第6話 良薬は口に苦い
「盗み聞きとは感心しませんね、ハルト君」
小さくなって行く五人の背中を見送り、姿が見えなくなったところで、突然肩に手を置かれて話しかけられてその場から数センチ飛び上がり、心臓が飛び跳ねて口から出るかと思うほど驚いた。
振り向くとそこには霊華が立っていて、しっかりと姿が見えないはずのジークハルトを前髪に隠れていない左目で捉えている。
「あの、なんで見えているんですか……?」
ドッグンドッグンとうるさく早鐘を打つ胸に右手を当てて、若干体を震わせながら聞く。
「ここだけ力の流れが違いますし、陰陽術にも同じような
「いや、見えている理由を聞きたいのですが……」
確かに魔術的視覚で見れば、そこに魔術が起動していて誰かが隠れていると分かるだろう。だが霊華は魔術ではなく陰陽術や独自理論の五行術を使う。力の使い方自体が違うため、魔術を見抜くことはできないはずなのだ。
なのにそこにいると見抜かれた。魔術を使うことはできないし、霊華からは呪力を感じ取ることはできない。もしかしたら特別な視界があるのではないかと勘繰る。
「神通力の一つ、と言いたいところですが、実際は霊気の流れを見ているのですよ」
「呪力と何が違んですか?」
話を聞こうと、魔術を解除して光の屈折を消して姿を見せる。その現象を興味深そうに見ていたが、原理は後で聞こうと自制して話を続ける。
「呪力というのは体の中、あらゆる生物の命の源であり最大の弱点である心臓から生み出される、超自然的な力の総称です。使いすぎると命を落とす事例もあるので、わたしは生命力を変換したものと推測しています」
それを聞いて、ジークハルトはここも自分の魔術の方と似ていると感じた。
「そして霊気は、この世界の霊脈や地脈から無尽蔵に生成され続ける、外界の超自然的な力のことです。わたしはその霊力を意識的に視覚化することができるので、その流れを見ることで隠れている物や人を見つけるのが得意なのです」
「そういうことでしたか……」
つまり、霊華は実際にはジークハルトの姿を視認しているわけではないが、霊気の流れを見てそこにある人一人分の霊気の流れの歪さを見抜いたということだ。
「それより、盗み聞きは良くないですよ。仙人でもわたしは女性です。知られたくない秘密の一つや二つはあるのですから」
「あ、すみません……」
「まあ、先ほどの話は特に聞かれてもなんの支障もないものなのですが」
「そういえば、なんであの人たちはここに? 不老不死の法を教えて欲しいとか言っていましたけど」
「その話は後でしましょう。さあ、傷口がひりひりと沁みているでしょう? 新しい薬を塗りますので、ついてきてください」
そう言って先に歩き出した霊華を追うようについて行く。そこでふと、気になったことを聞く。
「あのー、昨日起きた時から俺の服と違うんですけど……」
もう九割方予想がついていることだが、聞かずにはいられなかった。
「あなたが着ていた服は損傷もそうですが、傷の手当てをするために脱がせていただきました。服に隠れていては手当のしようがありませんし、何より余計な細菌が入ってしまう可能性がありました。怪我は上半身に集中していましたが、念のため下の履き物も変えましたよ。流石に下着には手出しできませんでしたが」
淡々と言う霊華に、ジークハルトはやっぱりかと恥ずかしそうに顔を背ける。唯一、全裸にされていなかったのが救いかもしれない。
若干俯きながら華奢な背中を追い、調合室に一緒に入る。そこはたくさんの薬草や液薬などがそろっているからか、苦手な人にはとことん嫌われる薬の臭いが充満していた。大量の棚には隙間なくきっちりと物が置かれていて、瓶の中には丸薬や粉薬、半液体状になるまですり潰された薬草から、なんか強烈な臭いを発している壺まである。
物がたくさんあるにも関わらず、清掃がきっちりと行き届いていて埃一つない。
どうやってこんなに物がある部屋を、小さな隙間まで清掃しているのだろうと思っていると、足元に何かがいるのを見つける。
見下ろすと、一つ目の丸くっこくてもっちりした何かがそこにいた。
「うわっ!?」
驚いて後ろに飛び退る。その声に反応したのか、わらわらと大量に一つ目もっちりの何かが出てくる。
「な、なななな何ですかこれ!?」
若干ひっくり返った声で、慌てて聞く。
「この子たちですか? わたしの式神ですよ。思業式神のコダマです。戦闘力は皆無ですから、わたしの手が届かない狭いところの清掃を任せているのです」
見れば、全てのコダマの手にはその体の大きさにあった清掃道具を持っている。まん丸な目で丸っこくてもっちりとした体のそれはどこか可愛らしさを感じるが、数十体のコダマが一斉に目を向けて凝視してくるその光景は、地味に怖い。
「この子たちの体はもちもちしていて、触り心地がいいんです。つい意味もなく召喚して触っていることがあるくらい」
そう言ってしゃがんでからコダマを一つ、ひょいと指先で摘んで持ち上げてから、軽く手で握ったり指先で突っついたりする。
その時の霊華の顔はまるで普通の少女のように、無邪気で可憐な笑みを浮かべていた。
凛とした雰囲気を常にまとい、どこか浮世離れした美しさを持つ霊華のその可愛らしい笑みは、最初に抱いた印象とはまるで違い思わずどきりと心臓が跳ねる。
「……こほん。今はこんなことをしている場合ではありませんね。少し待っていてください」
ついコダマの感触に夢中になってしまい、我に戻った霊華は仄かに頬を赤く染めて軽い咳払いをしてから、持っているコダマと足元に控えているコダマを式符に戻して一斉に集め、懐にしまう。
欲がないと言われる仙人の霊華でも、あんな風に夢中になるものもあるんだなと、なんだかとても貴重なものを見た気分になるジークハルト。
そそくさと棚に近寄って必要なものを次々と取り出し、泉の源泉から直接引っ張ってきている新鮮な水を水瓶に注ぎ、瓶から取り出した丸薬を小さな袋に入れて棒で叩いて砕き、別に取り出した粉薬と一緒に湯呑みに入れて水瓶の水を注ぎ込み、混ぜ棒で溶けるまでかき混ぜてそれを渡す。
「今から塗る方の傷薬を作りますので、先にこれを飲んでおいてください」
「あの、あんなに綺麗だった水が真緑になっているんですけど」
「当然です。丸薬も粉薬も、原料は薬草ですから」
「苦くない、ですよね?」
「良薬は口に苦しと言います。あまりこういうは言いたくありませんが、あなたも男の子ならそれくらい我慢してください」
そう言われて一度上げた視線を湯呑みに戻す。見方によっては緑黄色野菜を細かく砕いて作った健康飲料に見えなくもない。
鼻に近付けて匂いを嗅ぐと、薬草ということもあって微かな清涼感がある。目を上げると、霊華が笑顔で早く飲めと無言で語っていたので、諦めて口を付ける。できるだけ一気に飲むように傾ける。
最初に感じたのは、すっとした香草のような清涼感だったが、直後に表現し難い苦さと青臭さが支配する。
なんとか全部飲み切るが、舌がぴりぴりして喉の奥まで苦さが残っている。口直しに何か甘いものを食べたいが、あいにくここにはそういったものはない。
薬を飲んで悶絶しているジークハルトを尻目に、霊華が薬研で薬草をすり潰し、ぱらぱらと乾燥させた薬草の種や粉薬を加えて、更に潰す。こっちもこっちで臭いが強く、ジークハルトは顔をしかめる。
「さて、次は服を脱いでもらいます」
「え」
ようやく口の中にあった苦さと青臭さがなくなってきたところで、霊華が言う。
「服を着ていては包帯の交換もできませんし、傷薬を塗ることもできませんので当たり前です。ほら、脱がないというのであればわたしが脱がせますが」
「だ、大丈夫、ですっ!?」
麗人に脱衣させられるのはあまりにも恥ずかしいので、一歩近付いてきた霊華から大きく離れてから、自分で治療着の上着を脱ぐ。
体に巻かれている包帯には、緑色の液体が染み込んでいて疎らに変色している。その箇所に指を触れさせてから指先に付いた汁の臭いを嗅ぐと、こちらも結構強い臭いがする。
「思ったのですが、そちらの魔術には治療術はないのですか?」
手招きして椅子に座らせて、巻いてある包帯を取って古い薬を清潔な布で拭い取り、新しく調合した薬を塗っている時に、そう質問する。
「あるにはありますが、正直効率がいいとは言えません。魔力の消費を十とした時に、それで回復できるのが一あるかないかで、苦手な人となるともっと効率が悪いです。俺も回復魔術は苦手で、この怪我を治すとなると魔力切れを起こすまで使い続けるという行動を、少なくとも一週間は続けないといけません」
「それは随分と最悪な回復効率ですね」
「しかも過剰回復するとその部分が壊死するというリスク……危険性もありますし。だからこうして薬を使ってやったほうが安全です」
ぺたぺたと絵の具を紙に塗りたくるように薬を塗りながら、その話を聞く。
「陰陽術や五行術にはないのですか?」
「ありますが、人によって強さを調節するのが難しくて面倒だったのであまり使えません。だからこうして薬草を使った治療を行なっているのですよ」
怪我の度合いによって強さを変えないと、ジークハルトの言った過剰回復を起こしてしまう。それでそこが壊死してしまったらそこからの回復は見込めない。
霊華はそれが怖いというのもあるが、細かい調整が面倒だったので覚えるだけ覚えた後は薬を使った治療を習得し、そっちを重点的に使っている。
それに、そちらの方が街の人と接触していられる時間も増えるし、家族との会話も増えるので、余程酷い怪我ではない限りは薬草などを使った治療を優先するようにしたのだ。
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