第9話 仙人の実力の一端

 軽い運動程度なら許されているジークハルトは酔音の後を追い、精衛は暗がりに連れ込まれて襲われないようにとジークハルトの頭の上に、体を手の平程度の大きさに小さくしてちょこんと座る。

 少し廊下を歩いて外履きを借り、寺の裏側に出る。すると酔音が左手で刀印を結んで何かをぶつぶつと呟くと、がちりと何かが外れる音がする。


「うちから離れんといてな。手慰み程度に呪術は使えるが、本領はこっちやさかい」


 そう言って左の手を握って掲げる。


「結界張れる範囲は、せいぜい自分含めた人二人分程度や。武術に優れ、かつ呪術も使える鬼っちゅうと、荊奈くらいや」

「他にも鬼いるんだ」

「そらおるに決まっとるやん。地獄の獄卒共もおるし、もうあいつだけで天下取れるだけの式神従えとるよ」


 冗談で言っているのかはたまた本当なのか。どっちなのか識別できず、からからと笑う酔音の背中を追う。

 少し歩くと静謐な山の森の奥に入る。さわさわと風に吹かれて揺れる木々草葉の音が耳心地がいい。


「さて、ここからなら見えるやろうな。ほれ、この先で霊華と茨木……荊奈がやり合うとるで」


 にやにやと何かを企んでいる顔をしている酔音に若干嫌な予感を感じつつも、彼女の前に出てその先の景色を視界に収める。

 その直後に、天変地異でも起きているのかと言わんばかりの大量の水に鋼の雨。極大の木々が意思を持っているように蠢き何かを絡め取ろうとし、瞬時に全体が燃えて真っ赤に塗り潰す。


 それら大災害のような術を放っているのは、ジークハルトから見て左側にいる、金色の生地に四弁の花が描かれた着物を着ている鬼だ。着こなし方は酔音と全く一緒で、服の違いは色だけだ。

 その鬼も額から二本の角を生やしており、山吹色の美しい髪を肩口当たりで切りそろえている。体付きは華奢ではあるが、肉付きはいい。

 酔音は年上のお姉さんのような雰囲気を感じさせる美女で、もう一人の鬼も大人の雰囲気をまとわせているがいくらか幼さを感じさせる。

 そんな見事な容姿を持つ鬼だが、何より目を引くのは左腕に巻かれた包帯だ。余程の重傷を負っているのかと思ったが、左腕からは変わった呪力らしきものを感じとれるので、怪我をしているのではなく何かで補っているように感じる。


「おーおー、相も変わらずえげつない威力やな。流石は荊奈や。力比べでは負けんけど、術比べではとうに追い越されとるなぁ」


 使い魔が魔術を使うという事例は、ジークハルトの故郷にも存在する。似通っている部分がいくつかあるイズモ大陸の呪術や式神も、その術が使えてもおかしくない。

 それにしても、荊奈と呼ばれる鬼が使う呪術の威力は明らかにおかしい。使い魔が使うような威力じゃない。酔音と違って式神にされずに、確固たる己の生の肉体を持っているのではと思うが、よく「視」るとその荊奈という鬼も式神であるのが分かる。


「サラティ・サラティ・ソワカ―――オン・マリシエイ・ソワカ」


 荊奈が素早く真言を唱えると右手をすっと掲げ、勢い良く振り下ろす。攻撃の対象は、霊華だ。


「五行防法肆式・金気:悪しき者を打ち払え。急急如律令」


 素早く手印を結び、己の呪力を瞬時に術に変換して鋼の分厚い壁を構築する霊華。だが、呪力で構成された見えない何かによってその壁は粉砕される。

 霊華は見えない攻撃が見えているのか、体を半身にして避けて、地面を蹴って軽く距離を取る。そんな彼女を追撃するようにもう一度右手を掲げた荊奈は、より速く鋭い手刀を放つように振り下ろす。


「バン・ウン・タラク・キリク・アク」


 両手が霞むほどの速さで動かし、何かを頭上に放つ。それは五枚の式符で、その配置はついさっき見たばかりだった。

 それから素早く真言を唱え、五枚の札が頂点となって五芒星を形成。それが強力な術に対する防壁となって、見えない攻撃を防ぎきる。


「五行攻法弐式・火:朱狐」


 大きく弧を描くように刀印を切ると、その軌道上から炎が吹き荒れて大量の炎の狐が姿を表す。それを迎え撃とうと荊奈が構えるが、その前に霊華が追加で呪文を唱える。


「符術縛法参式・木:樹縛」


 いつの間にそこに仕込んでいたのか、囲むように設置されている式符が練られた呪力を呪術に変換し、樹木を生成。それらが荊奈を縛り付けて動きを封じる。


「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・カン!」


 不動明王の真言、小咒を唱えて自分を縛っている樹木と迫り来る炎の狐を飲み込んで相殺する。そしてそのまま霊華に洪水のように炎が襲いかかる。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前、天、元、行、躰、神、変、神、通、力」

 濁流が流れるような速さで唱えながら、稲妻の如き速さで十八の印を結んで正面に九字の防壁を二重に展開。


「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダンマカロシャダヤ・ソハタヤ・ウンタラタ・カンマン」


 二重の九字防壁が炎の濁流を押し留めている間に、同じ不動明王の真言の慈救呪を唱えて刀印を切る。小咒よりも強い炎が現れて飲み込み、荊奈が堪らず上に飛び上がってそれを回避する。


「す、すげぇ……!」


 長い年月を生きた仙人と術を使う鬼の呪術戦。この二人のこの戦いは少なくとも一時間ほど前から行っていたのだろう。今ジークハルトが見ているのは、そのうちのほんの一部でしかない。

 それでも、たったそれだけでも隔絶した実力の差を感じる。種類が違くとも、術の頂に到達している術士というのはどの世界の術使いの目標だ。自分があの領域に至るのには、人生を十回以上繰り返してもまだ足りないだろう。

 生き続けること幾星霜。故に辿り着いた一つの到達点にいる霊華。次々と真言を唱え、符術は五行術を用いて激しい攻防を繰り広げるその姿に、強烈な羨望と憧憬を抱く。


「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ。……おんあろまやてんぐすまんきそわか、おんひらひらけん、ひらけんのうそわか」

元柱固具がんちゅうこしん八隅八気はちぐうはっけ五陽五神ごようごしん陽動二衝厳神おんみょうにしょうげんしん、害気を攘払ゆずりはらいし、四柱神を鎮護ちんごし、五神開衢ごしんかいえい、悪鬼をはらい、奇動霊光四隅きどうれいこうよすみ衝徹しょうてつし、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る!」


 先に帝釈天の真言を唱えて呪力を術に変換し、それを即時起動させずに天狗経の最後のほんの一部だけを唱えて術を強化。

 本来よりも超大幅に省略されているため、本来の効果を発揮し切ることはできないが、霊華の持ち前の特大の呪力を使って帝釈天の真言を唱えたため、単純に倍加されただけでもそれは恐ろしい威力になる。


 霊華が帝釈天の後に大省略版天狗経を唱えている間に、荊奈は災害すら防ぐ呪文を素早く唱えながら印を結ぶ。

 ほぼ同時に霊華が前に突き出した右手の平から特大の雷を放つ。その衝撃だけで霊華の後ろの岩が砕けて木がなぎ倒され、離れた場所にいるジークハルトは吹っ飛んで酔音に受け止められる。


 刹那のうちに間合いが消失し、辛うじて間に合った荊奈の結界に雷がぶち当たり、高い電圧で辺りを粉砕し焼き尽くす。

 両手で強く印を結んで荊奈は堪えているが、その表情は険しい。それでも負けてたまるかという気迫を感じられる。


「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」


 だが、霊華が追加で唱えた不動金縛りの真言で、呪力そのものを金縛るという並外れた芸当をやって退けられて、結界の維持ができなくなる。


「ちょお!?」


 嘘でしょ!? と言わんばかりに驚いた表情を浮かべ、そのまま雷に飲まれる。

 今何を行ったのか理解できていないジークハルトから見れば、いきなり結界が解除されたようにしか見えなかったが、ある程度術を知っている酔音はそのあまりにもえげつない手段に苦笑している。


「わたしの勝ちですね、荊奈」


 雷が消えると、そこには五枚の式符で五芒星を描いた防壁に守られている荊奈が姿を見せる。目を閉じて顔を腕で守っているので、その防壁は荊奈ではなく霊華が張ったのがうかがえる。


「またわっちの負けでありんすか。今日こそは勝てると思ったのになぁ」


 はぁーっと深く息を吐いて、その場に腰を下ろす荊奈。一気に張り詰めたような緊迫感が消え和やかな感じになったが、魔術師であるジークハルトは繰り広げられていた高次元の術の攻防に目と心を奪われて、ただ呆然としてその胸を高鳴らせていた。

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