第7話 訪問者の要求

「それで、先ほどの質問のことですが、このイズモ大陸の隣にある爛花大陸統一帝国の現皇帝が重篤に病に伏したから、それを治す方法と永遠に生きる術を教えて欲しいとお願いしにきたのです」


 いきなり話が変わったのでなんのことだと思ったが、ここに来る前に何で爛花の連中がここにきたのかを質問していたことを思い出す。


「重篤な病?」

流涎りゅうぜん、おう吐、腹痛、下痢、頭痛、悪寒、しびれ、めまい、視覚・聴覚異常、運動失調、四肢反射異常、抹消知覚障害、感覚麻痺。これらの症状が出て、ここ二年間は病床に伏しているそうです」

「なんか、物凄く聞いたことのある症状の内容なんですけど」


 ジークハルトの生まれ育った故郷でも、権力者が永遠の美しさと若さを手に入れる薬だと信じ込んでいた、猛毒の液体金属を摂取することで起こる症状と、まるっきり同じだった。


「銀色で、常温常圧で唯一凝固することのない金属。水のようでありながら、それは木や土を濡らすことなくその場に留まり続けることから不老不死の薬である丹、確か外国では賢者の石という名前の方が知られている水銀を服用した際に起きる症状です」

「あー……」


 大量に台の上に流せばそれは水のように流れるが、少量であれば水滴のようにその場で集まりながら、台を濡らさない液体金属。かつてはそれは不老不死薬である賢者の石であると信じ込まれ、多くの権力者がそれを服用して連続して水銀中毒で命を落としている。

 水銀には生物に対する強い毒性を持っており、服用し続ければまず確実に死亡する。爛花帝国も歴代皇帝の多くが晩年、水銀を服用して水銀中毒で亡くなっているというのに、今代の皇帝もまた年老いてきたから服用したようだ。全く以って度し難い。


「わたしが六千年生きているのは、丹を服用しているから。だから皇帝もそれを飲めば永遠の命を得られると思ったようですね。ですが、当然わたしは丹だと信じ込まれている水銀を一度も服用していません。ですので体調が悪化することもありません。なのに彼らは、同じものを摂取しているはずなのにどうして皇帝だけがこうも体調の悪化が続くのかが理解できないようで、彼らが勝手に妄想でわたしだけの服用方法があるという答えを導き出して、それを聞き出そうと文書を送らずいきなり押しかけてきました」

「わお」


 なんて愚かなことなのだろうか。水銀の正しい摂取方法など存在しない。どれだけ工夫して飲んでも、必ず水銀中毒になる。慢性的な症状が出ているとなると、もはや治療する手立てはない。


「それで、わたしは素直に丹と思っているものは有毒物質の水銀で、わたしはそれを摂取していない。長い時間をかけて仙人修行をし、その末に二千年生きていると答えました。あとは、予想できますね?」

「多分、その辺から話を聞いているので。不老長寿ではなく不老不死の法だと思い込んだ彼らは、それを偉大なる皇帝陛下(笑)のために教えろと言ってきたのでしょう?」

「そういうことです。もっとも、仮に教えるとしてもあのような連中が仙人になれるはずもありませんし、仮になれるのだとしたらわたしは自分でこの手を血で汚します。自分より立場が下の人を人と見ず、まるでもののように扱う連中なんかに教える術理も何もありません」

「第一、皇帝は重篤な水銀中毒なのでしょう? 今から仙人になるための方法を教えたところで、間に合うとは到底思いませんね」


 さっき霊華が口にした水銀中毒の症状のラインナップ。それだけ聞けば、どれだけ長く持ってもあと一年程度だろう。体中に回った水銀の毒はもう抜けないし、修行の末に会得できるもの全ては短期間で得られるものではない。それまでに皇帝の命は、確実に持たないだろう。


「わたしは生まれついて仙人になる素質というものがあったそうです。最初に基礎中の基礎を教えてくださった師匠がいるのですが、その方が仙人になるべくして生まれたような存在と言ってくださいました。そんなわたしでさえ、七つから修行を初めて十五年かかりました。今の皇帝は今現在齢九十を超えていますし、最低でも十年はかかる修行はまさに苦行そのもの。衰弱し切った老骨に耐えられるものではありませんし、あんな欲にまみれて酒池肉林の限りを尽くしたあの若造が、仙人になれるはずもありません」

「九十超えの皇帝を若造呼ばわりですか」

「二千年生きたわたしからすれば、この世界にいる人間全てが若造です。こんな言い方をするのは、わたしの家族同然の街の方々に何度も出を出してきた愚昧極まる大陸の方々だけですが」


 ちゃっかり会話の中で、肉体が二十二歳で止まっていることを知って少し気まずくなるジークハルト。

 ここで薬と包帯の交換が終わり、ぽんと軽く肩を叩く。


「中には房中術で仙人になったものもいますが、あれは欲にまみれての行為ではありませんし」

「房中術? なんです、それ?」


 ほんのりと頬を染めながら出したその言葉。しかしながらジークハルトはその言葉の意味を知らず、つい聞き返してしまう。

 房中術というものが一体どんな術なのか。それを聞かれた霊華は、まるで汚れを一切知らない生娘のように顔を赤くする。

 仙人だなんだのと周りから言われていても、こういう反応をみるとやっぱりただ長く生きているだけの若い女の人のように思えてしまう。


「ぼ、房中術というのは、その……、だ、男女が閨で二人っきりでするものと言いますか、……を見られるより恥ずかしいことと言いますか……」


 左手を口元に当てながら、小さな声でごにょごにょと言う。聞き取りづらくてもう一度きき返そうかと思ったが、右腕で胸を隠すように己の体を抱き、脚をもじもじとさせているのを見てすぐになんで恥ずかしがっているのかを察して、釣られてジークハルトも顔を赤くする。

 なるほど、これは確かに言い出しづらい。歳上とはいえ、女性になんてことを繰り返し言わせようとしていたんだと猛省する。


「そ、そんな方法もあるんですね」

「というか、わたしの師匠がまさにそれでした。師匠は多くの門下生を抱えていて、その九割が女性でした。その女性全てと肉体関係を持ち、互いの精気を交換することで不老長寿の法を会得していました」

「……凄い人に教えてもらっていたんですね」

「わたしも元はそのために弟子にしたと言っていましたが、すぐに自分を超えるという資質を見抜いて、自分の行った房中術以外の方法で仙人にさせるための修行方を教えてくださいました。今思うと、かなり危険な趣味を持っていたようなので、早い段階で離れることができてほっとしています」

「うわお」


 少なくとも、霊華を弟子にした時点で仙人になってかなりの時間経っていたことだろう。その仙人が、年端も行かない少女を自分の不老長寿のためとはいえ、交わろうとしていたとなると、男である自分からしても恐ろしく感じる。


「その人は、霊華さんみたいな陰陽術や五行術は使えなかったのですか?」

「仙人が使うものは仙術というもので、基本はそれだけです。わたしは結構異端な方なのですよ。最短で仙人でなったこともそうですが、元はただの護身拳法だったものを強力な戦闘用拳術にまで昇華し、その修行のために食べてはならないと言われる五穀を口にし、火力不足に悩んで陰陽術を学びそこから独自の五行術を編み出した。普通の仙人がするような修行ではありません」

「穀物、食べちゃダメなんですね」

「普通は、ですが。辟穀というのも修行の一つにありまして、始めた当初はまあまさに地獄のようでした。少量の乾燥肉に干し果物しか食べられないですし、五穀を食べたら気が濁って仙人になれないと脅されて、辟穀しながら行気という修行を並行して一日中行なわされて体中が固まったように痛くなって、こっそりお寺から抜け出して穀物を食べようものなら一日中裸で倉庫に縄で縛られて吊るされるというお仕置きまでありました。今思うと、よくそれで八年我慢できたと思いますよ」


 思っている以上にハードな修行内容に、ジークハルトが頬を引きつらせる。そして、そんな地獄のように厳しい修行を八年間耐え続けてから独立し、自力で仙人になった霊華に尊敬の念を抱く。


「辟穀しないと仙人になれないと脅されても、仙人になった者が総じてそれを口にしないで伝聞でそうであるからと、それを鵜呑みにして本当にそうなのかを試していないからどうにも信憑性がありませんでした、ですので独立後、白米や玄米、お味噌汁といった物を拳術修行のために食べていますが、こうして六千年生きていますので特に意味はないことが証明されました」

「それは、他の修行の並行していたからでは?」

「それもそうですが、なんか八年間白米とお味噌汁を食べずにいたので、何かこう、むしゃくしゃして見返してやるといった気持ちも強かったですし。そもそも甘いもの、特に果物が好きだったのでそっちを主食にしてあとは体作りのために一日一回に抑えて、霊脈から出る霊気を体内に取り入れてそれを循環させる修行と、先ほど口にした行気の修行、あとは服餌法という薬草などを使ったものですね。あなたの言う通り、結局は他の修行でこじ付けたようなものです」


 「人間必死になれば意外となんとかなるものですね」と、くしゃりと笑顔を浮かべる。

 一切の欲を捨て去って悠久の時を生きるという伝説があり、事実霊華も六千年という果てしなく長い時間を生きてきているため、仙人になる過程とはいえ食べたいものを食べられないでいて、師匠から独立した後に食べたいものを食べたいという食欲がしっかりとあって、普通の人のように感情が豊かなので、印象が最初に比べて大分変わった。

 まるで不老不死の賢者のようであっても、この世界に生きている限り霊華もまた一人の人間なのだと感じる。


「さて、薬と包帯の交換も済みましたし、あとは安静にしていてください。くれぐれも、無茶な行動はしないように。いいですね?」


 子供に言い聞かせるような口調で言い、体を動かしたいけど霊華の言葉を聞くとそれに大人しく従うべきだろうという妙な強制力が働く。


「これからわたしは日課をこなしてきますので、何かあったら声をかけてください。あぁ、あと寺の中を軽く散歩する程度なら動いていて大丈夫ですよ。ですが、走ったりするのはなしです」

「わ、分かりました」


 椅子から立ち上がって軽い散歩程度の運動なら許可してから退室する。ジークハルトはその背中を目で追い、姿が見えなくなったところでまだ引きつるような感覚のある体を軽く伸ばし、ゆっくりと立ち上がって眠っていた部屋に戻る。

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