第10話 魔術師の憧憬
「相も変わらず、災害みたいな術比べやな」
「あ、酒呑! 来んしたでありんすね。……おや? そこの少年は一体どなたでありんすか? 見るからに外の国の人みたいでありんすが」
少し離れた場所から酔音が荊奈に声をかけると、荊奈がぱっと表情を明るくさせて立ち上がり、一束で距離を詰めて抱きつく。その表情は大好きな姉に甘える妹のようで、相当仲がいいのが伺える。
「昨日霊華が助けた坊主やで。名前が長おして覚えにくいさかい、うちはハル坊って呼んでんで」
「ふぅん」
酔音に勝手につけられた愛称で勝手に紹介され、その後に「ジークハルトです」と名前だけ明かす。どうせフルネームで自己紹介したところで、また妙な愛称を付けられかねない。
「じーくはると……? そういえば、外の国で似た名前の英雄が出てくる伝説がありんしたね。ぬしの名前は、その伝説から取って来んしたのかや?」
「い、意外と物知りなんですね」
「わっちだって、酒呑とともに二千年ほど生きている鬼よ。この日本から出ないでも、ある程度の外の国のことは耳に入りんす」
「へ、へぇ……?」
この話だと、酔音も荊奈もある程度自由に実体化することができるようだ。霊華と酔音はまるでぴんと来ていなさそうな表情だが、荊奈だけは外の国のことを多少は知っている。結構勉強熱心なのか、はたまたただ偶然耳に入れたのかは知らない。
それより、さっきからこちらを見つめる目が妙に熱っぽいのは気のせいだろうかと、頬を若干ひきつらせる。
距離を取ろうと一歩だけ足を下げると、ゆらりと荊奈の体が揺れたかと思うと一瞬だけ姿が認識できなくなり、気が付いたら背後に回り込まれて抱き着かれていた。
「あぁ、久々の雄の匂い……興奮しんす。体もいい具合に鍛え上げられていて、抱かれ心地も抱き心地も良さそうでありんすなぁ。しかもこの精の匂い、相当我慢していんすのね」
右手が上着の内側に入り込んで肌に触れ、左手が服越しに男の象徴に触れる。薔薇のような香りに、背中に感じる柔らかな感触。鬼の手ということもあって爪はやや長いが、手指や腕はは細く綺麗でとても女性的だ。
鬼でも女性。先ほどの酔音とは違う女性の色香に惑わされ、体の自由が利かなくなる。
あわよくば綺麗な女性と出会いたいという目的もある旅であるため、こうして女性と触れ合えるのは嬉しいが、面食いで綺麗な女性と話す時や目を合わせる時に意識してしまうので、こう密着されると極度に緊張してしまう。
ほっそりとした手が息子に触れ、首筋に舌を這わせられ、耳にふっと優しく息を吹きかけられて、むくむくと目を覚まそうとする。
「な、何をしているのですか、荊奈!? ここでそんなふしだらな行為は止めてください!」
霊華が顔を赤くして止めるように制止するが、荊奈は意地の悪い笑みを浮かべて止めようとはしない。
「霊華は少し、操の管理が厳しすぎんす。わっちらは酒が何よりも好きでありんすが、性欲旺盛な雄もまた大好物でありんすよ? この少年は綺麗な女性が好きなようだし、鬼でもわっちのような美女に筆下ろしして貰えるのは幸せなことだと思いんせん?」
「じ、自分で美女と言いますか。とにかく、ここはわたしの寺院です。ここでの決め事はわたしが決めます。太虚院は修行のための場所であってそのような淫行をするための場所ではないのですよ。そもそも、その性欲を持て余した結果どんな天罰が下ったのか、あなた方は身を以ってよく知っているでしょう」
「まーったく、二千年過ぎても生真面目でありんすな。そんなだから、いつまでも女の悦びを知らない汚れ知らずの雪なんでござりんすよ?」
「どうせわたしは生娘ですよ、あなた方と違って。そんなものに耽っている暇があるのなら、修行に回したほうがずっと有意義です。……ですので、それ以上は控えて下さい」
荊奈がしたようにゆらりと体を揺らすと、姿が認識できなくなっていつの間にか距離を詰められる。
穿き物に突っ込もうとしていた左手を掴み上げて、空いている右手で肩に触れて発勁を使って押し飛ばす。
強靭な体を持つ鬼でも霊華のそれは通用するようで、後ろに数歩下がる。
「んもう、いけず。たまには一人くらい、活きのいい雄の精を貪ってもいいでありんしょうに」
「ダメです。それに、ハルト君は怪我人です。怪我人でなくとも許しませんが、とにかく今は昨日熊に襲われて怪我しているんですから、そんな淫らな行為はさせられません」
すっと引き寄せて、肩に手を置きながら荊奈から守ろうと体で隠す。一方でジークハルトは少し前に酔音、ついさっきは荊奈、そして今は霊華と三人の美女に触れられその芳醇な香りに頭がくらくらする。
「今回ばかりは、うちも荊奈に同意やな。たまには一人くらいええやないの。さっきだって、精衛に邪魔立てされてお預けを食ろうとるんや。怪我していても活きのいい男の子なのは変わりあらへんし、ただの鬼やった頃に積み上げた悪行を清算しつくす勢いで善行重ねとるんやし、一回くらいご褒美くれたってええやないか」
「あとで蔵にある秘蔵のお酒をご馳走しますから、それで我慢して下さい。安心して下さい、並みの鬼なら少し口にするだけで酔い潰れてしまうほど強いお酒です。きっと、あなた方が満足する代物ですよ」
秘蔵のお酒と聞いて、ぴくりと反応する二体の鬼。
「ぬぅ……。秘蔵の酒と言われると、酒好きなうちらは弱いなぁ」
「しかも霊華手製と来んした。主が作るご飯も酒も、どれも絶品でありんすからなぁ」
相当強いお酒であるのがその言葉で分かるが、むしろ二人にとってそっちの方がいい。
「ところで、この惨状はどうするんですか? 毎日こんなことしていたら、土地がいくつあっても足りない気がするんですけど」
周りを見回してどうするのかと聞くジークハルト。霊華と鬼二体もぐるりとあたりを見回して、あぁと納得する。
「心配なさらずとも平気です」
そう言ってぱちぱちと右手の指を鳴らすと、ガラスが割れるような音が鳴るとともにめちゃくちゃだった景色が元通りの綺麗な自然に戻る。
「わたしの我流の術の一つです。結界を張っている間、内部のものの破壊行為は可能ですが、結界解除後は完全ではありませんが、破壊される前の状態に自動修復されるようになっています。わたしと荊奈の呪術修行はそれだけでも自然破壊に繋がってしまうので、この術は非常に重要です」
それはもはや時間の巻き戻しに近いのではないかと思ったが、修復された木々や地面をよく見ると変な歪みがあるので、巻き戻したのではなく解除と同時に文字通り修復したのだと判明した。
結構な広範囲、しかも直すものが多いこの森の中の木々草花を一気に直すとなると、相当複雑な術式を構築する必要があるはずだ。それをこともなさげに行使している霊華を見て、更に強く羨望と憧憬を抱く。
「あぁ、そういえば自己紹介がまだでありんしたね。わっちは茨木童子。霊華からは荊奈と呼ばれておりんす。茨木でも荊奈でも、どちらでも構いんせん」
さて戻ろうかと踵を返したところで、荊奈が呼び止めて自己紹介する。
酒呑童子に茨木童子。聞いた覚えがありなんだっけと少し首を傾げていると、ある山に酒好きの鬼の頭領とその家来の鬼がそんな名前だったのを思い出す。
どっちもかなり強い鬼で、茨木童子はよく都を荒らして回っていた。文献では酒呑童子はイズモのある国の将軍に首を切り落とされて封印され、茨木童子は逃げ延びたとされている。
他にも文献では酒呑童子は男、茨木童子は女で二人は恋人や夫婦であったとされているが、きっとこれは間違いなのだろう。こうして目の前にいるのだから、二体の鬼は女の鬼である方が正しいはずだ。
「じゃあ、荊奈で。さっきの呪術戦、凄かったよ。思わず惚れ惚れしちゃった」
「へぇ? それは呪術戦のことか、それともわっちのことでありんすか?」
誘惑するように左手で着物の裾をたくし上げ、右手で襟を引っ張って霊華と酔音より慎ましやかな胸元を露わにさせる。
「じゅ、呪術戦のことだよ!? そりゃ、荊奈も綺麗だけど……」
「あらぁ、それは嬉しいでありんすね。ご褒美に、忘れられない一夜を見させて差し上げんしょう」
「け、結構、ですっ!?」
「ふふっ、そう照れなくてもいいんでありんす。ぬしはわっちに全てを任せておけば、決して忘れられない時間をみざべ!?」
ぬっと荊奈の背後に現れた霊華が、怖い笑みを浮かべてズゴンッ! という音を立てて鉄槌で地面に沈める。
相当強烈な鉄槌だったようで、顔面から地面に叩きつけられてぴくぴくと体を痙攣させる。
「止めなさいと、言いましたよね、荊奈?」
すごごご、という音が聞こえてきそうな雰囲気をまとわせる霊華。酔音はあーあと言わんばかりに肩を竦めてひょうたんを傾け酒を煽り、ジークハルトはすすっと後ろに下がって距離を取る。
「いい加減、異性を誘惑するのは止めたらどうです? あなた方が殿方を求めるのは理解できなくもないですが、我慢できないからってわたしの許可なくそんな淫行を働くのは許しません。自分の欲を御しきれていないのは修行が足りていないからでしょう。これからみっちり、己の欲を御する修行をしてもいいのですよ? わたしにはたっぷりと時間がありますから」
いい笑顔だ。普通にその笑顔を見せられたら思わず心臓がどきりと跳ねるほど可憐だが、怒っている時に笑みを浮かべられると怖くて仕方がない。
「まあまあ霊華、堪忍したって。あんたの管理が厳し過ぎて、溜まるもんが溜まりまくってしゃあないんや。せやから、早うとこ秘蔵の酒出して馳走したってはくれへんかな。無論、うちにもな」
こんこんと説教する霊華に、酔音が肩に手を置いて一旦落ち着かせる。酔音が味方してくれたと気付いて荊奈が起き上がり、「酒呑~」と抱き着いて甘える。
「あなたもあなたてさっきハルト君を押そうとしていたそうじゃないですか」
「いやぁ、まあそれはそうやけど、結局精衛にお預け食らったまんまや。未遂で終わったし、何よりここんとこずぅーっと頑張っとるんやから、少しくらい多めに見たってはくれへんか?」
右手を顔の前に掲げて簡単に謝りながら、今回ばかりは多めに見て欲しいとお願いする酔音。確かに、ここのところずっと善行を重ねていると頑張ってくれている。
怪我人を誘惑するなど目に余る行為ではあるが、元々この二体の鬼は多くの男を誘惑して精集めをしていたこともある。それが式神になってからはそのような行為の一切を禁止させているため、やりたいこともできないので鬱憤が溜まるのも仕方がない。
そう考えたところで小さく息を吐く。
「……分かりました。なら、適当な場所で待っていてください。蔵から
「おぉ、一石樽の秘蔵酒を馳走してくれるとは、太っ腹やね」
「こうでもしないと、あなた方がハルト君に何をするか分かったものじゃありませんから。ハルト君、ここにいたら色々と危険ですので部屋に戻っていてください」
「わ、分かりました。……あの、樽を運ぶの少しは手伝いましょうか?」
仙人でも女性。女性に重いものを運ばせるわけにはいくまいと助力すると言うが、霊華はふわりと笑みを浮かべて拒否する。
「一石樽は相当重いですし、仮に体を強化をする魔術があっても運ぶのは大変でしょう。それにあなたは怪我人ですし、無理をさせるわけには行きません。助けたいという気持ちだけ受け取っておきます」
左手を握って右手で拳を包み、すっと頭を下げてから踵を返して蔵に向かって歩き出す。そのすぐ後に頭の上を占領していた精衛が飛び上がって、嘴で髪を引っ張って無理やり部屋に引っ張り戻そうとする。
なんとか髪の毛を引っ張る精衛をひっぺがし、少し痛い頭をさすりながら部屋に戻る。
寝台に上り、仰向けになって天井を眺め、また暇な時間が流れるなーとぼんやりと考える。
「呪術……真言……。こっちの魔術詠唱とはまるで違う。もたらす効果こそ似ている部分はあっても、術の発動工程そのものが違う。神や仏の言葉である真言。確かこの国には、言霊っていうのがあるんだっけ」
言葉そのものに力が宿るという、言霊。それを呪術師は術として行使することができると言われている。薬と包帯を交換した後、安静にしていろと言われた時に感じた妙な強制力もきっとそれだろう。
言葉に呪力を乗せて精神に干渉して、聞かせた言葉の内容を強制させる呪術。だがその分、精神に介入しない限りそれはただの呪力でしかないため、効果が出ない限り防御は容易い。
だが、一度でも干渉されてしまったらそこからは術者の手中に落ちることになる。
しかも呪力を飛ばすのだから、魔力でなくても大元はおそらくほぼ一緒。
隣の大陸にある帝国の非常識な使者に大した強く憤怒した時、霊華の体から吹き荒れた呪力。それを感知できてたのだから、それが自分に向けられたら存在に気付く。
なのに安静にしていろと言われた時、その呪力を一切感じることはなかった。
あらかじめ自分の呪力を摩利支天の真言で隠蔽していたのか、それとも卓越した技量で感じさせなかったのかは不明だが、それでも呪力の存在も違和感も一切感じさせることなく精神に介入して言霊の内容を強制させたことは確かなことで、恐るべきことだ。
きっと、彼女が本気になれば言葉一つであらゆる動きを封じ、簡単に命を奪うこともできるだろう。
「…………バン・ウン・タラク・キリク・アク」
右手の人差し指の先に魔力を集め、慎重に五芒星を描きながら、あの恐ろしく高次元な攻防の中で自分の目で見た防御結界の真言を唱える。
だが、虚空に描いた魔力の五芒星はそのまますぅっと消え、何も起こらない。根っこは一緒でも呪力と魔力そのものが違うから、効果が出ないのは分かっていた。
それでも、あれほど防御のみに特化した美しい結界は、初めて見た。
どうしても使いたい。どうしても自分の手であの術を使ってみたい。その気持ちが逸り、できもしないのにガラにもなく真言を唱えた。
「やっぱ使えるはずもない、か。あーあ、一体どれだけ人生を繰り返したら、あの領域にたどり着けるんだろうなぁ」
未だ脳裏から離れない、呪術の攻防。今までなまじ、安全な旅を送ってきた。
自分には魔術の才能があって、世界を跋扈している化け物どもを手玉に取るように倒せてきた。そう思っていつの間にか驕ってしまっていた。自分の才能に酔いしれていた。
だからあの災害並みの攻防を見て、自分がなんて愚かで恥ずかしい考えを抱いていたのかを自覚し、自分を強く恥じて自責した。
もう二度と驕り高ぶらない。自分の才能に酔いしれない。あんなものに比べたら、才能ばかりに固執する人間はその辺の砂つぶ以下の人間だ。
きっと霊華だって才能はあったはずだ。でも、あそこまで至れたのは二千年間欠かさず修行を積んだからで、才能のおかげという一言で片付けてはいけない。気が遠くなるどころの話ではない時間を過ごしてきたからこそ、辿り着いた場所なんだ。それを才能のおかげと片付けるのは、これ以上ない最低最悪の侮辱に他ならない。
「もっと頑張らないとなぁ」
普通の人間である自分が手をかけられる場所なんて本当に限られている。それでも、自分ができるだけのことはしよう。努力し続けて、たった一歩だけでもあの高みに近付ければいい。
その領域にいる彼女のことを憧憬こそするが、彼女みたいになるという傲慢な考えは抱かない。一歩だけ近付ければいいというのも中々傲慢な考えかもしれないが、それくらいならいいだろう。
どうしたら少しでも近付けるのか。それを頭の中でぐるぐると考えながら、繰り返しあの戦いを反芻させながら目を閉じる。
久遠の朱は理想を願う 夜桜カスミ @Mafuyu2001
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