木枯し
綿野 明
木枯し
「おや」
私は手にした地図に目を落とし、隅に書かれた日付を確認した。うん、二年前の地図だ。間違えて古地図を持ってきたとか、そんなことはない。
「おやおや……」
もう一度、ぐるりと景色を見回す。石造りの建物が建ち並ぶ街は、特に廃墟めいている様子はない。普通の、綺麗な街並みである。
が、いかんせん人の気配がなかった。人っ子ひとりいないのだ。
私の目の前にあるのは、ひゅう……と風の音が吹き抜けてゆくだけの、命の気配がない街だった。
私はゆっくりと一歩ずつ、慎重に街へ踏み込んだ。灰色の石畳に、灰色の街並み。一見して寒々しいが、よく見ればあちらこちらにすっかり枯れ果てた鉢植えが見える。元々花だったものがぺしゃんとつぶれているものや、背丈の低い針葉樹が茶色く枯れ上がっているもの。壁に蔓薔薇を這わせている家もある。あれらが全て生きていたなら、色とりどりの美しい街だったのかもしれない。
ひゅう……と、また風が吹いた。人の声も、足音も、息遣いも、なにも聞こえない。木々も葉を落とし、ざわめく梢もないので、ただ風の音だけがはっきりと聞こえるのだ。
「弱ったな……」
私はつぶやいて、とりあえず、手近な建物の扉を引いてみた。鍵がかかっている。ぐるりと見回し、宿屋の看板が出ている扉に歩み寄ったが、こちらもきっちり施錠されていた。
「窓を割って、いや……」
窓から中をのぞいてみる。やはり、人の気配はない。奥に引きこもって息をひそめている、というのでもなさそうだ。
完全に無人の街なら、むりやり侵入してもいいだろうか。
そう考えて、いやいやと腕を組み、悩む。
私には宿が必要だった。それから、水と食料も。ここしばらく、魚も獣もさっぱり獲れず、秋だというのに果実のたぐいも見当たらず、私はすっかり腹をすかせていた。保存食も残り少ない。これだけ綺麗な建物なら、まだ中に食料が残されているか可能性は高い。
「うーん……」
やっぱり罪悪感がある。廃墟なら廃墟らしく、おもいっきりボロいたたずまいでいてくれればいいものを!
決心がつかず、私は宿屋のドアノブから手を離し、ふらふらと静まりかえった目抜き通りを歩いた。灰色……と言いきるにはどことなく青っぽい、不思議な色合いの街並み。だがよく見れば石は普通の色である。空は晴れていて、霧が立ちこめるでもない。ごく普通の晴れの日の街並み……にしてはやはり、青っぽいのだ。空気に色がついているように。
「気味悪いな……」
そう、ぽつりとつぶやく。
が、勘違いしないでほしい。私はべつに、これがくせになってるわけではない。確かにもう十年は一人旅を続けているが、断じて独り言ばっかり言ってるキモいおじさんではないのだ。
悪いのはこの街である。この音のない広大な無人の空間が、私の背筋を冷やすのだ。ああ、いっそ盗賊でもいいから、誰かいてくれればいいのに。
そんなことを考えた、その時だ。ふいに私の敏感になった耳が、通りの向こうを歩く足音をとらえた! 私は間髪入れず、叫んだ。
「おい、誰かいるのか!」
えっ!? と小さく男の声がした。私は夢中になって声の方へ走り出した。通りの向こうの足音も、走り出したのが聞こえた。
「お前、こんなとこでなにやってる! 木枯しを浴びちまうぞ!」
ああ、人だ! 私は嬉しくなって声を上げた。
「助かった! 会えて良かったよ盗賊くん!」
「はあっ?」
現れたのは若い男だった。黒い布で鼻から下をしっかり隠した、いかにも盗賊っぽい男だ。
彼は私の顔を見るなり顔を青くして――襲いかかってくるかと思ったが、違った。肩に巻いていた黒いストールを剥ぎ取ると、私の顔にぐるぐる巻きつけにかかったのだ。
「えっ、そんな。初対面なのにもう仲間に入れてくれるのかい? でも困ったな、私は盗賊になる気は」
「なに言ってんだ、早く来い!」
盗賊は私の腕を掴むと、ぐいぐい引っ張って歩き出す。私はされるがままついてゆきながら、彼に尋ねた。
「ここで何があったか、君は知ってるかい? 私はついさっきここに来たばかりでね」
「もしかして、知らねえで歩き回ってたのか」
「うん、何も知らないね」
「竜が死んだんだよ。そんで、木枯しが吹いてるんだ」
「木枯し、ああうん。そんな感じだったね。こう、肌にあたると体の芯から冷えるような感じがして、ヒューってさみしい音がして」
「まだ秋口だぞ、そこまで気温は低くねえ。お前の中身が冷たくなっていってんだよ」
「……ん?」
「竜が死んだって言ったろう。すぐそこの山に住んでた、千年生きた竜だ。山の神といってもいい。お前もわかるだろ? こんなふもとの街なんて、みんな道連れだよ。ほんのちょっとの弱い風でも、ぜんぶ木枯しになっちまう」
「何を……言ってる、んだい?」
「くそっ。おい、お前。なんかあったかいもののことを考えろ。焚き火とか、焼きたての肉とか、わかしたての風呂とか! なんでもいい!」
「ああ、いいね。風呂なんて、特に……湯に浸かるような形式のやつは、もうずいぶん、入ってないし、今日は冷え、る、から……」
「おい、しっかりしろ! 地下に入ったらすぐ医者に――おい! こっちだ! 手伝ってくれ!」
脇の下に肩を入れ、私をひきずるように歩きながら、盗賊が大きく手を振って叫ぶ。
その声がずいぶんと遠く聞こえるな、と思っていると、ふっと目の前が真っ暗になった。
〈了〉
木枯し 綿野 明 @aki_wata
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