47輪 薔薇たちの純愛革命

 この日、蒼の皇宮ブルーシャトーの前庭は広く一般の人々に開かれていた。押し合うように詰めかけた群集は手に手に青薔薇の国旗を握り、期待に満ちた眼差しで正面のバルコニーを見上げている。


 彼らが待ち侘びているのは、ノヴァーリス皇国の美しき皇太子と、今日この日に皇室へ迎えられた皇太子妃だ。


 皇都の聖堂を出発したプラチナの馬車が、先ほど皇宮に到着した。誓いを交わし合ったばかりの新郎新婦が民衆へお披露目されるまで、もう間もなく。


 バルコニーの硝子扉が開いた。五色の紙吹雪と花弁が舞う。群集は白波のごとく国旗を高く振り、地を震わせ歓声をあげる。


 青いフロックコートの制服を着た皇太子と、サテンリボンで飾られた純白のドレス姿の皇太子妃が、人々の前に姿を見せた。


 二人を祝福するように明るい陽光を浴びて、皇太子のホワイトブロンドはさらに白く輝き、妃の赤毛は燃え立つ鮮やかさを増す。睦まじく寄り添うその色彩はまさしく、物語詩バラッドに謳われる〝白薔薇の貴公子と紅薔薇の乙女〟そのものだ。


 群集はますます沸き立ち、皇太子夫妻は熱狂に応えてバルコニーから手を振る。

 白と紅の薔薇はほほ笑みを分かち合い、人々の前で改めて愛を誓うように口づけを交わした。




 ❃




 お披露目を終えた皇太子妃を、ロザリーは室内で迎えた。


「ミンディ」


 呼びかけに振り向いた皇太子妃ミンディは、ロザリーの顔を見るなりスカートを持ち上げて駆け寄った。


「ロザリーお姉様!」


 両腕を広げたロザリーの赤いドレスの胸元へと、ミンディが躊躇いなく飛び込んでくる。長身な皇太子妃を、ロザリーは背を反らしてしっかりと抱きとめる。


「お疲れさま。怖くはなかった?」


 労いながら、ロザリーは赤毛に引っかかった紙吹雪や花弁を丁寧に払ってやった。

 バルコニーへ出る硝子扉の向こうからは、今もなお潮騒のような大歓声が室内まで轟き聞こえている。群集の声にあおられたように、ミンディは上気した頬をロザリーにすり寄せた。


「ジェイデン殿下が一緒でしたから、怖くはありませんでした。ただ本当に、本当にすごくて。まだ胸がどきどきしています」


 興奮冷めやらぬようすのミンディがほほ笑ましく、ロザリーは抱擁を強くした。


 件の拉致事件のあと、ミンディはヘルツアス侯爵家の娘となっていた。

 ロザリーの提案により侯爵一家で揃って協議を重ね、ミンディを迎え入れることを決めたのだ。


 これまでのミンディの働きと、皇太子妃ひいては皇后輩出というフレディーコ家の権勢維持をかんがみれば、決断するに不足はなかった――ロザリーが皇太子にプロポーズを急がせたのはこのためだ。最終的に侯爵が動くだけの動機づけとして、皇太子とミンディがすでに思い通じている事実と、なによりミンディ自身の意思表示が必要だった。


 始めに侯爵はグンマイ子爵に対し、ミンディを引きとりたいとしろを提示した。つまり上役の立場から、娘を売り渡せと要求したのだ。


 当然ながらグンマイは、難色より先に困惑を示した。下女ならまだしも貴族の実子を売るなど、没落などを除いてあまりに例がなく不可解さは否めない。

 しかし、彼女の身とそれに伴う責任はすべて侯爵家で引き受け、子爵家に一切の負担は要求しない、とまで提示されればグンマイは断らなかった――ミンディに関して子爵家の名を決して出さない、という条件を追加の上で。


 追加で求められた条件については、さすがのロザリーも予想外であり、衝撃を受けた。


 グンマイにとってフィーユ民族の血を示す赤い髪は――それがたとえ実子であっても――として踏みにじるべき汚点でしかなかったのだ。これまで下賤なところへ売らずにいただけ、一応は親としての良心が働いていたのやもしれない。


 実父が提示した条件を聞いてミンディが傷つかないはずがない。彼女は一度だけ涙を見せ、以後、生家の話をすることはなかった。

 なにがあろうと二度とグンマイにミンディのことで口出しや干渉をさせはしない決意を、ロザリーは新たにした。


 ミンディは一時的に侯爵家所有の使用人という形で引き続きロザリーの侍女を務めたのち、養子としてフレディーコ家の家譜へと名前を加えられた――家に貢献した使用人に良縁を結ばせるため、家譜へ加えて後ろ盾となることは、名家では稀にみられることだ。


 こうしてミンディはフレディーコ姓を名乗るようになり、ロザリーの妹となった。


 姉妹で抱擁を交わしていると、皇王および侯爵一家との短い挨拶を終えた皇太子ジェイデンも歩み寄ってきた。ロザリーが声をかける前に、斜め後ろにいたケイレブが進み出て労いと祝福の抱擁を皇太子と交わした。


義兄上あにうえと呼ぶべきかな」


 冗談めかしてジェイデンが言い、ケイレブは苦笑をこぼした。


「よしてくれ。これまで通りでいい」


 従兄弟同士で気安く肩をたたき合ったあとで、ケイレブがバルコニーの方へと目線を向けた。

 主役がけたことで硝子扉越しに伝わる熱気もようやく下火になりつつあるものの、まだまだ喧噪が収まる気配はない。


「民衆の反応が上々のようで、正直ほっとした」


 杞憂に胸を撫で下ろすケイレブに対し、ジェイデンは不敵に笑って腕組みした。


「若い世代ではむしろ、わたしの選んだ妃を歓迎する機運の方が高い。シュラブ地方の象徴が赤毛とはいかに、との反発が皆無とはいかないが、こちらは頭の固い年寄り連がほとんどで無視できる程度だ。話題の名作物語詩バラッドのお陰だな」


 言葉の終わりに、ジェイデンの瞳がロザリーの方へとちらりと向く。ロザリーは彼の視線に気づいたが、素知らぬ顔で無視をした。


 ロザリー・フレディーコとケイレブ・シューゲイツの交際が新聞各紙で報じられたのは、ミンディがフレディーコ家の一員となってほどなくのことだ。ロザリーと皇太子の復縁にばかり注目していた民衆からは、大きな驚きと物議を呼んだ。


 しかし拉致事件からの救出劇が詳細に書き立てられるや、たちまち旗色が変わった。ケイレブは令嬢の窮地を救った英雄として、すっかり名を馳せることになったのだ――本人は衆目を集めることに気後れしているようではあるが。


 それと同時に話題になったのが、かねてより巷で人気を博していた〝白薔薇の貴公子と紅薔薇の乙女〟の連作物語詩バラッドだ。


 匿名作者により次々に続編が発表されるその恋物語のモデルは、皇太子とその元婚約者であると広くもくされていた。そのためロザリーとケイレブの婚姻が濃厚となると共に、人気の物語詩バラッドも終わりを迎えるだろうと、読者の誰もが思っていた。


 ところがロザリーとケイレブの婚約が公になって以降も、〝白薔薇の貴公子と紅薔薇の乙女〟は続いていた。

 となれば、物語詩バラッドの本当のモデルは誰かという話になる。


 ノヴァーリス皇国において、白薔薇の貴公子といえば皇太子ジェイデンしかありえない。では、紅薔薇の乙女は誰であるか。

 ロザリーの他に考えられる女性はいるのか。はたまた完全なる創作であるのか。


 議論が盛り上がる最中さなか、皇太子の新たな婚約者として人々の前に現れたのがミンディ・グンマイ――改め、ミンディ・フレディーコだった。

 その燃えるような髪はまごうことなく、白薔薇の隣に凜と佇む、あかき薔薇だった。


 白薔薇たるジェイデンがミンディの後ろに立った。ミンディはまるで気づかないようすで、ロザリーの手を握ったまま胸の内の興奮を夢中で伝えている。


 遡ればミンディは、大人の目を盗んで部屋を抜け出し、生垣の迷路で一人でも活発に遊び回るような少女だったのだ。親の抑圧から解き放たれてからというもの、その生来の快活さを少しずつとり戻していた。


 血の繋がらぬ姉妹の尽きぬ話に焦れたようすで、ジェイデンが背後からミンディの肩へ両腕を回した。驚くミンディをロザリーから引き離すように抱き寄せる。


義姉上あねうえ殿、わたしの妃をそろそろ返していただいても?」


 ジェイデンはこれ見よがしな呼び方と口調で、ミンディの肩越しにロザリーへ笑いかける。扇を口元に持ち上げたロザリーは、彼が浮かべているのと同じ牽制の笑みを返した。


「殿下に嫉妬させてしまったようですわね。本日の主役は殿下ですから、これくらいにいたします」

「わたしとしては、今日以降も控えて貰いたいところだ」

「それは、お約束しかねますわね」


 かつての婚約者であり共謀者である二人は、一見して穏やかな微笑と声音のまま応酬する。その間に挟まれたミンディは、少々慌てたようすで姉と花婿の顔を交互に見やった。


「申しわけありません。わたくしったら、なんだか舞い上がってしまったみたいで」


 両頬に手を当てて、ミンディは冷静さを欠いたことへの恥じらいを見せる。目元に朱を灯して俯く花嫁の姿に、ロザリーとジェイデンは同時に破顔した。


 ミンディに腕を回したままのジェイデンは、彼女の顎を持ち上げて自分の方を向かせた。額と額を寄せ合わせ、愛しげに鳩羽はとば色の目を細める。


「今日はノヴァーリス中がわたしたちを祝福する晴れの日だ。これくらいは羽目を外した内にも入らない。それになにも、舞い上がっているのは君ばかりではない」


 囁きと共に、ジェイデンはさらにミンディの顔を引き寄せる。ロザリーの見守る前で、伴侶となった二人の唇が重なった。


 もうミンディが腰を抜かすことはなかった。ジェイデンは惜しみなく妃へ愛を注ぎ、ミンディは皇太子の愛を全身で受け止めている。人の上に立つ女性として必要なことも、ロザリーが教えられる限りのことはすべて教えた。ミンディが人目にひるむことは、もうないだろう。


 ロザリーはこっそりと、安堵の息をついた。


「ロザリー」


 隣へと戻ってきたケイレブが不意に呼んだ。なにげなく振り向いたロザリーの頬が、手袋越しにも固さの分かる大きな手の平で包まれる。ロザリーが間近にケイレブの顔を認識したときには、唇に温もりが触れていた。


 ジェイデンの笑い声が聞こえた。


「これは、見せつけてくれるな」


 呟いたジェイデンの声音は明らかに面白がっていた。けれど今のロザリーに、咄嗟の反応は返せなかった。


 数度ついばむように口づけて、唇は離れていった。なぜ今キスをされたのか分からず、ロザリーは目をぱちくりしてケイレブを見上げた。自分からキスをしておきながら、彼は気まずげな表情で顔を赤くしていた。


「君が羨ましそうな顔をしていたから……その……わたしは、間違えただろうか」


 つまりケイレブは、ロザリーが皇太子夫妻のキスを羨んで見ていると思い、行動を起こしたのだ。彼らしい率直な愛情表現に、ロザリーの胸の内でくすぐったい感情が暴れ始める。


 ロザリーは相好を崩し、ケイレブの胸に抱きついた。頬を押し当てれば、彼の心臓が早鐘打っているのが聞こえる。


「間違っていないわ。ケイレブのそういうところが、わたくしは大好きよ」


 ケイレブの表情が安堵に緩んだ。ロザリーは輝くチョコレートの髪と蜂蜜の瞳を見上げ、その甘さに引きつけられるように背伸びをする。こちらから唇を寄せれば、本当にその甘みが感じられる気がした。


 そこへ、黒髪の侍女が腰を低めて歩み寄ってきた。侍女はできるだけ場を乱さぬよう声を低めて、皇太子妃へと耳打ちをする。


「ミンディ様。そろそろ陛下へご挨拶をして、祝宴のお支度へ」

「ありがとう。すぐに行きます」


 侍女に囁き返して、ミンディはジェイデンへ笑顔で目配せをする。ジェイデンは名残惜しげにまなじりへ口づけてから彼女を解放した。

 ミンディは皇太子妃に相応しい優雅な動作で、ロザリーとケイレブへ一礼した。


「それでは、ロザリーお姉様、ケイレブお義兄にい様。このあとの祝宴で。殿下も、またのちほど」


 その場の一人一人に丁寧に挨拶をして、ミンディは黒髪の侍女と共に去っていった。ウェディングドレスを翻すその後ろ姿を、ロザリーは感慨深く見送る。


 優美なひだを描く純白のスカートも、揺れて輝くサテンのリボンも、すべてミンディがもっとも美しく映えるよう、ロザリーが指揮して作らせたものだ。


 この役割だけは、断固として誰にも譲らなかった。かつてミンディが願った、白い花と、白いリボンのドレスを用意するのは、ロザリーでなくてはならない。


 大人となった彼女に似合うよう、リボンは上品な艶のものを選んだ。そして隣には、なにより麗しく高貴な白き薔薇を。


 緑の迷路で交わした秘密の約束を、これで果たすことができただろうか。

 ロザリーは胸の内で、一人ぼっちで遊んでいた幼き日の赤毛の少女に問いかけた。


 皇太子妃と入れ替わるように、皇太子の侍衛ザックが大股にやってきた。オリーブの瞳を伏せて正しく礼をした彼は、皇太子ではなく同僚ケイレブの方へと近づいた。


「ケイレブ、少しよいだろうか」


 早口に囁かれ、ケイレブは顔をしかめた。


「なんだ、ザック。今日のわたしは参列側なんだが」

「分かっている。時間はとらせない」


 ザックの声音は遠慮がちでありながら、言葉自体は有無言わせないものだった。

 急な飛び出しにケイレブは渋面を作って、窺うようにロザリーの方を見た。彼をわずらわせることないよう、ロザリーはほほ笑みを作った。


「行って差し上げて。わたくしはここで待っているから」

「申しわけない。すぐに戻る」


 本当に申しわけなさそうに、ケイレブは眉尻を下げる。お詫びのように彼はロザリーの額へキスをしてから、同僚に連れられていった。


 意図せず皇太子と二人で残る形になり、ロザリーは横目に隣を窺った。すると彼もこちらを見ており、思いがけず視線がぶつかった。


「まさか君を、義姉あねと呼ぶ日がくるとは――これもすべて君の筋書きか」


 口の端に笑みを乗せ、ジェイデンが囁く。ロザリーはケイレブの去った方角へと目線を戻し、レースの扇を顎へ押し当てた。


「結果そうなった、と申し上げておきますわ。虐げた者が虐げられた者から利益を享受するようなこと、我慢なりませんもの。わたくしは、わたくしの望みのすべてに妥協をしなかっただけです」


 己の望むままに生きるためならば、ロザリーはこれからもなんだってするだろう。人でも物でも、不慮の災難でも、使えるものはすべて使い、望みを確固たらしめる足がかりにしていく。


 ロザリーのこの性分は、やはりどうあっても変えられそうにない。そして今の自身のあり方に、もはやなんら迷いはなかった。


 くつくつと喉を鳴らしてジェイデンが笑った。顔を見ずとも、彼がどのような表情をしているか、ロザリーにはありありと分かった。


「まったく。本当に恐れ入るな、君には。そこでいくらか折り合いをつけて妥協をするのが普通だろうに。それでこそロザリー・シューゲイツ、といったところか」


 しみじみと言って、ジェイデンは笑いを収める。深い吐息が聞こえ、皇太子の纏う空気が変わるのをロザリーは感じた。


「君たちが幸せそうで安心した。ケイレブも、心から君を愛しているようだ」


 ロザリーはジェイデンを見上げた。彼の顔には、言葉の通りの安堵が広がっていた。鳩羽はとば色の瞳には、大業でも成し遂げたようなほがらかさがある。

 ジェイデンがロザリーを前にして初めて見せる表情に、ふちの濃い葡萄酒色の瞳が自然と細まる。


 澄ましバターの髪を軽く撫で、ロザリーは背筋を伸ばして立ち直した。意気込んでジェイデンを真正面に見据え、とん、と扇で手の平を叩く。


「ええ、それはもう。あなたが一番よくお分かりでしょう?」


 鮮やかに、嫣然一笑えんぜんいっしょう


「わたくしが溺愛されるのは当然です」






わたくしが溺愛されるのは当然です ─薔薇たちの純愛革命─ 完

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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ― 入鹿 なつ @IrukaNatsu

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