第16話終幕、そして。

 黒い妖精へのレギンの対処は、適切でありまた徹底的でもあった。

 巨大化した鎖で既に身動きも出来ない彼に対して、更に光の魔力を浴びせている。単なる浄化なのか、それとも攻撃力のある魔術なのかは解らなかったけれど、少なくとも黒い妖精は苦しそうにしている。鎖で塞がれていなければ、甲高い悲鳴を上げていたことだろう。


『妖精は魔力そのものだからな、一言でも喋れば魔法が発動する可能性がある。呻き声さえ出されては困るんだよ』

「ほとんど、喋れてはいませんでしたけれど」

。あの黒い妖精は――ミス・キールに倣って【影生まれスィルエト】とでも呼ぶか――確かに生まれたてで碌な知識も無さそうだったが、それでもあの短期間で君の名前を学習した。僕やミス・キールが言っているのを聞いたんだろうが、それで覚えられるなら、自分の身体で経験した魔術を学び取る可能性もゼロじゃあない。寧ろ、高い方だと思うがね』

「それは、そうですけれど………」

『………まさかとは思うが、君、そいつに同情しているわけじゃないだろうね?』


 アンマリアの態度に、レギンは大仰に肩を竦めた。


『あぁ、アンマリア、アンマリア。優しさなのか甘さなのかは知らないが、どちらにしろ悪手だぞ。いいか、アンマリア。君にも解るように言ってやろう、そいつはとびきり強大な魔力を持っている。魔力をだ。そいつが赤子じみた無邪気さで君の名前を魔力を込めて呼んだら、君の魂はそいつのものだ。もう誰にも取り返せない。子供の手に渡った玩具が一体何日無事でいる? そいつは気ままに君の魂を引き裂くだろう、君の身体もついでにな。そいつは、怪物なんだよアンマリア。野放しにしておいていい存在じゃあない』

「全く同意見です、レギンさん」

 大分調子が戻ってきたのだろう、セラ・キールはそれこそ呪い殺しそうな目つきで【影生まれ】を睨みつけている。「少々意見の食い違いがあるとすれば、私としては、このおぞましい紛い物を即刻魔力へ帰すべきだと考えている、という点でしょう」

『確かに意見に食い違いがあるようですね、ミス・キール』


 それはアンマリアにとっても意外な反応だった。

 驚く兎人の視線を受けてばつが悪そうに帽子のつばを弄りつつ、レギンは静かに口を開いた。


『野放しにはしません、ですが、即刻消し去るのも僕としては反対ですね。魔術師の悪癖と言われても仕方がないかもしれませんが、この【影生まれ】には見るべきところがあまりにも、多い。いわばぎちぎちに詰まった宝箱だ、せめて解錠くらいには挑戦したいものですね』

「ご冗談でしょう、それとも、私が思うほど賢明な方ではなかったということでしょうか? 貴方自身が仰った通り、そいつは怪物です。妖精への理不尽な呪いから生み出された、妖精を呪うための怪物。陛下の愛するこの街にそんなものが存在したら、白き花壇の赤い花どころではありません」

『理不尽な呪い、ね………』

 レギンは腕を組んで、セラ・キールに向き直る。『それこそ僕にとっては興味があります。妖精に向けられた呪いの強さを思えば、これを解剖して得られる利益は魔術師にとってどれほどのものか、想像してみていただきたいものですね』

「損失の方は想像してみましたか、魔術師の貴方。貴方が火を研究するうちに野山は燃え尽きてしまうでしょう、妖精の呪いを解き明かそうとする間、妖精界を危険に晒すというのですか? それを私たちに許容しろと?」

『全てを箱に閉じ込めて一体何が解決したというのですか、妖精? 結局未来へ呪いを残しただけだ。何故知ろうとしない? 無知は罪ではないが、怠惰は明らかに罪だ。例え危険な呪いであろうと、知らなければ解呪の仕様もないじゃないか!』

「宣告します、今すぐにそいつを処分しなさい。いえ、こちらに渡すだけでも構いません。私たちが適切に対処します」

『適切な対処という言葉をもう少し勉強するべきですね、どうやら、僕が教える必要があるようです』


 レギンとセラ・キールとの間で目には見えない緊張感が高まっていく。

 いや、それは魔力と魔力のぶつかり合いだ。見えないことは同じだけれど、あいにくとこちらには実際に被害が出てしまう。


「落ち着いてください、お二人とも!」

 睨みあう二人の間に、アンマリアは強引に割り込んだ。「紳士淑女の振る舞いではありません。話し合いに相応しい場所というものがあるのではないですか? 紅茶とケーキを用意しろとまでは言いませんけれど、少なくとも爆弾の前で言い争いをするのは愚かです!」

『む………』

「それに、レギン様もセラ様もお忘れのようですけれど、ここは女王陛下の城の中ですよ? 揉め事ならば、女王陛下に裁定していただくのが当然というものでは?」

「それは…………えぇ、確かにその通りですね、アンマリア嬢」


 セラ・キールが魔力を収めたのを見て、レギンも杖を下ろした。彼の背後に従っていたゴーレムたちも小さな手でとった威嚇の構えを下ろしているのが、場違いなくらいにユーモラスだった。


『君が正しいな、アンマリア。どうかお許しください、ミス・キール。僕としたことが全く無作法でした』

「こちらこそ、レギンさん。折角そういう世界を陛下がお創りになられたというのに、私がそれを蔑ろにするなど、愚かな事でした」

『では、互いの名誉のためにもここは水に流しましょう。そして――』

 レギンは杖を振るった。『【影生まれ】の処遇は女王陛下にお任せしましょう』


 過剰なまでに黒い妖精を縛っていた鎖が溶け出して、彼を包み込んだ。

 創世祭の屋台の飴細工のように、どろどろの魔力はレギンの杖の動きに合わせて丸まりながら浮かび上がり、竜巻のように回転しながら徐々に小さくなっていく。最後には握りこぶし程度の大きさにまで縮んだそれを、レギンはセラ・キールの下へ誘導した。


「なんとまあ………」

『封印の魔術だ。強度も充分だと思うし、内部では時間経過の概念が無いから、脱獄の心配もない。魔力の消費が激しいのだけが難点だが、妖精界においては問題にもならないな』

「確かに、見事な封印ですね。私が全力で壊しにかかっても、恐らくは飽きる程時間が掛かるでしょう」

『女王陛下の判断を待つのにも、それならば万全でしょう。解析の機会を頂ける幸運を、僕としては祈っておりますが………その状態ならば処分も容易いでしょう』

「私から口添えをすることはありませんが、妖精界の危機を防いだ功労者の一人に、何らかの見返りがあることだけはお約束しましょう。勿論、決めるのは陛下ではありますが」


 セラ・キールは上品に微笑むと、封印玉を傍らに浮かばせた。

 流石に手で触れることはしたくないらしい。自分を魂から汚染する可能性があるのだから、それも当然だろうけれど。


「それに、陛下の裁定はあなた方をけして待たせません。陛下は即断即決の方ですし、ご自分の城で起きている事態を把握できないわけではありません。恐らく既に御心は決まっているでしょう――謝礼の件もあります。明日、城までいらしてください、勿論地上から」

『城へ? 内密な処理が必要だろうと思っていたのですが、公に僕たちを招いても宜しいのですか、ミス・キール。まさか女王陛下とお会いするわけではないと思いますが、余計な憶測を招くのでは?』

「寧ろ逆です、レギンさん。陛下が気まぐれに誰かを招くことは良くありますし、妖精的でもあるでしょう。式典を催すわけにも、或いは英雄譚を作らせるわけにもいかないのは申し訳ありませんが………」

『全くどちらも結構です、ミス・キール。本当に。僕が求める報酬は知的好奇心を揺さぶるような刺激と、そこから得られる知識だけですから』

「謙虚に聞こえますね、刺激の内容を知らなければ、ですが。ご安心ください、女王陛下に連なる者として、間違いなく報酬は支払われるでしょう」


 では、とセラ・キールはふわりと浮かび上がった。

 そういえばそもそも彼女は空から降りてきた。恐らく、城に繋がる出入り口があるのだろう――詰まり本当に、闇の魔力は危うく女王陛下のところへ届いていたということでもあるけれど。


「明日、改めて御礼をさせていただきますが、アンマリア嬢。事態を解決してくださったこと、犠牲となった妖精たちに代わって感謝します」

「………え?」

「では、明日。あぁ、そうです、これだけはお伝えしなくては!」

 アンマリアの動揺を知りもしないで、セラ・キールは微笑みながら冗談めかして口を覆った。「着替えだけはお忘れなく、その、かなりの臭いですので」


 今度こそ、セラ・キールは飛び去った。

 あとにはレギンとアンマリア、そして嫌な沈黙だけが残った。


『………………』

「レギン様、今のは………」

『予想していたことではある、勿論ね』

 レギンは深くため息を吐いた。『妖精たちは影を恐れ、闇を恐れ、夜さえ恐れている有様だ。今となっては正しい恐怖だったと僕も認めるが、しかしだからこそ、彼らが泥翅になったことは不自然だった』


 、とレギンは不機嫌そうに言い放った。


 消えた妖精が三体。

 現れた泥翅も三体。

 数の上では正しく思える――泥翅は感染する、妖精たちが順繰りに襲われて変容したとすれば、数式は等号で結ばれるだろう。けれどもそれは、


 アンマリアは、恐らくレギンもだろうけれど、泥翅という存在を妖精が『影に捕まった』結果生じるものだと考えていた。原初の呪いの源が、強欲に囚われた妖精へ作用するいわば、偶然に起きる事故なのだと。

 妖精界に生きる上では避けられない流行病のようなもので、自衛を忘れたものから飲み込まれるのではないかと、そんな風に考えていた。


 けれども、自分たちは今夜、妖精界で最もおぞましい呪いの源と実際に対面し、それがもたらす泥翅の変化を目撃した。


 あくまでも、泥翅とは元輝きの妖精が放つ呪いの魔力に捕まった結果変化するものだ――そしてその魔力は封印されていて、本来は漏れ出す筈がない。詰まり、勝手に泥翅になるわけがないということ。だとしたら、


『それにそもそも、忘れているかもしれないが、アンマリア。妖精たちは闇に対して対抗策を持っている、

 レギンは懐から妖精金貨を一枚取り出して、手の甲を転がした。『女王陛下の魔力で作られたこれは、災い除けの効果がある。僕や君では魔法を発動させて消費しないといけないが、妖精たちくらい魔力に満ちていれば、持っているだけで影の魔力を弾いてくれるはずだ』

「では、犠牲となった妖精たちは、どうして………」

『手紙と言っていたな。恐らくは誰かに呼び出されたんだろうが、その誰かとやらは金貨の魔法を打ち消すような方法を持っていたのかもしれない。その可能性は勿論あるが、ふむ、僕としては別の可能性の方が高いだろうと予測している』

「そうなのですね、その、別の可能性というのは?」

『簡単だよ。ということだ』

「金貨を?」

 アンマリアは首を傾げた。「置いて来い、みたいな指示を手紙で受けたのでしょうか? 金貨の効果を知っているのであれば、当然邪魔だとは思うわけですから」

あり得る』

「それも?」

『………………』

「レギン様?」


 レギンは腕を組んで、思考に没頭し始めていた。

 こうなると、青年魔術師は彼が必要とする機能だけを残してあとのものを捨て去ってしまう。例えば、同行者の質問に対して答える社交性などがその筆頭で、最終的には人間性のほとんどが置いて行かれてしまう。

 魔術師という種族は大体、そういうものだとアンマリアは知っているから、特段怒ることは無いけれど。歓迎する習性とは言えなかった。


 レギンの思考が結論にたどり着くまで、アンマリアはゴーレムと手遊びをして過ごした。素直な彼らに右手と右手、左手と左手をテンポよく触れ合わせる遊びを教えるのは、案外良い暇つぶしだった。


『………そうか、そういうことか』

「どうかしましたか、レギン様」

『あぁ………君は何をしているんだ、アンマリア? あぁそうか、すまないな、君も居たんだった。放置してしまっていたな、すまない』

「お気遣いなく、魔術師の方を待つのには慣れておりますから」

『それは…………いや、今はそれは良いだろう。問題は別にある、いや、無いと言っても構わないが』


 不思議な言い方だった。

 確か、事件の背後に何者か、妖精たちを呪わせた存在がいるのではとお互いに考えたところだったと思うのだけれど………問題が無いとも言えるというのはどういうことなのだろうか?

 既に問題ではない、ということだろうか。レギンは事件の全容を完全に推測しきっていて、気にする段階はとっくに過ぎてしまったと?


 あり得ない話ではない、彼の頭脳はアンマリアのそれより遥かに優れているのだから、彼女が問題文を読み込んでいる間にはもうペンを置いているくらいに差があってもおかしくないだろう。

 けれど。


「詰まりどういうことなのか、説明して頂けませんかレギン様? 私は貴方ほど、賢くはないのです」

『そうでもないと思うがね。君は優れた存在だ、僕は自分の頭脳を信頼しているが過信してはいない。君の助言が不可欠だよ』

「そ、それはどうも………ですが実際、私はまだ何もわかってはいません」

『解るはずだよ。少なくとも可能性が高い筋書きくらいは想像できるはずだ――黒幕フィクサーから考えるか動機から考えるべきかはヒトによるが、想像できると思うがね』

 それに、とレギンは杖を振り、海月のゴーレムを再び生み出した。『解らないならそれでも良い。この事態を演出した操り手には悪意など無いのだからね』

「悪意が、無い?」

 アンマリアは周囲を見回し、破れ砕かれた泥翅の最後に思いを寄せた。「これだけの危険を演出しておいて、ですか?」

『そうだ。少なくとも本人にはそのつもりは無いだろう――そして実際、正しいことではあるんだ。君が納得するかどうかは、解らないが………放っておいても必要以上に害はないということだけは、ここに断言しよう』

「ま、待ってください!」


 さて、帰ろうか。

 そう言うと本当に出口へ向かい始めたレギンの背に、アンマリアは慌てて声を掛けた。いくらなんでも、こんな、中途半端なままで放りだそうとするなんて。


 レギンはいかにも面倒くさそうに振り返った。思わず蹴り飛ばしたくなるような態度だった。


『明日は城に行くのだろう? 無礼でない時間を選ぶなら昼前が良いだろう。そして今はもう月が帰り支度を始めるような時間だ、さっさと帰って良く寝た方が良い』

「今の状態で眠れるとでも? 気になって寝るどころじゃあないですよ!」

『そうなのか? 気にすることは無い、解らないのなら別に無視しても良い、そう言ってるじゃないか』

 アンマリアは身構えた。『待て待て、僕だって疲れてる、君の蹴りを防ぐ魔術を編むのは大変なんだ。解った、では一つだけ教えておこう。アンマリア。今回の件の発端が手紙なのだとしたら、。箱に入った呪いも、泥翅も、手紙など書けはしないんだよ』


 さあ、とレギンは歩き出した。

 アンマリアは、かなりの意志力で我慢しつつそれに続いた。早く帰るというのは確かに魅力的な提案だったし、それに、こうなっては簡単に答えを教えてはくれないことくらい、彼女には解ったからだ。


 後は明日――城へ行ったあとにでも、紅茶と引き換えに真実を要求することにしよう。

 そんな風に考えつつ、アンマリアは、自分が今夜きちんと眠れるかどうかひどく不安に感じた。

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