それからもう一つは、この服は昨日下水道に着ていったということだ。
勿論臭いやら汚れやらに関しては、疲れたというレギンを急き立てて魔術を使わせて取り除いたから、もう新品同様だけれど。あくまでも気分の問題ではあるのだけれど、正直、あまり気持ち良く着られるものではない。
少し悩んでから、アンマリアはジャケットの方を選んだ。服のデザインは他人が見ても解るけれど、内心の気分は自分にしか解らないものだからだ。
手早く着替えた辺りで、少女は空腹を感じ始めた。昨夜の帰宅は、サリムがいつも一杯やっているような時間になってしまったから、彼に絡まれて礼儀正しく振舞うだけの体力も無かったアンマリアは例の入り口から部屋に戻り、服を脱ぐだけ脱いでさっさとベッドに入った――詰まり、何も食べていないということだ。
「おはようございます、サリムさん。すみませんが何か軽い朝食と、紅茶を頂けますか? ん………」
階段を下りながら、アンマリアは大きなあくびをしてしまった。「…………失礼しました、少々寝不足で」
全く恥ずかしい限りだった。
咄嗟に口を手で覆い隠すことには成功したけれど、淑女らしい、礼儀正しい朝の挨拶とは言えない。
幸い、サリムはこちらに背を向けて立っていた。
ほっとした、けれども同時に不思議でもあった。彼が立っているのはいつもの厨房ではなく、客席である。まだまだ開店時間でもないのに、仕込みもせずにどうしてそんなところにいるのだろうか。
疑問の答えは、肩越しに振り返ったサリムの不機嫌そうな表情が教えていた。アンマリアの読解力が不足している可能性も考えたのか、更に口を開いた。
「お客人だぜ、お嬢さん。しかも、魔術師の旦那がお前さんに用があるらしいぜ」
「おはよう、アンマリア。それからご紹介どうも、ご主人」
「レギン様?!」
円卓に腰を下ろしていたのは他でもない、アンマリアが眠れなくなる要因の一つを作った男、レギンだった。
いつもの――詰まりは下水道に着ていったという意味だ――濃い緑色のコートは脱いでいて、ぴしっと糊付けされたシャツにリボンタイという服装は整っているけれど、儀礼的な服装ではない。
とはいえ、彼が外出するときにはいつも身に着けている仮面を今朝は着けていない辺り、一応、礼儀作法を気にしてはいるのかもしれない。
「そういうわけではないが、特に必要が無くてね。そもそも僕は、魔力を過剰に摂取しないためにあの仮面を着けているということを忘れないで欲しいな」
「今朝はその必要が無いということですか?」
「昨日は相当浪費したのでね。実は夕食も食べてないんだが………」
「悪いが、まだ開店前だ」
レギンは肩を竦めた。
アンマリアは困って、サリムとレギンとの間で視線をさまよわせた。そもそも自分も何か食べたいと思っていたところだったのだけれど、そしてサリムはアンマリアの分ならば作ってくれるだろうけれど、流石にこの状態では頼みづらい。
サリムはため息を吐いた。
「…………まあ、お嬢さんの友人だということなら、軽いものでも作ってやろうか。茶も飲むのか、旦那」
「ありがとうございます、茶は大好物ですご主人」
「そりゃあ良かった、あんたが珈琲党だったら海にでも投げ込まなくちゃあならないですからね」
「愛すべき茶葉の復讐か、巻き込まれるのは避けたいところだ」
厨房に消えるサリムを見送って、レギンは肩を竦めた。「個性的なご主人だな。僕は気に入ったが、彼の方はそうでもなさそうだ」
「そうでもありませんよ。もし本当に嫌われていたら、今頃叩き出されています」
「彼は熊人だったな。君の見解が正確であることを願うよ、力比べは遠慮したいところだ、魔術込みでもね」
向かいの椅子にアンマリアも座り、少し経つとサリムが料理を運んできた。
湯気を立てる紅茶のカップ、料理を載せた皿がそれぞれ二つ。アンマリアの前にはミルク壺を置いてくれた。
「ありがとうございます、サリムさん」
「話があるんだそうだ。俺は仕込みもあるから、厨房にいるぞ」
ちらり、とサリムはレギンに意味深な視線を投げかける。「作業をしてるから、声を掛けられても聞こえませんからね。勿論、料理の文句も聞きやせんから」
「気が利く御仁だな。僕たちの話が内密なものだと、配慮してくれているようだ」
「サリムさんはお優しい方です、気配りも出来る方ですし…………見かけで少しだけ損をしているところがあるだけで」
「そのようだな。ますます気に入ったよ」
のしのしと厨房に入っていく熊人の後姿を見送って、レギンは軽く杖を振った。「まあとはいえ、一応声が漏れないよう仕掛けはさせてもらうがね。さて、これは何だろうな?」
出された料理は、アンマリアも見たことが無いものだった。見た目で言えば王国の女王が山脈の国から持ち帰った菓子、ルーラードのよう。
ところどころ焦げ目の付いた白く薄い生地で、レタスと焼いた薄切りの肉を巻き包んでいる。良く見ると細く切った人参も一緒に包まれていて、香辛料もふんだんに使われているようで食欲をそそられる香りが立ち上っている。
「白樺の丸太のようだね」
レギンがおよそこれから食べるものに対するとは思えない感想を述べた。「いや、違う。その、なんだ、見た目にあまりにも馴染みが無くてね」
「別に何も言っていませんよ、レギン様。魔術師に料理への感想を求める方が、間違っているというものです」
「そんなこともない、と言いたいところだが、まあ大多数ではあるだろうな。食に興味が無い者も多いし、他人との共有に興味が無い者は更に多い…………ところで、これは切って食べればよいのかな?」
「私も初めて見ます、多分サリムさんのオリジナルでしょうね。ナイフとフォークが付いていますから、それで食べるのでは?」
「形状だけ見ると、そのまま齧っても良さそうだがね。まあ、君の場合はこの後のこともある。文化的な食事の仕方を再確認しておいても良いだろう」
この後、というのは妖精女王の城へ呼ばれている件のことだろう。
時間的には昼食の前で、お茶の時間には遅いだろうから食事に同席する可能性は低いと思っているのだけれど、確かにそうだった場合礼儀には一段と気を付ける必要があるだろう。妖精流の礼儀作法には詳しくないけれど、妖精流の『お仕置き』というものには幾つか心当たりがある。
その時ふと、アンマリアは違和感を覚えた。何だろう、何か、今のレギンの言葉でおかしな点があったような気がするのだけれど。
少し考えて、気付いた。
「『君の場合は』と言いましたか、レギン様?」
「言ったね」
ナイフを器用に使って、レギンは『丸太』を一口大に切り分けていく。
「それではどうにも、私しかこの後の予定が当てはまらない、と言っているように聞こえるのですけれど」
「その通りだ、君の理解力は正しいよアンマリア」
「…………レギン様も行かれるのですよね、妖精女王の城に?」
「ははは、行くわけないだろう。ふむ、これは中々うまいな」
「陛下は私たち二人を呼んでいるのでしょう? いくらなんでも、それを無視するのは無礼なのでは?」
「そうかもしれない。だが、僕は行きたくない」
紅茶を口に運んで、レギンは少しだけ傷ついたような顔になった、それはまるで自分のゴーレムの不出来さを思い知ったような顔だった。「妖精女王の噂を知っているか? 彼女は見るだけで、相手の心を読めるらしい」
一種の魔眼かもしれないな、とレギンは肩を竦めた。「うっかり僕の内心でも覗かれてみろ、『あーあの黒い妖精を自分のモノにして色々実験したかったな』とか、それに伴う文句などを読み取られたらそれこそ無礼だ。そうならない自信は無いぜ」
それはまさにその通りだった。
そうでなくともレギンには、妖精女王の側近と一触即発になった前科がある。招待にのこのこ応じるのも気まずいはずだ。
「僕には報酬も必要ない。その辺り上手く言って来てくれ、アンマリア…………無事を祈ってるよ」
テーブルの下でレギンの足を思いきり踏ん付けてから、アンマリアは念のために、肉巻きをしっかり食べていくことに決めた。
「…………行ったか」
アンマリアを見送って、レギンは軽くため息を吐いた。「実際、無事に帰れるかどうかは解らないからな。何しろ妖精だ、気まぐれには誰もついていけない」
「だったら尚更、旦那がついていってやるべきじゃあないんですかね?」
ぬっといきなり現れた巨体に、レギンは苦笑した。
「サリムさん、と仰いましたね、ご主人。あの子とはそれほど深い関係ですか?」
「そうでもねぇですよ。ただお察しでしょうが、俺は魔術師にこき使われる獣人ってぇ構図が死ぬほど嫌いでしてね」
「なるほど、解りやすいな。ということはそれはいわゆる義憤のようなものであって、個人的な、彼女の境遇などを知っているが故というわけじゃあ無いのかな?」
「…………何を言わせたいんで、旦那?」
「常識の話ですよ、ご主人。紅茶にはミルクが合うだとか、獣人は魔術を使えないだとかね」
「……………………ははは、紅茶にはジャムも合いますがね」
「ははは、確かにそういう地域もあるようですね。しかしもう一つの方は世界共通の常識、と言うよりは決めごとですがね。御存知でしたか? 獣人は魔術を使えない――それは使うことが出来ないのではなく、使うことを許されていないということを」
「……………………」
「獣人は魔術に適性がある、だからこそ、魔術師にしてはならない。そういう決まりごとが、あるのですよ。まあ、ちょっとした常識の話ですがね」
「……………………」
「僕はアンマリアの友人です、いわば味方ですよご主人。ところで――あなたはどうですかね?」
「……………………」
アンマリアは、とてもとても緊張していた。
かつての人生でこれ以上に緊張したことは無かった。ポー氏の貴重な収蔵品にはたきを掛ける時だってこれほどの緊張を味わったことは無かった。
ちなみにレギンは本当に来なかった。何てヒトだろうか。
セラ・キールの何気ない言葉が思い出される。白い花壇に咲いた赤い花、だっただろうか。その時は解らなかった言葉の意味が今、はっきりと理解できた。
純白である。
メイド服を着た妖精に案内されたのは、城の中央付近にある庭園だった。いわゆる中庭に一面花が植えられていて、それは全てが白い花だったのだ。そういえば城の床や壁は白で統一されていた。白色が好き、ということだろうけれど、アンマリアはそれよりも『白以外が嫌い』という印象を受けた。それくらい、言葉を選ばなければ偏執的なほど、あらゆるものが白かったのだ。
ところで、アンマリアは赤い服を着てきていた。
彼女を出迎えたセラ・キールの微妙な表情の理由は、詰まりこれだったのだ。妖精女王はきっと白がとんでもなく好きか、他の色がとんでもなく嫌いかだ――下手をすれば赤色が嫌い、という可能性まである。
最悪服を脱ぎ捨てて許されるだろうか。というか、今からでも脱いでおくべきなのではないか。いやいや謁見の場で服を脱いでいる獣人の方が遥かに無礼なはずだ、そちらの方が処断の可能性は高まる。けれど…………。
「………緊張していらっしゃるのね、ハーリスの娘」
緊張の理由その二、というより全ての原因が、のんびりと声を掛けてきた。「落ち着いて。セラから話は聞いています、今日は、貴女を直接労おうと思っているだけなのよ」
「きょ、恐縮でございます」
あらあら、と上品に微笑むのは、まさに妖精女王その人だった。
セラ・キールの顔立ちも端正で美しいとアンマリアは思っていたけれど、妖精女王は更に優れた容姿をしていた。美、という概念に翅が生えたような、飾り立てなくとも身体の端々から輝きが迸るような美しさだ。少女、大人の女性でもないし子供でもない、その境界に立つ不安定で繊細な美を誇る彼女はだからこそ、他の全ての美しさを引き連れて立つ支配者だった。
そんな御方と向かい合って、アンマリアは同じテーブルで紅茶を振舞われている。しかも、メイド妖精は離れていて、実質的に二人きりだ。朝食を吐き出しそうなくらい、緊張して当然であった。
「本当よ。地下通路にあの神殿をおいたのは私ですけれど、そこが危険なことになっているなんて。無事に切り抜けてくださったこと、感謝しています」
「れ、レギン様………いえ、友人の魔術師の助けがあってこそです。それに、セラ様も呪いを相手に奮戦しておられました。私は、何も………」
「あら。泥翅を蹴り飛ばしたと聞いているわ。それに」
妖精女王は無造作に、テーブルにオレンジ色の球、封印玉を置いた。「この子の封印の際、無作法を嗜めて頂いたと」
言わないでほしかった。
そんな気持ちを心にしまい、ついでに緊張をどうにか押しやって、アンマリアは口を開いた。
「それには、妖精の皆さんにとって危険な存在が入っています。【影生まれ】と呼ばれていましたけれど、あれは、妖精を呪う妖精なのかもしれません」
「まあ、それは怖いわね。じゃあ――こうしましょう」
妖精女王は人差し指を球の上から押しあてた。
次の瞬間、球は一気に小さくなった。小さく、小さく、小さくなって、やがて、完全に消え失せた。
「これで良し。安心だわ、そうでしょう、ハーリスの娘?」
アンマリアは頷くしかなかった。
レギンが施した封印は、セラ・キールの全力でもてこずると評されたものだった筈だ。それが、指だけで?
アンマリアはもう緊張していなかった。そんなものは無意味だった。
「安心したようでうれしいですよ、ハーリスの娘。後ほどきちんと御礼と、それから、そうね。感謝状を贈りましょう」
「……………………」
「あら。気になることがあるようですね、そんな色をしています。私、そういうの解るの。どうぞ仰って、私、貴女を労おうと思ってお呼びしたんですもの。本当は上の、見えるかしら。浮かばせてある空中庭園にお呼びしたかったのだけれど、あそこだときっと、貴女は余計に緊張してしまうでしょう? 一人では降りられないのですから」
黙っていることも、出来た。
けれどもどうしても、アンマリアは質問しなければならなかった。あぁ、答えは目の前にある。知ることは力になる、そうよね母様。
「………お手紙をお書きになるのですね」
「えぇ。皆喜んでくれますし、それに、わざわざ出向かなくとも用件を伝えられるでしょう?」
「犠牲となった妖精について、御存知ですか?」
「【庭の小石】、【秋の枝垂れ桜】、【朝顔の雫】。悲しいことです、もう貴女の、詰まりはヒトの世界で朝顔に雫が残ることは無くなってしまったわ。そのまま垂れ落ちてしまうだけ。そういうものなのです、妖精の完全な死というものは」
「………彼らの共通点を、知っていましたか?」
「どのことを言ってらっしゃるのかにも依りますけれど、えぇ。貴女がお聞きになりたがっていることに関しては、知っています。あの子たちは――私の金貨を持っていなかった。経済という私が皆に遊んで欲しいことに、参加できていなかったのです。その癖他の子が沢山頑張って沢山金貨を得ることを、いつもいつも妬んでいました」
「泥翅の素、あの呪いの魔力は、どこかから漏れているのですか?」
「水路で清めた魔力で箱の中の呪いが溢れないようにしています。使い終わって汚れた水は、えぇ、一定の場所に流れ出ます」
「………最後に、一つだけお聞かせください女王陛下。遊びに参加できない妖精を、貴女はどう思われるのですか?」
妖精女王は、にっこりと笑った。
美しくて、繊細で、儚げで力強くて――
――悪意の無い、笑みだった。
「白い花壇を作りたいのなら赤い花は抜かないと駄目なのですよ、ハーリスの娘」
妖精女王は紅茶を飲み干して、メイド妖精を呼んだ。「御機嫌よう、今日はとてもとても楽しかったですわ。どうかそのまま、
「やあ、おかえりアンマリア」
いつもの入り口から部屋に戻ると、レギンが待っていた。
アンマリアは驚かなかった。そんな気がしていたのだ。
「無事で何よりだ。いや、勿論無事に帰ってこられるだろうとは思っていたが、万が一ということもあるからね。下の酔っ払いたちには混ざりたくないし、こちらに通していただいたんだ。サリム氏は、良いヒトのようだね」
「………レギン様は、気付いていたのですね」
「君も気付いたのか。それで帰ってこられたとは、気に入られたようだな」
「妖精女王は、呪いを利用しているのですね。それで意に沿わない妖精を排除している。それは、正しいのでしょうか?」
「視点によるだろうね。例えばアンマリア、君がサリムさんとチェスをして遊んでいるとしよう。僕がチェスの達人だとして、君の背後から勝つための手順を教えるのは正しいか?」
「止めてほしいと思います」
「では、それが賭けだったらどうだろう。君はこのままでは負けて、大切なものを奪われる。それを知っている僕が口を出すのは正しいか?」
「………それは、えっと」
「逆に、君が勝てば大金を得られるような場合は? 相手がチェスの達人で君が素人だったら? 相手がずるをしていたら?」
レギンは勝手にキッチンへ入ると、紅茶を二杯運んできた。「どの場合でも、君にとっては正しかったり間違っていたり、色々あるだろう? だが僕にとっては全て同じ。友人を助けている、それは、正しいことだと思わないか?」
目の前に差し出されたカップからは、湯気が立ち上っている。帰ってくるタイミングが解らない以上は、きっと魔術で温めたのだろう。
「………実際、為政者という立場で見れば粛清は一つの選択肢だ。しかもおそらくだが、これは機能的な排斥だろうね。例え夜道に呪いの魔力を漂わせようが、女王の思惑通りにきちんと経済活動に参加して金貨を稼いでいれば、何の問題も無い。呪われ、弾かれるのは金貨を稼げない怠け者だけというわけだ」
「では、レギン様は正しいと思うのですか?」
「もちろん。ただ、僕はこうも思う。好みじゃないとね」
「好み、ですか?」
「結局そういうものだ。どんな方法も、選択も、正しさなんて時間と場所と立場で簡単に変わるものを拠り所にしない方が良い。僕は魔術師だ、合理的な傲慢者だ。迷ったときは単純に、好きか嫌いかで決めてしまえばいいのさ」
それに、とレギンはカップを持ち上げた。「ここは結局女王の国だ。女王の世界だ。彼女は彼女が思う正しさに従うしかないんだ」
「自分の国では、自分の正しさに、従うしかない…………」
「君の正しさに従いたいのなら。従わせたいなら。自分の世界を持つしかないんだ。アンマリア、僕たちは魔術師がそれを目指しているようにね」
僕たちは、魔術師のための世界を創りたいんだ。
そう言って、レギンは紅茶を飲み干した。それから、ため息を吐いた。
「やはり不味いな。アンマリア、すまないが紅茶を淹れてくれないか? 僕は――君の紅茶が、一番好きなんだ」
アンマリアは思わず笑った。
思えばこの日、初めての笑いだった。
「わかりました、レギン様。とびきりのをご用意しますよ」
アンマリアは立ち上がって、お湯とポットの用意をし始めた。それから、ふと、自分の分のカップを口に運んで飲み干した。
その味が、きっと一番好きな味になる予感がしていた。
アンマリアと妖精 レライエ @relajie-grimoire
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