最終話
隣室のチャイムを押してみたのは、陽希だった。ドアを開けたのは、水樹と同じような身長だから、一七五センチくらいで、眼鏡をかけている男だ。彼は此処の住人で、名前は田島と名乗った。陽希は水樹と理人が推理した内容を話した。すると田島は、何かを考えるように黙った後、陽希に訊いた。
どうして、その話を僕にしたのか、と。
陽希が答えると、今度は、何故、その結論に至ったかを問われた。陽希がその理由を話すと――つまりは、換気扇を用いて毒ガスを被害者の部屋に流し込んだ可能性が高いこと、そうだとしたら犯人は隣室の住人、つまり田島だと思う、と実に素直に語った。この素直さが、理人は好きだが、恐ろしくもある。
すると、田島は納得したような顔をして、それから、笑った。
「なるほど。君は面白い子だ。分かった。その推理は当たっているかもしれない。その可能性は高いと思う。だけど、まだ証拠はない。それに、犯人はきっと、自分が捕まることを恐れているはずだ。つまり、証拠を残さずに殺人を犯す方法を持っているということだよ。それじゃあ、ダメなんだ」
滔々と、いけしゃあしゃあと、自分が犯人ではないかのように、田島は言う。水樹は田島の話を遮った。
「それは分かっていますが、田島さん、貴方が犯人である可能性が高い以上、証拠と言うものを探すためにも、捜査には協力していただきますよ」
「まぁ、そうだよね。僕だって、犯人じゃないっていう確証が欲しいから、協力するさ。ただ、一つだけ約束してくれないか。もし、君が犯人を見つけたら――その時は、必ず、警察に自首をさせて欲しい。いいかい? 犯人を追い詰めるのは、警察の仕事なんだ。それに、君は足が不自由で、犯人を取り押さえることも出来ないだろう」
田島は、水樹の杖を手で示して肩を竦めた。
「もしも犯人が逃げてしまったら、取り返しがつかないことになる。犯人を逮捕するのは、警察の役目。探偵はあくまで犯人を特定するだけで、逮捕権はないんだ。それを忘れちゃいけないよ」
と、一見して心配しているように見えるが、恐らくは、自首するふりをして逃げるつもりだろう。なめられたものだ、と水樹は憤った。しかし、此処に拘っていても仕方ない。
「承知しました。それでは、田島さん、貴方のお部屋に失礼します」
「ああ、どうぞ」
「こいつ、むかつくなぁー」
陽希が呟いた。素直過ぎる。
***
田島の部屋は、ひどく散らかっていた。部屋に入った瞬間に、水樹は思わず顔を歪めた。部屋中にゴミ袋が散乱している。
「うわぁ、汚いな。ゴキブリとかいないよね? 水樹くん、よく見てよ」
陽希が悲鳴を上げる。確かに、其処ら辺に黒い塊があるが、まさか。いや、今は調査だ。
「毒ガスを供給する装置を探しましょう」
水樹はゴミ袋を避けながら部屋を歩く。足が悪いため、ゴミに阻まれて奥には入れそうもない。其処へは陽希が進んでいく。しかし匂いがきつい。
「ねえ、これじゃない?」
陽希が何かを見つけて指差す。それは、小さな機械だった。理人は何とか、ゴミを乗り越えて、機械に顔を寄せる。
「これが毒ガスのスイッチでしょうか。だとしたら、犯人は何処かにスイッチを置いて、遠隔操作していたということでしょう」
「そりゃ凄いな」
陽希が真っ白い歯を見せて笑った。
「ってことは、毒ガスの入ったマシンがこの部屋にまだあるってことだぁ。換気扇から隣室に入れたのなら……」
「ベランダ、でしょうね」
理人がベランダに行こうとすると、容疑者の田島が腕をつかんできた。
「待ってくれ、僕はやってねぇんだよ。本当なんだ、信じてくれ」
つかまれた腕がとても痛い。理人は顔を顰めながら、
「じゃあどうして、ベランダを拝見させていただけないのでしょうか」
と、問うた。すると田島は、理人の手首を離して、ポケットから何かを取り出した。それは小さな箱型の機械で、ボタンが幾つかついている。
「バカな探偵どもだ。此方が、毒ガスを供給するスイッチだよ。ほら、お前ら、もう動くな。一歩でも動けば、一発で死ぬぜ」
其処で、まさにシャムネコのようにサッと動いたのは、陽希だった。
陽希は、ピーコートのポケットに手を突っ込んだ、ちょっと猫背の状態から、急にばねのように伸びて、両手を出して田島に飛び掛かった。理人の目にすら見えない速度で。そして、田島が持っているスイッチを、蹴り飛ばしたのだ。カラン、と音を立てて床に転がったそれに、陽希は素早く手を伸ばす。
「畜生! 畜生!」
田島も必死で抵抗するように飛びつくが、陽希の俊敏さには敵わない。
スイッチを奪い取った後、陽希は、スイッチの本体を握り締めて壊した。そして、陽希はスイッチを投げ捨て、スイッチを蹴飛ばして遠くにやった。
「相変わらず、お見事」
水樹が拍手すると、陽希はちょっと頬を赤らめて、頭をぼりぼりと掻いた。
***
隠し事。
英嗣が、柚子に隠していたことは、自分が田島に命を狙われているかもしれないという、正しい恐怖だった。
田島は、柚子が英嗣のマンションに通っていたため、エントランスで偶然すれ違って恋をしたらしい。その後、最初は柚子の気づかない範囲で付きまとっていたが、そのうちに自宅を突き止めるようになった。英嗣は危険を察知し、田島に今後柚子へ接近しないよう訴えた。そこで殺害を企てられてしまったようだ。柚子に心配をかけないよう、英嗣はそのことを秘密にしていた。英嗣は、いつも柚子に笑っていて欲しいと言っていたらしい。その判断が正しいとは、水樹は思わない。英嗣が早くに周りに相談していれば最悪の事態は防げたのだろう。こういうやり方は、周囲の心にも傷を残す、間違った責任感だ――というのは、探偵にとっては、もうどちらでも良い話である。
かように事件は無事に解決し、「探偵社アネモネ」には、再び依頼が舞い込むようになった――というのは、水樹の夢幻。
二〇二四年二月十日、依頼件数ゼロの「探偵社アネモネ」の事務所に、三人の探偵が集まっている。指を組み、その上に顎を置いた水樹、パソコンに向かいつつも何も目に映していない理人、来客用のソファに寝転がってスマートフォンを見ている陽希。
「暇ですね」
「暇ですねぇ」
「暇だねぇ」
三人の声が、静寂にふと重なって、三人は目を見合わせて、噴き出して笑うのだった。
探偵たちに未来はない 探偵とホットケーキ @tanteitocake
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