ラレシ

立談百景

1.

 寝取られるなら、本気になっちゃいけない、させちゃいけない。しかし遊びじゃ味気ない。

 あたしらは、これから行われる寝取られを気持ち良いものにしなくちゃならない。

 寝取られるやつにも、寝取るやつにも、満足のいく寝取られを与える。それがあたしら「寝取られ師」の仕事だ。

 ――寝取られに歴史あり。

 ついに時代は寝取られがスタンダードな恋愛となった。

 一度誰かと付き合い、本命に寝取られることこそ真の愛の証明であるとされている。

 そして現れたのは、本命に寝取られるためにあえて「前付き合い」を買って出る者――それがあたしたち「寝取られ師」である。

「ねえ、イネちゃん。ホテル出たら朝マックしようよ」

 ベッドの上で全裸でペニスを放り出して天井を見つめているあたしに、下着姿で化粧を直しながら、フウコがそう言った。

 フウコは大学の同期で、もともと友人……というには遠く、知人と言うには近いような、そんな間柄だった。会えば挨拶や雑談くらいはする程度、お互いの連絡先も知らなかった。

 それくらいの距離感だったからだろう、ある日あたしは彼女から前付き合いをお願いされた。

「荒田くんがやってるって聞いて、他の男の子は不安定だけど、荒田くんなら結構いいかもなって思ってさ」

 前付き合いを頼まれたとき、その頃はまだ「イネちゃん」とは呼ばれてなくて、しかしフウコは臆面もなくそう言った。

 バイで細長い身体のオカマなんて、あまり人好みされないのは分かっている。だからみんな、あたしからなら「寝取りやすい」し「寝取らせやすい」というのはあるのだと思う。

 これだけ寝取られが主流になっても、まだ罪悪感なんてものを毛嫌いする潔癖症は多いものだ。寝取りたいし、寝取られたいが、軽薄な男や女に身体を許すほど自らを軽んじることもできない。あたしみたいなオカマはちょうどその罪悪感の空洞を埋めるらしい。

 あたしもちょうど身体が空いていたので、二つ返事で彼女の依頼を承諾した。

「ごめんねフウコ、あたしこれからちょっと用事があるのよ」

 あたしはベッドから起き上がり、朝方に本格的に寝入ってしまった時に行方不明になった下着を探す。

「あたしのパンツ知らない?」

「えー、枕の下じゃない?」

「そんなとこあるわけないでしょ。…………あったわ」

「イネちゃん、なんか置くとこないものを枕の下に仕舞う癖あるよね」

「え、うそ」

「外した腕時計とか、髪留めとか」

「そうかも。昨日はパンツ置く場所、なかったのねえ」

「ぶふふ。ライン引いてるときに笑わせないでよ。――あーそっか、朝マックしてる暇はないかー」

「また今度ね」

 あたしはパンツをはいて長い髪を縛って洗面台に行って顔を洗って大きすぎる鏡の前で歯磨きをする。すでに開いているアメニティの歯ブラシが洗面台の脇にひとつあって、フウコはもう歯磨きを終わらせているらしかった。

 なのにフウコは洗面所にきて、鏡越しにあたしをニヤニヤと見ていた。

「朝マック無理そうだからさ、今言っちゃうね」

「あん? あによ何よ

「ふふ、これ」

 振り返ったあたしに、フウコはスマホの画面を見せてきた。

 スナチャのメッセージ画面だ。

「ついにイネちゃん卒かも、私」

 メッセージ画面にはあたしの知らない「Shoji」という男からのメッセージで「明日の夜、バイトのあと二人で会えない?」と書かれていた。

 ――本命の男からのメッセージなのだろう。

 あたしは口をゆすいでから「よかったじゃない」と答えた。

「よかったじゃない。随分かかったわね」

「本当だよ。イネちゃんと前付き合い始めてからもう半年とか? 長かったー。待ちは結構アピってたけど」

「……大丈夫、その男?」

「えー、なにが?」

とかとか、平気な人?」

「大丈夫大丈夫。本人も肯定してたし。前カレ居るって言ってるし」

「ていうかちゃんと脈ある?」

「あるし!」

 失礼なあたしを尻目に、フウコは楽しそうだった。

「じゃ今月分、送金しとくね」

 洗面台を離れながらフウコがスマホをいじる。

 すると間もなく、あたしのスマホにPayPayの通知が届く。3万円の送金。これがあたしとフウコが「恋人」でいるための金額だ。あたしは洗面所を出て服を着て、それを確認した。

 支度を終えて少しだけ部屋とベッドを整えて、あたしたちはホテルを出る。

 駅へ向かう別れ際に、フウコが言った。

「もしかしたらイネちゃんとするの、これで最後かも。前付き合いとは言え寂しくなるね」

「あー……まあ、あたしは別に」

「ええー、寂しがれよー、られ師がよー」

 なんて言いながらフウコが笑う。これから寝取られる余裕のある笑いだ。

 あたしは寝取られる女の、あるいは男のこういった笑顔を何度も見てきた。

「うまくいくといいわね」

「へへ、寝取られ写真、待っててよ」

「別に送んなくていいわよ。送るのが趣味なら送っといて。それらしい返事しとくから」

「アフターケアまで万全じゃん」

「お仕事だからね」

 そしてあたしたちは駅で別れた。

 フウコは駅ナカのマックに入り、あたしは電車に乗る。

 週明けに、フウコはどんな顔をしてるだろうなんて、流れる景色を見ながらあたしはそんなことを考えていた。

 ――しかし翌日、フウコから寝取られ写真が送られてくることも、連絡がくることもなかった。

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