終章 わたくしが溺愛されるのは当然です

46.5輪 枝葉たちの変革

「ねぇねぇ、あなたは結婚式に出られる?」


 栗色巻毛のメイドは絨毯を剥いだ床を掃きながら、同じ室内で拭き掃除をしている同輩メイドに話しかけた。黒髪の同輩メイドは書きもの机を拭く手を休めないまま、巻毛のメイドを一瞥した。


「大切なお嬢様の結婚式なら、お手伝いするに決まっているでしょう」


 黒髪メイドが請け合うや、巻毛メイドは箒を持ったまま弾むように駆け寄った。肩をぶつけて、体の側面と側面をぴたりとくっつける。


「あなたはお嬢様の侍女としてついていくのだものね。わたくしの見込み通りだったわね」

「正直、こうしてお嬢様のお部屋の片づけをしていても、いまだに実感が湧かないのよね」


 黒髪メイドは気のない声音で言いながら、机を拭く肘で巻毛メイドの体を押しのけた。一歩下がった巻毛メイドは、まだ黒髪メイドの気を引こうとするように背中をつつく。


「もっと喜びなさいな。世のメイドの中でこんな機会に恵まれる人が一体、何人いると思って? ロザリーお嬢様もお幸せそうだし、わたくしまでうっとりしちゃう」


 黒髪メイドは振り向くことなく、書きもの机の抽斗ひきだしを開けて見落としなく空になっているのを確認した。


「ロザリーお嬢様にも驚きよね。皇太子殿下と寄りを戻すと思いきや、伯爵家へ嫁がれるだなんて」

「当然のなりゆきよ」


 巻毛メイドは断言すると、箒を相手に見立てて躍る足どりでくるりと回転する。


「ケイレブ様のような凜々しい殿方に命懸けで救い出されたら、女性なら誰でも恋に落ちてしまうわ。お嬢様も例外ではなかったということよね」

「新聞も一時はそればかりだったものね。救出のあらましの書き立て方と言ったら、一体どこの恋愛小説かと思ったもの」


 いくつもの紙面に書き立てられていた甘い描写の数々を黒髪メイドは思い出し、ちょっと肩をすくめる。巻毛メイドはニヤリと笑って、また肩を押しつけてぴたりと身を寄せた。


「知っていて? あれ以降に書かれている恋愛小説はどれも、攫われた乙女が美しい貴公子に救われる物語ばかりなのよ」


 内緒話のように囁かれた内容に黒髪メイドは目を剥き、巻毛メイドの方へ顔を向けた。


「……そんなに?」

「書店の新刊の棚を見たらすぐに分かることよ。やっぱり女性なら、一度はそういう場面に憧れるものよね」


 やっと相手を振り向かせることに成功した巻毛メイドは、目を輝かせて言う。黒髪メイドは中身を確認し終わった抽斗ひきだしを戻しつつ唸った。


「そういうものかしら……でも流行っているということは、そういうことよね」

「そういうことよ。あなたも分かってきたではないの」


 巻毛メイドはさらに上機嫌になって、黒髪メイドの腕を引っ張った。


「それはそうと、あなたは結婚式に出られるの?」

「だからお嬢様の――」

「お嬢様のではなくて、わたくしのよ」


 腕を振りほどきかけて、黒髪メイドはぴたりと動きを止めた。


「…………え?」


 間を置いてやっと出せた声はそれだけだった。

 巻毛メイドは相手の反応にまったくとり合わず、黒髪メイドの腕をさらに引っ張って体ごと自分の方を向かせた。


「あなたはこのお屋敷で一番の親友だもの。ぜひきて欲しいと思っているのだけれど」


 目を期待にらんらんときらめかせて、巻毛メイドが迫る。その肩を黒髪メイドは咄嗟に押さえた。


「待って。ちょっと待って……あなた、結婚するような相手なんていた?」


 巻毛メイドは前のめりのまま、不思議そうに首を傾けた。


「前に話したことがあったでしょう? 運命を感じて思い切って声をかけてみたら、お互いすっかり惚れ込んでしまったって」


 黒髪メイドは慌てて記憶を掘り返した。果たしていつ、そんな会話をしていただろうか。考え込んだ矢先、巻毛メイドのキャップから垂れるピンクのリボンが目に留まった。


「あれ……ひょっとして、そのリボンの……?」


 巻毛メイドはうっとりした表情で、薔薇模様の縫いとりのあるサテンリボンを摘まんだ。


「このリボンも素敵よね。彼、贈りもののセンスがとてもよくって。記者って色々な人に取材をして流行を追っているから、きっと美的感覚も磨かれるのね」

「記者……へえ……」


 初めて聞く話ばかりで、黒髪メイドは思考が追いつかず憮然とする。ところがふと心当たりに気づき、巻毛メイドへ慎重に尋ねた。


「もしかして。あなたがお嬢様についていかないのって、結婚が理由?」


 満面の笑みで、巻毛メイドは頷いた。


「そうよ。せっかくお声がけはいただいたけれど、やっぱりわたくしの幸せはこっちかしらと思って」


 巻毛メイドは頬を染め、照れくさそうに両手で持った箒を左右に揺らしている。


 突然に押し寄せた情報とそれに対する驚きとで、黒髪メイドはしばらく呆然とした。さまざま文句が頭の中を駆け巡り、口からこぼれ出そうになる。けれど、いかにも幸福そうな友を見ていると、水を差すのは馬鹿らしく思えてきた。


「……そうね。確かに、あなたはそちらの方が向いていそうだわ」


 肩をすくめ、黒髪メイドは巻毛メイドに笑いかけた。


「行くわ。あなたの結婚式」


 巻毛メイドは軽く伸び上がってはしゃいだ。箒を素早く脇に挟み、両手で黒髪メイドの手を握る。


「よかった! 場所や日程はまた招待状で報せるわね」

「ええ。待ってるわ。おめでとう」

「あなたも、皇宮で働くのは侯爵家よりずっとたいへんかもしれないけれど、応援しているわ。白薔薇の貴公子と紅薔薇の乙女の続き、ぜひわたくしにも教えてちょうだい」


 抜け目ない巻毛メイドの要望に、黒髪メイドは呆れて眉間を広げた。


「あなたったら、本当に好きね。分かった。落ち着いたら手紙を出すわ。流行の物語詩バラッドのみたいにうまく書けてなくてもよければ、だけれど」

「ありがとう! 楽しみにしているわ」


 そのとき、がちゃりと扉の開く音が室内に響いた。二人のメイドは、繋いでいた手を慌てて放して振り向いた。髪をきつく引っ詰めたメイドがしらが、客間の入口に姿勢よく立っていた。


「あなたたち、下で奥様がお呼びよ。すぐにおりてきて」

「はい! ただいま行きます!」

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