3.

 結局あたしはどうしたいのだろうと、一日考えていた。

 それはやはりあたしが寝取られ師で、彼女の本当の友達でも何でもない、ただ金で関係を持った束の間の恋人ごっこの相手に過ぎないというのが気持ちの底にあったからだ。

 フウコにとってあたしがどんな存在だったのかは分からない。割り切った関係と言えばそうだったかも知れないし、あれ以来連絡をしてこないのもそういう理由かも知れない。

 ――でも、だったら。

 だったら何の遠慮もいらないだろう。

 もしあたしが嫌われて終わるだけなら、それはそれで構わない。

 構わないはずだ。

 あたしはあたしの気持ちをうまく自認できないまま、校内のカフェに向かう。

 まだ約束の時間よりも随分と早かったが、フウコはカフェにいた。

 ……誰か男と一緒だった。

 あたしはなるべく目立たないように、カフェの外の遠巻きからそれを見る。

 柔和そうな男性だ。中肉中背、めちゃくちゃ顔が良くてモテそうという感じじゃない。でも優しくて怒らなさそうな、無難に女子好みする雰囲気は確かに感じる。

 親しそうな様子で二人は談笑……というにはフウコの表情は固い。元気がなさそうに見えるのは、あたしがそう見ているからだろうか。

 やがて相手の男は立ち上がり、カフェから立ち去るかと思ったが、しかしそう遠くない席に座り直していた。ナンパだったのか? 知り合いが挨拶してただけ?

 しかしチラッと顔が見えて、あたしはピンとくる。――おそらくあれが「ショージ」だ。

 イトセは寝取られ師の紹介のためにフウコを呼び出していたはずで、もしそれがイトセが言うように「寝取らせ」のプレイの一つなら、ショージはフウコに会う男を間近で確認しにきたのだろう。

 あたしは足が絡む心地だったが、カフェでテイクアウトのコーヒーを買ってから、意を決し、何食わぬ顔でフウコに近づいた。

「ここ、相席いいかしら?」

 あたしの姿を見てフウコは驚いていた。しかしあたしは返事を聞かず、さっきまで男が座っていたフウコの向かいに腰を下ろす。男は丁度あたしの背の方にいるから、反応は分からない。

 そして何かを察したのか、フウコは小声で答えた。

「なんでイネちゃんが――イトセさんは?」

「イトセ? イトセと待ち合わせでもしてた?」

 あたしは白々しく返答し、さて大っぴらに話しても都合が悪そうだしどうしようかと考え、咄嗟にスマホのメモアプリを開く。

「なんだか疲れてるみたいだけど、カレシとは上手くいってる?」

 なんて聞きながら、あたしはメモアプリにテキストを打ち込んでフウコに見せた。

『困ってるなら、助けたい』

 ――結局、それがあたしの本心だった。

 フウコはその画面を見て、縋るようにあたしを見る。

 そしてためらいながら、だけど、小さく震える声で言った。

「……た、たすけて、イネちゃん」

 その言葉を聞いた瞬間、あたしはフウコの手を掴み、一口も飲んでいないコーヒーを置いて走り出した。


 カフェを出て大学を出て駅へ向かってあたしたちは走る。

「イネちゃん、イネちゃん……!」走りながらフウコが声を掛けてきて、あたしは必死に答える。「何よ!」「あの、あたしスマホ、ショージくんとアプリで位置共有してて」「はぁ? 貸して!」

 あたしはフウコが持っていたスマホを引ったくって電源を切る。

「イネちゃん、イネちゃん!」「今度はなに!」「あの、ショージくんからもらったマスコット?みたいなやつ、多分なんか入ってて……」「ああもう貸して! ……このさわり心地、多分AirTag入ってる! こわ! 捨てるわよ?」「う……うん」

 あたしはフウコの鞄に付いていたマスコットを受け取って横断歩道脇の植え込みにそっと置く。

「イネちゃんイネちゃん!」「まだなんかあるの!」「駅、けっこう通り過ぎた!」「早く言って!」

 そこでようやく、あたしたちは立ち止まった。

 息が上がっている。あたしはフウコの手を離して、歩道の柵に腰を預けた。

「おえ……こんなに走ったの……いつぶりかしらね……気持ち悪い……」

「イネちゃん大丈夫?」

「……あんたは平気そうね」

「私ほら、長距離やってたから。――ありがとう、イネちゃん」

 そう言うとフウコは少しだけ笑った。

 これはあたしが勝手にやったことだ。お礼を言われる筋合いもない。それでも「助けて」という声に多少は応えられたのなら、よかっただろう。

 呼吸を整えてから、私たちはゆっくりと駅の方に向かって歩き始めた。

 道すがら、あたしはイトセから聞いたこと、ショージという男のことをフウコに話した。

 フウコが再びを探していたと経由で知ったこと、ショージの情報をそこで得たこと、そしてショージがどういった男なのかと言うこと。

 フウコはそれを気を重そうにしながら聞いていた。

 やがて駅に着いたあたしたちはハッピーアワーの始まった近場の居酒屋に入り150円のハイボールを頼んでから、話の続きをする。

 お酒を飲んで少しだけ気のほぐれたフウコが、ぽつぽつと話し始めた。

「私……私いま、『寝取られ管理』されてて……」

 ショージという男はフウコを寝取ったあと、惚れた弱みに付け入って言葉巧みに「寝取られ」るよう仕向けていたらしい。寝取られたフウコを再び取り戻すことで、何度も寝取り返すことで愛が深まるとかなんとか。

「私、えっちは嫌いじゃないけど、別に誰とでもいいってわけじゃないし。当然嫌だったけど、ショージ君があんなに真剣に頼んでくるなら、応えてあげたいって、最初は――」

 の男なら大丈夫だから、と提案してきたのもショージらしい。寝取られがだだ愛を確かめる行為になって、もはや「られ」のためなら誰と寝てもいいという風潮は確かにある。ある種の通過儀礼的なに慣れるという感覚は、そのショージが言うところの「寝取り返し愛を深める」ために寝させる相手だって誰でもいいということにしてしまった。それはやはり単なるプレイだ。ショージにとっては確かにプレイだが、しかしフウコはそのプレイのための詭弁に気付けなかった。

「ショージ君、どんどん誰かと寝てこいって。普段はすっごく優しいのに、えっちのことになると、ちょっと怖かった。最初は真剣そうに見えたけど、なんだか少し必死そうというか……。それで……ついには中に出してきてもらってよ、って。ピル代は出すからって。ショージくんはそれを、その……女の子の中に溜まってるのを自分のあれで掻き出してするのがすごくいいんだって言ってた。それが寝取らせたのを寝取り返すってことなんだって、興奮しながら……。そんなの私、全然分かんないけど……。でも私、初めて本命として寝取られて、嬉しかったし、なるべくショージくんの期待に応えたいとも思ったの……思ったけど……やっぱり嫌だったんだって思った。きょうイネちゃんがきて、思わず助けてって言っちゃったもん」

 そう言うとフウコはまだ半分もあるジョッキのハイボールをあおって飲み干した。

「――あれ、そういえばあんたまだ十九じゃなかった?」

「ふふ、こないだ二十歳はたちになりました。……ほんとは最後に会ったあの日、ショージくんから誕生日のお祝いとして呼ばれてたんだよね。そんで、さっきイネちゃんが道端に置いてったマスコット、誕生日のプレゼントのひとつだったんだ」

 だから一瞬、捨てるのに躊躇うような素振りをしていたのだろう。

「……誕生日、言ってくれたら良かったじゃない」

「うん。――イネちゃん優しいからさ、気を遣ってくれそうで、なんか言えなかった」

「そう。一ヶ月遅いけど、おめでとう」

「ありがと。――私、ショージくんからのお祝い、本当に嬉しかったんだよね」

 フウコはジョッキを置いて目を伏せる。

 気の毒で仕方がなかったが、あたしはあまりに気の毒すぎて掛ける言葉が見つからなかった。

 グラスをどんどん空にしながら、夜が更けていく。

 途中、あたしのスマホにイトセからメッセージが届き、ショージを捕獲して色々白状させたと報告があった。フウコはそれを聞いて少し悲しそうに目を伏せ、あたしは気の毒すぎて掛ける言葉が見つからず、二人でとりとめの無い話をしながら、味のしない薄いハイボールを飲むしかなかった。

 やがて酔いの回ったフウコがおずおずと切り出した。

「ねえイネちゃん、お願いがあるんだけど……」

「なによ?」

「あの……私と寝てくれない?」

「は? え、こわ。この流れで?」

「ちがくて!」

「ちがわないでしょ」

「眠るだけ、一緒に。えっちなことは無し」

「……はあ?」

 フウコが言うには、近頃はうまく眠れなかったらしい。特にショージと二人きりの時は。

「なんかこう、このまま誰かと一緒に眠るの、嫌になったままにしといたら良くないなって思って……なるべく早く、大丈夫にしときたくて」

 結局そのなんだか分からない言い分に言いくるめられて、終電がなくなるまで飲んだあたしたちは、そのまま最後に会ったホテルに泊まることにした。

「ラブホで寝るだけって、なんか贅沢なことしてる気分」

 シャワーも浴びずメイクも落とさず服も着替えずに、あたしたちは整えられたままのベッドに倒れ込んだ。天井のライトの灯りが、酔った頭に鈍く落ちる。家とは違う枕の心地は、確かに気持ちよく眠れそうだった。

「ねえ、イネちゃん。手、繋いでくれる?」

「――どうぞ」

 お互いに顔も見ず、酔っ払って酒臭いあたしたちは、本当にただ眠るためだけにベッドの上にいる。

 やはり掛ける言葉が見つからなかったあたしは黙っていたけれど、やがてフウコの方から話し始めた。

「ねえイネちゃん」

「なに?」

「寝るとき、こんなに落ち着くの久しぶりかも。ショージくんが隣にいたら、また何かされるかもって……。だからさ、時々こうして、私と一緒に眠って欲しいな。何もしないで手を繋いで。……いやまあ、むらむらしたらえっちするかもだけど、前提としてね?」

「――まあ、あたしたち身体の相性は良かったからね」

「ね。……イネちゃんの恋愛事情は私、知らないけどさ。お互いにちゃんとした恋人ができるまで、ちょっとだけ爛れた関係でいてくれないかな。いてほしい。私のわがままだけど」

「――寝取られ師として?」

「もちろん、イネちゃんがそっちの方が良いなら」

「……いいわよ。まあ寝取られ師として会うとバツが悪いし……セフレね。セフレならいいでしょ」

「ほんと? ありがとう。――イネちゃんはさ、私に乱暴なことしないって分かる」

「…………」

「ショージくんは、普段は温厚で優しかったけど、えっちのときは結構乱暴で、正直あんまり気持ちよくなかった。あたしを誰かに寝取らせて、それを楽しむような人だったわけだし。でもイネちゃんは、前付き合いでお仕事なのは分かってるけど、そんなことしないなって、思ったんだ。今回の件で色んなの人と寝ることになっちゃったけど――やっぱイネちゃん、なんていうんだろう、すごく私のことを尊重してくれてたんだなって、そう思った」

「……あたしはさ、別にあんたが寝取られてくの、嫌とかなんにも思わなかった」

「え、ひど」

「違うのよ。結構純粋に、幸せになって欲しいって思ったのよ」

「…………」

「だからね、あんたが辛そうな顔してるのは、すごく嫌だった。見てらんなかったわ。……多分あんたのこと、友達みたいに思ってたのね」

「ほーん。いまはどう? 私たち友達?」

「セフレでしょ。ま、広義の友達」

「――へへ。ありがとイネちゃん」

「…………」

「イネちゃんのそういうとこ……好き……だな……」

「……フウコ?」

 会話をしながら、フウコは眠りについた。

 あたしはベッドサイドのスイッチで部屋の明かりを消す。そしてそのまま空いた方の手を枕の下にそっと隠すように入れ、静かに目を閉じた。

 起きたら朝マックで何を食べよう、なんて考えながら。

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