第8話 現れた鬼
「うーん」
どうしよう、恐ろしく暇だ。
体を激しく動かしてはいけないと言われ、自分の荷物が今どこにあるのかを聞くのを忘れてしまったため、鞄の中に入っている魔術指南書を読んで新しい魔術を覚えるということもできず、暇だと感じるのに一時間もいらなかった。
ただだらだらと寝台の上でごろごろ転がったり、木製折れ戸の窓の外に見える景色を眺めたりするだけでは、持て余しまくっている暇は解消できない。
荷物がどこにあるのかを聞こうにも、今は日課をこなしている最中だろう。何かあったら声をかけていいと言われても、邪魔をするのは憚られる。
散歩でもしようかと体を起こして縁に腰をかけると、丁度ぽてぽてとコダマが寝台の下から出てくる。
いきなりでてきたのでなんだと結構驚いたが、コダマだと分かってふーっと息を吐く。
「驚かしやがって、この」
ひょいと右手の親指と人差し指で摘み上げる。手足をぱたぱたとさせてもがくが、逃げられないのを悟って大人しくなる。
「これにも質量があるのか。式神って不思議だなぁ。……
術の秘密を知りたくて仕方なくなり、高度な解析魔術を起動させる。今使った解析魔術は体の付与するもので、付与場所は己の瞳だ。目にかけることで、目前にある術の構造などを解析することができる。
左手に浮かんだ複雑怪奇な法陣を確認し、左手で両目を覆う。そうすることで魔術が正常に起動し、指先に摘まれているコダマの体を解析する。
「……あれ?」
ジークハルトは攻撃や防御の魔術は得意だが、それ以上に物の解析が得意だ。一目見れば大体のことは理解できて、大人でも理解・解析するのが難しい難問も難なく解することができる。
そんなジークハルトでも、コダマの解析が一切不可能だった。視界に映るのは、霊華の使う呪力であろう魔力に似た力だけ。それ以外は何も見えない。
「どうなっているんだ? なんで何も……」
「そら当然の話さ。見た感じ、術使いとしちゃ相当な使い手みたいやけど、ほんでも霊華と比べると赤子も同然。六千年の間に組み上げたあいつの術理は、そないな小手先じゃ解析でけへんよ」
指先で突っついたり挟んでむにむにとしたり、左右に軽く引っ張ったりしていると、出入り口のところから霊華のものとは違う女性の声がした。
そっちを向くと、大きなひょうたんを左手に持ち、丈の短い紫色の生地に鮮やかな花の装飾の施された着物を大きく着崩し、白い太ももや華奢な肩、その存在を大きく主張している胸の谷間が露わになっている女性がいた。
唯一普通じゃないところと言ったら、烏の濡れ羽色の髪を持つ頭の額から二つの角が生えていて、口元からは鋭い牙がのぞいていることだろう。
「お、オーガ!?」
ジークハルトの故郷でそれはオーガと呼び、イズモ大陸ではその存在は鬼と呼ぶ。
「お、何やその呼び方? 坊主の故郷では鬼のことをそう呼ぶん? えらいかっこええではおまへんの」
「
へらへらと笑って持っているひょうたんに口を付けて傾け、ぐびぐびと酒を飲む。その隙に素早く魔術の呪文を唱え、鋼の剣を具現化させて飛ばす。
「無駄なことやで」
ひゅっと音を立ててすらりと長い足を振り上げて、四股を踏むように振り下ろして床に叩き付ける。
「変わった術やな。それがそっちの魔術っちゅうものなんかいな? えろう軽いなぁ」
踏み付けた鋼の剣を持ち上げて、人差し指と親指で持ちながら軽く左右に振ってから握り潰す。
ジークハルトの故郷の魔術は、基本は地水火風空の五元素からなる五つの属性とそこから派生した複数の属性で構成されている。運動と力、質量を扱う術ではあるが、質量系の魔術は総じて殺傷能力は高いが打ち合いには向いていないという欠点を抱えている。要は軽いのだ。
元々あるものを使って物質を作る錬金術であればその欠点を補うことはできるものの、戦場でそう都合よく調達できるはずがない。
なので、多くの魔術師は自分の魔力を質量に変換して中身を無視して殺傷能力だけを向上させている。
ジークハルトもそうしており、土の属性から派生した鋼の魔術で構築した剣も、見た目は中身がしっかりとあって切れ味は鋭いが、密度が低くて比例して強度もない。
そんなすかすかの剣が鬼に踏まれて折れていないのは、上手い具合に力の加減をしたからだろう。
床には傷一つついていないし、剣も歪んだり罅が入っている様子もない。そんな芸当をやってのけた鬼と自分との実力が隔絶しているのを実感する。
それでも目の前にいる鬼は逃すまいと、鋭く睨め付ける。
「待て待て。うちはあんたと戦うつもりはあらへんで。一人やと寂しいやろうさかい、話し相手になったってって、霊華に言われてきたんや」
「し、信用できるか!? 鬼はイズモ大陸でも人を食う化け物って言われているんだぞ!?」
「間違うてへんけど、少なくともうちはそんなんしいひん。なにせ、うちは霊華の式神やさかいね」
「え? 式神?」
次の魔術の呪文を唱えようとしたが、式神という単語を聞いて聞き返す。
「そや。あいつが仙人になった頃にうちも仰山悪いことしとって、それ聞きつけた霊華にぶちのめされて式神にされたんや。おかげさんで今じゃ、鬼やのに人助けをしてんで。皮肉なもんやん?」
などと言いつつも、「まあ、人に感謝されるのも悪ないけどなぁ」とけらけらと笑い、ひょうたんの中の酒を呷る。
「待って。式神っていうのは、異界にいるはずじゃ? あんたは、精衛やコダマとは違う見え方がするんだけど」
「当たり前やん。式神って言うても複数種類あって、うちは悪業罰示式神っちゅう種類やで。霊華にぶちのめされた後に肉体をほかして霊的存在になってるさかい、精衛みたいに式符を核に肉体を作る必要があらへん。普段は霊体化して隠れとるけど、霊華の呪力を分けてもらえばこうして実体化できるんや」
そういえば、昨日の会話で例外もあると言っていたことを思い出し、目の前にいるこの鬼がまさに例外であると理解する。
「自己紹介がまだやったね。うちは酒呑童子。霊華からは酔音と呼ばれとる。こないなでも霊華より長う生きてる年上のお姉やで。酔音で構わん。あんじょうよろしゅう。坊主の名前は?」
「じ、ジークハルト・アルトアイゼン。酔音も俺のこと、ハルトって呼んでもいいよ」
「なんで霊華には敬語で、うちには常語なんや。まあええけど。そんじゃ、改めてよろしゅう、ハル坊」
そう言って近寄り、ジークハルトの頭をがしがしと撫でる。
「は、ハル坊……?」
「そ、ハル坊。ええ愛称やろ?」
ふわりと妖艶な笑みを浮かべる酔音。見た目はいくらか霊華より年下に見えるが、どういうわけかまとう妖艶な雰囲気が尋常ではない。丈が短い上に大きく着物を着崩しているため露出が多く、たわわな膨らみについ目が行ってしまう。
霊華と引けを取らない見事な体付きで、霊華よりも露出の多い格好。見事にできている谷間にはまるで魔術がかけられているように視線が向いてしまい、その都度向けまいと目を逸らすが、顔を見るとどうしても目がそっちに行ってしまう。
「やっぱし
ちらちらと向けられるジークハルトの視線に気付き、より深く妖艶な笑みを浮かべて、左手で着物の襟を引っ張って下げ、ますます胸元が露出する。
「えっ!? い、いやぁ、それは、そのぉ……」
ぼっ! と耳まで真っ赤に染め、しどろもどろになりながら視線を彷徨わせる。その様子がおかしいのか、くつくつと笑いながらすっと近付く。
霊華と似た花の香りと清涼感のある酒の匂いが合わさり、くらくらする。思考がだんだん定まらなくなってきて、もうこのまま高ぶる己の欲望のままこの鬼の美女を押し倒して抱いてしまおうかと考えてしまう。
「ふふっ。かいらしいねぇ。そんままじっとしいや。そないすれば、夢んようなひとときを―――あだぁ!?」
ジークハルトの着ている服に手をかけて、慣れた手つきで脱がそうとする酔音。血色のいい薄桃色の唇に舌を這わせて湿らせ、男の象徴であるモノを外に出そうとしたところで、短い悲鳴をあげて頭が弾けるように前に傾き、そのままジークハルト押し倒す。
浴衣な胸の膨らみに顔が埋まり、最高級の枕でもきっと負けるであろう至極の柔らかさと、鬼で霊華以上の長寿でも女性特有の甘い香りに、酒の香りが一遍に襲いかかってくる。
「あたた……。一体何や? 何がうちの頭をぶったん?」
腹の上に馬乗りになりながら体を起こし、鈍い痛みを発する頭を左手でさすりながら周りを見回す。するとばたばたとはためく音が耳朶を打ち、白と赤の見事な羽を持った大鳥の精衛が近くの卓に降りる。
「何や、精衛か。今ええとこやさかい、邪魔しいひんでくれ」
頭をぶったのが精衛であると知り、何だと息を吐いてから再び服を脱がそうとする。
「ちょお!? 何や何や!? そやから、邪魔しいひんでくれ言うてるやないか! あだっ!?」
ばさばさと大きな羽音を立てて酔音に飛びかかり、馬乗りになっている状態から儀軌ずりおろして床に落とす。
ごっちん! と痛そうな音を立てて頭から落ち、鬼でも頭を打つのは痛いようで若干涙目になりながら状態を起こして、打った後頭部をさする。
「何するんや、精衛。せっかくええとこやったっちゅうんに……」
お預けをくらった犬のようにしょんぼりした顔で、ジークハルトを守るように膝の上に降りた精衛を見る酔音。さっきまでの嗜虐心を刺激されたような笑みと打って変わって、庇護欲を掻き立てられる表情をしている。
すると精衛が羽ばたいて近くの卓の上に降り、そこにある墨壺に嘴を突っ込んで卓の上に器用に文字を書く。話すことはできないが言葉を解することができるからこその芸当。
『霊華様からの指示で、じーくはると様を護衛しに来ました。あなたのことだから、若い男を見たらすぐに性的な意味で襲うのを予期してのことです。私がここにいる限り、じーくはると様には手出しさせません』
その文字を書いて嘴に白い炎を出現させて墨を焼き落とし、ジークハルトの膝の上に戻って威嚇するように翼の羽の先から赤と白の炎を出して翼を倍に広げ、頭のとさかのような羽毛も炎をまとわせてぐんと伸び、そこから体そのものが物理的に大きくなって存在感が増す。
鬼とは違う種類の式神。酒呑童子という鬼はイズモ大陸に入ってから目を通したいくつかの文献にその名前がしっかりと記されており、それはまさに伝説の鬼。精衛も伝説とはいえ、鳥と鬼とで格が違う。
それなのに、その格の違いを感じさせないほど圧倒的な存在感を放つ精衛に、畏敬の念を抱かざるを得ない。
卓の上に書かれた文字を見ようと酔音は床から腰を上げ、最後の方が薄くなって掠れている文を読む酔音。
「くくっ。なんや、たかが霊華に気に入られとるだけの鳥が、うちとやり合おうってん? ……いちびるなよ、鳥畜生の分際で」
すっと表情が消え、押し潰されそうなほどの鬼気を体から放つ。肺を強く握られているように痛く、首を締め付けられているかのように苦しく、ひゅーひゅーと過呼吸を繰り返す。
よくこんな化け物を下し、己の式神にしたなと霊華の強さを畏れる。少なくとも、霊華は酔音よりも強いということになる。しかも使役したのが六千年以上前。そこから鍛錬を欠かせていないとすれば、その実力はさらに伸びていることだろう。
「―――!?」
「あんっ」
まさに一触即発。そんな張り詰めた雰囲気だったが、突如として精衛の姿が部屋に入ってきた時の大きさに戻り、酔音は体をびくんと跳ねさせて小さく嬌声をあげて、床にぺたりと座り込む。
一体何だと思った時には、壁に二つ、床二つ、天井に一つの式符で頂点を結んだ五芒星がそこにあった。更にその五つの五芒星から呪力の線が引かれて一つの大きな五芒星を部屋の中で構築しており、解析魔術で見ると種類は分からなくとも何かしらの妨害系の呪術が起動しているのが分かった。
「これは、霊華の呪力断ちの結界やね。いつん間にこないな術仕込んでおいやしたんか。まるっきし気付かへんかったわ」
設置型の術の隠蔽は基礎中の基礎だが、ここまで気付かないのは流石に以上だ。下手に隠せば違和感を強く感じるし、上手く隠せても解析をかけられると気付かれる。
ジークハルトはコダマと酔音を対象に解析魔術を使ったが、それでも視覚外のものの解析もある程度行われる。
誰よりも解析魔術が得意なジークハルトは、それだけでも隠れたものすらも解析できてしまう。そんな彼ですら、存在を察知することすらできなかった。一体どんな隠蔽の呪術が使われていたのか、好奇心が大いに刺激される。
「はー、やれやれやわ。こんな形で勝負をお預け食らうとは思わへんかった」
「酔音、一体どんな呪術が働いたんだい?」
寝台から腰を上げて床に座り込んだ酔音に近寄り、手を差し伸べる。一瞬だけきょとんとしていたが、すぐにふわりというかにやりというか、笑みを浮かべてから手を取って引き上げられるように立ち上がる。
「まず、うちらの力を封じたんは、霊華の呪力断ちの結界が張られたせいや。これは文字通り、内と外との呪力の流れを断つっちゅう代物なんやけど、単純故になかなか強力で面倒なやつや。式神を対象に使われたら、使役者との呪力供給が絶たれてまう」
「供給遮断の結界と考えていいの?」
「せやな。で、どないやって術を隠していたかっちゅうと、それは陰陽師の基本でもある真言によるものや。これは摩利支天っちゅう神様の真言やな」
「そんなものまであるのか。それで、その摩利支天っていうのは、物を隠すのに長けた神様なのかな?」
「まさか。これは隠形の神や。陽炎が神格化されてできた神でな、そこにおるのに姿が捉えられへん。それをそのまま術として使えば、物はそこにあるのに見えなくなって、本当だったら感じ取れるのに、感じ取れなくなる。それが摩利支天の真言や。霊華はそれを、自分の式符とそこに注ぎ込まれとる呪力を対象にしたみたいや。相変わらず、図抜けた術のキレやね」
やれやれと肩を竦める酔音。
一方で、他にどのような真言があるのかが知りたくて仕方のない様子のジークハルト。それを感じ取った酔音は、仕方がないといった表情を浮かべてからひょうたんを傾けて酒を煽り、「ついてきいな」と手招きして外に出る。
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