第32話 弔い崩れの男 後編

「ヴィンセント親分、自分たちは……」


子分の少年の一人が蚊の鳴くような声で男に問い掛ける。


「下がってろ、邪魔だ」


敵(?)ながら、随分邪険に扱われていて可哀想。

とは言え、こちらとしては一対五にならなかった事が不幸中の幸いだ。

こちらをじっと見ているジュリエッタたちの心配そうな表情も、できれば杞憂に終わらせてあげたい。

俺は近くのテーブルにいた客に退避を呼び掛けてから、


(大体、なんでこう……歓楽街には血の気の多いオッサンが多いんだよ)


と心中で愚痴りつつ両拳を構えた。

このヴィンセントという男が、まず右足を上げるのが見えた。


(上段蹴りが来る!)


両腕で首の辺りに守りを固めると、読み通り防御に成功したものの、

この判断は喧嘩慣れしていない者の軽率なそれだった。


「おいおい、こんな分かり易いのに引っ掛かるってマジかよ」


ヴィンセントは嘲笑いながら、ガラ空きになった俺の胴へ左拳を叩き込む。

鳩尾みぞおち付近を打たれて、前屈みになるように姿勢が崩れてしまった。

奴はここに追撃の手を緩めない。

俺を上から押さえつけ、顔面に何発も膝蹴りを入れて来たのだ。

こちらにも気合と意地がある以上、あっさりと倒されはしないが、一発一発体重のこもった容赦無い技に対して防御を固めるのは容易でない。

鼻から口に掛けて、鉄っぽい香りの液体が流れて行くのも分かる。

 やられてばかりではいられない……俺はタイミングを掴んで奴の膝を受け止める事に成功し、そのまま反撃に転じようとした。

しかし、向こうの対応も速い。

今度は俺の髪を掴んで、容赦無くむしって来るではないか。

頭皮を引き千切られるような痛みは打撲などと違って我慢が利き辛く、チャンスを手放して一度引かざるを得なかった。

唇から垂れる血を拭いながら


(畜生、初っ端からしてやられた……)


と悔いていると、ヴィンセントは自信の長髪を弄りながら喋りかけて来る。


「昔よりは強くなったんだなぁ」

「だから、俺は――」


人違いで襲って来ているみたいなので、弁明を試みるも、ヴィンセントは怒号でそれを遮る。


「どうやって生きてたか知らんが、7年てば時効だとでも思ってんのか? 自分だけ平凡に幸せになろうってか?」


震えかけの声音で言い放つと同時に、ヴィンセントは再び接近して来た。

……今は奴の話より戦闘が優先だ。

先は初撃をガードしてしまった事で遅れを取ったので、次は回避を心掛けよう――と思ったが、向こうは対人慣れしている。

俺は裏を掻いて来る可能性を読みつつ、相手の動きをよく見た。


 大きく振り被った左腕……ラリアットを繰り出して来るのだろうか。

しかし、意味深に脇を締めた右拳がこちらに向いているのを見つけた俺は、大体理解した。


(左腕を避けたところを右で刈るつもりか。なら……)


俺もヴィンセントに向かって駆け出し、迎え討つと見せかける。

それから、繰り出す前の右腕に向かってステップを踏み、飛び付いて先に封じた。

当然、向こうも抵抗するが、肩の辺りから押さえ込んだ状態で壁に押し付けたので、簡単には拘束を解けない筈だ。

この間に


「ひとまず話を聞けよ!」


と促すと、


「……」


藻掻いていたヴィンセントは静かに力を抜いた。

酔っていた際のスレッジと違って、物分かりは良いんだなと拍子抜けしつつも、俺は安堵した。

対話による解決ができるならそれに越した事は無――


「お前はホントに甘いよなぁ、クロード」


ヴィンセントはニヤリと口角を上げたかと思うと、

その刹那、身を捻って俺との位置を入れ替えた。

隙を見せたつもりは無かったのだが、安堵が反応を鈍らせてしまい、今度は逆に俺が拘束されてしまった。


「へ、へぇ……結構汚い手も使うんだな」


ヴィンセントが俺を甚振いたぶっているのは薄々気付いていたが、負けじとほんの軽口を叩く。

彼の態度が豹変したのはその直後だった。

その顔は憤怒で歪み、丹青の血管が幾本も浮き出た。

今の言葉が何らかの逆鱗に触れてしまったらしい。


「汚い、だと?」


ヴィンセントは唾飛沫を浴びせる勢いでまくし立てた。


「それをお前が言うか⁉ 何度も汚ねぇ真似をして来たお前が!!!」


これには思わずたじろぎかけたが、

俺を掴む手の力がどんどん強まっている以上、速く抜け出さなくてはならない。

その場で無理矢理跳ね、靴底を壁に付ける事ができたので、俺は渾身の脚力で壁を蹴ってヴィンセントごと後ろに倒れた。

しかし、その後の復帰も奴の方が速く、状況の立て直しは叶わず。

まだよろけている俺は一方的に殴られるしかなくなった。


「ハァ、ハァ……生きる為に仕方無かったってか⁉ ……『ごめんなさい』って思ってりゃ罪が軽くなるのか⁉ えぇ⁉」


罵声と共に浴びせられる暴力。

先程の冷静な駆け引きなどかなぐり捨てた、なりふり構わぬ勢いは止まる事を知らない。

痛みで呼吸が速くなり、意識が朦朧とし始めた。

 ヴィンセントもようやく息切れ間近となり、やっと猛攻が終わると思ったのだが、奴は最後の最後に俺の首を掴んでカウンター席の台に押し倒した。

抵抗しようにも、姿勢が悪くて踏ん張りが利かない。

また、すぐ傍には「どっちが勝つと思う?」などと呑気に賭けをしていた輩がまだ座っていた。

ヴィンセントはその男から、ツマミのソーセージが刺さったままなフォークを奪う……酔っぱらいのたるみ切った手から引っ手繰るなど、造作も無かったのだろう。

彼はそのフォークを逆手に握り締めて大きく振り被る……肉を貫いた先端が僅かに顔を覗かせ、ギラリと光った。


「ハァ、ハァ……ヒヒヒヒヒッ。どう足掻いたってお前も外道同類なのさ!!! 逃げられやしねぇんだよぉ!!!」


これは流石にマズいと思ったのか、客の中でも勇敢な数名やヘーゼルなんかが飛び出して来る。

――だがもう遅い。

次の瞬間、俺の右大腿から『ザクッ!』と案外大きな音が生じ、四つ穴が開いた。


「いっ……!!!」


俺は歯を食い縛って弱音を殺すと、


「――俺の脚はソーセージじゃねーよ!!!」


激痛によって呼び覚まされた土壇場の底力を両足に込め、ヴィンセントの鳩尾を突き飛ばした。

これを受けた奴は、大の男なのが信じられないくらい吹き飛んで、店内の端まで転がった。

ただし、奴はぎこちないながらもまだ起き上がっているので、気は抜けない。

俺は駆け寄って来たヘーゼルやクロエたちが


「ルドウィーグ、大丈夫か⁉」

「ジュリエッタ、救急箱持って来て!」

「う、うん!」


などと叫び、バタバタと往来するのに目も暮れず、

奴が血走った目でこちらを睨む限り、こちらも鋭い眼光を送り続けた。

ヘーゼルが大き目の声で


「もうすぐスレッジも帰って来る。大丈夫だ」


と言ったのが耳に入ってから、ヴィンセントはようやく回れ右をする。

本当は嘘なのだが、痛手を負った今の奴には十分な脅しになったようだ。

(できれば、俺が『クロード』という人でない事にも気付いていて欲しい)


「ずらかるぞ」


ヴィンセントはさも不機嫌そうに、乱雑に子分の肩を借りてよろよろと立ち去る。

ボロボロのロングコートを揺らす後ろ姿は、どこか後ろめたそうに見えた。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ヴィンセント、キャラクタービジュアル

https://kakuyomu.jp/users/yuki0512/news/16818093091099823755


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